ふみ虫舎エッセイ通信講座作品集


2021年12月の公開作品


運転テクニック  原田陽一(ハラダ・ヨウイチ)

 

 我が家5人の中で、自動車の運転が一番うまいのはいったい誰なのか?

 家族みんなで話し合ったことがある。

 一般道や高速道路の走り方。山道、坂道、狭い道。車庫入れなど駐車の仕方。たがいに評価して、誉めたり、けなしたり、話し合いが続いた。

 多数決の結果、運転テクニック第1位は長男。

 第2位にはカミサンが選ばれた。

 2人とも高速道路では波に乗って、結構スピードを出す。車線変更も早い。車の流れに従って、右に左に車をあやつり、テキパキと運転する。一方、狭い道や車庫入れなど、ややこしい運転は注意深くこなす。

 長男は野球部のエースであり、カミサンはハンドボール部のポイント・ゲッターだった。どちらもとても足が速い。ボールさばきもうまい。運動神経が抜群によく、我が家では抜きん出ている。状況判断が速く、動きが的確なのだ。

 だから自動車も、時にはダイナミックに、時には繊細にあやつることができる。

 第3位に入ったのは長女。

 運転は実にスムーズでうまい。ただ、一度だけ車をこすったことがある。坂道のカーブで、運転する車が想定より大回りした。左前のバンパーが、ガードレールにこすったのである。それをみんなが覚えていて、失点につながった。

 最下位は末娘。自分は第4位。

 末娘は、1日ドライブして帰ってくると、ときどき垣根の枝のひっかき傷がボディ周りに付いていることがあり、本人も気付いていない。これが点数を下げた。

 長女が言う。

「お父さんは車庫入れが下手。バックするとき、もたもたしている」

「たしかに車庫入れは、2、3回やり直さないと入らないけれど」

「私たちは、いつも1回でぴたりと決める。お父さんは何回やっても、左右に少しずつずれている」

 さらに、カミサンが言う。

「運転が粗くて、アバウトなところがある」

「でも、無事故無違反だよ」

「無事故無違反は当たり前。それより、何かボケっとして運転しているから、いつか事故を起こすのではと心配」

 はい、おっしゃる通り。グウの音もでない。

 

 自分が運転するとき、カミサンはいつも助手席に座る。助手席でしきりに四方を見回している。

「あの車、バックして来るよ」とか「左の子どもに注意」とか、小声でアドバイスしてくれる。

 助手席にいても、一緒になって運転しているようなもの。あたかもブレーキを踏むかのように、助手席でブレーキのない床を足でひたすら踏み込んでいる。車の運転では、カミサンにいつも心配のかけっぱなしであった。

 

 カミサンは車の運転だけでなく、家事もスピーディ。すべてテキパキとしていた。包丁さばきもあざやか。魚を見事におろして刺身にしたり、野菜を形よく切って、皿に盛りつけたりした。万事、速くて正確なのが持ち味であった。

 そんなカミサン。

 五年前、突然腎臓がんを患った。手術の甲斐もなく、1年後、あっという間に逝ってしまった。

 最期までテキパキとした生き方であった。

 

2021年11月17日                     

 

***

〈山本ふみこからひとこと〉

 くるまの運転をめぐって、こんな会話が展開するなんて。

 このやりとりをたどってゆくと、登場人物のひとりひとりが明るいだけでなく聡明である、ということが伝わってきます。

 ぜひ、息子さんとお嬢さんのご家族にも、読ませてさしあげてください。

 うつくしい夫人のお写真に向かって、音読してくださいまし。

 涙がこぼれるかもしれません。が、どうか、途中でやめないで、さいごまで……。 ふ

 

 

〈ふみ虫舎会員の皆さんへ 〉

 2021年、ふみ虫舎エッセイ講座に連なって書きつづけ、わたしを第一読者に選んでくださり、どうもありがとうございました。

 たくさんの作品が生まれました。

 忘れられない作品が、いま、胸のなかにポッ、ポッと灯っています。

 2022年は、下記の①と②をめあてとして掲げたいと思います

 

①  朗読する。

(ご自分の作品は、書きながら——書いているときは、こころの朗読でもかまいませんが、仕上がったら、声に出して……お願いします)。

 新聞記事でも、小説でも、手紙でも、これぞと思ったもの、なんだか頭に入らない!と思うものも朗読することをおすすめします。

 

②  書いたものを読んでもらう。

 書き手として、読者を思って綴りましょう。そうして実際に広く読んでいただく志(勇気かな?)をもって、執筆活動を。

 この道づくりに関しましては、わたしもお手伝いしたいと考えています。

 

 それから。

「ふみ虫舎エッセイ講座」から、名称を「ふみ虫組」(屋号はふみ虫舎)とします。同門のなかまとして活動し、作品を生みだしてゆきたいと希っています。

            

                         日直 山本ふみこ


アメリカザリガニを連れてくる   Siki


 そうだなぁ、アメリカザリガニに登場してもらおうか。

 迷った挙句にそう決めた。どこに登場してもらうかって? 私が勤める小さな博物館の展示室に。

 この春からはじまる企画展の展示をどうするか、準備の真っ最中だった。今回のテーマは外来動植物だ。一般的にはまったくもって迷惑な存在だと思われているけれど、その前に彼らのことをもっと知ってほしい、という思いからスタートした企画だ。

 おおまかな展示の内容もレイアウトも決まってきた。展示するのは主に、パネル、写真、押し葉など乾燥させた植物、動物の剥製……。そうだ、ここに小さくても生きものがいたら、ちょっとだけ雰囲気が変わって楽しい空間になるんじゃないかな、と思いついた。そうだ、アメリカザリガニ。

 

 まず、近くでアメリカザリガニが生息している場所がないか、生きものに詳しい友人に聞いてみた。すると、彼はまちの焼却施設の排水が流れ出している水路の淀みにいることを教えてくれた。ここにはアメリカザリガニをねらってカワセミがやってくるのだと。問題は捕獲だ。

 20年近く前に、小さかった娘たちと公園の池で一度だけ捕ったことをおぼろげながら思い出す。凧糸にスルメをしばって、池の端の澱みの中にすーっと入れると、下の方からザリガニが出てきてハサミでスルメをはさむ、そのタイミングで凧糸を引き上げて釣った。あっというまの簡単な釣りだ。

 でも今回はそれでは心許なくて心配な気がした。インターネットで調べてみると、1リットルのペットボトルを細工して、なかにスルメやかまぼこを入れた簡単なワナが紹介されていた。よし、この方法で試してみよう。

 さあ、あとはワナを仕掛けに行くだけだ。私は自宅で2つのワナをつくり、コンビニでかまぼこを購入して、いざ、その水路に向かった。施設から流れ出ている水は少しあたたかいのだろう、2月の冷たい空気に触れて霧をつくっている。水の周辺からは少し生臭さが漂っていた。教えてもらった場所に到着して、流れを眺めていたら、川の底に赤いザリガニの殻が点々と落ちているのに気がついた。あ、これがカワセミの食事の残骸だな。

 なるべく流れがゆるやかなところを見てまわり、どこがいいかしらとひとしきり考えて私は場所を決めた。そしてワナにかまぼこを入れ、さらに少し大きな石を錘(おもり)になるように入れて、そっと川の底に沈めた。うまく入ってくれますように。

 翌日、再びその場所に出かけて、ちょっと緊張しながらワナを引き上げた。果たして……中は空っぽである。餌が食べられた形跡はまったくない。ああ、これは私ではお手上げだ、とわかった。そこで今度はさらに水辺の生き物に詳しい友人を頼った。企画展のスタートまでほぼ待ったなしの状況だと知ると、友人はさっそく翌日、準備を整えてそこに行ってくれた。もちろん私も駆けつける。

 胴長(胴付長靴)とよばれる腰くらいまである長靴とつながった防水のズボンをはいた友人は、タモ網という網の片方が丸くなくて平らになった魚を捕るための丈夫な網を携え、池に入る。川の流れが緩くなった淵の川底や草むらに網を入れて、ガサガサ!ガサガサ!と網を揺さぶる。

 私も長靴をはいて、土手の方から同じように網を入れてみる。網を引き上げて、そこに小石に混じって生きものが入っているかもしれないから、動くものがいないかじっと目を凝らす。

 じきに彼から「いたよ〜」と声が上がった。

 さっそくバケツに移してみると、小さな5cmほどの淡い茶色のアメリカザリガニが1頭。私もそのあと1頭捕ることができた。結局1時間ほどで、3頭のザリガニ。小さくても生きている本物をようやく捕まえることができた!彼はもっと大きいのがいるはずなのにな、と残念がっていたけれど、私にはじゅうぶんだった。

 あとで調べてみると、アメリカザリガニはどうやら寒いところでは冬場は土の中に潜ってじっとしているらしい。これが夏のあたたかい季節ならもっと簡単に大きいものが捕れただろう。

 

 さて、企画展は無事に終了。

 アメリカザリガニは私の予想を超えて子どもたちを喜ばせてくれた。お役目ごくろうさまでした、君たちをどうしたらいいかな。彼らが川の生態系を脅かす存在に変わりはなく、私が育ててしまったことを考えるとそのまま川に戻すわけにはいかない。殺生することが正しい対応かもしれないが、気持ちは納得しない。ここに連れてくるときから、それはわかっていたことなのだけど。

 周りのスタッフに迷いを伝えると、そのまま飼えばいいじゃない、と言ってくれて、なぜか私はほっとした。こんなとき、科学は助けにはなるけれどそれだけでは決められない、ということがよくわかる。いま、季節が過ぎて1頭だけになってしまったけれど、彼は博物館の玄関の水槽でひっそり暮らしている。

 

2021年11月

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 やって来たくて来たのではないだろうに……。

 おそらく「こちら」でつくった条件のせいで(それが「あちら」の都合と重なって)気がついたらやって来ることになった、ということなのではないのか。

「外来動植物」のはなしです。

 近年、この存在が気になって気になって仕方なかったのであります。

 ビオトープ(ドイツで生まれた概念。ギリシャ語の「bio(命)」「topos(場所)」を組み合わせたことば)ということばがあります。

 かつて暮らしていた東京都武蔵野市の小学校には学校ビオトープ(自然環境教育の場として児童生徒が自然に触れることができる)があったのです。学校を訪ねるたび、こっそりビオトープに寄るのがわたしのたのしみでした。

 そうです、あそこでもアメリカザリガニは嫌われ者でした。

 Sikiの作品を読んで、「外来動植物」を迷惑がるばかりでなく、気持ちを寄せ、研究するひとが、こんなに近くに! うれしいことです。

「書く」世界は、どんなふうにもひろがってゆきますが、書き手にかかる専門分野は生かしてほしいですね。守備範囲を確立することも、書き手の支えになります。

 

 さて「アメリカザリガニを連れてくる」。

 

 そうだ、アメリカザリガニ。

 問題は捕獲だ。

 あっというまの簡単な釣りだ。

 よし、この方法で試してみよう。

 あ、これがカワセミの食事の残骸だな。

 

 こうした書き手のつぶやきが、軽やかに場面を区切り、はなしを進めてゆくところ、じつに巧みです。ふ


71枚の写真   日日さらこ(ニチニチ・サラコ)

 

 娘の在宅勤務が続いている。9時から仕事を始め、12時過ぎると、お腹すいたーと1階に降りて来る。

 そんなわけで、お昼は娘と一緒に取ることが多くなった。

 世の中の感染状況が少し落ちついた頃、毎日家にこもっていたわたしも外に出かける用事がぽつぽつとできてきた。娘のお昼にはかんたんなものを作って置いていったり、娘に自分で用意してもらったりしていたが、ある日、冷蔵庫の中をのぞいて、前の日に余った豚肉で作っておいたロール巻きを見つけた。それなら。

 

 娘が高校生のときまで使っていた曲げわっぱのお弁当箱を探し出し、詰めていく。ご飯にはのりを載せる。ロール巻きは半分に切って中身のニンジンやゴボウ、インゲンが見えるようにして、あとは、卵焼きにブロッコリー。よしよしとふたをしめる。

 幼稚園、中学校、高校と、九年間お弁当を作って持たせていた。お弁当作りは苦ではなく、あれこれと詰め合わせるのは楽しかった。栄養も考えつつ、隙間なく見た目もおいしそうに。

 高校生活最後のお弁当の日。いつものようにからのお弁当箱を台所に持ってきた娘が、

「ちょっと見て」

 と、言う。

 パソコンを開き、携帯電話を繋いだ画面に映っていたのは、わたしが毎日作って渡したお弁当の写真だった。その数71枚。

「高校でお弁当食べるのもあと3か月というとき、これから毎日お弁当の写真撮ってお母さんに見せたら泣いちゃうかもって、友達が言うからさ」

「あれ、泣かないね」

 ええ、ええ泣けますとも。毎日朝早く起きてこしらえたお弁当。それがこんなことになっていたとは。

 三食弁当の炒り卵は、とりそぼろの上に侵入しているし、隙間を埋めたはずのミニトマトがご飯の上でつぶれているし。すき焼き弁当のお肉は片寄り、のり弁ののりははがれ……。

 どう考えても、しとやかな娘ではない。中学は軟式テニス、高校はチアリーディングと、部活動の荷物も多く、通学時間も長かったから、お弁当を平らにいれたはずのカバンはぶつかったり、元気よく振り回されたりしたのだろう。

やれやれ。けれど。そうか。

 手渡したお弁当。投函した手紙。あれこれ詰めて送った宅配便。どれも、相手が開けるときにどんな状態になっているのか、送った側は見ることはできないのだなあ。

 久しぶりのお弁当を娘は喜んだ。その後、何度かこしらえたが、また作らなくなった。

 お弁当をわたしは、さあいってらっしゃいと手渡したいと思っているのかもしれない。手渡す相手とお弁当の無事を祈りつつ。

 

2021年11月

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 ときめきながら読んでいるうち、後半になって「ああ、ああ」と声にならない声が漏れました。わたしも、自分の娘たちの弁当時代を思い返し、「そうだった、手渡した側は、それが開かれるときの状態を見ることはできないのだった……」と、思わずうなったというわけです。

 娘たちの弁当くらいなら、まあまあ、仕方がないと思えるけれど、ああ、すべてそうなんだわね、と気づかされました。

 誰かさんに出した手紙。誰かさんに贈ったピレゼント。誰かさんに手渡した……。目に見えるものばかりではありません。自分が発したことばも、どんなふうに相手に届いていたのだろう。

「日日さらこ」久しぶりの作品。胸にくくっと迫りました。

 お弁当をつくりつづけた日日のこと、お嬢さんからの71枚の贈りもののはなしだけで構成せず、ここまで描かれたことに感じ入りました。

 つぎの作品を、たのしみに待っています。 ふ

 

*****

〈ふみ虫舎エッセイ講座会員の皆さまへ〉

過日の講座で、「100字5本ノック」の提案をいたしました。

文字数きっかり100字の文章を、5本書くというのが、そのなかみです。

・2、3文字足りないのはよしとしますが、超えないこと。

・タイトルなし。

・5本に関連性をもたせる必要なし。

 100字というと、感想を書く余裕はないだろうと思います。観察の描写、体験のなかみだけで何かを醸すというのは、なかなかむつかしいけれど、おもしろくもあります。

 そうして「ノック」という名をつけましたのは、鍛える意味もあるからです。

 時に課題を休んで「100字5本ノック」に挑戦してみてはいかがでしょう。

 お待ちしております。

 

 例文をどうぞ(たいしてよくはないけれど……/ふ)。

 

 小糠雨のなか散歩。おや、デニムの背にはねがあがる。見ると土の色の水玉模様ができている。「靴のせいかしら」家に帰ると、足元で靴が云う。「わたしのせいじゃありません。歩き方がわるい。踵から着地を」(98字)

            

 山本ふみこ


顔の下半分 守宮けい(ヤモリ・ケイ)

 

 昨年の11月から年をまたいでの3月末まで、わたしはある会社で派遣社員として働いた。配属された部屋には、ひとむかし前は女子であった主婦20数名が、同じく派遣社員として在籍していた。その中で、たぶんわたしは年齢が上のグループに属していたと思う。たぶんというのは、ほら。当然、年齢はみんな非公開ですから。

 追加募集での採用であったから新人であった。パソコンの扱いはたどたどしい年長者。そんな凹凸のある人材をさらりと受け入れる部屋だった。

 この部屋では、常に12名が勤務していた。みんな週に2、3日の勤務だから、12名の面子は日ごとに変わる。座る席はその日の朝くじ引きで決め、昼休みの時間も席で割りふられていたから、選び選ばれることなく、誰とでも一緒に昼食を食べた。好悪の感情の侵入を少しも許さない、実に合理的な運営がなされた部屋だった。これはよくよく考えられた方法だと、わたしは日を追うごとに深く感心した。

 とかく女子は、ペタっとした関係を作りたがる傾向にある。ここで女子は、と一括りにすることできない時代になのだけれど、ともかく……。

 気の合う人、そうでない人が自らの中で自然にふりわけられる。ふり分けたところで止まればよいが、そのうち黒っぽい言葉が耳にはいったり口から出たり。職場は仕事をする場であるから、会社にはゆゆしき大問題に発展することもあるだろう。そうか。だから、転勤や異動は必然なんだ。

 話がすこしよこ道にそれた。久しぶりに女子の集団に身をおいて、思いのほかわたしは楽しかったのです。収入を得るために働きだしたわけだが、自分はまだ社会で通用するかしら、とチャレンジの気持ちも強かった。

 そして、存外の副産物を得たのである。

 それぞれの想いもって顔をあわせる12人。それなりに角がとれ、いろいろなところが丸くなっている大人女子たちと、仕事の合間に交わす何でもない会話(大半が夕食のメニューやおいしいお店の情報、子どものこと)で、クスっとしたり、うんうんと感心したり。コロナ禍で、慕わしい友人と会うことも楽しいお喋りからも遠ざかっていたから、それはまるで一服の芳しい珈琲、はたまた洗顔後、そっと頬にのせる贅沢な美容液のように、心身をうるおしてくれた。

わたしは、知らずに何かと戦っていたのかしら。

 

 みんな一斉の年度末退職に向かって少しずつ一体感は高まってゆく。それでもずるずるベッタリとはならず、最終日、心地よい疲労感と達成感につつまれて帰宅したのだった。

 連絡先を交換した人も数人いるけれど、もう会えない人もあるだろう。これが、期限が決まっていなかったらどうだったろう。いまとは異なる人間関係が構築され、いまとは違う感情が胸におかれたんだろうな。有限であることでもたらされた、つかの間の心地よさがあった。

 それは……、女子だけの華やいだ環境にいたこと。卒業後に再会しても、もう学生には戻れないことを知っている、大人女子たちとのめぐりあい。

 ところで。

 出会いからずっとマスク着用だったから、マスクを外すと「へえ~」と思うことも少なくなかった。顔の下半分って意外にあなどれない存在なのね、ってことも新たに発見した5か月でありました。

 

2021年10月

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 派遣社員なってみる。

 こう云うのは簡単ですが、実行はたやすくはありません。その底力に感服しています。あやかりたい、とも思うのです。おそらく、ここに書かれている以上の経験をして、「守宮けい」はひとまわりもふたまわりも大きな人物となられたことでしょう。

 作品を見てみましょう。

 人間関係の綾(あや)、たのしみのみつけ方、自分自身の発見はさりげなく綴られて……、「顔の下半分って……」とくる。まいりました。 

 自らの経験を大げさにとらえ過ぎず、坦坦と書く。これはものを書く上で大切な姿勢です。書き手が興奮して大仰にかまえると、読み手はつきあいづらくなるものです。 ふ


2021年11月の公開作品


赤鬼 小林ムウ(コバヤシ・ムウ) 


「今どき、地獄を信じてるの? 珍しいねぇ。」

 友人との何気ない会話のなかでのこと。

 どうして地獄がある、とわたしは信じているのか、自分でも不思議に思う。

 

 

 小学校に上がったばかりのころ。

 たいして好きでもないのに、わたしはお習字のおけいこに通うことになった。

 

 先生のお宅は、昔話に出てきそうな古い平屋建て。庭にはお手洗いと井戸、竹やぶもある。井戸端には文鳥のカゴがぶら下がり、足元には一升瓶がごろごろしていた。

 

 庭木がうっそうとしていて、探検するにはもってこいの場所。わたしはお手洗いにいくといっては、おけいこをしばしサボるようになった。探検だ。

 

 ある日のおけいこ中。

 文鳥に夢中になっていると、先生がやってきた。先生は怒る様子もなく、足元の一升瓶を持ち上げていう。

「何が入っとると思う?」

 

 たぷんとした液体に細長い何かがくるくると収まっている。ヘビ? 首をかしげるわたしに、先生はいう。

「これはマムシのお酒。うまいんだわ。」

「先生、ムシじゃなくて、これはヘビなんじゃありませんか。」

「ハッハッハッ、マムシはムシではないよ、毒ヘビ。ヘビをみかけたら教えてぇなぁ。捕まえて酒に入れたるから。」

 

 そういって、一升瓶を手に先生はけいこ場にもどっていく。足元に気をつけながら、あわててわたしも後を追う。

 

 ある日、おけいこが始まる前。

 座卓に本が1冊置いてある。表紙には赤鬼の絵。わたしが席に座ると、先生は本をサッと片付けた。

 

「先生、今のご本はなんですか?」

「あぁ、あれは子どもが読む本じゃあない。」

「みせてもらえませんか。」

「うーん。じゃあ、けいこが終わったらなぁ。」

 

 その日、わたしはがんばった。1回も席を立つこともなく。それほど、あの本がみたかった。

 

 おけいこが終わると先生は、

「うーん。本当にみたいのか? 後悔しても知らんぞぉ。」

 

 広げた本には、血に染まった人々が槍の山を登っていく姿が描かれていた。赤鬼の姿もある。

 

 わたしは、あまりの衝撃に言葉もない。

 

「これは地獄絵巻。生きているうちに悪いことしたぁ人間は、死んだら地獄にいくんだ。」

 

 ハッとしたわたしは、即座に叫んだ。

「ごめんなさい!」

 

 先生はニヤリとして、

「過ちを改めればええ。今んところ、きみは大丈夫だろうなぁ。夜にお手洗いにいけなくなるといかんから、今日はここまで。みたかったら、続きはまた今度。」

 

 そののち。

 おけいこが終わるたびにわたしは地獄絵巻をみせてもらった。恐ろしいのにみたくなる、不思議な本だった。おねしょをしたって、みる価値がある。

 

 

 大きな声ではいえないが……。

 40半ばの今だって、地獄がやっぱり恐ろしい。

 

2021年11月29日

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 おもしろく読みました。

 少女の気持ちも、先生の佇まいも、よくよく伝わります。

 読みながら、いろいろ空想しました。

 なんだかね、わたしは自分が天国に行けるとは思っていないのです。いろいろしでかしましたし、反省も足りていないような気がしますし、ともかく死後地獄へ送られるだろうと思うのです。

 でも、地獄に居たっきりでいるつもりはありません。なんとか、そこで改心の証を立てて、天国への異動を果たそう……。そう考えています。

 ちょっと地獄の様子も見てみたいじゃありませんか。

 この感覚は作家「小林ムウ」に通じるところがあるかもしれません。怖いもの見たさです。

 小林ムウさんにお願いです。

 今生(つまり天国前に、です)、ギアを入れて本腰入れて書いてください。 ふ     


「バターケース」について    きたまち丁子(キタマチ・チョウコ)

 

 半年ほど前からバターケースをさがしていた。

 お店を覗いたり、ネットで検索してみるものの、気に入ったものがなかなかみつからない。

 そんなとき、料理研究家の堀井和子さんの本の中の、ステンレス製バターケースの写真に目がとまる。

 シドニーで購入した一点ものというそのバターケース(stelton社製)は、なかなかのお値段であったらしいが何十年も気に入って使っているとのこと。

 見たことのないシンプルなデザインのバターケース。

 でも、シドニーに行く予定もないし、そこまで高価でなくても、こんなデザインのバターケース、どこかにないかしらとため息をつく。

 寝室においてある低い棚、そこには本とお気に入りの雑貨をおいている。

 ある日、その棚の端っこに、蓋つきの長方形のアルミ缶をみつける。縦16センチ、横8.5センチ、高さ3、5センチの缶。

 友人の京都旅行のお土産で、和菓子店「 末富 」の京菓子がはいっていた。 

 缶のシンプルなデザインが気に入り、ずっととっておいたもの。

「バターの大きさにぴったりなのでは……」

 と思った。

 階下に降り、冷蔵庫の扉を開け、バターの紙箱からバターをとりだす。

 ぴったりだった。

 本で見たステンレス製のバターケースのデザインにとても似ている。

 まず缶の中にバターより大きめにカットしたクッキングシートを敷く。

 その上に5グラムに切りわけたバターをならべる。

 缶の左右からはみ出したクッキングシートで、バターの上部をつつみこみ、缶の蓋をしめた。

 缶の佇まいに、惚れ惚れしてしまう。

 冷蔵庫から缶ケースをとりだし蓋を開け、あらかじめ切り分けておいたバターを取り出す時、優雅な気分になる。

 缶は、ひんやりと冷えていて、バターもひんやりと、そして艶っぽく輝いている。

 缶からとりだしたくて、バターをよく料理に使うようになった。

 卵焼きも、バターでやいてみたりする。

 
 以前よりバターを少し多めにとるようになると、なんだか肌も少し艶々してきたような気がする。

 いえ、それはいい過ぎでした。

 ともかく今日も、蓋つきの薄いバターケースは、我が家の冷蔵庫の奥の方で、密やかに佇んでいます。

 

2021年 10月

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 ため息が漏れました。

 なんて素敵……と。

 本でみつけた高価なバターケース(代用品)を、家のなかで探し当てるなんて、ほんとうに素敵です。

 本作には、ほかにも「素敵」がちりばめられています。

 

 缶の佇まいに、惚れ惚れしてしまう。

 いえ、それはいい過ぎでした。

 

 というくだり。きらきらしています。

 こんな1行を書けるようになると……、しあわせですね。 ふ 


花芽(はなめ) 福村好美(フクムラ・ヨシミ)


 結婚して鎌倉に十数年暮らした後、家族ともども八王子に転居した。

 日常生活に必要な居住空間を作るため、クロゼット、キッチンボード、シューズボックスなどの作り付け家具に加えて、照明、カーテン/ブラインド、ソファ、ベッドなどの準備には思いのほか労力と時間を要した。新居に移った途端に過労死した人がいるといううわさ話も、あながち誇張ではないように思えてくる。

 選定で大いに迷ったものの一つがダイニングテーブルだった。

 結局、営業員の巧みな推薦に共感して、足回りの自由度が大きい、脚がクロスしたタイプに決めた。長年使ってみると、足先の余分な空間が心地よく、食事、団欒、家事、読書など自宅での時間の多くをこのテーブルで過ごしている。        

 一方、便利なはずと思い設置した書斎コーナ・主婦コーナは足元が案外窮屈で、いつの間にか本棚・炊飯器置き場となってしまっていた。

 

 春になり温かい日差しの朝、このダイニングテーブル越しにぼんやりと庭を眺めていると、見慣れない大輪のピンク色をした華麗な花が目に入った。外に出てスマホをかざし写真を撮っていると、フェンス越しに隣家から声がかかる。

「きれいですね、ボタンですか、シャクヤクですか」

「いや、残念ながらよくわからないんですよ……」

 どうもこれは、私の母が、そちらの庭はまだ寂しいだろうからと、実家の庭から分けて持たせてくれた花らしく、今年になって初めて花を咲かせた(ようである)。

 調べてみると、「牡丹」は低木、「芍薬(シャクヤク)」は草だとのことで、再度近くで茎の部分を見ると、木に花が付いている。子どもの頃に、美しい人を「立てば芍薬、座れば牡丹」などと大人たちが形容していたことを思い出し、枝に横向きについた花から、座った姿勢を思い浮かべるとは風情のあるメタファ(隠喩)だと、あらためて感じ入る。

 わが家の牡丹は、遠方から移ってきて何十年もの間、花を咲かせていなかった。樹木は、内部に十分なエネルギーをため込んではじめて花の元となる花芽を形成するという。長い年月の間忍耐強く蓄積を続け、ついに大輪の花を咲かせたのかと思うと、美しさだけでなく力強さを感じる。

 子どもが4人いたため、ダイニングテーブルは6人が一緒に食事をできる大きさの角丸型長方形とし、椅子も6脚用意した。子どもたちが大学、結婚などで家を出ていくたびに人数が減少し、今は夫婦2人だけの居場所となっている。  

 多少の寂しさを感ずる反面、独り立ちするための十分なエネルギーを、子どもたちはここで蓄えて外界に飛び出していったのだと嬉しくも思える。

 

2021年10月16日

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 仲間のあいだで、「せんせい」とお呼びするかと思えば、気安く「福ちゃん」と呼んだりする人気の書き手です。

 本作は、久しぶりに見せていただく作品でしたが、驚きました。

 どこに驚いたかというと……。

 

 花の名前が登場する。

 隣人との会話の挿入。

 主題たる「ダイニングテーブル」越しに、庭を眺めるという、転調。

 

 たのしく読ませていただきました。

 福ちゃん、この調子で、作品をためてくださいまし。 ふ

 

*****

 11月11日、1年ぶりに東京新宿の教室で講座を開きました。

 講座のなかで、「何のために書くか」という命題をふと持て余すことがあるというはなしになりました。

「書く」ことの意味は、もちろん、書き手ひとりひとり異なりますが……、書かないひとには決してわからない意味があるはずです。

 観察。ものの見方。感じ方。

 これらは鍛えられ、ぐんぐん変化してゆきます。通り一遍のことではすまされなくなってゆくのが、厳しいけれども、おもしろいところではないでしょうか。

 そうしてものごとや他者との距離のとり方、もっと云えば自分自身とも距離をとって会話する方法などは、書きながら身につけてゆくことだろうと思います。

「これまでより『気』を上げて、書くとしましょう」

 

〈会員の皆さまへ〉

次回の新宿での教室は12月9日(木)です。お問い合わせはふみ虫舎gmail宛てお願いします。
山本ふみこ                      


楽雪  原田陽一(ハラダ・ヨウイチ)


 30年ほど前、札幌に4年間単身赴任していた。

 札幌の冬は雪が深い。12月上旬に根雪となる。翌年3月下旬まで4か月間、降ったり止んだりしながら雪の日が続く。ひと冬に累積で5メートルも降る。外に出れば街は真っ白の銀世界。家も木々も雪におおわれる。全てを隠すから清らかで美しい。

 気温は零度以下が当たり前。零下10度を下回ることもある。冷凍庫に身体を突っ込んでいるような、芯から冷える厳しい寒さ。外を歩けば、凍った雪道で何度も滑ったり転んだりする。

 外出がおっくうになり、実にストイックな4か月となる。

 雪に負けてひきこもり、心が暗くなってはいけない。 むしろ外へ出て、雪を楽しもう。「楽雪」という造語がメディアで取り上げられ、社会的な話題となった。北海道全体が明るく前向きに冬を過ごそうとしていた。

 

 自分の会社の北海道支店には6人の単身赴任者がおり、楽雪の仲間ができた。長い冬は楽雪しようと、休日にいろいろ集まって動いた。

 札幌雪祭りが大通り公園で大規模に開かれる。一般も参加できる。仲間で協力して、雪像作りに参加しよう。

 極寒の網走流氷ツアー。北海道でも特に寒いオホーツク海の流氷を、砕氷船に乗り、身を以て体験してみよう。1泊2日で挑戦した。

 

 そして藻岩山(もいわやま)の雪中登山。札幌の街はずれにある藻岩山、標高531メートル。

 麓の登山口から、雪道を登って行く。坂道をよろけながら一歩一歩。

 リュックに、コンロや鍋や食材を担ぎながら。

 30分登ると汗がグッショリ。ジャンパーを脱ぎ、腰に巻きつけて登る。

 雪がまぶしい。木々の高枝から小鳥の明るい声。持って来たひまわりの種をまいてやる。離れて見ていると、アカゲラが下りて来てついばむ。楽しそうに雪の上をはねている。

 ふうふう言いながら登ると頂上。

 眼下に札幌の白い街並が静かに広がっている。石狩湾まで見える。

 頂上広場に陣取る。車座になって、北海道料理「ちゃんちゃん焼」に挑戦。

 コンロに火をつけ、鍋を置く。北海道産の鮭の切身、キャベツ、玉ねぎ、人参にバターを加え、蒸し焼きにする。味噌と日本酒でこってり味付けて出来上がり。

 ちゃんちゃん焼とは、北海道ではお父ちゃんが仕切って作る料理だから、こう名付けられたという。我ら単身赴任組はまさに、お父ちゃん同志。

「お父ちゃん同志、カンパーイ」

 ワイワイ言いながら、持って来た日本酒の一升瓶をくみ交わす。

 藻岩山の山頂で、雪景色を楽しみながらの大宴会となった。

 

 北海道では、大自然の美しさや豊かさに感動させられる。

 一方、大自然の厳しさも身を以て体験することになる。大自然の前で、人間の存在は本当に小さい。人と人は身を寄せ合って、助け合いながら生きてゆくしかない。

 北海道で身を寄せ合った仲間たちの助け合いは続く。

 30年経った今でも、東京でときどき身を寄せ合っている。

                       

 2021年9月15日 

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 このたびも、おもしろく読みました。

「原田陽一」の作品は、いつもまっすぐで、揺るぎがありません。

 揺るぎというのは不安定の意味でありますから、それがあり過ぎると……、そうですね、読み手がとまどうことになります。読者をとまどわせるなんて素敵じゃないか、という意見に、わたしならこう答えます。

「たしかにね。でも、それが過ぎたり、つづいたりしたら、読み手を失うことにもなりかねません」

 

 ええと、さて、つぎは揺るぎの効能について。

作家原田陽一には、こう伝えたいと思います。

 作品に、揺るぎ、悲しみ、さびしさ、迷いのようなものが1滴落とせたなら、さらに世界観が深まるのではないでしょうか。……1滴。 ふ

 

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〈ふみ虫舎エッセイ講座の会員の皆様へ〉

 11月11日(木)の講座への、申しこみなしの「当日参加」もOKです。気をつけてお出かけください。 日直・山本ふみこより  


2021年10月の公開作品


メロンのシール  中島くれば(ナカジマ・クレバ)

 

 父の実家は農家だ。

 今は亡き祖父母がすべてをとりしきっていた頃、次男でサラリーマンである父に連れられて、茨城県の鉾田にある祖父母の家に手伝いに行った。

 目的は、メロンの箱詰め。メロンの出回る季節の前に、一家総出で取り組むのだ。

 仕事のわりふりは、こうだ。

①  メロンを詰める箱を組み立てて、大きなホチキスでそこをとめる係。

②  メロンをネットにくるむ係。

③  くるんだメロンを箱詰めにする係。

④  メロンにシールを貼る係。

⑤  箱の上部をホチキスでとめて封する係。

 

 子どもの私は④メロンにシールを貼る係。

 たくさんのシールをたくさん貼れるなんて、なんてうれしいお手伝い!

 シールをもくもくと貼れることも面白かったけれど、それを大人が信用してくれて、売りもの用にと、そのままホチキスで封をされていくのも。作業要員のひとりとして認められたようで、うれしくも面映ゆかった。

 そしてお楽しみは、やっぱり食べること!

 10時と3時のおやつ、12時のおひるは、本当に待ちどおしかった。

 お昼には、おばあちゃんお手製のお漬けものや煮もの。おやつには、これまたおばあちゃんの手になるおまんじゅう。まっ白なおもちの中は、こしあんかつぶあん。区別できるようどちらかのてっぺんに、食紅がちょん、とついていたっけ。

 幼い頃の私は、舌ざわちなめらかなこしあん一辺倒。

 つぶあんなんて、とんでもない!

 

 おばあちゃん、私、こしあんだけじゃなくて、つぶあんも食べられるようになったよ。

 おばあちゃんのつぶあんのおまんじゅうも、食べてみたいなあ。

 

 今となっては、おばあちゃんのおまんじゅうは、いくら欲しくても、手の届かないお空のお星さまのように思える。

 

 メロンの箱詰め作業終わりの記憶はなく、気がつけば自宅の布団の中だった。おそらく昼寝をして、そのまま箱詰め前線からはずされ、帰宅したのだろう。

 メロンのシールを見るとよみがえる、幼い頃のゆたかな思い出。

 

 2021年9月14日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 おばあちゃんに向かって(おまんじゅうの星を見上げて)、どうぞこの作品を朗読してくださいまし。どんなによろこばれることでしょう。

 

「今となっては、おばあちゃんのおまんじゅうは、いくら欲しくても、手の届かないお空のお星さまのように思える」

 

 というこの1行が、「メロンのシール」の急所です。

 読者は、そうだ、日常的なことごとは、いつまでもあるわけではないんだ……と、あらためて気づくということになりましょうか。

 

 さて、本作のなかに、「でも」「だけど」ということばがいくつか登場していました。これは否定の接続詞です。前の節を否定するわけでなく、ただ、合いの手のようにつかわれていた2カ所を「トル」としました。

 会話のなかで、ときどき「だから」「でも」「だけど」ということばで話をつなげることがあります。少しも「だから」でなく、どこも「でも、だけど」でないのに、です。これも正しいとはいえないけれど、会話は流れてゆき、違和感は残りません。

 書いたものでは、こうはゆきません。小さな違和感が残ります。こういうものが積み重なると、本筋にも影響するのです。気をつけましょう。 ふ 


人生後半のあたらしい友だち  鷹森ルー(タカモリ・ルー)

 

「家付きカー付きババア抜き」と言われた時代に、マス子さんは結婚相手の条件に「家もいらん!長男じゃない人がいい!」とはっきりと宣言する娘さんでした。そして、縁あって旦那さんに出会い、結婚して夫婦共働きを数十年つづけました。

 誰からも干渉されずに、自分たちの小さな家を手に入れました。そしてお互いの親ともほどよい距離を保っていたそうです。

 

 マス子さんのお母さんは、娘夫婦の家に行く時、必ずお婿さんのお母さんを誘ってやって来たそうです。ひとりだけで娘の家に来ることはなかったといいます。これはなかなか思いつかない行動です。

 やがて、お義母さんとお母さんは、ふたりであちこち旅行をするようになったそうです。旅の計画を立てるのが上手なお義母さんと地図を読むのが得意なお母さん。その後もいい旅友だちになりました。

 嫁姑問題は今も昔も「永遠のテーマ」です。この話を聞いた時、心底感心しました。

「坊主にくけりゃ袈裟まで憎い」の逆バージョンです。その時が来たら、一度試してみたいと思っています。

 

 70代になったおひとりさまのマス子さんは、一人旅が好きで海外をはじめ日本のあちこち年中たくさん旅行をします。それは「自分試しの旅」だといいます。

 ある旅の途中、ホテルでひとり食事をしていると、80代の婦人がおふたり、食事をとっていました。ひとりで食事をしているマス子さんに気がついて、おいでおいでと手招きをされ「ご一緒にいかがですか?」と声をかけてくださったそうです。

 お話を聞いてみると、数年前、それぞれひとりで参加したツアーでふたりは出会い、それから毎年お正月に、全国あちらこちらのホテルをとり、別の部屋に宿泊して一緒にお正月の朝を過ごすようになったそうです。

 

 父が定年を迎えて数年経った頃、ふと「旅行に行ける友人を作っておくんだったな」と呟いていたのを思い出しました。働き詰めだった父にはそんな余裕がなかったと思います。そうやって育ててもらったことに感謝しつつ、ちょっと申し訳ない気持ちになりました。

(仕方ないので母と旅行に行ってもらうしかありません!)

 

 私に「旅行に行ける友人を作っておけよ」と伝えたかったのかな。

 

2021年8月28日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 お父さまの、つぶやき、

「旅行に行ける友人を作っておくんだったな」

 を受けての結びのことば、とてもいいですね。

「旅行に行ける友人を作っておけよ」

 ともに旅行のできる友人というのは、いそうで、なかなかいないということをしみじみ思い返したことです。

 

 こんな作品を囲んで、ひとといろいろ話したくなります。

 本講座では1年ぶりに11月、東京の教室を再開させます。そこで、作品を朗読したり、随筆を書く上でのあれやこれやを学んだり、参加者と話し合ったり……。たのしみにしています。

 東京以外でも教室での講座ができるよう、考えてゆきたいと希(ねが)っています。 ふ                         


明日のために おおにしかよこ(オオニシ・カヨコ)

 

 いろんなことがありました。

 就活真っただ中の次女とふたりで夜な夜な語り合っていたダイニングテーブル。天板の傷みも目立ってきて、落ち着いたらリペアに出そうかと話していたところでした。

 それが、家族の緊急帰国や、帰宅で先送り。

 3人、4人、5人と、目まぐるしく顔ぶれが変わり、それぞれの、先の見えない毎日を、リモートワークやウエブ会議を支え、わたしの書き物机やアイロン台、ゲームの台にもなりました。大活躍。

 8カ月に及ぶ神戸での仮住まいを経て、ようやく次のステージに向けて上京していった長女夫婦とは、年末年始はもちろん、しばらく再会のめどは立ちません。

 当たり前の春も、夏も、秋もなく、それでもあっという間に過ぎていく日常の中で、パン屋激戦区のこの町の、バス通りからひとつ離れた道沿いに、ひっそりと、「パン屋ひらめき」は開店していました。

 名店コムシノワから独立したという寡黙なご主人は、一見強面(こわもて)ながら、温厚篤実なお人柄とお見受けしました。次々焼き上がるハードパンの並ぶ、小ぶりなショーケース。旬の食材をいかした一期一会の食事パンも楽しみのひとつ。早くも立派な人気店です。静かに添えられたプライスカードは細筆で、風にそよぐ麦の穂のような、瀟洒なレタリング。レジに立つ夫人の手描きかなあ、……素敵。

 週に一度、オーガニック全粒粉のカンパーニュが並ぶ木曜日は、我が家のカレンダーも少しワクワクしています。直径40センチのカンパーニュ、いつか丸ごとホール買いしてみたい。大きめバッグの準備はばっちりです。

 けれど今日のところはミニチュア版。いつものエコバッグで持ち帰り、早速カッティングボードにのせて、ざくざくとスライスしたら、さっとあぶる。とっておきのバターをのせて、サクッ。さらに本日のお勧め、塩バターロールもあります。インディゴブルーのお皿にのせると、てっぺんの岩塩の粒が映えること。

 小さな小さな日常の、あれやこれやにいらついて、えいっ、とひとおもいに噛みついて、バゲットサンドに八つ当たり。堅い皮で口の中を傷つけたことがありました。こちらはとんだ独り相撲。今朝も、ベランダに出ようとして、扉の角で思いっきりかかとをぶつけたばかり。

 ほんとに、もう……。

 静かすぎるオトナ時間のお供は、懐の深いハードパンと沸かしたてのお茶の香り。

 少しくたびれたテーブルの、天板の木肌を目で追いながら、Calmdown Cooldown 自分への呪文を唱えています。

 

 2020年12月12日 

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 きびしい現状に翻弄される日常をたのしむ知恵をおしえられる思いです。

 そうしてどうでしょう。

 じつにおいしそうではありませんか。

 文章を通して、お福分けもかなうのだなと、感じ入っています。

 

 自分にとっての「つかみ」が何であるか、考えることは大事です。「専門」と呼ぶこともできますが、それよりも、もう少しやわらかく自分を表現する手立てとなるのが「つかみ」です。

 この「つかみ」は、書き手自身の生きるよろこびに直結し、読者の期待にもつながります。

「おおにしかよこ」の「つかみ」はおいしいもの、それから色でしょうね。大切にしていただきたいと思います。 ふ


花様年華 いわはし土菜(イワハシ・トナ)

 

 虫や小鳥の鳴き声には不自由ない場所に住んでいる。

 今年も蝉の大合唱に癒される夏を過ごした。

 すでに9月も半ばだというのに、まだまだセミさん、主役の場所を秋の虫さんたちに譲る気配はなく、朝からにぎやかだ。

 大合唱は、ときに大気に吸われて無音の空間を生むらしい。

 無音イコール生活音化ということか、なんてことを考えるうち、一瞬ののち大音響が耳に飛び込んできて、我に返るという具合だ。

 オリンピックもパラリンピックも、そんな中過ごすことになる。

 9月のセミさんは、心なし遠慮気味に鳴くからか、この季節の変わり目は、なんとはなしにガランとなる。  

 ひとり——独唱体勢はニーニーゼミか、拍手を贈りたくなる。

 

 秋の虫の鳴き声といっても、私が知っているのは、スズムシとコウロギぐらいだ。

 まだ、耳を澄ませばやっと聴こえるくらいのか細さで、セミさんの発する音響には勝てない。

 夏場、やけに降り注いだ雨のせいで、秋虫たちの幼虫が流されてしまっているのではないか……。

 それとも、風はもう秋なのに、季節がズレていて、セミさんも秋の虫さんも、譲るに譲れず、出るに出られず思案投げ首かしら。

 

 この季節、久しぶりに、観たいドラマに当たった。

 いちばん好きな俳優が主人公だ。

 タイトルは「花様年華」、韓流ドラマの話。

 出演「ユ・ジテ」と見ただけで、無条件で観る。

 過去と現在が行ったり来たりするドラマだ。

 ドラマと同じように私も、20代の自分に会えたらどうなるのだろうか。

 きっと、なつかしさは通り越して、あっちもこっちも修正したいところだらけに違いない。

 そんな中、主人公がはっきりと「トボトボ」と云っている。

 用いられ方も日本語のそれとおなじである。

 エッ?と、すぐに巻き戻す。

 やはり、あの「とぼとぼ」である。

 なぜか急に、うれしくなる。

 こんな小さなこころの動きが今のわたしを支えている。 

 

2021年9月21日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 虫も雲も、風も、ところによってあらわれる時期も、あらわれ方も異なるのだなあと、おもしろく読みました。

 わたしの住む埼玉県熊谷市では、8月7日にことし初めてのスズムシの演奏を聴き、そこからぐんぐん秋の気配がひろがったのです。

 しかしその後、セミと秋の虫の演奏のせめぎ合いがどんなふうであったか、観察が足らなかったことにも思い至りました。

 途中暑い日もあったけれども、雲も風も、あたりの音のたち方までも、もう夏ではなかった……。

 近年ひぐらしの声を聴かなくなったのがさびしく、耳を欹(そばだ)てていましたが、ことしも聴かないままでした。

 セミと秋の虫の声のあいだで揺れながら、韓国ドラマのはなしにうつろってゆくところ、唐突のようでありながら、共感が湧きます。秋へのうつろい……。

 

 トボトボのはなし、へえ!と思って調べました。

「터벅터벅」 ほんとだ。とぼとぼ、てくてくの意味ですね。

「花様年華」、わたしも観ましたが「トボトボ(터벅터벅)」は聞き逃しました。

 いわはし土菜のこのたびの作品、結びがとくにいいですねえ。こころをくっとつかまれました。 ふ


2021年9月の公開作品


シャガール  大久保駿一(オオクボ・シュンイチ)

 

 フランスの南東、うつくしい海岸線のつづくところにニースの街はある。景勝の地である。

 海岸線に沿って走る道路から丘の上、ゆったりした住宅地へとクルマを走らせること15分、その一角に静かにたたずむシャガールミュージアムが迎え入れてくれる。

 快晴爽やかなそよ風が肌に心地よい初秋の朝だった。

 館内はすいていて、私ひとりの空間、すみに警備の〈紳士〉がいた。

 

 天井の高い中央の部屋へ入って圧倒された。

 その天井いっぱいに、日本の掛け軸を化けものにしたような素晴らしい色彩のシャガール絵画が3幅(ぷく)あった。

 我れを忘れて見とれるうちに吸いこまれて、絵と顔がくっついてしまった。

 ハッと気がつくと、さすがに警備の〈紳士〉が寄ってきて……ふたりでタメ息!

 

 何年かたって今度は3人で行ったとき、そのものすごい絵は展示されていなかった! 〈オソレ〉をなしたのかナ?

 シャガールの魅力が大き過ぎるのが悪いのです!

 でもまた行ってみたい! 懲りない男の手記。

 

2014年7月10日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 大久保駿一さんは上皇陛下と同い年の、紳士です。

 初めてわたしが「エッセイ講座」をもったときから、教室のいちばん前の席に坐って、見守っていてくださいました。

 ここしばらくお目にかかれずにいますが、どこにいらしてもなつかしさに変わりなく、大事な存在です。大久保さんが世界中を旅してまわった時代のエッセイは、仲間たちの人気の的。新作を読みたいなあと思います。

 

 さて、このたびご紹介した「シャガール」は、わたしに宛てお便りのように綴ってくださった作品です。

 自由に世界を旅することのできないいま、作品世界でニースのシャガールミュージアムを訪れるなんて、うれしいではありませんか。

 

 ご無沙汰しているあなたさま、連絡の途絶えているあなたさま、書きだすタイミングを計っているあなたさま、ふみ虫エッセイ講座は皆さんの作品を待っております。

 ことばとの関わりは、自分を支え、たのしませてくれ、鍛えてくれます。そうして、作品を土台にあたらしい何かを、ご一しょに生みだしてゆこうではありませんか。 ふ


西野食堂  西野そら(ニシノ・ソラ)

 

 なにはともあれ、お腹の具合が気になる。

 お腹の具合というのは、家人たちの空腹の程度のことである。わたしが家にいて帰宅する家人を迎える場合でも、逆にわたしが家人の待つ家に帰宅する場合でも、家人の顔を見るや、

「お腹は?」

 わたしはこう訊かずにはいられない。それに対して「すいてる」「食べてきたから炭水化物はいらないけど、なにかちょっと食べたい」「冷蔵庫にあるもの食べたよ」「すいてない」なんぞという応えが返ってくるが、ときには「すいていない」と言い切きりながらも「やっぱりなにかある?」というようなこともあるから、気が抜けない。

 ちょっとしたモノをこさえるような場合は冷蔵庫や缶詰やら乾麺、ソース類をストックしている抽斗をのぞく。わたしの得意技はといえばあるものでチャッチャとこさえられる簡単レシピだ。しっかり食べたいときにはサンドイッチがはやい。

 

・冷凍してある食パンを魚焼きグリルで焼く。

・レタス(多め)や胡瓜、トマト(生食可の野菜ならなんでもいい)を洗いしっかり水気をとる。

・ベーコンと卵を焼く(目玉焼きでもスクランブルでも、気分次第)。

・焼けたパンをラップやクッキングシートの上にのせて、1枚にはマヨネーズとマスタードを、もう1枚にはバターを塗る。

・べーコン、卵、山盛りの野菜にチーズをのせて、バターを塗ったパンで挟む。

・ラップやクッキングシートでパンをきつめに包み、半分に切り分ける。

 

 ちょっとしたもの、なんてときには、かぼちゃスープの出番が多い。

 適当に皮を剥いて、適当な大きさ(小さめ)に切り、ひたひたの水で茹でる。柔らかくなったらブレンダーで混ぜ、牛乳を加える。味付けは塩、胡椒。バターを入れてもよし。

 サンドイッチは10分たらず、スープは15分もあればできあがる。特別なレシピではないけれど、特別でないから手早くできる。

 とはいっても、毎度毎度、空腹人(くうふくびと)の期待に応えることはしない。残りもののサラダや味噌汁を勧めたり、インスタント味噌汁や冷凍食品の存在を教えるにとどめることもある。お腹の空き具合を訊いたとて、いつだってわたしが作り人になるという話ではないのです。ただね、お腹をすかせている人が家にいるとなると、どうしても黙っちゃいられないのだ。家にいる人というのは家人たちにかぎらず。訪ねてきた両親や姉妹といった身内や、娘たちの友だちにもわたしはやっているからね。

「お腹は?」

 で、ハタと気がついた。言うだけでなく、わたしも言われていることを。夫やわたしの両親の家にいけば母や父から、姉妹たちの家では姉妹たちから訊かれる。

「お腹すいてない?」

 そうか。家を預かる者たるや、まずは腹具合が心配になるものらしい。そしてにわかに「〇〇食堂」を開店しちゃうんだなあ。

 

2021年8月24日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 じつにおいしそうで、うまい。

 うまいからこそ、ちょっと俎(まないた)の上にのっかっていただくとしましょう。

 書きだしですが、「お腹は?」でもおもしろいと思います。

 

「お腹は?」

 家人の顔を見るや、わたしはこう訊かずにはいられない。

 

 ここからはじめると、「何がはじまるのだろう……」とばかりに、読者を誘いやすくなります。ほんの数行、ネタばらしを先にのばすことができるわけです。

 何が正解、なんてことはないのですから、これは選択肢ひとつです。

 出来事を頭から書いてゆく、というのではない書き方がある、突拍子もないところから書きはじめる書き方がある、ということをお伝えしておきたいと思います。

 しかし「西野食堂」はうまくて、やさしい……です。 ふ


本を読む、絵を観る、ときどきコーヒー  中島くれば(ナカジマ・クレバ)

 

 おしなべて勉強というものが好きである。

 2つの大学に通ったので、2つ目のとき、教養課程を免除すると言われたが、1から教養課程を受けることにした。

 勉強の何がおもしろいのか。

 知識量というより、学びによって世界がひとつ、またひとつと広がってゆくのがおもしろい。

 先生が参考文献として紹介したものは、すべて読む。

 言い過ぎました。

 正確には積んでおいて、読みたい気分になったとき、読む。

 先生の講義がおもしろければ、先生の本もかたっぱしから購入する。

 

 西洋美術の講義が特別おもしろかったので、美術館へもよく出かけるようになった。企画展のチラシがあれば持ち帰って、出向く。

 イヤホンガイドを聞きながら、絵画を観る。画家のエピソードや時代背景、モデルとなった人物の人生、絵のモチーフについて聞いて、知る。

 またひとつ、私の知らない世界の扉が開く。

 

「お金にならへんものばっかり、勉強したよな」

 最初に通った女子大を卒業するとき、友人で、高野山のお寺のお嬢さまのヤスコさんがつぶやくように言った。

 まさにそう!

 ひとつの絵の背景を知っているからといって、お給料がもらえるわけではない。

 ヤスコさんはその後、大学院へ進学し、非常勤講師となった。

 私は食べていくために、お金になるほうの就職を選んだ。

 大学院への進学を考えないわけではなかったが、そこには致命的な一点があった。

 研究して論文を書くのがニガ手なのである。

 だから私は本を読む、絵を観る、また本を読む。そしてときどきコーヒー。

 仕事では——人生を光と影とにたとえるならば——影の場面、そのときそんな場面を生きることになった人たちと関わることになる。それに伴う私の暗い気持ち、無力感から解き放たれたくて、本や絵の世界に飛びこむ。

 

 ザッバーン!!

 

  仕事をしている私がすべてではないのよ、本を読んだり、絵を観たりする私もいるのよ、と自分に言い聞かせる。

 

 子どもが生まれてみると、絵本にふれる、という楽しいおまけがついてきた。

 さらに子どもが小学生になってみると、小学校にて「読み聞かせボランティア」というのがあることを知った。

 もちろん参加!

 絵本や児童書選びでまた、未知の世界の扉がひらかれる。

 

 2021年8月24日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 文中の「言い過ぎました」、「ザッバーン!!」、「仕事をしている私がすべてではないのよ、……」のくだり、とくにいいなあと思います。

 こういうところに読者は惹かれます。

「本を読む、絵を観る、ときどきコーヒー」のなかにも「世界の扉が」開く、ひらく、という表現が出てきますが、書き手が置いた1行に心をつかまれ、読み手の扉もひらくのです。 ふ


鉄壁の守り  原田陽一(ハラダ・ヨウイチ)

 

 最近、パソコンやスマートフォンからインターネットを利用することが、日常的となっている。誰もがインターネットで情報収集し、商品を購入したり、カード決済したりしている。

 インターネットで個人情報を登録したり参照したりするときは、情報漏洩や盗難の対策として、個人識別名とパスワードを設定して使う。

 自分独自の識別名とパスワードを設定することで、他人からのアクセスを許さないように。自分以外の誰にもわからないように、ややこしいパスワードを設定して、鉄壁の守りとしている。ただ、あまりにややこしいパスワードを使うと、自分自身がわからなくなってしまう。自分にとって運用しやすい文字列でないといけない。

 世界的なセキュリティ会社が行った調査によると、もっとも使われていて、ばれやすいパスワードは、「123456」や「QWERTY」。

 たしかに、「123456」はあまりに簡単すぎて、すぐばれてしまう。

 ところで、「QWERTY」とはいったいどんな単語なのか。

 この単語の意味はまったくわからない。想像できないような、ややこしい文字列である。名前とか地名にも関係ないし、意味不明な文字列である。むしろ、これこそパスワードにもってこいではないか。

 QWERTYを英和辞典で調べると、パソコンのキーボードで、上から2段目の英字キーの配列と説明されていた。

 

 えっ、びっくり。

 

 たしかに、キーボードを見ると、最上段は数字キーで、左から123456と並んでいる。2段目は英字キーで、左からQWERTYと順に並んでいるではないか。

 QWERTYとは、単語自体に意味はなく、単なるキーの配列順だということ。左から右へ一字ずつキーを打てばいいのだから、手軽で使いやすい。手軽だからこそ、世界中でみんながパスワードに愛用しているのだ。

 ここまで広まると、悪者に簡単に破られてしまう。

 鉄壁の守りには値しない。

 

 知人の会社社長の話。

 従業員30人ほどの工事会社を経営している。

 会社には朝早くから、従業員が出入りする。事務室に1日中いるのは、総務と経理担当の責任者2人だけ。2人の席の奥に金庫を設置している。

 金庫は頑丈で、耐火、耐熱、耐水。火事や地震や水害に対して鉄壁の守り。しかも、悪者が侵入して、本体を持ち上げたり衝撃を与えたりすると、すぐに盗難防止装置が働く。大きなアラームが鳴って止まらない。本体の盗難にも鉄壁の守り。

 金庫の扉を開けるのは実にややこしい。2段階認証式で、長い暗証番号を2とおり、正しく入れないと開けられない。5回間違えると、これまた盗難防止アラームが鳴って止まらない。暗証番号は2人の責任者だけが知っている。毎日金庫を使っていると、1日に何回もややこしい操作をして開錠・施錠することが厄介になってきた。

 そこで、朝1回だけ開錠の操作をして、日中は半開のまま利用し、夕方施錠することにした。夜間と休日は完全に金庫を閉める運用にした。

 2年間はうまく運用できた。

 2年後のある日の夕方。仕事が終わり、金庫を閉めようとした経理責任者が事件に気づいた。

 金庫の中に、朝からしまっておいた現金の紙袋がない。30万円入っていた。大騒ぎとなり、みんなで事務室中を探すも、一切発見できなかった。

 その日も、2人の責任者はほとんど在席し仕事していた。事務室には従業員や来客が何人か出入りしている。

 悪者がまぎれて入り込み、白昼堂々と半開の金庫から盗んでいったらしい。

 

2021年4月30日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

「鉄壁の守り」でおしえられるのは、この時代が抱える問題です。

 こうした現象を読むたび、「あ」と思い、「へええ」と怯(ひる)むことになりますが、書き手の「明るさ」のおかげで、しかと受けとめることができました。

 文章には、作家の明度があらわれます。

「鉄壁の守り」がどんよりと描かれたなら……、受けとめ方も変わりましょう。

 皆さん、すこおし、明度を上げましょう。

 そうお伝えしたい、きょうこのごろのわたくしです。 ふ


2021年8月の公開作品


曲り角  いしいしげこ(イシイ・シゲコ)

 

 生きてゆく間にいくつかの曲り角がある。

 ひとつ曲がるたび、新しい世界が待っていた。

 自分で望んだことではなく、誰かに導かれるように、後からそれに気づくこともあった。

 

 病弱であったらしい生母がこんなに丈夫な体を私にくれた。

 過去に夫と話したことがある。母乳のはなし。

 夫は8人兄弟の末っ子で、母親の母乳も若い頃とはちがうと、兄たちからカスを飲んでいるとからかわれたらしい。

 私も、病気のある母乳を飲んで一時は死にかけたと聞いている。

 それでも夫も私も大病もせずに「健康に生んでくれて感謝よネ」と話し、体力に自信あり、とお互い仕事に精を出したのだった。

 今さらながらに、恋しく思えてならない。80も過ぎた今、狭い生活空間の中で、毎日一度は、母と夫を想う。

 母と夫の旅立ちは、偶然にも同じ月日であった。仏壇の中の過去帳に、その名が並んでいる。

 

 コロナのワクチンを受けることができた。海外では若いひとが受けたがらないとニュースで聞いたが、うなずける。はっきり正体がわからぬものをとりこむのはやっぱり不安だろうから……。

 外出はさらに少なくなった。今は1週間に一度買い物に出るけれど、メモを見ながら、サッと選んでスーパーを出る。一番近くのスーパーは改築のためクローズとなり、散歩を兼ねて少し遠くのスーパーまで足をのばす。

 ひとり分の食材と言いながらも、これ全部ひとりで食べてしまうのだとあらためて驚かされる。

 献立らしきものを考えて買い物に出るのだが、なかなかその通りにいかない。

 今日はこれ、と思いながらも、夕方になって夕飯を用意する頃には、すっかり別の口に変わっていて、その食材をパス。ひとり暮らしは、食生活も自由であるが、それがとても不自由になる。相手があっての食生活である。自分は食べたくなくても待っている相手のためには作りたい。

 そして相手につられて食欲も湧き、つられて食べられる。

 いろいろしゃべれれば笑顔にもなる。

 食材を無駄にせぬようにチャンスをうかがっている。

「ゴメン。もう少し待ってネ」と言いながら。

 冷蔵庫をのぞくと、ピカピカの茄子が目に入ってきた。今日は茄子みそ炒めに決まり!面子もそろっている。食材にリーチをかける。

 

2021年7月

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 人生の先輩の、味わい深い作品です。

 あたりまえのように目の前にある事ごとは、決してあたりまえではないのだとおしえられる思いでいます。日常を切りとり、思い出も交えて描く手法もまた、あたりまえにとられますが、これがなかなかむずかしい……。

 時制がずれればわけがわからなくなり(=読者に伝わらない)、こうなると効果も無と帰します。そも、書こうとするテーマに関連して書き手が思い浮かべることというのは、客観的に見るとふさわしくない、というケースが少なくありません。それは思い出というものがもつ、ごくごく個人的な一面を物語っています。

 コロナ禍のもと、暮らしは閉塞を強いられますけれど、「いしいしげこ」は、自らの「いま」に観察の目を向けて静かに綴りつづけています。読んでゆくうち、ならんでお茶をすするような、あたたかい心持ちになってゆきます。それこそが「共感」の根っこです。

 

*****

〈札幌パンダさんのこと〉

 ふみ虫舎通信講座に入会され、初めて作品を見せていただいたのは2020年8月のはじめでした。人柄にも作品にも、明るさと意欲が満ちていて、ああ、またひとつ、大切なつながりをいただいたなと感謝したことをおぼえています。

 作品に添えられているお便りに「入院」ということばを見たときも、わたしは軽く受けとめていたのです。ことし7月にHPにて発表した「うまい!」で初めて病気のことに触れ、お便りに入院先で書かれたことが記されていました。

 そうして妹さんから一昨日、パンダの絵はがきが届きました。

「昨年5月ににゅうがんと診断され、懸命に闘ってきましたが、7月31日旅立ちました。姉は作品が掲載されたHPをうれしそうに見せてくれました」

 そうだったのか……。

「うまい!」は短い作品で、ここから詩や童話の世界へも向かってゆけるかもしれないと、期待したのでした。

 

 札幌パンダさん(はがきのやりとりをして、ペンネームをつくったことも大事な思い出です)、あちらでまた作品にとり組み、こちらに送ってくださいね。

 この世でお目もじはかなわなかったけれども、いずれそちらでお会いしましょう。その日までごきげんよう。

                              ふみこより

 

 

*****

〈もう一度、ここに作品を置きます〉

 

うまい!  札幌パンダ(サッポロ・パンダ)

 

 若い時代が過ぎ去ったと感じたのは、病気になったからだろうかとふと思ったが、それはちがう、と感じた。

 病気にならなくても過ぎ去ったのだ。

 絵を描いたり。草花、野菜を育てたり。そのほか、いろいろの興味が湧いてくる。

 昨年、種からほうれん草を植えて育てた。

「うまい!」

 この濃い味は何なんだ。

 トマトもすずなりにできた。

 たのしみは、たくさん。

 人生はまだまだ、知らないことばかりだ。

 

2021年6月

 


自転車を引く      永見まさこ(ナガミ・マサコ)

 

 やっと4連休が終わりました。

 連休のあいだ、スーパーマーケットの棚には、店の保管庫に眠っていた品物ばかりが並んでいるような気がして、新鮮な魚や野菜が手に入る平日を楽しみにしていました。

 連休明けの月曜日、「いざ、買い物へ」と外に出ると、自転車の前輪がぺちゃんこ。2日前に乗ったときはふつうに走れたのに、いつパンクしたのかしら……。

 今日は魚だけでなく、キャベツも大根も買いたいから自転車が必要です。パンク修理をしてくれる自転車店は歩いて25分、しかも買い物に行くつもりのスーパーマーケットとはまったく逆の方向にあるのです。午前10時すぎに家を出て、じりじりと照りつける太陽のもと、自転車を引いてひたすら歩きます(パンクした自転車は乗ってはいけないのですよ)。

 じつはこの自転車、2か月前には後輪がパンクしました。5月には珍しく暑かったあの日、この道をふーふー言いながら自転車を引っぱっていきました。

そのとき自転車屋さんにこう言われたのです。

「前輪のタイヤのゴムも、かなりひび割れがあるから近いうちにパンクするかもしれないよ。ついでに前のタイヤを交換しときますか?」

 後ろのタイヤ交換だけで4,500円、これだけでも予期せぬ出費なのに、まだ無事な前のタイヤまで換えるにはためらいがあって止めました。

 今朝パンクした前輪を見たとき、自転車屋さんのことばがよみがえり、「あのとき前のタイヤも換えてもらえばよかったな」と、ちょっぴり悔やみました。でも2か月半ものあいだふつうに乗れたわけだし、いまさら悔やんでもしかたないことです。

 

 大変なことはこんなふうに起こるもの。かすかな前ぶれがあったとしても、突然に。わかっていても暑い季節に二度も自転車を引いて歩くという不運を嘆きたくなりました。でも自転車のパンクどころではない大事(おおごと)(大雨や地震などの自然災害や、家族や友人の突然の病)が、いつわが身に起こるかもしれないと思えば、こんなこと「タイヘン」の「タ」にもならないなー。「タ」にもならないなら「ラッタッタ」と歩きましょ。そうしましょ。

 

 2か月前にとても遠かった道のりも、思ったよりずっと近く感じました。タイヤ交換に30分かかるとのこと、じっと待つのも時間が惜しいので、自転車屋さんのすぐ前にあるスーパーマーケットで買い物をしました。行くつもりだったスーパーとは品揃えがちがうので、魚は買えなかったけれど、それは明日のたのしみに……。

 

2021年7月31日

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 先輩主婦の感覚に、まず感心。

 つぎに、こうした日常的な感覚を正確に描ききることに、感心しました。

 この作品の送付にはお手紙が添えられていましてね、そこに、「どうして近ごろの自転車はパンクすると、タイヤ交換なのか」とありました。

「かつては何回もチューブの穴をふさいで直して、修理代も数100円だったのに……。道路もよくなっているし、乗り方も昔よりていねい(体重は重くなっているけれど)なのに、ということも疑問です」と。

 しかし、永見まさこの「自転車を引く」には、そのあたりのことは綴られていません。おそらく、このはなしをしはじめたら、作品の性質も変わっていたことでしょう。何を描くか、何は描かないでおくかという選択の大切さを思いださせていただきました。

 そうです、本作のテーマは、これです。

 

 こんなこと「タイヘン」の「タ」にもならないなー。「タ」にもならないなら「ラッタッタ」と歩きましょ。そうしましょ。

 


おっかなびっくり  くりな桜子(クリナ・サクラコ)

 4人きょうだいの末っ子で、すぐ上の兄とも9歳も離れて生まれた私は、かなり過保護に育てられたように思う。小学校入学時の体重は16キロ、背もクラスで一番低く、まさに蚊トンボのような体格だったのだから、まわりの大人が心配するのも無理はないのだが。

 そのようなわけで丈夫であるはずもなく、年間10日くらいは学校を休んでいた。

「私は体が弱い」

 何10年もそう思って生きてきた。子どもの頃刷り込まれた自分のイメージは、事程左様に容易には変えられないのだ。

 10年くらい前のある日、肩こりがひどくて我慢ができず、マッサージ店を訪ねた。

 若い男性スタッフに肩を揉みほぐしてもらいながら、自分は高校生の頃から肩こりに悩まされてきた、と話した。

 どのような話の流れだったかは忘れてしまったのだが、その男性スタッフは私にこう言ったのだ。

「エネルギーが余っているんじゃありませんか?」

 その時私が受けた衝撃と言ったら……。

 体力がなくて、いつもあっぷあっぷしている私に余っている力があるってこと?

 真偽はともかくとして、その言葉はその後の私にとても大きな影響を及ぼした。

 疲れたと感じた時にその言葉を思い出してみる。「すぐに疲れる自分」というイメージに甘えて逃げているだけではないか、と自分に問う。すると、もう少し頑張れる気がしてくるではないか。

 

 その魔法とも言える言葉のおかげで、少し俯瞰して自分を見られるようになった私だが、最近読んだ本の中で、それに匹敵するくらいキラリと光る言葉に遭遇した。

「それはあなたが自分自身の半分でしか生きてないからよ」

 ふとしたきっかけで読むことになった村上春樹の『羊をめぐる冒険(上)』。

 主人公が新しいガールフレンドに言われたその言葉が胸に刺さる。

 娘たちが結婚独立し、夫婦ふたりの生活になり、ボランティア活動も新たな段階に入り悩んでいた矢先のその言葉。

 自分の中に、もう少し使っていない何かが残っているのではないか、もっとやれるのではないか、と思わせてくれる言葉。

 

「もう、メンドーだわ!」という自分と「もう少し、頑張ってみたら?」という自分。

 おっかなびっくり聞いてみる。まだまだいけそうですか?

 

2020年7月9日

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 どきっとしました。

「まだまだいけそうですか?」

 ですって。 

 思わず「はいっ」と応えていました。

 どきっとし、励まされてもいたのです。

 自分の書いたもので、ひとを励ます、勇気づけることができたなら、どんなにいいでしょうね。希(ねが)っても簡単にはかないませんから、「励ます、勇気づける」を目標としてはいませんが、わたしとしては、ひとが(ひとばかりでなく、未来の自分自身も)読んでいやな気持ちになるようなことは書かないように、戒めているつもりです。たとえば、手帖や予定表も同じです。読み返していやな気持ちになるようなことは書きません。

 そも、よからぬことに遭遇したり、辛い思いをしたり、というのは自分のせいだと考えていますから、その場でぱっと反省しておしまい。書き残したりはしません。

 芳(かんば)しからぬことを書くときは、慎重に、どうぞ。

 

 さて、くりな桜子さまへ。

 あなたは書き手としても、まだまだいけます。

 なんて云い方はえらそうで恐縮ですが、たまには、誰かにこんなふうに期待されるのもわるくないかなあと、思いまして……。その気持ちに免じてお許しくださいね。ふ


春の海  鷹森ルー(タカモリ・ルー)

 

 旅のはじまりに、まずノートを探します。

 旅先のあれこれをキロクするノートは、その土地で偶然に出会ったものにしたいと思います。

 誰に見せるわけでもないからヘタでもいいと胸をはり、店軒先のスケッチ、震え上がるほどすっぱい料理のイラスト、なんでも描き、ショップカード、美術館の入場券、パンの包装紙、なんでも貼り付けます。

 

 この春、鎌倉から葉山、横須賀へと行ってきました。

 

『なぎさホテル』(伊集院静/作)に出てくる寿司屋さんに行きました。鎌倉文学館への道の角にあり、小説の中に出てくるとおりの店。大将も息子さんも奥さんも粋で気持ちのいい大きな挨拶やちょっと気の利いた言葉を手渡してくれます。大将が大谷翔平の試合をチラチラと気にしながらも、テレビのリモコンのスイッチを消した姿が印象的でした。【その様子の下手なイラストアリ】

 お昼に飯と具が別々になったちらし寿司を食べました。びっくりするくらい美味しい一生忘れることのないだろう、そのお店の名前は「小花寿司」といいました。

 鎌倉文学館では「作家の道具展」をしていて、小津安二郎の小さな手帳に食べた料理やお店のことが細々と書かれていました。吉屋信子の自筆の原稿も展示してあります。よく覚えていませんがこんな感じの文章です。

「ある日私は一人で登山にいったの。(孤独!)」

 今の女の子も(孤独!)みたいにつぶやくそうです。吉屋信子さんと通じるなんて面白い。【文学館のチケットのり付けアリ】

 

 それから、逗子からバスに乗って佐島というところに向かいました。逗子にあった「なぎさホテル」はもうないそうです。「なぎさホテル」は伊集院静の私小説のような話です。

 もう死んでもいいと思っていた作者が、故郷でよく見た海を見たいと思いふらっと立ち寄った逗子で、ホテルの主人に声をかけられ、そこに安く長期滞在させてもらい、やがて小説家となる話です。ホテルの主人が、死のうとしていた何者か分からない人の何かを見抜き長期滞在させたことに驚きます。 

 逗子から路線バスで40分。三浦半島の入江に佐島があります。そこに友人が住んでいるので、近くの古いホテルをとりました。佐島は漁師町で淡路島に似ている感じがしました。友人は小学生の頃、登校中に、当時、近くに別荘を持っていたシャーリー・マクレーンにあって挨拶をしたり、石原裕次郎にもユーミンにもこのホテルや店で会ったこともあるそうです。【漁師町にある木で出来た無人のわかめやしらすの販売所の絵アリ】

 

 天皇陛下が葉山の御用邸に来られたときは、お付の人の食事を作りに友人のお母さんが通い、皇室カレンダーや菊の御紋のお菓子までお土産にもらえるそうです。

 そして、葉山の海。葉山の御用邸があるだけあって一等素敵な海に見えました。自然の力強さを感じることができるような、波の行列の迫り来る、輝く海です。【神奈川県立現代美術館葉山館の入場券のり付けアリ】

 

 最近、旅ノートだけでなく、旅する前にその土地にまつわる文庫本を探して持っていくようにしています。今回は『なぎさホテル』伊集院静(小学館文庫)、『スコーレNO.4』宮下奈都(光文社文庫)、この小説には映画「アパートの鍵貸します」が会話に出てきます。

 その後、娘はその映画を観たそうで「シャーリー・マクレーンはめっちゃかわいかった!」そうです。

 

 2021年6月29日                                                   

                                                   

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 旅の持つふくらみと余韻が描かれていて……、皆さん、どうですか?

 鎌倉から葉山を歩いたような心持ちになったのではありませんか?

 ときどきわたしがおはなしする文章おなかの「必要な説明、不必要な説明、不必要だがおもしろい説明」についても、こういうことか、と思い当たったのではないでしょうか。

「ふくらみ」と「余韻」。

 この夏せわしなく過ごすわたしにも、迫って響くテーマです。 ふ


2021年7月の公開作品


ちくわのわ、はなびのび  おおにしかよこ(オオニシ・カヨコ)

 

 小さな男の子とママが、手をつないで昼下がりの道を歩いてくる。むこうから。さりげない色味を合わせたペアルック。

 

 みーち、ちくわー。

 

 明るいボーイソプラノが響く。 どうやらしりとりの最中らしい。

 ちくわのわ……。

 おもわず一緒に考えながら歩を進める。

 

 わいす!

 

 ひときわご機嫌なハイトーン!

(えっ?)

 一瞬固まったママが、少々慌てながら、ちくわのわ、よ!と返す。

(うんうん。)

 しかし、とまらない、わいす!わいす!わいす食べたい!と跳ねている。

 ほお、これは、アイスクリームのことだ、と気づいてほのぼのする。

 

 しりとりといえば、娘とのお風呂での懐かしい記憶がよみがえる。いつものように、ささのはー、はなびーと進んだある日、びぼ、ん!あっ、ん、で終わっちゃった! 嬉しそうに恥ずかしそうに、それはそれで娘としたら超ご機嫌。 

「ん」で終わる、そこもね、たしかにね。

 ところで、びぼんとは? の問いに、

 

 ピンクのおびぼん!

 

 得意満面。

 ……ま、さ、か……リボン。そのときはアハハと笑い飛ばしはしたものの、夜中に真顔で育児書の言語に関するページをめくった。

 

 それはそうと、ここのところ、スーパーのレジできっぱりと辞退したはずの保冷材やお箸がついてくる。あって困るわけじゃなし、後ろの人を待たせても、と、そのままありがたくいただいて帰る。今さら母国語が通じないダメージに混乱しながら、小さな、えっ、を今日ものみこむ。

 感染対策のシートに挟まれ、マスクの中で、こちらの滑舌も、聴く力、伝える力も衰えている。

 ちくわのわ、はなびのび、思いつくまま、お口の体操をつづけることにした。存在を忘れていた腹筋にも、なかなかに効いてくる。口角を上げて、まずは気力からの育て直し。

 ついでに、ちょっと跳ねてみた。

 2021年7月

                                   

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〈山本ふみこからひとこと〉

 皆さんの作品を読んでいて、うれしいのは、「ご自分の世界を築き、ご自分の文体をつかまれましたね」と思う瞬間です。

 このたびの「ちくわのわ、はなびのび」もそうでした。

 これぞ「おおにしかよこ」の世界です。

 さてときどき、自分の書くものはいつも同じようで、マンネリ化している、と悩む声を聞きます。そんなときわたしは、あたらしいスタイルや、あたらしい創作にも挑戦したらどうでしょう、とお話ししながら、でも……と思うのです。

 でも……、ご自分の持ち味、世界、文体は大切にしてください。

 読者は、書き手の「そこ」を好きで、「そこ」に安心して身を委ねるものなのですから。書き手自身も、「そこ」にこそ自信を持ち、ご自分の世界を泳ぎきっていただきたいと思います。ふ             


英雄 寺井融(テライ・トオル)

 

 父は休みの日にクラシックをかけ、コーヒーを飲んでいた。私? 本来は昭和青春歌謡曲好きなるも、クラシック定番の何曲かは知っている。

 

 1975年夏、上海。

 日本青年訪中団の一員として、魯迅(ろじん)の旧居を見に行った。

 そうすると、われら一行を待ち構えていたかのように、どこからかバイオリンの音が聞こえてくる。

「あれっ、何?」と男性団員。

「クラシックですよね」と女性団員。

「そりゃ、革命歌ではないわさ」と男性班長。

「ハンガリー舞曲でなかったかな」と当方。

 われら団員が、いろいろ詮索する。

 そこに、オバさん3、4人があらわれた。

「〇〇〇」「▼▼▼」と喧しい。

 特定の部屋を指差し、ワアーッと喚いたあげく、ここを先途と階段を駆け上がって行った。戸をドンドンとたたき、何かを口々に叫んでいる。そして、一瞬の間。バイオリンがピタッと鳴りやんだ。

 文革末期である。洋楽は原則禁止ではなかったか。オバさんたちは、日本でいえば国防婦人部の風紀係みたい。外国人が来たので、勇気をふるって演奏してくれたバイオリスト氏に、自由の国からやってきたわれらは、尊敬の念を覚えた。

 

 1977年11月、ベトナム。

 北のハイフォン港でのこと、住宅地を散策していると、低くクラシック音楽が聞こえてきた。発信源の家をのぞいてみる。中のご主人らしき中年男性が入って来い、と合図してくる。図々しくおじゃました。居間にはステレオ。テーブルに茶菓子と果物が並ぶ。お茶をすすめられ、「今日は子供の誕生日でして、お祝いしているところです」と英語で語られた。

 当方は、英語が(も)不得手である。それでもなんとか会話しようと思い、簡便な「日越会話」冊子を開く。彼はそれを手に取って、「トンニャット=統一」の文字を見つけ、大きくかぶりを振り、「ノー、ノー」と言い切った。

 サイゴン陥落(1975年4月30日)の日、「これで、南による北の解放の望みが断たれた」と嘆くインテリが北にはいた、という話の信憑性を悟った。

 

 相変わらず、家でクラシックを聴くことはない。それでも、たまにはCDをかける。この6月4日、外は雨。天安門事件を偲び、「英雄」を聴いた。父のまねであり、中越両国の勇気ある人々への〝連帯〟表明である。

 

2021年6月15日

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 過去のことを記すとき、その時代のことを知らないひとにもわけがわかるように書くことが肝心です。

 過去に限らず、書いている「場」について「登場人物」について、読者にうまく説明しながら(しかもくどくなく)はなしを進めてゆくのには骨が折れます。しかしそれを怠り、読者の理解が滞(とどこお)るとどうなるか。

 はなしはかんたん。

 読者は読むのをやめるのです。

 自分に読者が何人あるかなんてことを考える前に、ともかく、何も知らない「読む」対象がはぐれずについてきてくれるかどうか、確かめながら書かなくてはなりません。

 このたびの「英雄」は、筆の力に誘われて「サイゴン陥落」について、自分で調べました。その昔勉強したはずだけれども、あやしくなっていたからです。 ふ


雲のかたち  きたまち丁子(キタマチ・チョウコ)


 午前11時、洗濯物を取りこむや、激しい雨が突然降ってきた。

 わたしはガッツポーズをとる。

 

 天気予報では、お昼頃から雨が降るはずだったが、干した直後から雲行きがあやしかった。

 ギリギリまで、洗濯物を風にあてておきたかったので、空や雲の様子に気をつけていた。

 

 家事の中で、掃除も料理もお皿洗いも、自分で好きなように好きな時間にこなせばいいが、洗濯物だけは天気に左右されるため、好きなようにとばかりはいかない。

 でも、そのことがどこか楽しく、スリルがあり、自分の判断を賭けのように感じることも少なくない。

 こどもたちが小さいころは、そんな悠長なことはいっていられなかったが、青空をバックに洗濯物がはためいているのを眺めたり、乾いたものをきれいにたたみ、仕分けする作業は昔から好きだった。

 

 最近、天気は、スマホに町名を入れ、検索をすると、ピンポイントで、しかも1時間おきの予報がわかる。

 的中率もかなり高いので感心する。

 それでも時間のあるときは、2階の窓から空を眺め、雲行きや風の流れで、洗濯物を外に干すかどうか、干したまま買い物にでかけていいものか、自分の目で判断したい。

 

 3日前、散歩をしていたとき、

「気象予報士の資格の勉強、はじめてみようかしら」

 と思った。

 空にはうろこ雲が、青空をバックにぽっぽっと浮かんでいる。

 合格率5%という難関資格であることも、毎朝見ているNHKの朝ドラ*に感化されていることも充分承知だ。

 

「薄雲が出てきたわね。もうすぐ西の方から雨が降り出すわね」

 とつぶやいたり。

 手紙に「薫風(くんぷう)の候」とそえてみたり。

「天気雨だからじき、止むわね」   

 なんて、さらりと会話にもりこめたら、わたしという人に厚みがでてくるのではないかしら。

 

 資格のことは置いといて、雲や雨や風について勉強してみるのも悪くないという気持ち。

 朝ドラのヒロインのように、まずは絵本や中学校の教科書を開いてみよう。

 

 明日から夏至。

 夏至が終わると小暑。

 夏の本番をむかえる。        

 雲のかたちもどんどん変化していく。

 

 

* 2021年度前期放送のNHK朝の連続テレビ小説「おかえり モネ」

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 日常を、こんな豊かなこころで暮らせたら……、どんなにいいでしょうね。

 洗濯ものを干すはなし。手紙や自らのことばのはなし。あたらしい勉強のはなし……。なんでもないように見えて、じつは決してなんでもなくない壮大な物語です。

 ごくごく身近にも、創作のタネはたくさんあります。

 気がつく、みつける、受けとめるという、そんなこころの土壌を耕すうち、自分がこれを描きたいというこ事柄めがけて、タネがそっと降ってくるようになります。 ふ


マイ・ペン・ライ   草香なお(クサカ・ナオ)

 

 つくづく私は、語学のセンスがない、と思う。

 これまで何ケ国語か勉強した中で、ものになっている言語が、ひとつも見当たらないのだ。そんな私が、つい最近、1冊の本を入手した。

「すらすら読めてくるくる書けるタイ文字練習プリント」(小学館)という問題集だ。50の手習いに、タイ文字のレッスンを独学で始めようという魂胆なのだ。

 20代の頃、仕事で約1年半、タイのバンコクに滞在した。しかし、私は、タイ文字が読めない。現地では、理論より実践が求められ、必要な日常会話は、カタカタでルビがふられたテキストをみながら、その場で丸暗記して生活していたからだ。

 

「アジャーン、サワディーカ?(せんせい、お元気ですか?)」

「タオ・ライカ?(おいくらですか?)」

「コップンマーカー(ありがとうございます)」

 

 例をあげるとこんな感じになる。

 こんな付け焼刃のタイ語でも、私は、1人で買い物をしたり、屋台で食事をとったり、タクシーやバスにのったり、時には、タイマッサージいって、リラックスしたりして生活していた。今からふり返れば恐ろしいが、洗濯機も台所もない部屋で平然と暮らしていた。まさにサバイバル生活。それが、たぶん、私の「青春」だったのだろう。

 

 ところでタイ人は、「マイ・ペン・ライ(気にしない)と、いう表現を好んで使う。日常会話でくり返し使われるし、街やテレビで流れる歌の歌詞によく使われていたので、耳で自然と覚えた。

 一度仕事に、信じられない大遅刻をしてしまったことがあった。部屋の目覚まし時計が止まっていたのだ。大汗をかきながら、必死になって平謝りをしている私をみて、みんなは笑っていった。

「マイ・ペン・ライ!」

 まさに国民性だと思う。

 北に向かえばゾウがいる山、南に向かえばエメラルドグリーンの海。豊かな自然とおおらかな性格の彼らに囲まれて、私の心は穏やかになり、そして一回り成長もして帰国したと思う。

 タイ文字の勉強は、一般的に欧米人が日本語の「ひらがな」「カタカナ」「漢字」を習得するくらい難解といわれている。独学でどこまで勉強がつづくかわからない。もう一度タイに行ってみたい気もするが、もしかしたら、行かないかもしれない。でも、それなら、それでいいと思う。

 今は、国内のタイ・レストランで、メニューをじっくりみながら、注文をするのが夢だ。今度は、私が誰かに「マイ・ペン・ライ!」と、明るくいってあげる番のような気がするのだ。

 

2021 年6月

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 過去のはなしを書くときの注意点とは、何か。

 はなしを切り上げようと考えて(あるいは総括しようとして)、反省したり、評価して結ぼうというときです。

このたびの草香なおの「マイ・ペン・ライ」にひとつ残念なところがあるとしたら……、それは「そして一回り成長もして帰国したと思う」のくだりです。「一回り成長」というのは、わかるようでわからない、つかみにくい表現ではないでしょうか。決まり文句でもありますから、突如として、作品が平板なものとなりがちでもあります。

 こういうことばを使わないほうがよい、というはなしではありません。

 使おうとするとき、考えよう……ということが申し上げたいのです。

 先にダメ出しのようなことをして、ごめんなさい。

「マイ・ペン・ライ」はセンスのよい、じつによい作品です。随所に作家の持ち味と魅力があらわれています。 ふ


うまい!  札幌パンダ(サッポロ・パンダ)

 

 若い時代が過ぎ去ったと感じたのは、病気になったからだろうかとふと思ったが、それはちがう、と感じた。
 病気にならなくても過ぎ去ったのだ。

 絵を描いたり。草花、野菜を育てたり。そのほか、いろいろの興味が湧いてくる。

 昨年、種からほうれん草を植えて育てた。

「うまい!」

 この濃い味は何なんだ。

 トマトもすずなりにできた。

 たのしみは、たくさん。

 人生はまだまだ、知らないことばかりだ。

 

 2021年6月

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 短い作品ですが、いいなあ、この小さなかたまりをもっと読みたいなあと、思いました。

 皆さんも、ときどき短い作品に挑戦してみるとよいと思います。

 別の講座で、現在、100字原稿を課題として皆でとり組んでいます。100字というのは、おもしろいです。

 ひとつには、句読点が際立つということがあります。

 

 札幌パンダさん、病後をお大切に過ごしてください。

 作品、たのしみに待っています。 ふ


2021年6月の公開作品


What dose this stand for ?  古川 柊(フルカワ・ヒイラギ)

 

「携帯電話のキャリアを変えたら、メールの送受信がおかしくなってしまって……。」

 

 いつもはすぐに連絡がある職場の同僚、順子さんからのメールが数日なくて心配していたところ、2、3日して返信が来た。

 事情はわかったが、新たにわからないことがひとつ。

 携帯のキャリアって、何?

 

 スマートフォンをはじめ、パソコンなどのデジタル機器や、それらにまつわる用語にめっぽう弱いワタクシ。

「キャリア=経歴・職業」しか頭になかったので、全く意味不明だ。すかさず調べてみると、キャリアには、電気通信事業者・運送業者を意味することもあるらしい。そして、わたしが認識していたのはcareerの方で、後者はcarrier。異なるふたつの言葉なのだった。はずかしながら、スペルも発音の違いも、今回初めて知った。

 

 気がつけば、昨今のデジタル化の影響だろうか、身のまわりには新しい用語や見慣れない略語があふれている。ATMやETCのような、すでにすっかり生活に溶け込んだ言葉でさえ、ではそれが何の略かと聞かれたら答えに窮することしばしばだ。だから、わからないことをわからないままにしておかぬよう、苦手意識を減らせるよう、はじめましての言葉とはできるだけなかよくしたいと思っている。

 

 1982年に公開され、日本でも大ヒットとなったアメリカ映画「E.T.」。その頃、ETのような言葉は日常的ではなかった。当時小学生だったわたしは、それが何の略かなんて考えたこともなかったけれど、正確に答えられる日本人は、一体どのくらいいたのだろう。           

  

  2021年6月6日 

 

***

〈山本ふみこからひとこと〉

 まったく同感です。

 このたび、この作品を味わいながら勉強しました。

 まずタイトルを翻訳します。

 

 What dose this stand for ?

 これは何の略ですか?

 

 つぎはcareerとcarrier

 career  経歴、履歴、職業、生涯、生涯の仕事

 carrier  配達員、運送業者、郵便配達員、新聞配達員、使者

 

 ATMとETC

 ATM = Automatic(自動)Teller(銀行の金銭出入係)Machine(機械)

 ETC = Eletronic(電子の)Toll(運行量)Collection(回収)

 

 そうしてE.T.

 Extra Terresrial 地球外生物

 

 ここで力尽きそうになっていますが、センスのいい作品を通して、勉強できたことに感謝。ふ


なましもの コヤマ ホーモリ

 

「なましものだよ、まったく…」

 昨年亡くなった母が、最期によく口にしたことばだ。

「なましものってどういう意味?」      

 母にたずねると、力のない声で、いつも同じ答えが返ってきた。

「なましものは、なましものだよ。」

 方言なのだろうかと、隣り合う町の生まれの父にたずねるも聞いたことがないという。辞書を調べたが載っていない、ネットで延々と検索してみてもたどり着かない。ことばの確かな意味は今もわからない。だが「なましもの」を口にするときの母の置かれた状況や耳に残る音の響きから、こうではないだろうかと、得心のいくことばだった。

 

 母は最期の1年ほどで、ろうそくの灯が小さくなっていくように、少しずつ少しずつ、弱くなっていった。介護度でいえば4で、寝たきりになる寸前。認知症の症状も少しあった。排泄は自分でコントロールができなくなっていたが、残っている能力を最大限に生かすサポートを目指し、おむつはしていても車椅子でトイレに行くことを続けた。母もそれを望んでいたが、間に合わないこともあった。ベッドから車椅子にひとり乗り移ろうとし、何度も滑り落ちることもあった。立てないまま、その日にやって来る予定のヘルパー、訪問看護師、兄やわたしを床の上で待ち続けるしかない母。父も車椅子、どうすることもできない。こんなときにつぶやく「なましもの」は、立てない自分にむけた嘆きのことばなのである。

 その確かな意味さえわかないことばは、いつもわたしをやるせない気持ちにさせた。しかし、目の前の対処が先だ。なんてことはないよという素振りで声をかけ、介助する。わたしもいつか母のようになるやもしれぬ、順番だ。だが、どんなことばも母には届かない。わたしの何倍もやるせなかったのだろう。切なかったのだろう。自分のありようが耐え難かったにちがいない。

 本当に立てなくなり、このまま寝たきりになってしまうだろうと覚悟して2日、母は突然逝ってしまった。ベッドに寝たきりのなましものの自分を母は受け入れなかったのだと思う。だがこれはわたしの勝手な感傷かもしれない。持って生まれた高い自尊心が時には疎ましく思ったが、それゆえの母らしい最期である。   

 お茶の時間、ベランダの外に目をやりながらいうお決まりのことばがあった。

「早くよくなって外を駆けずり回るの。」

 このことばはいつもわたしを嬉しくさせた。負け惜しみでも、いつだって母からは、前を向くことばを聞いていたかった。やはりあちらでは、誰もがすっかり元気になって、駆けずり回れるものなのでしょうか。

          

2021年6月4日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

「なましもの」に登場のお母さまは、とてもおしゃれなひとなのです。

 以前の作品を読んで、知っています。

  書き手のコヤマ ホーモリもまた……。

 お目にかかるたび、なんて素敵、と思います。

 

 さて、ここでひとつの作品を考えてみましょう。そうですね、あなた自身の立ち姿を思い描いてみてくださいまし。

 どんな装いで、どんな雰囲気で立っておられますか?

「わたしは(ぼくは)、こんな感じです」

 その「感じ」が、まあ、だいたいそのまま、あなたの作品の装いであり、雰囲気です。ですから装いにも、雰囲気にも気を遣うことです。センスを磨くのです。

 男性も女性も、どちらにも属さないあなたも、「センスとはなんだろうか。どうしたら、それが磨けるだろうか」と考えることが必要です。

 センス=sense=えも云われぬ感じをさとる働き、能力。感覚。

 センス=sense=思慮。分別。

 senseにはもちろん個性がありますから、これが正解!なんて単純なはなしではありません。ただ、senseを考えずに作品をつくることはできないはずです。

 そうして重ねて申します。

 senseについて考えても考えなくても、あなたのsense、思想、人格、雰囲気は、どうしたって滲みだします。全人格を鍛えながら作品をつくり上げるということになりましょうね。

 佳い夏を、どうか。 ふ 


名前で呼ばれること。  クッカハナコ

 

 大人になると、昔からの友人知人、親、親戚は別として、基本的に「〇〇さん」と苗字で呼ばれることが多い。

 これまで短いながら3つの外国で暮らしたことがある。そういえば、外国では、苗字よりも名前で呼び合うことが多いように思う。

 シンガポールに住んでいた時のこと。日本人同士での自己紹介は、「はじめまして。クッカです。」と苗字。日本人以外の方には、「I’m Hanako」と名前をいうことが多かった。あらたまった席ではまた違うけれど、カジュアルな場合では、だいたいこんな感じだ。

 

 とあるスポーツクラブのオリエンテーションに参加した。たまたま同じグループでオーストラリア人の小学生の男の子と一緒になった。ここで少年とはじめましての挨拶を交わした。その後、いつどこであっても彼は「Hi!Hanako!」と名前で声をかけてくれた。外国では、日本語のように「さん」とか「ちゃん」と名前につけることがなく、名前だけストレートに言う。日本では、少年から名前を呼び捨てにされることはないだろう。私はいつもちょっとくすぐったいような気持ちになった。「おばちゃん!」と言われるより、断然良いなとも。

 

 オフィース街にあるテイクアウトのお店でのこと。ランチタイムともなると、テイクアウトの注文をする人、料理が出来上がるのを待つ人で、いつも店の周りは人でいっぱいだった。私もその店のパスタが好きだったから、時々買いに行った。注文する時に名前を聞かれる。出来上がったら、名前が呼ばれる。この場面でも、みんな苗字でなく、名前だった。ジャッキーだの、ピーターだの、年齢も性別も関係なく名前を呼ばれる。私も、「Hanako!Margherita!」と名前とパスタの名前を、よく通る大きな声で言われて、初めはちょっと恥ずかしく感じたけれど、番号札の番号で呼ばれるよりずっとずっと良いと思った。

 

 やはり、苗字で呼ばれるより名前の方が、親しみがあっていいなと思う。しかも、ストレートに名前だけ。ロン・ヤス。ドナルド・シンゾウ。じゃないけれど、やはりそこに、ちょっとしたマジックがあるようだ。

 

 だが待てよ。

 苗字を、しかも呼び捨てにされて、キュンとしたことがある……。学生時代に異性の先輩、同級生から呼ばれたときだ。そんなのは人生であの時だけだったかもしれない。

 

2021年6月14日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 この作品を読んでいて、なまえというのは、もっとも短いことば、もっと云うなら「詩」だということを思いだしました。

 自分のなまえをもっと大事にしなけりゃ……、ひとの名を呼ぶときも、やさしく正確に……と思ったことでした。

 日日ものを書きつづけているあなたも、わたしも、熱を入れて作品に取り組むだけでなく、ひとの名前を呼ぶ、書きつけを記す、日記をつける、手紙を書く、ということにも気を入れるとしましょう。

「言霊」について深く考え、そのちからに頼んで生きたいなあ、と。 ふ


成果  西野そら(ニシノ・ソラ)

 

 掌サイズのアルミの弁当箱。

 縦12・8センチ、横9センチ、高さ3センチ。形は楕円。幼稚園児(年少)だった長女のはじめての弁当箱だ。

 いま見るとあんまりにも小さくて、この空間を埋めるのに手間という程の手間なんぞかからないと思えるけれど、当時30代の新米母にとっては週に4回、何かしらを詰めてこの小さな弁当箱を持たせることが、なんだかとても「大変なこと」であったような気がする。

 掌サイズの弁当箱はあれよあれよという間に2段弁当、保温弁当と形もサイズも変わり、結局、長女の小さな弁当から始まった弁当づくりは途中弁当のいらない時期の3年を除いても、次女が高校を卒業するまでおよそ18年つづいた。

 新米母にとってあの小さな空間を埋めてゆくことは、箱庭療法のようなはたらきがあったのかもしれない。少ない容量でバランスよく、子どもが完食できるよう工夫をこらす。そういうことを続けてゆくと料理することに慣れるだけでなく、いろんなことが自分のなかに織り込まれてゆく。

 新米母から新米がはずれるようになるころには、大変だと思っていたことはさして大変でなかったと思うようになったり、意識せずとも栄養のバランスなんてものも計れるようになったり。

 家族のごはんをつくる立場にある者は、料理が好きとか嫌いとかにかかわらず、必要と欲望に応じて日々料理をするのだ。

 いつかは、子どものために弁当をつくる必要がなくなる日が訪れる。わたしにもことしのはじめにそんな日がきた。寂しさとか感慨などはなく、ただただ嬉しかった。

 

 ところが。ことしの4月から弁当づくりが再開した。わたしの弁当だ。勤務時間が長くなったうえ、ランチできる店が近くにないのだ。

 弁当箱はタッパー。タッパーに半分だけご飯を詰めて冷凍しておく。お菜は家族の朝ごはんを兼ねて卵を焼いたり、青野菜のナムルをこさえたり。前の晩の残りものだったり。子どもの弁当にいれることはなかった冷凍食品も、自分の弁当にはためらいなくいれる。冷凍ご飯弁当は職場の電子レンジでチン。

 もはや掌サイズの弁当をこさえるよりも早いうえに、圧倒的に気楽だ。これはきっと、弁当づくり18年の成果。

 

2019年10月16日
                                 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 まず、「成果」の著者の、18年間の弁当づくりを讃えたいと思います。

 きっと毎日の弁当づくりが、そうとうの実力に結びつくというかたちで、表彰されておられることでしょうね。料理の腕前のみならず、時間のやりくり、材料選びとくりまわし、作業の段取り、弁当箱に詰めるセンスなどなど……。

 いつだったか、ある講座で、エッセイ、随筆も弁当のようなものだ、とお話したことがあります。彩りよく、食べやすいように弁当箱に詰める。そうです、これを食べるひと(文章の場合は読者、ということになります)のことを考えるのです。

 ときどき「わたし(ぼく)の書いたものを読むひとなんか、いないと思います」と云う方があります。

「わたしは、皆さんの読者なのですけれど!」

 と訴えたくなります。

 わたしの存在はともかくとして、わたしたちのまわりを飛んでいるかもしれない天使に読んでもらう、そんな気持ちで書くことをおすすめします。

 それから、自分自身です。未来の自分がそれを読むことも意識すること。過去の自分がひたむきに打ちこんで書いていることが伝わるように……。

 さてこのたびの「成果」、少し前の作品ですが、書き手が自らの文体を確かなものとした大切な1編だと思います。このあたりから、書くことが本格的にたのしくなってきたのではないでしょうか。 ふ


ひとりおやつタイム くりな桜子(クリナ・サクラコ)

 

 3時のおやつ。

 多くの子どもが待ちわびる時間です。

 不思議なことに私は、大人になってから、主婦になってからの方が3時のおやつを楽しみにするようになりました。

 洗濯物を取りこんでからのおやつの時間なので、3時というわけにはいきません。

 だいたい午後4時。それが私のお楽しみのひとりおやつタイムです。

 一通りの家事や雑用を終え、お疲れ様のひと時。一服して夕食を作る英気を養う時間でもあります。

 人気の和菓子店のどら焼きのこともあれば、スーパーマーケットで買ったバスクチーズケーキのことも。自分で焼いたバナナケーキの時には満足度がグッとアップします。そしてお煎餅は欠かせません。だって甘いものを食べた後には、塩味や醤油味のものが欲しくなりませんか。

 午後4時というのは、私にとって結構シビアな時間でもあります。その日1日がどんな日だったか、テキパキといろいろなことがこなせて有意義に過ごせたか、ダラダラと過ごしてダメダメだったか、知らず知らずのうちにジャッジを下しています。

 そんなことをする必要があるの? ない、ない。小学生の夏休みの日記じゃあるまいし。

 損な性格……。

 

 幼い頃両親が他界し、私は2番目の姉一家と暮していました。

 そういえば、あの頃姉も毎日、ひとりでインスタントコーヒーをいれて飲んでいました。

 姉は何を思っていたのでしょう。家族のこと、私の将来、自営業の会社のこと。

 あの頃は何も知らず、何もわからなかった。若くて世間知らずだったから。

 30年以上前の午後4時を思い起すと、申しわけなさと切なさが入り混じった気持ちになるのです。

 

 人生の後半戦真っ只中の今、考えることはどんどんシンプルになってきました。

 これから先何があろうとも自分はできるだけいつも機嫌よくいたいし、元気でいたい。

 甘いものとそうでないものを味わいながら、そんなことを思った秋晴れの日。

 

2020年10月21日

                             

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〈山本ふみこからひとこと〉

「わたしの書くものはいつも同じような内容ばかり。家族のこと、とくにふたりの娘たち。家のこと。身のまわりに起こるささいなこと。こんなことでいいのかと、考えてしまいます」

 書き手である「くりな桜子」6年前のつぶやきです。

 そのとき、わたしはなんと云ったでしょうね。たぶんこうです。

「ほら、小田和正、桑田佳祐、さだまさしの音楽が流れてくると、題名を知らなくても、なんとなくわかるでしょう? あ、小田和正の音、これはサザンオールスターズのリズム、おおおお、さだまさしの世界観……というふうに。

 文章にも書き手の持ち味があらわれて、読者はそこに、馴染んで安心してそこにくるまれて読むことになるのではないでしょうか」

 それぞれの持ち味を大切に。

 大切に構築したものから離れたり、それを壊してみたり、あたらしいことに挑戦するのは、しっかりと自分の世界を持ったひとにしかできないことだということも忘れないでください。

 もうひとつ。

 文章には、隠したって装ったって、書き手の本性、人格があらわれます。

 

 そうそう、くりな桜子「ひとりおやつタイム」の結び、これはもうもう、このひとにしか書けない1行だと思います。 ふ


2021年5月の公開作品


包丁とはなうた  かけはし岸子(カケハシ・キシコ)

 

 机がない。

 仕方ないので、リビングのダイニングテーブルで書いている。

「おかあさーん、お腹すいたよう」

「ねえ、プリントみてね。よろしくね」

「雨降ってきたよ。ねえ、きいてる?」

 

 はいはい、きいています。

 家族が集まるテーブルでは集中するにも限界がある。

 家事の合間におかあさんは、何か書いていると思っているのだ。書く合間に家事をしたいときもあるのだよ、母は。

 

 結局、机だ。じぶんだけの机が欲しい。

 

 じっとテーブルの表面をにらむ。

 しょうゆをこぼしたり、納豆でべたべたになったことだってある。

 ダイニングテーブルはごはんをたべるところなのだ。「机」とはちがう。

 

 そろそろ夕ごはんの支度をしないと。

 書きものの世界から浮上して、台所の国へ。

 ノートパソコンを、ぱた、ととじて立ちあがる。

 

 鍋の水に昆布をいれ、ガスコンロのスイッチを押す。

 青い火が、ぼっ、と灯る。

 大根を千切りにしはじめる。

 

 1か月ほど前。

 包丁さしにほうっておいた鋼の菜切り包丁を引き抜いてみた。

 案の定、さびに錆びていた。

 老舗刃物店で買ったものだ。

「料理人か使うようないいものだから、ちゃんと砥いであげなさいよ」

 とお店のひとにいわれたのに。ろくに砥がずに、他の万能包丁を相棒としてしまった。

 錆びないし、持ち手までステンレスで清潔に思えたから。

 

 錆びついた包丁はうつうつとした自分にも重なってみえた。

 だからこそ、決意してといだ。

 

 しゅっしゅっしゅ

 あずきとぎましょか、人とってくいましょか

 しょりしょり

 

 妖怪「あずきとぎ」。

 小さい頃、よく聞いた日本昔話のなかのセリフだ。ほんとうは小豆をといでいるのだが、わたしの頭のなかでは包丁をといでいるイメージが残っている。

 やまんばと混同しているのかもしれない。

 つぶやきながら、爽快な気分になってきた。

 

 こんなにたのしいことをなぜ躊躇していたのだろう、と思った。

 大根を切るだけでも、といだ返事が返ってくる。

 びっくりするほど料理の味が変わった。

 野菜を切るのがたのしくて、肉料理が減った。

 体重も減った(ら、よかったのに)。

 切った野菜は出汁で煮てあげたい。温泉でゆっくりしてもらうように。

 切りたいから、しぜんとみそ汁の具も増えた。

 

 大根を切りながら、うっとり。

 この切り口のみずみずしい白さ。

 角がピシッとしていて、かっこいい。

 

 料理をこしらえるということと、ものを書くということは、とても似ていると思う。

 

 パソコンで文字をうつのに慣れたころ、おどろいた。考えが直接、流れ出る。通訳なしで通じるような気分。画面に文字がおどりでるリズム。ピアノを弾けたよ

うでうれしかった。

 これは 鋼の包丁で野菜を切る時の感覚といっしょ。

 刃物やパソコンは、私の手を取って愉快で深い場所に引っぱっていってくれる仲間だ。

 

 ああ、だから。

 大切なのは、机ではないのかもしれない。

 パソコンさえあればどこで書けるはず。

 

 そこはどこだって、わたしの「机」なのだもの。

 

 今夜も包丁をとぎながら、次は何をこしらえようか、何を書こうか考える。

 そして、どこで書こうか。

 

 気がつくと、はなうたをうたっている。

 

2019 年10 月28日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 読んでいたら、書き手のかけはし岸子に会いたくなりました。

 お仲間とは、昨年の11月に東京新宿の教室で集まって以来、会っていません。

 どんな気持ちで机、テーブル、ちゃぶ台に向かって書いているか。最近、

であった人、事件、こころのなかに芽生えたこと、そんなことも話しあってみ

たいです。

 それができなくても、作品が届くと……、わたしは……、何よりうれしく、

頭の上に虹がかかったような、心もちになります。

「包丁とはなうた」を読んだときも、瞳がうるんでいたのでした。 ふ


剪定  小柳一郎(コヤナギ・イチロウ)


 息子が、彼の母親(僕の妻だ)の実家である、宮城県にある寺を継いだ。

 それで自分も定年退職後、東京から宮城県へ転居して、田舎暮らしを始めた。

 僕には仏事についての知識はまったくなく、お寺の片づけが主な仕事となった。

 境内の樹木は、定期的に植木屋さんに剪定をたのんでいる。

 植木屋さんの休憩の時、お茶出しや話し相手も僕の仕事になった。

 剪定の作業を見たり、疑問に思ったことを質問していたら、意外に簡単で、自分でも出来そうだと思ってしまった。

 そんな僕の気持ちを見透かしたのか、植木屋さんはニコニコしながら、「やってみろ、どんなになっても、オライが直してヤッカラ」と言う。

 枝々が伸びてきた頃、やってみた。

 木に近く接して切っている時はうまく出来たと思うのに、離れて見ると、バランスが悪い。

 そしてまた切る。

 結果的に切り過ぎてしまうのである。

 切り過ぎが原因で2本、木を枯らしてしまった。それ以来怖くて、切り過ぎないように、切り過ぎないように剪定するものだから、全然剪定にならない。

 植木屋さんは来るたびニターと笑って、「うまく、なったじゃないか」と言う。

 ウソである。

 僕の切った木に手を入れるのである。

 僕の手は跡形もなくなり、気持ちの良い樹形となるのである。

 プロは思いきって切って行く、僕の切り過ぎと、どこが違うのか、なかなかわからない。

 流石にプロは違うと思いながら、今日も作業を見ている。

 

 2020年4月

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 ものを書く領域には、「観察」が不可欠です。

 風景を観察。誰かさんの様子を観察。身のまわりの変化を観察。自分自身のこころを観察……。

「剪定」の著者小柳一郎は、植木屋さんの仕事を観察しています。

 読んでいてつくづく思うのは、観察する対象への敬意と愛情の深さです。

 対象について理解が進んでいてもいなくても、敬意と愛情があれば、だんだんに本質に近づくことができます。

 たとえば、こんなことがあります。

 スポーツには興味がないんだよね、という姿勢のままスポーツについて書く。どんなにがんばって書いたとしても、それはおそらく通り一遍にとどまるでしょうね。逆に、スポーツへの理解が進んでいなかったとしても、理解したいとねがい、敬意をもって書けば……、キラリと光る何かに届くのではないでしょうか。本作に、そのことを思いださせてもらいました。 ふ


パンダ焼きを手土産に  小林ムウ(コバヤシ・ムウ)

 

 よく晴れたある日。

「ねえさまあ、来たよお。」

 玄関先で、鈴をふるような声がする。

 パンダのおばさんだ。祖母の妹。いつも手土産にパンダ型の人形焼を持ってきてくれる。パンダ焼き。わたしの大好物だ。

 

「あがりゃあ(ウチニハイッテ)」

 祖母が笑顔でむかえる。そうして、縁側にふたりならんで腰かけ、庭の柿の木を仰ぎながらおしゃべりがはじまる。わたしもパンダ焼きめがけて、ちゃっかり隣りにすわる。

 

 おばさんは何やら難しい顔。言葉の調子がツンツンしている。祖母はうんうんと聞いている。次に祖母が話し、おばさんが返す。

「ほんでもよう(ソウイッテモネ)」

 それが何度かくり返された。

 

「そうだなも(ソウダネ)」

 おばさんが深くうなずいた。

「そうだなも」

 そうだなも、そうだなもと祖母とおばさんはかわるがわるうなずく。そのうち、どちらともなく、うふふ、あはは……。

 

「そろそろ、ごぶれいしようかあ(カエルネ)。また、来るでねえ」

 そういったおばさんは来たときとはうってかわって明るい顔だ。自転車にまたがり手をふるおばさんを祖母と一緒に見送った。

 

 ふと、いつも野良仕事にでかけている祖母が家にいたことを不思議に思った。

「おばあちゃん、今日パンダのおばさんが来るって知ってたの?」

 

「ふふふ。なんとなくねえ。おばあちゃん、ええことがある日は朝から耳たぶがほてるんだわ。さわってみやぁ」

「ほんとだぁ! ボカボカ(ポカポカ)」

 

 これは40年近く前のおはなし。もう祖母もパンダのおばさんもこの世にはいない。家は建て替えられ、庭の柿の木も切られてしまった。それでも、秋晴れの日にはふたりのやりとりを思いだす。

 

 なかよし姉妹はあちらでも肩を並べておしゃべりしているだろうか。いつかまた、となりにすわりたい。

 

2020年12月

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 土地のことばって、ほんとうにいいものですね。

 昔から大切にしてきたことばのやりとりのなか、憂いや苦味がほどけてゆきます。

 こんな光景を記憶に刻んだところに、作家の感受性を思わずにはいられません。そうです。ものを書くときに不可欠なのは感受性かもしれません。どんなものを書く場合にも、感じとる力、受け容れるこころが必要なのではないでしょうか。

 ただし、感受性を野放しにしてはいけません。こうしたものも整理して、計って置いてゆく。そこに書き手の力量があらわれる、とわたしは思っています。

 これは少し前の作品ですが、いま、あらためて読むことができて、幸いでした。 ふ


ごちそうさま  原田陽一(ハラダ・ヨウイチ)

 

 毎年12月になると、大好きな海の幸がやってくる。

 寒ブリの刺身。

 豪快に厚めに切ったのがいい。刺身は脂がのり、とてもなめらか。

 たっぷりの大根おろしに、山葵をすこし加え、これを小皿に入れる。濃い口の刺身醤油をたらして、かき混ぜておく。

 寒ブリの厚めの一切れを箸につまむ。小皿の大根おろしをのせて口にはこぶ。

 寒ブリの脂たぎった切身が舌にのる。

 ほんわかとしたブリのとろ味が、味覚につたわる。大根おろしがからみあって、とろ味が口中に広がる。

 ううっ、うまーい。

 一切れを飲みこんだあと、舌の上にはまだブリのとろ味が残っている。

 淡麗辛口の冷えた大吟醸酒を杯に注ぐ。

 一口はこぶ。舌の上に残っていたブリのとろ味と冷酒が混ざりあう。喉まで入り込んで腹におちる。

 うまさが脳天まで響きわたる。

 ううっ、たまらない!

 人間に生まれてよかったとつくづく思う。至福のとき。

 

 ブリは南の海で生まれる。成長とともに、ワカシ、イナダ、ワラサ、ブリと名前が変わる。出世してブリになるころには、体長1メートルくらいまで育つ。大きくなると、黒潮にのって北上。冬になると、回遊して富山湾に入り込んで来る。脂も最高にのっている。富山湾では、定置網を張って捕える伝統的な漁法が受け継がれている。

 富山湾の奥にある氷見(ひみ)漁港。ここにあがる「氷見の寒ブリ」は、ブリの最高級ブランドだ。

 

 寒ブリの季節になると、何度もうまいうまいと舌鼓をうつことになる。ブリのとろ味をもとめて、つい食べ過ぎてしまう。冷酒もしこたま飲み、あくる朝、二日酔になって、やり過ぎたことに気づく。反省と不安の気持が、しみじみと頭をもたげてくる。

 ブリは日本海の荒海を群れて泳ぎ、出世魚として成長してきた。健気に成長したブリを人間様が網で捕える。

 荒海で出世してきた魚を人間様があぶあぶと食べるのは、いかがなものか。

 魚の一生を考えると、魚に対して人間はあまりに傲慢で、勝手過ぎるのではないか。少々後ろめたくなってくる。

 とは言え、人間にも食べるリスクはある。寒ブリを食べれば食べるほど、脂肪やコレステロール値が上がる。高血圧や糖尿病など成人病に追い込まれるリスクが高くなる。

 魚は捕えられて食べられるリスク。人間は成人病にかかるリスク。

 人間も相応のリスクを抱えつつ、食べさせていただいているということで痛み分け。何とかご容赦ください。

 海の神様、いつもごちそうさまです。


2012年3月22日                     

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 じつに美味しそうですね。

 美味しそう、たのしそう、という場面を書くときにはがまんが必要です。自らの感情をそのまま盛りこむと、たいてい美味しくもなく、たのしくもなくなります。

 なにしろ、読者はそもそも、その美味しさ、たのしさとは無関係に読んでいるわけですから、慎重にそこへ案内しなければなりません。

 原田陽一はまるで一緒に呑んだり、食べたりしているかのように場面をつくりました。お見事。ふ


2021年4月の公開作品


風神雷神 いわはし土菜(イワハシ・トナ)

 三月のある土曜日、朝から夕方のような空模様に、思わず時計に目がいく。正午をいくらか過ぎた時間だった。

 表では雷まで鳴りはじめたが「春雷」というほど風流でもない。

 風流が認められれば、褒めなくてはいけないが、寒いのか、暑いのかもはっきりしない陽気に雷さままでおいでになり、ただただ面食らう。

 雷さまには、やっぱり真夏においでいただきたい。

 桜が咲き、木々が芽吹き、ゆっくり目覚めていく春を待っているいま……である。

 春はあけぼの……というではないか。

 風流どころか、無粋である。

 と、昼下がりに、ぼおっと外を眺めながら、

「自然のなせる術に逆らっても徒労というもの」

 なんて、わかったふうな口をきく。

 しかし、いにしえの画人たちが、競って描いた「風神雷神」さま*は、私の一番すきな絵画だ。

 本物にも数回お目にかかった。

 その場を立ち去りがたい、いつまでも眺めていたい絵だ。

 あの笑みを浮かべながら、天を縦横無尽に飛び交う姿を想像していて、こちらも笑顔になる。

 春雷は無粋だ、なんて大それたことを言ったが、その鳴りひびく音に、幼いころから、私はちょっと怖いが、ワクワクしていた。

 いますぐそこで、雷神さまのあばれ太鼓の乱れ打ち。

 ちょっと萎えてる心に「喝」がはいる。

 無粋なんて言ったからだろうか、雷神さまがどんどん遠くなる。

 音が小さくなって、かすかな回数になってきた。

 テレビの気象速報で、当地区に突風の恐れあり!と流れている。

 ここで、ピンときた、風だ。

 しかし、幸いというべきか、風神さまのほうは、おいでにならなかった。

 今回は、まだ、足並みを揃えるには早すぎた感じかな。

 足並みが揃ったらどうなるかには、別の問題を含むが……。

 雨を眺めているうちに、とうとう雷は聞こえなくなってしまった。

 嬉しいような、さみしいような土曜の午後でした。

 

2021年3月15日

                      

※「風神雷神」さま:風神雷神図屏風 俵屋宗達国宝、尾形光琳 酒井抱一

  重要文化財

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 この作品にずるずるとした感想を添えるのは「無粋」。

 皆さんも、この感覚をただただ味わってくださいまし。

 さて、わたしはちょっと講師風にひとつ記させていただくとしましょう。

「である調」で綴った本作ですが、結びのところだけ、「でした」となっています。こういうところを見て、統一がなっていない!とめくじらを立てるのは、これまた「無粋」。効果的に、「である調」のなかに「ですます調」を置く(逆も然り)ことで、ある効果が期待できることもあるのです。

 全体に混ざり合うスタイルはおすすめしません。

 が、効果的にひとつ異なるものを置くと、何かが伝わることもあります。ふ


ばつが悪い 永見まさこ(ナガミ・マサコ)

 

 どんなに寒い日でも、沈丁花の香りがすると、春がすぐそこに近づいているのを実感できます。たったそれだけで心が浮きたつ、そんな早春の季節が好きです。

 13年前(2008年)のあの頃もそんな季節でした。

 4月から長男と次男が社会人となり勤め先の寮に入ることが決まっていました。

「家に残しておきたいものは、段ボール一箱くらいなら預かるけれど、それ以外は寮に持っていくなり処分するなりして、物入れのなかは空っぽにしてね」  

 と、息子たちに伝えました。

 わたしの経験から言うのです。結婚したとき、仕事の忙しさにかまけて片づけきれない自分の荷物は実家に放置したままでした。それをやっとのことで片づけたのが10年後だったという経験から、今片づけてもらわないと、この先ずっとわたしが彼らの荷物をかかえることになると考えたからです。

 社会にでる間際の自由なときを惜しむように、毎日出歩いていた息子たちも、3月半ばになると競いあうようにいそいそと部屋の片づけをはじめました。夕方になると、いらないものが入ったゴミ袋や束ねられた本や教科書がずらっと並びます。その様子を横目でながめながら、親元から飛びたつ助走のスピードがぐんぐん上がっているのを感じていました。

「息子さん2人が同時に家を出るなんて寂しいでしょう?」

 と問いかけられるたびに、

「ええ。でも就職と同時に自立してくれて、ホッとした気持ちもありますから……」

 などと殊勝な母親ぶって答えていました。

 けれど本当のところは「ホッとした」どころか、「こんなにめでたいことは生まれて初めて!」というほど有頂天になっていました。2人の巣立ちはじつに喜ばしい、でもそれにも増して5人家族が3人になってからの家事の量やそれに費やす時間の激減を考えただけで、気持ちが舞い上がっていたのです。

 いよいよ長男が家を出る朝のことです。

「タンスに残っている服は古着に出していいから。今まで、いろいろとお世話になりました」

 思いがけないひと言で、一瞬しんみりとした空気になりました。

 けれどドアが閉まったと同時に、わたしは現実に立ちかえり、長男の部屋に走ります。タンスに残るTシャツやトレーナーをビニール袋にどんどん詰めていると、ふと人の気配を感じます。顔を上げると、たったいま玄関を出たはずの長男が、そこに立っていました。忘れものをした、と言って。

 さっそうと実家を後にしたのに、直後に忘れものを取りにもどった長男、寂しそうな顔をつくって見送りながら、浮かれている姿を垣間見られたわたし、たがいにばつが悪いことこの上なし。

 

2021年3月4日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 この作品には、学ぶことがたくさんあります。

 母と子の距離感、自らの失敗の生かし方、敏速なる片づけなど。

 息子さんにしても、お母さまのたくましさを実感したことでしょうね。自分に対する「信」も受けとめたのにちがいありません。

 リズムのある作品となりました。

「ホッとしたどころか、こんなにめでたいことは生まれて初めて!」

 いいですね、ここがいちばん好きです。 ふ


看板娘 草香なお(クサカ・ナオ)


 3年前くらい前になる。

 東陽町にある会社で奨学金関係の書類の整理を半年ほどしていた。朝が弱いせいもあり、いつもマクドナルドで1杯コーヒーを飲んでから、出勤していた。

 70歳は超えていたと思う。若い時は、綺麗だったんじゃないかなと思われる女の人がフロアーを担当していた。まさに「制服が似合う可愛いお婆ちゃん」。若者の中で同じように働くその姿は、人目をひき、気がついたら、目で追っていたり、今日もいるかな? なんて考えたり……。いたらいたでなんて言葉をかけていいかわからず、朝から深く頭を下げて挨拶していたなあ。

 

 また2年程前からお世話になっている駒場東大前のマクドナルドでも、こんなことがあった。

「その、サカナの骨のネックレス素敵ですね」

 店員が客に話しかけてくるのは珍しいな、と思いながらも、

「昔、お世話になった恩師にもらったんです」と、だけ私は答えた。

「へえー、すごい」

 と、少し声のトーンをあげて彼はいい、こぼれるような笑顔になった。

 勇気を出して本当のことをいってよかった……それだけでも私は満足だった。

それから、数日がたち、正月が明けた頃だ。仕事で、またいつもの駅前を通り過ぎた時だった。突然、向うから歩いてくるとても髪の長いお兄さんに、

「おはようございます」

 と、声と掛けられた。私が、誰?という顔をしていたら、お兄さんはつづけた。

「マックの店員です」

 髪は下ろしているし、何より制服をきていなかったから、全然気がつかなかった。

「今年もよろしくお願いします」

 ちぐはぐな挨拶だな、と自分でも思いながらも、その場はわかれた。

 学生さんだったようで、その後、卒論を92枚書いたことや、

「今年卒業なので、お店も3月でいっぱいで卒業なんです」

 ということも後で教えてくれた。

 「私もここは、4月で卒業。3月いっぱいよろしくね」

 ここ数年、コロナ渦に世界は巻き込まれ、旅行は出来なくなり、あたり前のように考えていた日常生活にも規制がかかるようになった。テレビやニュースなどを見ていると恐ろしいくらい。ない頭が余計に混乱してしまうこともしばしば。けれどもそんな日常の中にも、小さな光はある。

 恐らく私は、マックめぐりを暫くつづけるだろう。出会うか出会わないかわからない、触れ合いを求めて。

 

2021年3月

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 日常のなかにも、小さな光がある。

 この主題にこころ打たれています。

 ほんとうにそうですね。そんな光を注意深く掬いとって描いてゆくことが、書き手の道なのだ、とあらためて思わされました。 ふ


 読解力   泉野ほとり(イズミノ・ホトリ)

              

「ちゃんと空気は読めるんで」

 息子はそう言って、スマホを弄った。

 地方の高校寮で生活をする息子が夏休みに帰省した時のことだ。幼少の頃からわがままで負けず嫌いだった息子が陰で「ジャイアン」と呼ばれていたのを知っていた母はすこうし心配なのだ。不器用だけど根は優しい息子だが、傍若無人なところから誤解されることもあった。

 息子の学校における人間関係は分からなかったが、親子で始めたライントークのやり取りは申し分なかった。意外であった。本をほとんど読まず、興味のある知識は動画から得ている彼から、ラインで的を射た返信が返ってくる。一方、私は読書好きだが、メールやラインでのやり取りが苦手で失敗を重ねてきた。送信した後でいつまでもくよくよしてしまう。

 もしかすると国語の読解力とコミュニケーション能力は違うものなのだろうか。夏休みの宿題への雰囲気づくりと、読解力とコミュニケーション能力のなぞを解き明かしたくもあって、国語の読解の課題を一緒に解いてみることにした。

 

「結構ムズイよ。大丈夫?」

「ああ、コイツ、コイツ。簡単なことをわざと難しく言うんだよ」

 

 苦手な論説文を前に不機嫌な息子は昭和の大先生の「名文」に暴言を吐く。思わず、彼の言い分にも一理あると感じた私はただの親馬鹿なのであろうか。

「確かに英文の論説文の方が読みやすいね」

 マズイ。そう感じる私は、読解テストで万年追試組の息子と同じ……?

 ということは、私の読解力は息子と同じ程度であり、コミュニケーション能力は息子以下ということになる。これまで、著者の言わんとすることを受け取っていると思っていたのは私の勘違いであったのか。そう考えると私のSNSでの失敗の数々に合点がいく。読解力の無さを補おうとして相手からのメールやトークを曲解し、自分に都合よく解釈していたのかと思うと恐ろしくなる。

 しかし、息子よ。

 長い人生、空気を読むだけで生きて行けるのか。いや、それは自分で考えよう。

 

2021年3月

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 作品のなかに「国語の読解力とコミュニケーション能力は違うものなのだろうか」というくだりがあります。

 この問いの投げかけは、おもしろいですね。

 うーん、と唸ってからわたしはひとつの答えを出しました。

「コミュニケーション能力っていうのは、本能に近いところで鍛えられてゆくような気がする……」

 皆さんはどう思われますか?

 さて、もうひとつお伝えしたいことがあります。

 やさしさ、思いやり、あたたかみのある文章を綴りたい、というはなしをたびたび耳にします。書き手のなかにやさしさ、思いやり、あたたかみの要素があることは大前提になりますが……、それだけでは実現しません。この気持ちを醸すには、「わざ」も必要なのです。

「やさしい」「思いやりがある」「あたたかみが感じられる」と書いても、伝わりません。

 ではどうするか。

 その場の様子、仕草、会話の語尾などに注意を払うことです。

 泉野ほとり「読解力」に、いろいろなことを考えさせてもらいました。 ふ


2021年3月の作品公開


お腹を抱えてわらう きたまち丁子(キタマチ・チョウコ)

 

「お腹を抱えて笑う」という箇所にさしかかり、ふと本をとじた。

 確か、

「箸が転んでもおかしい年頃」、そんな年頃が、遠い昔、あったような……。

 休み時間に教室で、あるいは学校からの帰り道、同級生とコロコロ、ケタケタ……。

 中学生の頃だ。

 何があんなにおかしかったのか。

 そんなことを懐かしがっていると学生時代の友人から電話がかかった。

 お互い2人の娘を持つ身。

 いつしか話題は、娘の家族が遊びにきたときの、食事のメニューへ行きつく。

 大人数、若い人や小さな子ども向けのメニューを同時に考える大変さに話は及ぶ。

 コロナ禍の中、外食にたよることもできず、手料理をふるまうのだが、なんだかてんやわんや。

 そうして、1月の次女の誕生日の日のことを、わたしは話し始めた。

 クリスマス、お正月のときとメニューがかぶらないよう、次女の好きなものを作ろうなどと、意気込んだのがいけなかった。

 材料はそろっているのに、メニューが決まらない。

 頭が真っ白になり、どういうわけか、わたしは、台所でヘラヘラ笑い出した。

 そこで、受話器の向こうの相手は吹き出し、

 「なんか、わかる」

 といい、大笑いしている。

 わたしもつられて、お腹を抱えて笑う。

 何がそんなにおかしいのか。

 散々笑いあったあと、

 「なにはともあれ、唐揚げとポテトサラダは欠かせないのよね」    

   と、話はまとまりかけたが、

   「でも、それだけじゃ……ねえ。」

 と、また、笑い転げる。
 もう止まらない。

 一瞬だが、箸が転がってもおかしかったあの頃の感覚が舞い戻ってきた。

 実は、本を閉じたとき、

「もう、お腹を抱えて笑うなんてことはないのだろうなあ」

 という思いがよぎった。

 やっと電話を切ると外は夕暮れ。

 歳を重ね、ひとまわり体の小さくなったわたしたちが、お腹を抱えて

笑っている姿をふと、想像する。

 電話の向こうにいる友人にそのことを伝えたい気がしたが、やめておいた。

 洗濯物を取り込みに、わたしはトントントントンと2階へ駆け上がる。

 

2020年3月

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 笑うっていいなあ。

 機嫌よくするというのは、こうなると、人生のめあてのように思えるなあと、すっかり感心しました。

 皆さん(もちろんわたしも)、機嫌よく書きましょうね。約束です。ふ 


「因幡の白兎」 寺井 融(テライ・トオル)

 

 昭和29年3月末のことである。日曜日だった。4丁目(札幌市中心地)の維新堂に行く。小学1年生の教科書を買うためである。

「これからは、こんな本も読んだらいいぞ」

 父がそう言って、教科書のほか1冊の大型本を買ってくれた。

 挿絵が大きなスペースを占めるいわば絵本。タイトルが何であったかは忘れた。「因幡の白兎」や「ヤマタノオロチ退治」の話が入っていて、すっかり気にいった。何度も読み返した。

 小学校の図書館の本を読みまくる少年となっていった。特に、日本史の本と伝記にはまる。キュリー夫人や野口英世は当然のこと、札幌開拓の父・旧佐賀藩士の島判官(義勇)や、十和田湖・鱒養殖の和久内貞行なども読破した。

 そんな経験があったのに、わが子どもたちに、絵本を買って与えた覚えはあまりない。もちろん、読み聞かせもしていない。夏休みは、旅行に連れて行ったりしていた。これも気がついたときには、彼らは友だちと行くようになっていた。こちらは、仕事に追われていたのだ。

 それで入学式にも卒業式にも、さらに父兄参観日にも行ったことはない。子どもたちの学校と無縁だった。ただし、運動会は、長男が小学校を転校したとき、一度だけ顔を出した。新しい学校になじんでいたかどうかが気になったからである。彼は応援団長みたいなことをやっていて、ひとまず安心した。

 

 2人の子どもたちは本好きとはとうてい言えない。一般人としては少々多めの蔵書も、私一人のものとなっている。妻は「あなたとは、読書傾向が違うのよね」とか言って、当方の書棚にさわろうとはしない。

 ところがですね、18歳の孫・岳(ガク)が、爺様本に手を出すようになった。司馬遼太郎の『峠』や吉村昭の『川路聖謨』などである。ちょっと渋めだなあ。

 孫たちが幼児のころ、親が絵本を与えていたのですね。私たち祖父母も、何冊か買った。しかし、大半は図書館から借りてきた本だ。いま大分で、小学校教員をやっている彼らの母が、絵本を読ませることに熱心だったからであろう。息子(彼らの父親)は、成長の記録になると「絵本読書日記」を書いたりしていた。

 さて、その岳だが、これはNHK大河で「軍師勘兵衛」を放映する前の話。

「戦国武将でさ、誰が好き?」

「たくさんいるけどね、一番は安国寺恵瓊かな」

 毛利家の謀将である。彼は当時、小学5年生だった。驚いた。さすがに渋すぎる。実は私も、小学生のころ、恵瓊が好きだった。そこで、わが家の歴史小説をみつくろっては、岳が住む大分に送っている。

 この春から別府の大学寮に入ると聞いた。さて、どうする? 「因幡の白兎」の英語絵本があったらありがたい。送ることができる。留学生の多い大学なのだ。

 2021年2月10日

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 身近なひと、家族、とくに孫のはなしを書くのはむずかしいのです。

 可愛くて、つい本筋には関わりのないことまで書きたくなってしまいます。作品に登場させる人物のことは、そうですね、作品の構成を助けてもらう存在、と考えるのがよいでしょう。

 助けてもらって効果の期待できることだけ、書くことをおすすめします。

 人物の性格、自分との関係性、なんかはどうでもよいのです。滲みだしている、それでじゅうぶん。

 そうして役目を終えたら、すぐさま退場していただきましょう。

「因幡の白兎」び登場する18歳の岳くん。登場はほんの少しですが役割を果たし、読者のこころをぐっとつかんでいます。

 寺井融爺、さすがです。 ふ


生姜焼き1枚 いしい しげこ(イシイ・シゲコ)

 

 TVから流れた言葉にハッとした。

 前後の言葉は聞き逃したが、今が大変な時であっても決して不幸ではないと、TVの人は言っていた。

 そこだけが耳に残った。

「うん、そう、私も不幸ではないワ」

 いつも当たり前があり、考えたり、感じたりしない日々が少なくなかった。

 当たり前って何か? 誰が当たり前に過ごせる毎日を造ってくださったのか。人びとのお陰でしょうか。

 不幸か幸せかを感じる気持ちは自分の心のハカリが決めること……。

 

 着干し

 幸せ、不幸って何かも知らぬままに、幼い頃はただ目の前にあることがすべてであった。皆んなそうだと思っていた。

 ある学年のとき、通信簿に「授業が終わってもなかなか家に帰らず校庭で、ウロウロしている」と書かれた。家に帰ると休む間もなく9歳下の弟を背負わされる。でっぷりと太った子で、今でもあのときの重さは身体がおぼえている。

 遊びに夢中になっていると、ジワーッと背中があたたかくなる。おむつは取り替えても、私の衣服は取り替えてもらえないから、そのまま、夕方まで遊び通した。着干し(きぼし/着たまま乾かすこと)である。

 風呂など、毎日は入れないから、言葉は悪いがさぞかし「小便くさいガキ」であったことだろう。あるとき、クビが動かなくなった。

 父にマッサージをしてもらった。

 

 生姜焼き

 ずっと働きづめで来た夫が突然倒れた。

 三大成人病をしっかり身にまとっていた。右側半身が不自由になってしまった。

 私が担当できるのは食事療法。図書館で糖尿病の献立メニューを調べる。野菜中心の塩分控えめで、肉類は80gくらい。秤に乗せて量を決める。

 焼肉が好きな夫のたまの外食は、いつも焼肉であった。車椅子での入店は難しく、私の手料理では焼肉屋の味は作れない。

 それまでにない食生活はお互いに大変であったが、楽しみでもあった。

 三度の食事、食べるものは絶対平等に。これは鉄則である。

 ……ある日、生姜焼きを作り、同じ枚数を各々の皿に盛った。大好きな肉に箸がのびる。

「父さん、食べられたら私の肉、食べてくれる?」

「うんいいよ」

 でもその1枚、本当は夫の分なのです。私の皿のキャベツの中に隠しておいたのです。夫は満足そう。いつもより多く肉が食べられて、やった!と。

 わたしは思う。

 リハビリの毎日、少し工夫して楽しませてあげたいものネ。

 明日は何を作ろうかしら……。

 

 2021年2月

 

***

〈山本ふみこからひとこと〉

 どきどきしながら読みました。

 いいなあ、素敵だなあ……と思いながら。

 いしいしげこの作品には、いつもぬくもりと、感謝とが込められていますが、だんな様が登場すると、文章がピカッと光ります。

 ピカッと光らせようと思っても光らない。隠しておいた生姜焼きをそっと差し出す、そんな日常がなければ、とてもじゃありませんが、光りませんね。ふ

 


 A6サイズ  西野そら(ニシノ・ソラ)


 かばんの中にあるもの。

 財布、家の鍵、ハンカチ、ティッシュ、化粧ポーチとスマートフォン。

 夏の時期と雨が降りそうな日には、汗拭きシートと晴雨兼用の折りたたみ日傘が加わる。そうだ、電車に乗る外出の場合は文庫本も。これらがわたしにとって必要最低限のものたち。

 数人で出かけると、「どうぞ」とかばんの中から飴を配ってくれる人がひとりはいる。そのうえビニール袋をかばんから取り出し、飴の包み紙をビニール袋に集めて持ち帰る人もある。こういう人のかばんにはなべて、携帯用裁縫道具や救急絆創膏の類もきっちり納まっているものだ。

 備えのよい人をまえにすると、自分の出来の悪さが身にしみるけれど、次出かけるときに飴やビニール袋をかばんにしのばせるかといえば、そうはしない。備えのよさより身軽である方がわたしにとって優先順位が上なのだ。

 これほどまでに身軽がいいと思っているというのに、数年まえから無印良品のA6サイズのダブルリングノートが必要最低限のものたちに仲間入りを果たした。

 なんでもノート。

 スケジュール帳をもたないうえに、覚えておきたいことが容赦無く記憶から消えてゆくものだから、なんでも書きつけるノートをもつことにしたというわけだ。2019年1月15日現在、まだ数頁残っているから、書き付ける頻度はそう多くはないのだけれど。

 使い始めの頁にはこうある。

 2016/9/25『 HHhH』ローラン・ビネ 高橋啓訳(東京創元社)読了。ナチ ハイドリッヒ ガブチーク

 そのあとの頁をランダムに開くと、

 2017/2/23 試合 苦痛 勝負のゆううつ わたしの戦いどころ つきなみで

 2018/7/23 注文数50 送料 注文数 11月末発注

 

 やはり、なんでもノートだけのことはある。

 2017 年2月23日のことはさっぱり思い出せない。試合ってなに? そうとう追い込まれているふうな言葉の羅列で、よろしくない感情だったのだろうことはうかがえる。当時のわたしになにが起きていたのだろう。

 2018年7月23日の分は次女の高校の謝恩会で配る記念品のこと。

 なんでもノートの頁を繰る……。そこに置かれているのは、忘れて構わないこと、忘れてしまいた感情、覚えておきたいこと、書き付けていなかったら思い出しもしなかった事ごと。

 2019年1月25日  

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 2年前の、コロナのなかったころの作品です。

 読み返して、いいなあ、たのしいなあ、とわくわくしています。

 余談ですが、わたしの記憶には、太書きの線が引かれています。それは2011年3月11日を境に引かれたもの。

 手にした本も、ふと観ることになったテレビドラマの再放送も、それが太書きの線の前かあとかを確かめてから向き合います。ああ、この世界には、東日本大震災の残したものがある……と思うと、記憶に現実味が加わり、経験した悲しみとともに、喪(うしな)ったひとたちを近くに感じます。悲しみ即ち悲惨と位置付けることしかできなかった、太書きの線以前の自分自身がかすんでゆきます。

 さて、「西野そら」のノートに、2011年3月11日はどう綴られているか。

 コロナ感染症拡大はどう綴られているか。

 覗きたいな、と思ったりします。

 きっと苦難を経て初めて知る真実が、置かれているはず。 ふ


5千円 菊地みりん(きくち・みりん)

 

 財布を開いて、がん、となった。

 あるはずのお札がない。えぇっ、と思わず声がもれる。病院の支払いで、カードは使えない。どうしよう……と目まぐるしく考えていると、バックの中に封筒を見つけた。銀行でおろしたお金が入っている。そこからこそっと1万円札を抜き取り、無事に支払いを済ませた。

 帰るみちみち、思い出した。

前の日最後に行ったガソリンスタンドだ。そこでプリペイドカードに5千円を入金しようとして、1万円札を機械に入れ、おつりの5千円札を受け取った……はず。

 家に帰り、レシートを調べる。釣銭のお受け取りは自動精算機にてお願いします、と下の方に書いてある。

 そうだ、自動精算機で受け取り忘れたのだ。急いでガソリンスタンドに電話すると、本日の午後3時までなら機械の中に釣銭は残っているという。それ以降になると精算してしまうので、サービスセンターでの受け取りになる、ということだった。

 店員さんの整然として朗らかな口調は、釣銭を忘れる客はめずらしくはないのだという希望を与えてくれた。だが、恥ずかしい思いはしたくない。締切の午後3時に間に合うように車をとばした。自動精算機でレシートのバーコードをかざし、何ごともなく5千円札が出てきたときは、心の底からほっとした。

 

 じつは、この手のうっかりをよくやらかす。

 台所に置いたキャッシュカードを紛失したと思いこみ、あわてて再発行してもらったり、スーパーマーケットのカートに買ったものをぶら下げたままにして、手ぶらで帰ってきたり。そのたびに電話をかけ、時にはしかるべき手続きの午後をして、なんとかなってきたのだった。この国には、うっかり者を救うシステムが整っているのだなあ、とあらためて思う。

 しかし世の中には、人のいのちに関わるような、取り返しのつかないうっかりというものもある。そんなニュースを見聞きすると、心が痛み、どうにもやるせなくなる。わたしはこれからもうっかりし続けるだろう。どうか、それらが取り返しのつくうっかりだけでありますように、とひそかに念じている。

 2020年10月20日

 

***

〈山本ふみこからひとこと〉

 課題「うっかり」を受けての作品です。

「うっかり」はじめ小さな失敗について書くとき、書き手は突如として生き生きとします。あれもあります、これもあります、ほんとはまだまだあるんです……とばかりに。

 書く世界のおもしろい一面です。

 書こうとしながら、書きながら、ひとはうまくない事ごとの価値を認識するのです。うまくいったこと、成功例などは、案外おもしろくないものですしね。

「5千円」は、坦坦と描かれているところが魅力的。そうでありながら、結びの深まりはどうでしょう。うっかり者のわたしはしみじみ同感しましたとさ。ふ


2021年2月の作品公開


わたしの不要不急 古川柊(フルカワ・ヒイラギ)

 

 2年前の冬、家の事情で頻繁に佐賀まで行っていたのだが、ある時、上空で航空性中耳炎に罹ってしまい、以来陸路での移動を余儀なくされている。

 鉄道とバスを乗り継いで東京から約7時間。ひとりでの移動は想像以上につらく退屈だった。それで二度目からは早めに家を出て、途中下車をすることにした。

 名古屋、京都。広島、福岡。遠まわりして熊本に寄ったこともある。

 行きたいところはどこか。見たいものはなにか。以前から気になっていたギャラリーや美術館。1冊1冊、あるじにじっくり選ばれた本だけが並ぶ小さな本屋。ていねいに淹れた珈琲を飲ませてくれる喫茶店。ひとり客でも気兼ねなく入れて、できればカウンター席があって、夫婦ふたりだけでやっているようなこじんまりとした食堂(ワインが飲めたらうれしい)。そして、路面電車の走る街ならなおいい。ようするに観光ではなく、日常からのすこしだけぜいたくな延長。

 旅に出る時は、あまりこまかな計画を立てることはせず、行きあたりばったりの出合いを期待することが多いのだけれど、なにしろ途中下車、限られた時間を目一杯満喫するために、計画を立てるのも真剣勝負だ。

 九州までの道のりを想って当初はかなり困惑したものの、空路では絶対に味わうことのない景色に遭遇できた。

 

 2021年現在。東京では新型コロナウィルス感染症拡大による緊急事態宣言がふたたび出され、わたしの毎日は自宅と職場とスーパーマーケットのトライアングルゾーンからはみ出すことはほとんどなく、寄り道も回り道もない生活を送っている。

 そして、時おり、道中でのあのひとときを振りかえっては、不要不急というゆたかな輪郭をそっとなぞっている。

 

 2021年1月31日

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 旅先のギャラリーにて並んでひとつ作品を眺める者同士に……、喫茶店のカウンターで珈琲カップを前にする隣り同士に……、小さな食堂で同じボトルから白ワインを注がれる客Aと客Bに……なって、不要不急をたのしみました。

 古川柊という書き手は、たとえ現実の生活がトライアングルゾーンのなかにはまりこんでいたとしても、いつだって旅ごころがあり、不思議に満ちています。

 考えてみると、「トライアングルゾーン」は、どこまでだってひろげることができます。地にも天にも、わが身の内にも。 ふ


決死のカタカナマジャール語、市場で試す クッカハナコ(くっか・はなこ) 

 

 今から15年前、夫の転勤に伴って、ハンガリーの首都ブダペストに暮らしていた。

 はじめてブダペストの街に降り立ったのは10月の半ばごろ。キラキラ輝くような秋の朝日本を飛び立ち、フランクフルトを経由して、およそ20時間後、ヘトヘトになり夜遅くハンガリー・フェリヘジ空港に到着した。秋の気持ちの良い陽気の日本と比べると、ハンガリーの10 月はもうすっかり晩秋の空気に包まれていて、寒く暗かった。

 先にブダペスト生活をはじめていた夫が、翌日私を市内の有名な観光スポットに案内してくれた。ドナウ川にかかる鎖橋、国会議事堂、王宮、漁夫の砦などなど、どれも勇壮で美しく、ドナウの真珠と謳われた街は素晴らしかったのだが、その日はあいにくの小雨だった。しかも祝日ということで、市内の中心部なのに、有名な観光スポットなのに、人がちらほらと見えるだけ。店も閉まっていて、なんとなくうら寂しい。古くどっしりとした石造りの建物を、暗く重苦しく感じてしまった。

「ああ、東欧の国に来ちゃったんだな」

「ここで暮らすのだな」

と、ちょっと心細い気持ちになった。

 船便で出したダウンコートや厚手の セーターはまだまだ届かず、スーツケースで持ってきた秋物の服を何枚も重ね着して過ごしたが、私は、風邪をひいて寝込んでしまった。

 

 1週間後、体調は回復、プチホームシックからも立ち直り、本格的にハンガリー生活をスタートさせた。まずは食料の買い出しだ。

 当時のブダペストには、郊外から進出してきた大型スーパーマーケット、中規模のスーパーと、昔ながらの常設の市場があった。

 スーパーマーケットでの買い物は日本と同じ。ちがうのは、野菜類はセルフサービスのスタイルであること。欲しい物を自分で袋に入れて秤に乗せ、値段のシールを貼る。肉や魚は対面式で、希望の部位と量を注文する。対面式は、市場や、小売店のパン屋さん、ケーキ屋さんなど、どこへ行っても苦労させられた。日本でも、一般的にこうして買う機会が多いので、珍しいことではないのだけれど、慣れない外国語ではかなり難しい。

 

 そもそもハンガリーの公用語は何かというと、マジャール語という言葉で、人口1000万人弱のハンガリー国民だけの言語だ。聞くのも見るのもはじめての、まったく想像のつかない言葉。現地では、英語を話す人は少ないと聞く。

 私は外国語が苦手。英語も流暢なんてほど遠く、ジェスチャーの腕前だけが年々上達していく。それなのに、マジャール語なんて、ぜったいマスターできるわけがないと初めから諦めていた。

 それでも生活するためには、必要最低限の単語や挨拶は覚えなければならない。

 

 その日に買う物をメモ用紙に書き出し、「ハンガリー語指さし会話帳」で単語を調べ、数を書く。何度か声に出して練習してみる。「ハンガリー語指さし会話帳」は、カタカナのルビがふってあるので、もちろん私はそちらのカタカナの方で読んで発音する。

 

 練習後、いざ買い物へ!

 大きな買い物バスケットを持ち、バスに乗り、常設の市場へ出かける。そして、練習してきたカタカナのマジャール語を試す。

 私:「Jó napot kívánok ! ヨーナポトキヴァーノク(こんにちは)」

 店員:「Csókolom ! (*)チョッコロム!」

 私:「……(えー、チョッコロムって何?)……(気を取り直して)Harom alma fel kilo burgonya kerek! ハーロムアルマ、フェールキロブルゴニャ ケーレク!(リンゴ3個、じゃがいも500gください)」

 店員:「……?」

 もう一度。

 私:「Harom alma fel kilo burgonya kerek! ハーロムアルマ フェールキロブルゴニャ ケーレク……」

 店員:「……(少し間があり)……English please !」

 

 私の決死のカタカナマジャール語は全然通じなかった。

「あ、そうですか、そうですか、そんなカタカナのマジャール語が通用するわけないってことですか」

 そんな拗ねた気持ちと、たいそう恥ずかしいのとで、すっかりテンションが下がり肩を落とし、買い物もそこそこにバスに乗って帰った。

 

* 訳「こんにちは」男性が女性に、あるいは、子どもが年配の大人にたいして使う丁寧なあいさつ。

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 わくわくしました。

 一昨年『ブダペスト日誌』(飯田信夫著)をふみ虫舎で刊行してからというもの、ブダペストとの縁(えにし)が深まっているようでもあります。

 さて皆さん、「決死のカタカナマジャール語、市場で試す」をお読みになって、いかがでしたか? 

 ブダペストの街の雰囲気。気候。あたらしい生活へのとまどい。マジャール語との格闘……。

 これらが、自然に胸におさまったのではないでしょうか。

 まちがいなくそれは、クッカハナコの綴り様(よう)の魅力によるところです。

 その実現のひとつとして「過ぎる」のなかったことが挙げられます。
 観察が過ぎる(観察したことをすべて置こうとする)。感傷が過ぎる。感想が過ぎる。

 これによって、どんどん作品はうるさくなってゆきます。

 うるさくなるとは、知らない世界を旅しようという読書から共感が失われてゆくことを意味しています。

 読者の共感を得ようとしてもがく前に、「過ぎない」を考えることをおすすめしたいと思います。 ふ 


アジ料理 福村好美(フクムラ・ヨシミ)

 

 ベーカリーショップを舞台としたラブストーリー。

 美しい女店主の手首に幾筋かのやけど跡を見つけ理由を問うと、パンの出し入れで、業務用オーブンの縁につい手が触れてしまう、というやりとりがあった。その道の達人でさえ(だからこそとも言える)、他の人が知ることのない危険に日々遭遇しているのだ。

 菓子製造業で毎日砂糖をガスバーナーで煮詰めていた私の父も、手の甲には煮え立った砂糖が飛んだのであろうやけどの跡が絶えなかった。その分野で生き抜くためにはどこかにリスクを背負うことになる。スポーツ選手には身体の故障が付きもので、投手として練習・試合に明け暮れた私も、中学3年生の夏になると、右腕の肘に激痛が走るようになった。その後遺症で今でも右ひじは「くの字」のままで伸ばしきることができない。

 

 家庭内での日常生活でも 、庭木の世話でさえ、柑橘類の棘が指に刺さる、葉に隠れたムカデを手で掴み刺されるなど、思わぬところに危険が潜んでいる。単身赴任10年余を経験しているものの、家庭内労働は極力短時間で行い、食事は3食とも学生食堂あるいは妻からの差入れ弁当に依存していたため、身に危険は及ばない反面、家事の技量はほとんど上達しなかった。定年退職して組織から離れ家庭が主な活動の場となると、一転して家事の多くが自己責任となり、ある程度技量とリスクを伴う実作業が求められる。
 これまでは妻が作ったものを食べるだけであったアジフライも、今や自分で調理する。購入したアジの開きを水洗いして調味料を振りかけ、小麦粉、卵、パン粉を付け、熱した油に入れていく。頃合いを見て油の中で上下を返す。その時、何かについた水滴が紛れ込んだためか、油がはじけて手首に飛ぶ。しばらくしてその個所に水泡が顔を出すと、痛みがさらに増し家事にも危険があることを実感する。半面、自分で作った出来立てのアジフライはいとおしく、心なしか懐かしい味がする。

 子供のころから魚が苦手で、海に近い伊勢生まれにもかかわらず、食事で刺身が出ると周りの人に譲ってばかりいた。ただひとつおいしく食べられる魚料理が、母の作るアジの煮付けであった。病弱な息子になんとか魚を食べさせたいと思ったのか、母はアジをまず焼き、さらに生姜を加えた砂糖醤油で味付けした煮付けを、食卓の私の前だけに出す。香ばしくて甘く、苦手な魚を感じさせない美味しさであった。成長してスポーツ好きの頑健な少年になってからは、この料理を食べる機会はほとんどなくなった。

 

2020年12月5日

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 少なからぬ読者が、アジを食べようかな、と考えたのではないでしょうか。

 長身の福村好美せんせいが、台所にそびえ立ち、アジと格闘しているところを想像して、くくく、とやりながら、わたしもアジの煮付けをつくってみようと考えています。焼いてから、というのがいいなあ、おいしそうだなあ、とこころが逸ります。

 理系、元大学教授の福ちゃんせんせいの作品(原稿)は、ちょっと混みあって、黒っぽく見えます。漢字が少し多いのではないでしょうか。

 本作ですと、美しい、見つける、中、今、掴む、付ける(味付けの、付けも)、時、周り、紛れ込む(の、込む)、子供(の、供)などはひらいたら(ひらく=ひらがなにする)いかがでしょう。

 柑橘類、棘、というような印象的な漢字は漢字のままにし、登場頻度の高い、ごく身近なことばをひらく手法を、わたしは使っています。 ふ 


かたつむり 小林ムウ(コバヤシ・ムウ)

 

 1月のある日。

 冷たい雨が降ったあと。

 玄関を出て、ふと足元をみると、かたつむり。

 あぶない、あぶない。踏んでしまうところだった。

 はて、かたつむりは冬眠するんじゃなかったっけ? どうして、きみはそこにいるの?

 もう少し暖かだったら、春と間違えて起きてきたのかなと思うけれど、吐く息は白い。

 お腹がすいたの? 体は動く?

 つのはぴーん、じりじり、じりじりと前進中。顔色はわからないが、今にも倒れそうという感じはしない。わりと元気なのかも。何かを食べている様子もない。

 どこかに行って何かをやりたいのかな?

 きみ、変わりものっていわれない?実は、わたしもそうなんだ。「こんなときにわざわざそうしなくても」って、いわれるタイプだよね。

 みんなと違うからって、気にしなくてもいいよ。きみはきみ。こんな寒い日に出かけようだなんて、すごい勇気だね。

 ベストをつくせますように。道中、気をつけて。無理はしないでね。疲れちゃったら、いまさら、なんて思わず冬眠したっていいのだし。

 かたつむりにさよならをいって、立ち上がったとき、ふとことばが口からこぼれた。

「やりたいこと、やってやろうぜ!」

2021年1月

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〈山本ふみこからひとこと〉

 昨年一度もかたつもりに逢えなかったわたしには、贈りもののような作品でした。どうもありがとうございました。

 本作のなかでもっとも好きなくだりは——

「いまさら、なんて思わず冬眠したっていいのだし」

 これ、いいです。いまさらなんて思わずに……ということばが生まれたこと、おめでとうございます。

 この作品から、どんなふうにしたら、ひとや自分自身にやさしい声かけができるか、が、学べるように思えます。

 やさしい気持ちの上に、やりたいこと、やってやろうぜ! ですね。 ふ


2021年1月の作品公開


健康法 原田陽一(ハラダ・ヨウイチ)

 

 2020年もいよいよ残すところ、あと1週間となりました。

 自分には、2020年に自ら課した年間目標があります。これを達成することができるのかどうか、という点が今や一大事となっています。

 年間目標は、1日あたり1万4千歩を毎日歩くことです。残る日数はわずかになりました。1日でも怠ると年間の達成が危うくなるので、緊張の日々が続いています。

 

 5年前に初めて、健康法として1日1万歩の目標を掲げることにしました。きっかけは、かかりつけの医師から高血圧の診断を受けたことでした。

 まず体重を落とすことが根本的な解決になると、医師から忠告を受けました。

 体格や身長から考えて、理想の体重として、75㎏が目標となりました。10㎏の減量をすることになったのです。

 ちょうどそのころ、自分はスマートフォンを買い替えており、そこに万歩計の機能が付いていました。スマートフォンは1日中持ち歩いているので、確実に歩数カウントしてくれます。

 いつでも歩数は集計されており、リアルタイムに表示されます。1日の歩数だけでなく、月間の平均歩数、年間の平均歩数やグラフまで表示されます。しかも、「今週の歩数は先週の歩数より、かなり少ない」と、こまごまと忠告までくれるのです。一連の表示が、自分の心をあおりたてます。

 最初の年は、1日1万歩の目標を掲げて、めずらしさも手伝って達成することができました。次の年は1万1千歩の目標をたてるなど、毎年、目標歩数を引き上げていきました。継続的に目標を達成することができ、ついに今年は1万4千歩の目標を掲げるに至りました。

 五年も続けると、身体の数値データがどんどん改善されていきます。当初85㎏あった体重が、何と12㎏もやせることができ、理想体重の目標をクリア。

 73㎏になりました。

 問題となっていた高血圧も下がりました。

 自慢げに医師に報告すると、逆ににこにこしながら注意されてしまいました。

「いくら何でも、ちょっとやり過ぎです。1日1万4千歩は負荷をかけ過ぎです。体重もやせ過ぎ。理想体重を下回るのはよくない。ほどほどにしてください」

 

 ところが、どっこい。自分はおもしろくてたまらない。

 毎朝起きるなり、1日どうやって歩数を稼ぐのか、計画をたてています。

 朝の散歩と昼の外出で、とりあえず1万歩は確保できる。残りの4千歩はどう稼ごうか? 夕方、もう一度歩こう。

 朝の天気予報で、1日中の雨が予告されると本当につらい。雨の日は歩数が稼げないのです。仕方がないので、用が無くても家から品川駅まで傘をさして歩きます。品川の高層ビル街には屋根付きの遊歩道があります。一周すると8百歩。雨に降られることなく五周して、何とか4千歩稼げます。

 知人が新幹線で上京して来るようなイベントがあると、うれしくて仕方ありません。品川から東京駅まで歩いて会いに行きます。これで8千歩稼げるのです。

 毎朝、その日の仕事やイベントをもとに計画をたてて、工夫して歩数を稼いでいます。月ごとに、年ごとに目標をたてて追いかけています。

 このプロセスが実におもしろい。

 医師から歩き過ぎと、注意されてもやめられません。

 これは健康法というより、万歩病。

 それとも、万歩狂?

                      

2020年12月25日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 しばらくお会いしていませんが、原田さんのスタイルをこの目で確認したくてたまりません。

 誰(それが医師でも)が何と云おうと、という姿勢が好きなわたしは、この作品を読んでうれしくなってしまいました。ひとはもう少し、好き勝手にやっていいんじゃないでしょうかね。拍手です。

 書き手としても、自身の世界観をしっかり確立しておられて(わたしのアドバイスなんかかっ飛ばす勢いです)、作品には力がこもっています。書くことが習慣になっていることも、たのしく書いていることも伝わります。

「1万歩日記」として、道の上で見たこと、ふと耳にした会話、歩きながら考えたこと(妄想も)、をつづってゆくことをおすすめします。 ふ


つくり笑い いわはし土菜(イワハシ・トナ)

 

 われら夫婦だけのお正月と決まった。

 コロナに立ち向かう、精いっぱいの策である。

 吉と出るか、凶とでるか、40年ぶりのふたりっきり。

 孫にも、もう8か月ほど会っていないから、すっかり忘れられている。

 案の定、年賀の動画電話で、画面いっぱいに映った我ら夫婦に恐れをなし、1歳の孫は泣き出した。

 やれやれである。

 私が育ったころのおせちを作ることにした。

 子らが来ていたら、これではどうにもならないという代物。

 結婚以来、こんなに質素なおせちは初めてである。

 テーブルに広げたら、あまりの地味さに、正月からつくり笑い。

 私が育った当時の姉弟三人、お重の蓋を開けると、一斉に「ふあー」と声をあげたものだったんだが……。

 私の育った甲府盆地の北西にある韮崎市は、田園地帯と云えば聞こえはいいが、要は田んぼ、畑に囲まれている。

 加えて海もない、重箱の中身はそんな産物ばかり。

 動物性たんぱく質は、まぐろの刺身、酢だこ、海老と決まっており、数の子があったり、なかったり。

 肉類は、唯一鶏肉で、白菜と一緒にお雑煮の中。

 雑煮の前のおすましには、椀いっぱいに豆腐が半丁入っていた。

 いくら、うになんて20歳を過ぎる頃、初めてお目にかかった。

 

 だが、想像しなかったことがおきた。

 その質素は、からだを軽くし、頭がすっきり、なぜか活力も。

 溜まりにたまったストレスの闇を頭ひとつ潜り抜けた感じか。

 そうだ、年末、テレビで観た雲水(修行僧)らの食事と同じだ。

(彼らに、まぐろも酢だこもなかったが……)

 質素で無駄なく暮らすことから遠ざかりすぎたと実感。

 新聞もテレビも数字ばかりが目につく、昨今。

 こんな時はエッセイで、さらりとかわしたいが腕がない。

 原稿用紙がうっぷんばかりで埋まっていく。

 ここは、にわか雲水に姿を借りて修行どきと心得、緊急事態という、ふたたびのお籠り修行が吉となるよう祈りたい。

                  

2020年1月5日

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〈山本ふみこからひとこと〉

 いまの世の有りようを、ほどよい味つけで描いた作品に感心しました。大仰もなく、反省もなく、そうだなそうだな、と共感しながら読むことができました。

 地味で質素なおせち料理、さぞおいしかったことでしょう。

 読ませていただいたわたしは、ここで「ふあー」と声をあげました。

 その質素の効用を見事に描いた「いわはし土菜」、冴えています。ふ 


電話 ながはま ももか(ナガハマ・モモカ)

 

 言葉を選んで話すようになったのは、いつ頃からだろう。

 

 わたしの仕事は演奏家で、人前で演奏をするという仕事柄、人前で話すことも多い。

 

 話す機会を重ねるごとに内容はもちろん、声のトーン、はやさ、声量、目線、姿勢など……反省しては学んでいる。

 

 けれど、「言葉を選んで伝える」と意識しはじめたきっかけは……。

 

 大学生になってから、人生ではじめてアルバイトを始めた。

 アルバイト先は全国展開している洋服屋さんで、当時は厳しく辞めてしまう人も多かったが、19歳のわたしにとっては社会に出て働くことがそれまでにないことだったので、厳しくても比較する過去の仕事経験もなく、働いてお金が貰えることが嬉しかったことと、仕事を覚えることにとにかく必死だった。

 

 できる仕事も増えてお店に慣れてきた頃、お客様から商品の問い合わせの電話がかかってきた。

 

「電話対応も、もう大丈夫」

 

 お客様のご希望の商品があるかの問い合わせについて、いつも通り在庫を確認し、無い場合は謝罪をし、他の店舗の在庫を確認して、取り寄せるか聞いて………。

 段取りは体に染み付いていた。

 

 自信をもって電話を取った。

 ちゃんとやっていたつもりだった。

 だが、世の中にはいろんな人がいるのだ。

 問い合わせいただいた商品のサイズがないことを伝えると。

 

「在庫が無いとはどういうことだ」

 

 ひゅっ。とわたしの血の気が引いた。

 ……あ、怒っている。

 落ち着いて、話さなきゃ。

 

「お問い合わせいただいた商品のサイズは当店ではお取り扱いがなく、大きい他店舗からのお取り寄せになりまして………大変に申し訳ありません」

 

 しかし、やりとりを繰り返すごとにだんだんと相手の話す勢いは激しくなってくる。

 その勢いにつられて焦ったわたしは、考える余裕も無くなっていた。

 

「だから! 先程からお伝えしていますように………」

 

「だから?! お前いま客に向かって『だから』と言ったな?!」

 

 やってしまった。涙が溢れてくる。怖い。

 声が震えないよう、必死で我慢をして、店長に電話を変わってもらう。

 穏やかに話す大人の男性の声に、電話先のお客様は落ち着きを取り戻したのか、納得をしたのか。

 すぐに通話は終わった。

 

「大丈夫?特にお客様は怒ってなかったよ」

 

 店長は心配をしてくれた。

 

「すみません……ありがとうございました。大丈夫です」

 

 急いで気持ちを落ち着かせて、涙を拭いて、泣かないようにとにかく元気に振る舞って、店の売り場に戻った。

 頭の中ではぐるぐるとさっきの電話のやりとりが繰り返されている。

 

 だから……

 

 だから。

 

「だから」って、人に圧を与えてしまうことが、ある言葉なのか。

 わたしはたしかに、あの時言葉で相手を抑えようとしていた。

 

 子供の頃からピアノの先生や剣道の先生に習い、音楽大学という環境に身を置き、丁寧な話し方は身につけている、つもり。だった。

 19歳のわたしは、この時はじめてひとつひとつのことばの持つさまざまな意味、ちから、表情、伝わり方に意識を向けるようになったのかもしれない。

 

 その後もわたしはアルバイト以外でも、電話で失敗をしては学ぶことが多かった。

 

 人に「ことば」を伝えるということ。

 

 まだまだ修行中……いや、きっと終わりなく、ずーっと。

 

2020年11月

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 誰にでも経験のある、電話でのやりとり、ことばの上の行き違い。

 読み手の多くは、ご自分の記憶と重ね合わせて飛び上がったのではないでしょうか。(相手のことばへの無理解を思いだす場面もあったかもしれません)。

 2020年講座のお仲間に加わってくださった書き手 ながはまももか さんは演奏者、若き音楽家です。

 表現者として書くことも大切にされてこられたのだと思います。

 そうです、ひとは表現の手段を携えています。あるいは、表現の手段を持ちたいと希(ねが)う存在です。

 表現とは何でしょうね。

 伝える。

 届ける。

 響かせる。

 ことし、この講座では伝え方、届け方、響かせ方を皆でじっくり学びたいと思います。伝えたいこと、届けたいもの、響かせたい調べを、どのように手渡したらよいのかを、考えながら書いてゆきましょう。

 それは、ひととしての力を鍛えるという道にも通じているような。 ふ