ふみ虫舎エッセイ通信講座作品集


2020年12月の作品公開


36年前の約束 くりな桜子(クリナ・サクラコ)

 「桜が咲いたら千鳥ヶ淵に行って、ボートに乗ろう」

 新婚ほやほやのある日、夫は私にそう言いました。

 36年も前のことです。

 毎年お花見の時期、テレビに映し出される千鳥ヶ淵の映像。

 満開の桜の下、何艘ものボート。

 まじかで桜を見られたどんなにか素敵なことでしょう。

 大学時代ボート部だったという夫のお手並み拝見、と私も浮かれて賛成しました。

 桜の見頃というのはほんの一時です。ほんの一時のあいだに夫は仕事が入っていたり、あいにくのお天気だったり。当時千葉に住んでいたため、千鳥ヶ淵に行くには1時間半くらいかかってしまいます。

 そうこうしているうちに長女が生まれ、お花見どころではなくなってしまいました。

 小さな不都合が重なり、その約束は果たされないまま何年も過ぎて……。

 

 縁あって17年前に東京に越してきました。千鳥ヶ淵まで徒歩30分。満開の桜を見にすぐに出向きました。

 こんなに綺麗なものを見たことがない。

 数え切れないほどの桜。その姿がお堀に映り、美しさも迫力も倍増しています。

 毎年毎年、桜の時期には千鳥ヶ淵に何回もお花見に行くのが恒例になりました。

 夫も私もあの約束を忘れてはいませんでした。

 娘たちも結婚して独立し、地理的にも問題なく、時間的余裕もできたのに、なぜか実現しません。

 

「ボートに乗る?」

 ある年、満開の千鳥ヶ淵を散歩しながら夫はそう言いました。

「いい、乗らない。昔はふたりでボートに乗って桜を見るのが夢だったけれど、叶うと死んでしまう気がするから」

 こんな気持ちになるなんて自分でも驚きですが、夫婦ふたりが還暦を迎えた今はそれでいいと思えます。

 日々の生活に懸命一色だった若き日の自分に、千鳥ヶ淵のボートに憧れていた未熟な私に伝えたい。

 おあいにくさま。その約束は果たされないけれど、心が震えるもっと良いこともそうでないこともあなたを待っていますよ。

 

2020年11月28日                            

 

 

* **

〈山本ふみこからひとこと〉

 2020年、いろいろなことがありました。

 等しく閉鎖的な苦しい時代を生きてきた、という意味で、皆さん、よくぞここまで、と肩を抱き合いたい気持ちです(そういうことこそ、かないませんが)。

 そんな時代のなかにあって、力を蓄えたひとを、わたしはそこここで見てきました。くりな桜子も、そのひとり。安定してたくさん綴り、たくさんの作品をものにしました。

 ご自身の道をずんずん進まれて……、わたしなんかはそのたおやかなる背中に向かって、「桜子さーん、ちょっとお待ちをー」と、頼りなく呼びかける始末です。

 呼びかけて、何を伝えたいかと云えば、これに尽きます。

「2021年も、作品を見せていただくのをたのしみに待っています」 ふ


なかんだの坂 永見まさこ(ナガミ・マサコ)

「なかんだの坂」は、くねくねと曲がった細くて急な坂道。

 家から数分のところにある。

 となり町の氷川神社へお参りしたあとで、よくこの坂を上って帰宅していました。坂の両側には家が立ち並んでいますが、なんとなくうら寂しい道です。大きなガレージに錆びた自転車。吹きだまりの枯れ葉。傾いて閉まらないままの塗装のはげた門扉。そこで生活する人の気配のない家が目につくのです。

 ある日のこと、いつもの道順と逆の行きかたで氷川神社へ行こうと思い、はじめて「なかんだの坂」を下りてみました。

 すると目に飛びこんできたのは、両側の家ではなく坂の下に広がる雑木林とその上の空の拡がりでした。同じ坂道なのに、上るのと下りるので印象がこんなに変わることに驚きました。急な坂を上るときは体の重心を前に傾けて歩くので、足元や左右の景色しか目に入っていなかったのです。

 

 とつぜん話は変わりますが、階下に三男一家が住むようになって、1年ほど経ちました。まったくの同居ではないけれど、これまで別々の生活をしていた子ども世帯とひとつ屋根の下で暮らすようになってから、25年前にわたしたち家族と住みはじめたころの父母の気持ちが、ふっとわかるような瞬間がしばしば訪れるようになりました。

 わたしの方ばかりがいろいろな場面で父母に気を遣い、その意に添うように譲っていて、両親はマイペースのままで気楽に暮らしている、とこれまでずっと思ってきました。けれど逆の立場、つまりあの頃の両親とおなじ立場になってみると、はじめて「なかんだの坂」を下りたときみたいに、ちがう景色がさーっと目のまえに広がってきたのです。

 父母は、わたしや夫や子どもたちのことを絶えず心配しながらも、その思いをことばに出すことはほとんどせずにいたのでしょう。娘であっても独立した別の世帯を切り盛りするわたしに、余計な口出しをせずに気をもみながらじっと見守り、わたしの足りない部分を陰でそっと補ってくれていたのだと思いいたりました。

 

2020年11月30日

* **

〈山本ふみこからひとこと〉

 上りと下りとでは、坂道の表情がまるで異なる、という発見は、ものを書くひと独特の観察です。もっと云えば、そこから、現在の暮らし、過去の暮らしに思いを馳せて描くということの意味深さを受けとめました。

 朗読をしてみてください。

 世界観の深まりを感じられるのではないでしょうか。こういうものが自然に書ける、といういまの有りようを味わっていただきたいと思います。 ふ


おしゃべりコンプレックス   リウ真紀子(リウ・マキコ)

 自宅で過ごす時間が長くなると、外で仕事していたときのようには会話しなくなる。パートのおばさんであっても、デスクワークして取引先や官公庁と電話応対をする時もあり、億劫ではあったけれど業務と割り切ると不思議となんとかそんな役割もこなしていたものだ。

 個人的なコミュニケーションのおしゃべりも実は苦手な自分は、つい仕事の時の口調に引きずられるように堅苦しい喋り方をして、話し相手をギョッとさせてしまうことがある。特に母は気のおけないおしゃべりを延々と楽しみたいのに、なんとこの長女の堅苦しいことよと私の言葉遣いを煙たがった。

「あなたはどうしてそんなに漢字の羅列のような熟語で喋るのだろうか?」

 と、何度も叱られた。

 日本中に柔らかなニュアンスの感じられる方言がある。母も古代の大和(やまと)言葉が紛れ込んでいるとも言われる南方の島の言葉で育ち、小学校時代には「標準語で話しましょう」という指導を受け、うっかり「シマグチ」で喋ると首から札をかけられて罰せられたりしたという。

 長女の喋る堅苦しい言葉に、そういう記憶が呼び覚まされるのかもしれない。さらに、テレビのアナウンサーの標準語が正しいと言い張って、両親の話し言葉の中のなまりや変わった語彙を見つけては指摘し直させようとする、自分はそんな嫌な子どもだった。さすがに、もうそんな粗探しはしていない。母を萎縮させて楽しいわけがない。

 

 自分が言葉遣いでハッとしたこともあった。仕事を頼まれる場面で、

「小林さん、……をしてくださらない?」

 女性の先輩からそう言われたときには、自分からは決して発することのない、丁寧な、女性ならではの言葉遣いに驚かされた。もっとも、今では女らしい言葉づかいをしようなどと言ったら時代遅れも甚だしいけれど。一方、流暢ではない英語を話さなければならない場面では、丁寧さも正確さも諦めて棚に上げ、きっと相手にとって幼児程度の英語のようだろうと思いながらも、開き直って喋ってきた。

 書き記されることなく交わしてきた膨大な話し言葉では、堅苦しすぎたり砕けすぎたり。恥ずかしいことを相当にやらかしたはずだ。済みませんでしたではとても事足りず、まことに相済まぬことであった、と古い言葉が思い浮かんだ瞬間にまた母の苦い顔が目に浮かぶ。

 

***

〈山本ふみこからひとこと〉

 ルウ真紀子に「ぬるま湯に浸かり続けるわけでなく」という作品が別にあって、そこにこういうくだりがあります。

「学生時代、自己実現を目指しましょうと、先生方から叱咤激励を受けた記憶がある。ふり返ると心理学者マズローの自己実現理論が影響していたのだろう。何をやりたいかがまだ見つからないのに、そう言われてしまうと情けなくなって、いっそのことゼロになりたいものだなあ、とぼうっとと思った大学図書館の窓辺が思い出される」

 ゼロになりたいって、なんだかいいなあと思ったことでした。

 過去の記憶は、あたらしい扉を開くとき、助けになることもあります。思いだして、整理して、忘れる、という意味でも、です。

 何かがはじまる予感……。新・ルウ真紀子に期待しています。 ふ


泣き虫とその娘  コヤマ・ホーモリ

「ままちゃん(私のこと)が泣いていると、小学生のとき、同級生が泣いているのをどうしたらいいのかわからなかったときの気持ちを思い出す」。

 泣きながら母の服を整理する私のそばで娘がいう。私だってどうしたらいいのかわからない。私が泣き虫なのは娘もわかりきっていることだが、今回ばかりはお手上げのようだ。

 9月、母が急逝した。心筋梗塞だった。介護が必要な状態ではあったがあまりに急だった。

 私が手をそえて持ったヤクルトをおいしい、おいしいと飲み、その直後、目の前で意識不明となり、そのままだった。

 夫はある意味、ピンピンコロリだという。友人はあっぱれな去り際だといってくれた。私も私なりにできることはやったよ、と自分をなぐさめる。 

 それでもさみしさやかなしさ、後悔が行ったり来たりする。そして、ふいに母があらわれ涙がこぼれる。食器を洗っているとき、ベッドで目をつむったとき、シャワーをあびているとき、電車に揺られているとき。そう、この虫は時と場所はお構いなし。家族に、電車の乗客に、悟られないよう、私は泣き虫と付き合い続けた。泣き虫と私がならんでしゃくりあげるのを知っているのは、飼い犬の小糸だけである。

 そうやって日々がすぎ、四十九日がやってきて、納骨した。墓前でまた涙ぐむ私を困った顔で見る娘。でも少し違う気分だよ、と心の中でつぶやく。もう仏さまになったのだからね。

 今日、母が着ていたスーツのジャケットをワイドパンツに合わせてみる。なかなかいい。名前の刺繡が入った仕立てのよいジャケットの袖をなでながら、颯爽としていた頃の母を思い出す。 

「かっこいいよね、お母さん。」と鏡越しに母に話しかける衣装持ちだった母の服をたくさん譲り受けた。

 この秋冬は娘と一緒に母の服を着まわそう。泣き虫はときどき顔を出すだろうが娘よ、あしからず。

 今日の私は泣き虫じゃない。

2020年11月6日  

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 前半部分の「私が手をそえて持ったヤクルトをおいしい、おいしいと飲み、」のくだり。

 こういう場面が随筆の肝となります。ていねいに、わかりやすく、描くことで、作品がくっと持ち上がります。

 コヤマさん、お母さまに向かって、ゆっくり朗読してくださいね。作品をつくる意味が、ご自分の胸のなかにひろがると思います。ふ


2020年11月公開の作品


喧嘩弁当   菊地みりん(キクチ・ミリン)

 スーパーマーケットで、焼きそばめんと目が合った。

 ソースが添付された、袋入りの蒸しめんだ。久しく買っていない。息子に、焼きそば弁当を拒絶されてしまったからだ。

 

 中学生の息子は毎日お弁当を持っていく。基本はご飯とおかずだ。けれど週に1回か2回、私が朝早く出かける日があり、その日は焼きそば弁当が定番になっていた。肉と野菜と炭水化物が一品で採れ、調理もフライパンひとつで済み、洗いものもたいへんに楽だった。

 でもある日、こう言われる。

「焼きそばのお弁当、飽きた。いやだ」

 出されたものはたいてい黙って食べる息子がめずらしく主張したので、聞き入れるしかなかった。忙しい朝の焼きそばは選択肢から外され、かわりにそぼろご飯やどんぶり物でしのいだ。だがいかんせん、どれも焼きそばほど楽ではないのだった。わたしは焼きそば弁当復活のゆるしが出るのを、心の隅で待ち望んでいた。

 

 もう、いいよね。

 そうしてこの日、思いきって焼きそばめんをカゴにいれた。数日後、気合いを入れて作った焼きそば弁当を、何食わぬ顔で息子に持たせた。弁当箱のふたに、ごめんね!と書いた付箋を貼りつけて。

 帰ってきた息子にさっそく訊いてみた。

「今日お弁当焼きそばだったけど、だいじょうぶだった?」

「うん、おいしかったよ」

 あっさりと言われて、ほっと胸をなでおろした。焼きそば弁当復活の試みは無事、成功したのだ。

 ところで、忙しい朝限定ではないけれど、さらに楽ちんな、試してみたい弁当がある。喧嘩弁当だ。

 テレビであるタレントが言っていた。高校生のとき、母親と喧嘩した次の日に弁当箱を開けたら、ご飯と梅干しだけがぎっしり詰まっていて仰天した、という。それを聞いてちらりと思ったのだ。息子の言動にカチンときたら、翌朝、喧嘩弁当にしたらどうだろう。弁当箱いちめんの白いご飯と、梅干し。まあ、ふりかけくらいはつけてもいいけれど。

 息子の反応をみてみたい。怒るだろうか、ママどうしちゃったんだろうと心配するだろうか。

そんな日は永久に来ない、という気もする。思春期とはいえ息子は穏やかなほうだ。わたしもまったく強気な母ではない。

 でも……、そんなふうに息子とたたかう日が来るのが、楽しみでもある。

 

2020年11月2日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

「そのとき」にしか書けない作品があるとしたら、「喧嘩弁当」はまさにそれですね。日常の大切な瞬間を切りとって、作品に仕立ててゆく。これは案外生きるよろこびに直結しています。

 そのとき、全部描こうとしないことが大切。

 登場人物、出来事の時系列、見たものすべてを書かずに、焦点を絞るのです。

 台所の奮闘に焦点を合わせた「喧嘩弁当」のテーマは、親子のやりとり。そのことががはっきりと伝わります。ふ


金色のチップ 鷹森ルー(タカモリ・ルー)

 思い出に残る「記憶」。

 私の中では古びた引き出しに1cm×1cmぐらいの小さな金のチップが入っていて、それが再生されると映像が10秒ほど流れる、そんなイメージだ。

 友人と一晩中遊んだことも、言葉を尽くして語り合った長い夜も、圧縮されて短いフィルムに残される。一方で、名も知らない人と言葉を交わした記憶も均しく金のチップに収められている。不思議なことに、ほんの一瞬の出会いがより光を放っていたりする。

 

 ひとつ目の金のチップ。

 新春歌舞伎の初日、お仲間と連れ立ってのご婦人が多い中、1人というのはちょっと気後れしていた。隣の席には70代ぐらいの男性が1人。特別におめかしをしたふうでもなく、正月にふらっといつもの格好でそのまま来たという、力の抜きようがかえって粋に思えた。ひとりだからこそ、ひとりの人の存在に気がつくこともある。

 舞台が終わり、「よかったですね」と声をかけてみた。すると一言「おじいさんの團十郎によう似てるわ」と。歌舞伎見物の大先輩である。

 またある時は、英国人の老人と隣り合わせに。  

「この舞台はすべて男の人なんだね!あの女の人も男だなんて!」

 と興奮気味に英語で話しかけてきた。

(うん、うん、すごいよなぁ!)

 と感動を分かち合った。

(英語が全くしゃべれなくても気持ちは通じるのだ)

 他にも……数々の南座での一期一会。そこで出会った人たちも舞台の思い出の一つとなっている。

 

 夏の日の金のチップ。

 茶室建築の講演会の会場。建築関係の人が多い中、真夏にフリースの上着をひっかけ、足元はゴム草履。白髪の無精ひげに、分厚い眼鏡をかけたヨボヨボの老人に釘付けになった。職人のようなゴツゴツした手。興味深い内容の講演が終わり、パッと目があった私に向かって老人は「ニッ!」と笑った。その笑顔は絶対にこう言っていた!

(めっちゃ、よかったな!今の茶室の話なっ!君もそうやろ、)

 その瞬間、私たちは宝石を盗んだ怪盗団みたいに、甲子園に出場を決めた高校球児のように、分かり合い分かち合った。

 

 男子校の図書館での金のチップ。高校3年生が受験シーズンになると赤本を借りにくる。そこで司書として働いている私は、エールを込めて漫画「スラムダンク」の名場面『希望を失っちゃいかん。ここで諦めては、試合終了ですよ』の一コマをコピーして、赤本の棚にこっそり隠しておいた。

 コロナでほとんどの生徒が学校に来なくなっていたけれど、たった一人、体育祭実行委員長だったゲジゲシ眉毛の男の子だけが来ていた。日々、黙々と勉強していた彼が、ある日、こっちを見てそれはうれしそうに「にっ!」と笑った。

(スラムダンクをみつけたな)。

(スラムダンク、見つけたよ!)

 の笑顔だったと思う。数日後、いつもとは違う卒業式を迎え、そのまま会うことはなかったけれど、後に彼が京都大学に合格したと聞いた。

 

 ぐるぐると回る地球の上で起こる「幸運のニアミス」。それが私の人生にこつんと音を立て金のチップを落としてくれる。これから先もそんな輝く奇跡に出会えますように。 

 もし、私が誰かの心の中に、金のチップを落とすことがあったとしたら……それはそれで本当に素敵なことだと思っている。

 

2020年10月19日

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 記憶に「金のチップ」と名づけたこと。

 まず、これがすごい。

 作家に「金のチップ」と名づけられ、そういう尊い場を与えられた思い出たちが、踊りだしました。

 なんでもないように見えていて、じつはそれがなんでもなくはない、ということに気がつくところから、創作ははじまります。

 このたび、筆名をもって海に漕ぎだした「鷹森ルー」の今後がたのしみです。ふ


ビスケット 寺井 融(テライ・トオル)

 あれは、カザフスタンのアルマトイから中国・新疆ウイグル自治区へ、国境越えのことである。

時は5月2日。晴れの日だった。

シルクロードツアー(イスタンブールから西安へ)客を乗せたバスが、カザフ側出入国事務所の手前で停まる。

「申し訳ありませんが、これから先は進めません。中国側の事務所が、臨時休業だそうで、近くの町まで引き返します」

と、添乗員氏。

「本当に臨時かなあ。前からメーデー翌日は休業、と決まっていたんでないの」

 ツアー参加メンバーの疑念は、尽きない。

「アルマトイまでは戻りません。この近くの小さな町です。でも、そこにもホテルはありますよ。ただ、ランチは、午後3時過ぎになるかもしれませんね」

中央アジア4カ国を通り抜けてきて、「今日から、料理が変わる」と、本格中華を期待してきたのだ。引き返し車中、20名のツアー客は誰も喋らない。それにしても、お腹が空いてきたなあ! 

そうだ、あれの出番だ。

タシケント(ウズクベスタン)から棚に積んでおいた大袋を取り出す。ビスケットが2キロ。代金はいくらであったかは忘れた。非常食用として買い込んでおいた。もともとイスラム圏に行くから、食べものに苦労するかもしれないと思い(当方にはバクダットで苦労した経験がある)、日本からラーメン、おかゆ、カレーライスほか、インスタント食品を大量に買い込み、その袋に入れて運んできた。

案の定、固いパンにコーヒー、スライスした生タマネギやトマト、それにキュウリとヨーグルトといった食事が続くと、食が進まなくなる。ときどき、わが部屋でミニパーテイを開き、仲間たちに振舞ったりしてきた。袋が、だんだん小さくなってくる。そこで、ビスケットを補充しておいたのだ。

20数名で分けると、一人3、4枚となったか。小腹が空いていたので、みんなに喜ばれる。非常食を用意していなかった添乗員氏は、冷たい視線にさらされていた。それより前日に日程を確認しておかなかった方が、問題なのだが……。

緊急宿泊ホテルは、ビジネスホテル風の作り。ポターがいなく、エレベーターもない。3階まで重い旅行鞄を運ぶ羽目となったのは、腹立たしかった。しかし、バスの中で寝ることを思えば、それなりに快適だったとも言える。

遅い昼食後(午後4時頃)、町の中を散策する。児童公園のようなところに、レーニン像が建っていた。ソ連邦が瓦解したはずだが、この町には報せが届いていなかったのかな。市場に行って見ると肉、魚、野菜が売られていたけれど、種類も量も少ない。それに、タシケントのように「日本人か」とも訊ねられなかった。 

お隣は、中国である。漢族と間違えられた? 

新疆ウイグル自治区と言っても、ウイグル族より漢族のほうが多い。ウイグル族ら諸民族が多く住む伊寧(イーニン)泊の日程が、カットされた。同市は旧東トルキスタン共和国の中心都市。中央政府への反抗で、有名なところである。

 

20201023

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 エッセイ講座の仲間とともに、寺井融せんせいの案内で東アジア旅行をしてみたいものだなあ、と夢見ています。

本作は、まるでそれがかなったかのような錯覚に陥らせてくれます。

読書は、それを書いた人物との出会い、作家との交流です。

「ビスケット」を味わいながら、ああ、「読む」とはなんと創造的な営みだろうかと、あらためて思わされたことです。 ふ


エサ  小柳一郎(コヤナギ・イチロウ)

 孫の両親はカエル、トカゲ、昆虫などが大の苦手である。親が怖がると、子はそれを見て、怖いものだと学習する。孫が虫嫌いになるのは、祖父としては納得出来ない。

 親から見れば、大きなお世話かもしれないが、出来るだけ屋外で生物と接するように遊ばせている。その甲斐あって孫はセミ、カマキリ、カエル、トカゲなど、たいていの生き物は素手で触れるようになった。

 あぜ道でカエルを捕まえたとき、「カエルのあかちゃんは居るの?」と質問され、そうか、それなら卵から飼おう、と思った。

 ヌルヌルの卵のかたまりを採取して、水槽に入れておいたところ、たくさんのオタマジャクシが孵化した。

「エサは?」

 ゴハンのつぶ、カツオブシなど、いろいろ試してみた。しかし足が出てカエルになる数が少なく、大きく育たないのである。

 次の年、井の頭自然文化園の飼育係に聞きに行くことにした。アポなしで行ったのにもかかわらず、30分も説明してくれた上、エサやりを見せてくれた。

 結論は煮野菜と生餌(いきえ)が必要だったのである。「エサ」がいかに大切だったか判った。

 面白かったのは、エサのコーロギをピンセットで挟みカエルたちの前に出すとき。つぶらな目をして一斉に口を開けるのである。何ともカワイイ。ニホンアマガエルは飼育化では10年も生きるとのこと。自然界では、鳥やヘビなどの天敵がいるし、エサ不足でそんなに長生きは出来ないそうだが。

 文化園でも新しい生き物を飼育するときは人工飼料などいろいろ試して、エサやりを確立するという。

 

 今の季節(春)、毛虫をはじめいろいろな生き物が地面を歩いている。

「これも、つかまえる」

 と孫が言うたびつかまえて、ゲージに入れ、食べそうな葉を入れて試している。翌日、食べた跡があると、大喜びだ。

 孫は自分の食べたお菓子、果物、何でも入れ、お試しを楽しんでいる。

 それを見ているジーさんは、もっと楽しませてもらっています。

 

 2020年6月12日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 虫好きには、たまらないエッセイです。

 カエル、トカゲのみならず、わたしはじつはヘビも好き……。

 お孫さんたちを虫好きにしてくださり、ありがとうございます、と申し上げたい気持ちになりました。

(興奮をおさえ)さて、本作。

 後半、突如として「である調」から「です・ます調」に変わりました。

「である調」で書いてきて、途中、ポッと「です・ます調」の1行を置くという手法をおすすめすることもあります。これが強調のはたらきをすることがあるからです。

(その昔学校で、「である調」か「です・ます調」か、どちらかに統一!とおそわったでしょうけれども……)。

 何にしても、ひとつ文章のなかで意味なく変わるのは、うまくありません。それで、「エサ」は結びの1行だけ、「です・ます調」を残してみました。 ふ


2020年10月公開の作品


もらい「うっかり」 しちせ典子(シチセ・ノリコ)

 うっかりしてしまうことは、日常的に、しょっ中だ。

 困るのは、旅に出たときに、「うっかり」に出合うことだ。自分が気をつけていても、周囲の誰かが「うっかり」すると巻き込まれてしまうこともある。

 

 2年前にインドへ行ったときは驚いた。

 ホテルに荷物を置いて、ガンジス川へ向かった。その日はヒンドゥ教のお祭りの前夜祭で、混雑が予想された。そのためバスで途中まで行き、そこからサイクルリクシャーという自転車のような乗り物に2人ずつ乗って、祭りのある河岸近くまで行き、歩いて祭りの桟敷席へ。

 あまりにも人混みで、どんな所へ通っているのか、街並みも景色も全くわからず、ただ前を行く我がグループを見失わないように、リクシャーに同乗した人と、しっかり腕を組んで、必死に歩いた。しかし、腕を組んでいる2人の間も人に通って行かれそうで、油断できなかった。

 これ程多くの人混みを見たことはなく、以前、上野の花見の人の多さに驚いたことがあったが、比較にならない程の人混みで、さすがインドは、日本の10

倍の人口と実感した。

 桟敷席でヒンドゥ教の祭りを見て、早めに帰ることになり、来るときに乗ったリクシャー乗り場へ。バスに乗り全員が揃うのを待った。が、1組のご夫婦が戻らなかった。

 関係者の人たちは、捜しに走った。1時間あまり経って、やっとバスに戻った。聞くところによると、リクシャーを運転した若者が「うっかり」勘違いして、ホテルへ行ってしまったようだ。

 この人混みの中、どうやって見つけてもらったのか聞くと、「日本の旅行社の旗を立てて走るバイクを見て、手を振って見つけてもらった」そうだ。

「一時はどうなるかと思った」

 と奥様は涙ぐんでおられた。

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 旅のエッセイには憧れます。

 書きたいなあと思って、書くこともあるわけですが、これがむずかしいのです。つい、読者に向かって告げなくてよいことまで表して、ごたつきます。

「しちせ典子」の「もらい『うっかり』」は、いいですね。これを読みましたら、自分がインドへ行ったかのように誰かにはなしができそうでしょう?

「インドは大変な人混みでね、油断できません」

 なんてね。 ふ


コンプレックスが愛おしい   岩橋土菜(イワハシ・トナ)

 人間ドックのはなしを聞いていただく季節となりました。

 今回は血液検査で引っかかったのです。

 白血球が、規定水準を、ややではあるが下回っていることが、黒字の多い結果報告書のなか、赤い文字が語っています。

 昨年と比べると、数値がかなり下がっています。

 ドッグ担当医師から、「翌日、翌々日にまで疲労がのこるような運動は、なるべく避けてください」と注意を受けました。

 

 わたしの運動と言えば、スイミングです。

 だるいのはこのせいだったのか。

 夏バテが、とうとう私にもきたな……。

 歳には勝てないな……。

 と、かってに結論を出していたが、そうではなかったようです。

 白血球が下がるほど、無理をしながら泳いでいたのです。

「自粛」の埋め合わせに、週3で毎回2キロ以上泳いでいました。

 真夏の睡眠不足もいけなかったようです。

 医師の言う、疲労の蓄積で白血球が口を「へ」の字で怒っていたのです。

「ゴーツートラベル」にも「ゴーツーイート」にも二の足を踏む私は、飲食屋さんの前を通るのもはばかられて、未だ、お籠り生活なのに、新たな生活改善を迫られているのです。

 筆者のいくつかある短所のひとつに、飽き性で、すぐに投げ出すというのがあるのですが、最近は、できあがった生活形態を崩したくないという執着心が出てきて、途中で投げ出すことができなくなり、結果、いつしか物ごとが長続きするようになっていました。

 

 スイミングも、今夏11年目にはいりました。

 飽きっぽさも影をひそめた昨今、自分の体力も顧みず、日傘も役にたたない炎天下、片道2キロの道のりを歩いて通っていました。

 しかし、黄信号がでたのだから、知らん顔するわけにもいかず、泣く泣く、プールは週2に減らしました。

 むろん、往復はバスとなりました。

 かかりつけ医からは、免疫力を上げる漢方薬も処方されました。

 すると、からだはずいぶん楽になったのですが……。

 昔、根気のなさがコンプレックスだった当時、面倒になると、さっさと手を引く、あの頃の気楽さが愛おしく思えるのです。

                   

 2020年10月6日 

 

* ****

〈山本ふみこからひとこと〉

 新型コロナウィルス対策のさなかでも、人間ドッグを受けて、自分の「いま」をみつめる。できるようで、なかなかできるものじゃない……と思うのです。

 そうです、見習わなくちゃ、と思うわたしです。

 見習いたいのはそればかりではありません。

  検査結果をうまいこと作品にしているところにも感心させられます。身のまわりに起こったことを綴る——こうしたなりゆきを自然につくって成立させている作家のなかには、覚悟があります。

 よし、これも書いておこう、という。

 自身を観察する視点は、読者に受け容れられることでしょう。かつてのコンプレックスまで、なつかしくも愛おしく受けとめてしまうとは! ふ


好きな店   吉田 剛(ヨシダ・ツヨシ)

 コロナ騒動のおかげで全国民に給付が決まった10万円が振り込まれた。

 特に欲しいものも無いし旅行に行くつもりもない。このお金で好きな料理を食べて、客が入らず苦戦している飲食店を応援するのがよさそうだ。

 寿司、天ぷら、中華料理といろいろあるが、まずは大好物の鰻(うなぎ)である。

 家の近くの老舗で月に一、二度、鰻を食べるのが年金生活者のささやかな贅沢だ。現役のころ、鰻は大きな仕事が取れたとか、プロジェクトが上手くいったとか、特別の日に食べる楽しみだった。

 店に入り、鰻を焼く香ばしい匂いを嗅いだだけで猛然と食欲がわいてくる。やがて、運ばれてきた鰻重の蓋をとると、こんがりときつね色に焼かれ、秘伝のたれに濡れて光る鰻がご飯の上に並んでいる。ふんわり立ちのぼる香りがたまらない。箸を取って手前の鰻を切り取り、たれのしみこんだご飯と一緒に口に入れる。柔らかく崩れる甘辛い鰻にご飯がからんで、とろけるような美味しさだ。肝吸いを飲みながらぐいぐい食べると、重箱はすぐ空になってしまう。  

 この間、10分ほどの至福の時間だ。職人肌の無口な店主が切り盛りしている小さな店だが、これからも頻繁に世話になるだろう。

 

 日本人なら誰でも鰻が好きと思うのは大間違い、嫌いな人が結構いる。私も子供の時は鰻が食べられなかった。父は鰻が好きでよく家族を鰻屋へ連れていった。両親と姉は鰻丼だったが、私は特別に玉子丼を作ってもらって食べていた。

「鰻屋で玉子丼とは情けない奴だ」

 父は鰻丼を美味そうにかき込みながら、不肖の息子をあきれたように眺めていた。小学生のころである。

 鰻を食べるようになったのは高校生になってからだ。

 

 鰻といえばもう1軒、父の郷里佐賀県の唐津に「竹屋」という店がある。大学に入った年、合格報告の墓参りに唐津を訪れたとき、初めて「竹屋」に行った。古い木造2階建ての堂々とした日本建築、文化財のような風格のある店構えである。明治時代創業の老舗で、女将さんは父の小学校の同級生だそうだ。

「実さんの息子さんですか、似てますねえ」

 一緒だった従兄弟が父の名前を言って私を紹介すると、人のよさそうな女将さんは、驚いたような笑顔で歓迎してくれた。父も祖父も、父の兄弟姉妹もよく通った店だったのだ。

 この店は、2階に四部屋ある床の間付の座敷で食べさせてくれる。料亭のような落ち着いた雰囲気がいい。蒲焼は関西風で蒸さず、少し硬いのを食べやすく切り分けて出す。東京の柔らかく蒸した蒲焼とは違う味わいの鰻を初めて食べた。美味しい。

 帰って父に「竹屋」に行って女将さんにも会ってきた、と報告すると懐かしそうにいろいろと訊いてきた。鰻が嫌いだった息子が大人になって、故郷の贔屓(ひいき)の店で食べてきたのが嬉しいようだった。

 それ以来、唐津を訪れると「竹屋」に行くようになった。父や親戚の人達の想い出が染みついた古い座敷で食べていると、蒲焼も他の店とは一味違うような気がする。

 東京であれば10万円を握りしめて毎週でも通いたい店だ。

 

2020年7月11日

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 おいしそうですね。

 鰻好きのわたしは、たまらない気持ちになりました。この作品のにほひでご飯が食べられそうです。

 さて本作は、思い出話です。

 こういうものを綴る際、調味をまちがうと、鼻もちならぬものが出来上がります。薄味を心がけて書き進めるのがよいでしょうね。

 その点、吉田剛の「好きな店」は、鰻のにほひもさることながら、お父上の心情も伝わり、思い出話にたのしくつき合うことのできる作品です。 ふ


はははんらん  かけはし岸子(カケハシ・キシコ)

 じりじり、暑い日だった。赤ん坊くらいの大きさがある西瓜を抱えて、父が帰ってきた。

 たいやきとフナの甘露煮が好きだった祖父。着物をきてタバコを吸っていた祖母。まだ若くパーマを当てていた母。ボーッとした幼稚園児の妹。そして、生意気ざかりの小学生のわたし。

 みなでじっと見てから、口々に言った。

 こんなに大きいなんて、中は空洞なんじゃないか。薄味に決まっている。甘いわけがない。冷蔵庫に入らないよ。どうやって冷やすのか……。

 それを聞いて怒った父は、お風呂に水を張り、ざぶんと西瓜を沈めた。そうしてから、薄緑色の冷蔵庫をガタッと開けて、製氷機を取り出した。昔のそれは、アルミでできていて、氷が離れにくかった。パタパタする仕切りが、魚の骨を思わせる。

 父はそれを叩いたりつついたりして、やっとのことで氷を落とした。

 ちゃっぽん、ちゃっぽん。

 水の中で氷は飴玉よりも小さくなって、すぐ消えた。冷えた様子はない。

 それなのに、父はいくぶん満足した様子で

「みんなにきってやっからな」

 恩着せがましくいい放ち、西瓜を台所まで抱きかかえて運ぶと、まな板においた。

 西瓜はぐらぐらと小刻みに揺れていた。

 

 居間でテレビを見ながら、西瓜を待った。扇風機は高速で回り続け、なんども首をふった。

 テレビがつまらない。変えたくてもチャンネルを回すのを決めるのは祖父だ。仕方がないので、わたしは畳の目をなぞったり、掘りごたつにもぐったりして待った。

 そうしているうちに、台所の方で母が右往左往している気配がした。

「いやだ。てぇ、切っちゃった」

 手を切ったのは父だった。隠すように貼った絆創膏が赤く染まっていた。妹が「ひい」と叫んで、数秒遅れて「うぇーん」とまんがみたいに泣き出した。

 もう、西瓜どころではない。

 その後、みなで西瓜を食べたのか。中に空洞があったのか。甘かったのか。不思議と何も覚えていない。

 

 何十年後かの、夏。実家の近所の川が氾濫して、町中が水浸しになった。ニュースで町内が映ったのを見ても、なんだか現実味がない。慣れ親しんだ景色なのに、積み上げられた災害ごみが知らない町のように見せた。

 布団屋のおじさんは、家具全部に『持っていくべからず』という張り紙を貼りまくっていた。ななめ向かいのおとうさんは、家の前で半日も泥だらけの自分の家をただただ、見ていた。3軒向こうのおじいさんは、濡れなかった家具まで手当たり次第にゴミに出してしまっていた。

 父はといえば、流れていってしまった縁台や植木鉢を探して、夕方まであちこちふらふらしていた。

 

 そんなおとこたちに、何をいうわけでなく、おんなたちはせっせと働いた。

まず、泥まみれの床や家具をきれいにしなければ。

「水で汚されたものを、また水できれいにするなんてねえ」

といいながら、母は恐ろしいほどの素早さで水を撒き、ぞうきんで何度も何度も拭き、しぼり、また洗っては拭いた。

 

 わたしもかたづけを手伝いながら、なぜか時代も距離も遠い遠いナイル川の氾濫のことをおもった。どこの国でもどの時代でも。規模の違いはあっても、   

 人々は途方に暮れながら、同じように泥をよけ、かたづけ、なおしてきたのだろう。再生を信じて。

 家族の思い出やいつもの台所、小さな庭。あたりまえの日常を取り戻すために、母はがんばって動き続けた。

 わたしたちは団結して、表面だけでも明るくしようと(言葉でたしかめるようなことはなかったけれど)おのおのが心に決めた。

 その輪に父は入れなかった。相変わらずふらふらと出かけたかと思えば、手伝いにきた人が何か盗むんじゃないかといいだしたりした。母のやることなすことに文句をつけた。せっせと働く母の朗らかさが気にいらないようだった。

 そしてとうとう、保険調査員のシノハラさんにまで「たいしたことないから、帰ってくれ」といった。恥ずかしいものを見られた、というように照れ笑いまでして。

 畳も流されたし、床まで抜けたっていうのに、たいしたことないって何。たいしたことないって思いたいからって、現実をみないなんてずるい。わたしたちの再生を邪魔するなんて、許せない。それに万が一を考えて、水害保険をかけ続けていたのはおじいちゃんだ。死んだおじいちゃんに何ていうつもりだ。

 怒りは頂点に達し、わたしは父にペットボトルを投げつけ、母は初めて家をでた。

 ぽかんとしている父を、背中に感じながら。もう振り向かなかった。

 突然の家出だったので、母は小さなポシェットだけを抱えて、わたしの家にきた。ポシェットの中にはハンカチとティッシュ、そしてガラケーと呼ばれる携帯電話。

 父のところにはもう帰らなくていい、と思った。母がおとなしくて、反抗できない性格なのを知っていてずるい。弱いものいじめだ。やつあたりだ。西瓜さえ切れなかったくせに。

 それなのに、母は携帯電話を握りしめて、謝りの電話がかかってくるのを待っていた。

 自分から謝る父ではないことくらい、わかっているはずなのに。母の気持ちなど、すこしもわからないのだ。

 

 翌朝早くに、父の様子を見にいった地元に住む妹から報告が入る。

「お母さんはいないの?って、しらばっくれて聞いたら、お姉ちゃんのところに遊びにいったって言ったんだよ。すぐ帰ってくるってさ。まったく頭にきちゃう。

 それでね、おかしいの。おにぎり、作ってたんだよ。前の日に、お母さんが焼いたしゃけを入れてさ。え、おにぎりって言っても海苔なんて巻いてないよ。できるわけないじゃん。ポロッポロのおにぎりだったよ。4個も。ヤマザキ(パンまつり)のお皿にのせてた。ご飯、炊けたんだね。もしかして、初めての料理なんじゃない、おとうさんの」

 

 なんてばかなお父さん。

 母と笑いながら泣いた。

 そして、唐突にあの日の西瓜の味を思い出した。西瓜には大きな「ス」が入っていて、なんだかぽそぽそしていて、甘みは完全にぬけていた。

 ……そうだった。思い出した。笑いながら半月の西瓜をがみんなでぶがぶと食べたっけ。おおきな亀裂が入っていたし、おいしくなかったけど誰も文句は言わなかった。

 おじいちゃんもいて、おばあちゃんもまだ元気で。あれは、きらきらひかる楽しい夏だった。

 

 父の元に戻った母は父に対してすこし強くなり……いや、だいぶ強くなり。父に愚痴や文句を言ったりするようになった。

 そんな母にやり込められて、いい返しもせず黙ってしまう父は、まるで小さなおとこのこみたいだ。それからなんだかんだあったけど、やっと保険もおりて家を建てなおせることになった。

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 ここ何年か、立ち上がろうとし、扉を開けようとし、古いものと対決しようとする作家かけはし岸子を見てきました。

 立ち上がってはまた腰を下ろし、開けかけた扉をぱたんと閉め、出先からそーっと帰ってくることもあったようなのです。

 でもとうとうはじまったなあ、と思います。 ふ


2020年9月公開の作品


なんでもあり。いいじゃないか。 西野そら(ニシノ・ソラ)

 25年まえのクリスマスイブ、長女が1歳半という年に現在の住まいへ越した。

 当時の引っ越しを思い出すと今でも恥ずかしくなる。

 当日までには梱包を終わらせておくように。

 引っ越し業者からは、こう念を押された。けれど幼子がいる。集中して梱包してばかりはいられない。というより、面倒なことを先送りにしたのが本当のところでございます。引っ越し前夜になっても梱包されないものがしこたま残っていた。それだというのに。積み重なった段ボールを見上げてひらめいてしまった。

 これを引っ越し屋さんがトラックへ運んでいる間に、残りを梱包すれば間に合うはず。

 このひらめきを信じたわたしは梱包途中で布団に潜ってしまうのだ。もちろんひらめきなんぞではなしに、物事を都合よく判断しただけだから、そのツケは回ってくる。

 引っ越しの作業員はプロ。家具を分解したり、組み立てたり、荷物を運んだりするのに、暑さ、寒さ、重さ、軽さなんぞ仕事の進捗にはさして影響しません。彼らは淡々とそしてスピディーに家の中の物たちをトラックへと移動し、あれよあれよという間に家をカラッポにしてしまうのです。

 結局、作業員のみなさんに手伝ってもらいながら梱包作業を終え、予定時間より遅れて、新居へ出発した次第。

 

 ことし、8月が終わるころに引っ越しをした。

 家の改築に数ヶ月かかるため、仮住まいへの引っ越しと、この間(かん)使わない物と仮住まいへは持っていけない家具や衣類を置いておくための部屋への引越しと。

 25年前のあの教訓を活かす時が巡ってきたわけだ。

「梱包は前日までに終わらせる」

「あれよあれよという間に家はカラッポになる」

 胸のうちで何度も何度も自分に言い聞かせて、いくつもいくつも梱包してゆきましたとも。

 引っ越し当日。

 午前9時に始まった引っ越し作業が終わったのは、なんとなんと午後8時。相変わらず引っ越しの作業員はプロであった。引っ越しの終盤は物置部屋へ運ぶ書籍やレコード、CDがはいった重たい段ボール。彼らはこれを2つ重ねて運ぶ。

「そんなことしたら、明日が大変ですよ」

 頓珍漢なわたしの言葉に「大丈夫っす」苦笑いで応えてくれるプロたち。やさしいじゃないか。

 考えてみたら25年前の引っ越しは、若い夫婦ふたりと幼子の3人暮らし。部屋も狭い。今よりはそうとう物が少なかったのだなあ。

 普段から物を持ち過ぎないようにしてきた。が、家族が4人にとなり、同じところに25年も住み続ければ、それなりに物は増えている。積み上がってゆく段ボールの数に自分のうちのことながら驚いた。

 引っ越すひとがいたら、あの失敗談と合わせて話そうじゃないか。「梱包は前日までに終わらせたほうがいいよ」と。けれど、「あれよあれよという間に家はカラッポになる」これはやめておく。

 この度の引越しで何より心配したのはこれだもの。

「この家はカラッポになるだろうか」

 

 経験から学ぶ。これは経験を活かすという意味に捉えがちだけれど、実は活かせることが少ないことを大人になるほどにわかってくる。この度の引っ越しを終えて、経験から学べるのは、乱暴に言えば「なんでもあり得るを知ること」のように思えてきた。

 

 

2020年9月13日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 引越しのさなか、これを書きあげる集中力をまず、讃えたいと思います。

 書いておきたい、というつよい意志が伝わります。

「この瞬間」、「いまのいま」を書き残したいというときは、書いておきましょう。作品として完成させるのはあとのことにして、ともかく、書きつけておくのです。

 作品のタネも、書こうとした企ても思いも、足が速い。目の前を駆け抜けて去ってゆきます。

 さて本作の結び、ほんとうだなあ、としみじみ共感しました。

 やさしい気持ちで「なんでもあり得る」を受けとめたいなあ、と。 ふ


遠い時間の向こう 永見まさこ(ナガミ・マサコ)

「あんな怒りかたをするなんて、ひど過ぎるよ。このままじゃあS君がかわいそう」

「このまま知らんふりなんていやだから、先生にわたしたちの気持ちを言おうか」

「先生に言うっていっても……。いったいだれが?」

「あしたの学級会で、みんなで発言するのはどうかな」

「それがいいね。ひとりずつ言うことを決めて、みんなで順番に伝えよう!」

 6年2組の子どもたちが担任のカイガラ先生(仮名)のことをこんなふうに真顔で話し合ったのは、1965年、今から55年も前のことです。

 

 担任のカイガラ先生は黒板の字も読みやすく授業もわかりやすいです。そして、とてもおもしろい。

 ある日、こんなことがありました。

 I 君が、空き地に捨てられていた5匹の子犬を段ボール箱ごと学校に持ってきました。

「みんなで飼い主を捜すから、それまで学校で飼いたい」

 そうI 君が先生に頼むと、あっさり許してくれました。まさか、教室のなかで子犬を飼うなんて、びっくりしました。授業中でもキュンキュン鳴くし、よちよち歩いて床の上のあちこちで糞をするし……。それでもみんなで世話をして2週間足らずで5匹ぜんぶに飼い主がみつかりました。最後の1匹がいなくなると、教室のなかがしーんとして広くなりました。

 そんなふうに心の大きな先生ですが、わたしたち生徒からみて困ったことがふたつありました。まずひとつは、自習がとても多いこと。

「急用ができたので、自習をしておくように」

「具合が悪くて保健室で休むから自習にします」

 多いときは1週間に何時間も自習となり、最初は喜んでいたみんなも「えーっ、また?」と思い始めたのです。そのくせ授業しなかったところも含めて、『整理と応用』という問題集を何10ページもまとめて宿題に出すものだから、たまりません。

 それからもうひとつ、ひいきしている子とそうでない子とで、叱りかた、ちょっかいの掛けかたがぜんぜん違うのです。ある事件がおこって、それが決定的となりました。

 事件は、H君とS君が授業が始まるまえにふざけていたときに起こりました。H君はカイガラ先生のひいきで、S君はちがいます。サインペンを持っていたS君の手が、すぐそばで笑いながら2人をからかっていた先生にあたって、 ワイシャツの胸に1センチくらいの赤い線が付いたのです。

「ごめんなさい」

 S君のごめんなさいが聞こえたその瞬間、「バシッ!」というおおきな音がしました。ふっ飛んでしまうような勢いでびんたされたS君のほっぺたは、みるみるうちに耳まで真っ赤になっていきました。

「もし先生のワイシャツにサインペンを付けたのがH君だったら、同じように叱られただろうか?」
 だれも口に出さなかったけれど、同じ疑問がみんなの胸に広がりました。そしてこの日のことだけでなく、前々から先生に直してほしかったことも、お願いしよう、と誰かが言い出したのです。どうしても先生に言いたかったのは次の3つです。

「ごめんなさい」と謝っていたS君にあんなに強くびんたするのはひど過ぎること。えこひいきしないでほしいこと。自習ばかりでなくもっと勉強を教えてほしいこと。

 学級会で意見をいう順番などを相談しそれぞれの家に帰っても、翌日への決意を胸に秘めているせいか緊張と興奮が続いていました。

 

 翌日の学級会での談判は……、かないませんでした。

 S君の身におこったこと、クラスの子どもたちが決めた学級会の計画が、あっという間に親たちの耳に入ったからです。

 どうやら親たちは電話のやりとりをくり返しながら相談しあったのでした。その結果、「あしたの学級会では先生に対する発言はいっさいしないように」と、それぞれの親から厳しく言われ、みんながそれに従ったのです。

 親同士それぞれの考えかたに違いはあっても、先生と子どもたちが対決するような場面を作ってはいけない、というところで意見が一致したのでしょう。

 その後、カイガラ先生や校長先生たちと親たちの話し合いが何回かあったようです。その最中もそのあとも、わたしたちは学校に通い、いつもと変わらない毎日を過ごしました。カイガラ先生が学校を辞めることもなかったし、S君も卒業するまで元気に登校しました。今までとはっきり変わったことはといえば、自習がまったく無くなったことでしょうか。先生が嫌いなわけでも、辞めてほしいと思ったわけでもなかったから、先生とのわだかまりみたいなものは残りませんでした。

 

 新型コロナウイルスの蔓延で休校が続いているいま、窓越しにみえる景色から登下校のランドセル姿が消えました。物足りなさに、ぼんやりと外をながめていたら、「どうしたら先生にわかってもらえるかしら」と、夢中で話しながら歩く小学生たちの背中でゆれるランドセルが、遠い時間のむこうから浮かんできたのでした。

 

2020年5月10日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉
 思い出のなかにも、目の前で起きている現実にも、どう扱ったらよいか迷うような事柄が少なくありません。

「遠い時間のむこう」にも、そんなむずかしさがあります。

 永見まさこは、書くことによって問題を読者と共有することを選んだことになります。いろいろな見方、考え方が、ここからひろがってゆきます。

 こういうとき、結論を急がず、ことの次第を決めつけずに綴ると、読後の感想のひろがりがゆるやかになるように思います。

 学校もせんせいも大人も子どもも、ひとつところに留まらず、変わってゆける、もっと言えば進歩してゆける存在なのだというのが、読者としてのわたしの感想です。

 本作に作家の挑戦を感じ、拍手したいと思います。 ふ 

 


壁の花 福村好美(フクムラ・ヨシミ)

 大手コンビニがバウムクーヘン百七十万個以上を回収するという。

 製品の一部にカビが生えていたとのことで、環境には十分な配慮がされている菓子製造所・流通機構であったとしても、完全にはカビ発生を抑制できないのだろう。

 以前見たテレビ番組で、老舗の味噌専門店店主が、インタビューに答えて、「我々の業界は、カビとの戦いです」と言っていた。

 味噌はもともと米・麦・大豆などの穀物を麹(コウジ)カビで発酵させて作られるものの、状況によっては青カビ・黒カビが繁殖し、輻輳(ふくそう)する味噌の中を垣間見る気がする。

 雨が降り続き、蒸し暑い日が続くと、食料品だけでなく木の家具の目立たないところ、あるいはタイルの目地などにも黒カビがはびこるようになる。木造家屋でもアルミサッシなどの機密性の高い設備により、室内の湿気・結露と、養分を含んだ浮遊物などによりカビができやすくなる。

 わが家の白い壁紙も、日常生活空間の中にあるため、黒い汚れはいつも目につき気にかかる。使い古しの歯ブラシでこすりアルコールなどで拭くと、ある程度は除去できるものの、壁紙には色むらができ、2日も雨の日が続くとまた黒ずんできてがっかりする。

 拭いてはまたカビができと繰り返しているうちに、雨がやみ夏の日差しが戻ると、カビの繁殖はすっかり止まる。人の力が及ばない陽の光の偉大さにあらためて感心する。

 

 しつこく壁に染み付いたカビに四苦八苦していたときのことだ。

 学生時代に一度だけ参加した社交ダンスを思い出した。新入生の頃に半年ほど活動した大学のスポーツ系の同好会仲間に、他の同好会主催の学生向け社交ダンスパーティを紹介されたのである。

 出身高校では、生徒会が昼休みに体育館で主催するフォークダンスが年に数回開催されていて、オクラホマミキサーとかマイムマイムなどを踊った経験があった。このため、社交ダンスも行けばすぐに慣れるだろうと、ジルバ、ワルツ、ルンバなどの基本ステップを経験者から教えてもらい、「あとは実践あるのみ」という友人の言葉を頼りにパーティー会場に向かった。

 

 結局、ステップに自信がなくパートナをリードしターンするなどできそうもないと、一度も踊ることなく、最後まで壁際にくすぶり続けることとなった。

 お化粧をし、美しく着飾った女性の場合は同じ壁際でも「壁の花」となり、その場にいるだけでも華やかな雰囲気を醸し出す一方、こちらは「壁のシミ」。

 こうなると麹に紛れ込んだ黒カビのようで、取り除かれるべき厄介者の気分が増してくる。

 人並み外れた度胸を持ち合わせていない男がなにかを楽しむためには、事前に入念な準備が必要なのだと思い知る。

 

2020年9月2日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 このエッセイのテーマ(課題)は「カタカナ」。

 どこがカタカナなのだろうと思って読んだら、壁の「シミ」でしたね。テーマなんか、この程度のつかまえ方でいいのです。

 読者をくすり、と笑わせる作品が誕生しました。

 書き手のお仲間の皆さんからも、歓声が上がっていることでしょう。

 さて、ここで漢字のはなしをさせていただきましょう。

 原稿のなかに漢字が多くなると、誌面が黒っぽくなります。黒っぽくなり過ぎますと、読みにくくなりますから、ところどころ漢字を「ひらく」(=ひらがなにする)こととします。

 本作を例にしますと、老舗、味噌、輻輳、醸すなどをひらくのか、と考えがちです。ひらいたってかまわないのですが、これらは作品を支える大事なことばですから、ひらかないでおく。ひらかず、輻輳などというむずかしい漢字にはルビ(=ふりがな)をふりましょう。

 ひらくのは、じゅうぶん(十分)、つづく(続く)、くり返す(繰り返す)、もどる(戻る)などです。

 けれど、これにしても決めるのは筆者自身です。

 ご参考までに。 ふ


「とんかつはお好きですか」 コヤマホーモリ(コヤマ・ホーモリ)

 とんかつはお好きですか。

 1年ほど前でしょうか。私は自分が、とんかつが好物だということにはたと気づきました。とんかつを意識したことがなかったので、その事実に驚いたのですが、なんだか嬉しくなってしまいました。好きなものを認識できた嬉しさといいましょうか。とてもいいことのように思えたのです。それからというもの、用事のついでにひとり気になるとんかつ屋にいそいそと出かけるようになりました。

 でもなぜとんかつなのか。思いをめぐらすと子供時代の幸せなおいしい記憶と結びついていました。

 私の家ではとんかつは買ってくるもの、店で食べるもので、母が揚げていた記憶はありません。そのことが刷り込まれていたのか、私もエビフライや天ぷらは揚げてもとんかつは揚げていないことをはじめて認識しました。

 買ってくるのは町一番の大きな肉屋で揚げてもらうニンニクスライス入りのロースかつ。熱々の揚げたてを包みから出したときの食欲をそそるいい匂いといったらもうたまりません! これはふたりの兄も大好物だったと時おり話題になるほどです。

 店で食べるときは近所の和食レストランでした。個室もあるちょっとした会食の時に出かけるような店で、私は決まってヒレかつを注文していました。複雑な味のデミグラスソースがかかっていて、珍しいその組み合わせが妙に好きだったのです。以来とんかつはヒレ派ですが、ロース派の夫となら交換しあって両方を味わうのがもっぱらの楽しみであります。それにしてももう一度食べたい! 今はなきあの懐かしい味と店の佇まいをしみじみと思い出し、とんかつへの愛が深まっていくのを感じます。

 短大の二年間、私は母方の叔母夫婦の家から学校に通っていました。料理上手な叔母のご飯はすべておいしく、叔母は出かける日でもいつも食事を用意してくれました。ほとんど外食をしない家でしたが、月に一度くらい、無口な叔父お気に入りの近所のとんかつ屋に3人で出かけました。一枚板のL字カウンターだけの店は厨房がすべて見渡せ、その清潔さ、料理人の無駄のない動き、衣を付ける際の独特のリズムにいつも見とれました。もちろん、とんかつも最高においしかった!

 とんかつ好きに気づいた後、原点ともいえるこの店に夫と連れ立って30年ぶりに出かけてみました。元の場所から近くへ移転していましたが健在で、今や人気店となっており、並ばなくてはなりませんでした。

 待ちに待ったヒレかつの味は……残念ながら思い描いていたものとは違っていました。息子さんかなあ、お弟子さんかなあ、忙しすぎるのかなあと料理人の顔をチラチラ見ながら、(こんなんだったかな?)と記憶をたぐりよせながら食べました。それでもこの店に再訪できたおかげで、叔父と叔母との少しぎこちない暮らしを懐かしみながら思い出の味を食すという、なんとも味わい深い夜となったのでした。

 先日、とんかつの話を仕事仲間との食事の席で話すと「実は私もとんかつ大好きなんです!」と目を輝かせるひとが2人あらわれたのです。とんかつ話でおおいに盛り上がり、その場で「とんかつ倶楽部」を発足させることとなりました。記念すべき倶楽部活動の第一回目は上野の名店へ。暖簾から屋号の字体から、食器に至るまですべてが好みにぴたりとはまる店で、ヒレかつからは清潔な誠実なおいしさがあふれていました。あまりにすばらしい一件目の選択にメンバー一同感無量。食べ終えた後はうちに場所を移し、ワイン片手にとんかつ談義に花を咲かせたのでした。

 

2019年1月29日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 おいしそうですね。

 とんかつが食べたくなりました(わたしは、ヒレかつにします)。

 おいしそうで、印象的な作品ですが、特筆すべきはタイトルです。

 タイトル、お見事です。

 せっかくの作品も、つまらないタイトルがついているせいで読まずに終わることが少なくありません。タイトルに惹かれて読むこともまた……。

 皆さんもどうか、魅力的なタイトルをつけてください。 ふ


2020年8月公開の作品


裸電球 きたまち丁子(キタマチ・チョウコ)

 次女が住む街へ行くのに、小田急線と世田谷線を利用する。

 帰りは、世田谷線「宮の坂」という駅から、1駅先の「山下」駅で降り、わたしは小田急線にのりかえる。

 

 山下駅を降りると小さな踏切があり、その踏切のそばに小さな八百屋さんがある。

 軒下にひとつ、裸電球がぶらさがっている。

 小田急線に乗るために、踏切を渡る時気がついて以来、気になって仕方なかった。

 ことしの夏のはじまりの、夕方だった。

 思い切って、お店の中にはいってみた。

 地産の新鮮な野菜がところせましとならんでいる。カボチャ、ズッキーニ、パプリカ、ゴーヤ、白ナス、カリフラワー……。

 野菜の元気な色や、ルッコラやバジルなどのフレッシュな香りに囲まれ、わたしの口元は、自然ほころぶ。

 

 そうして、店先にあった青いカゴを掲げ、どんどん野菜を詰める。

 

 レジでは30代とおぼしき男性が、野菜たちを手際よく袋に詰めてくれた。

 カリフラワーの硬い葉が袋を突き破りそうだ。

「カリフラワーの葉は取ってもらえますか」

「食べられますよ。美味しいですよ」

「そうですね、もったいないですよね」

 その夜、豚肉と一緒に炒めてみた。すこし苦くて、オイルとの相性もよく、美味であった。

 

 別な日。

「袋をひとつにしますか? ふたつに分けますか?」

 ときかれる。

「これから、ながいこと電車に揺られて帰るので、ひとつにまとめてください」

「野菜のことを考えると、ふたつにわけたほうが、野菜は痛まないですよ」

「ですよね。ふたつに分けてください」

 

 お兄さんは、最後に、

「遠くからありがとうございます」

 と言って送り出してくれた。

 

 八百屋さんに寄るときはいつも夕方。

 その小さな八百屋さんは、裸電球のあかりにぼんやり照らされ、ひっそりと佇む。

 目の前を2両編成の世田谷線がのんびりはしる。

 わたしはいつも夢の中にいるような気分になる。

 

 2020年8月8日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 読み手として、いい時間をいただきました。

 物語のようなエッセイ、「裸電球」。

 そうそう、ともにエッセイを研究する仲間のあいだで、ときどき、物語、小説、エッセイ、コラムほか……、いろいろな読み物の境界線とは何だろうか、ということが話題になります。

 ジャンルと分類の話です。

 わたしはジャンルと分類にはあまり関心がありません。

 自らのなかに溜まった何か、動きだした何か、ふと湧きだした何か、それはいろいろですが、すべて恩寵(おんちょう)、とわたしは受けとめています。

 こうして生まれでたものを、静かに客観的にみつめることで、執筆世界は深まってゆきます。


鳥の声、救急車のサイレン くりな桜子(クリナ・サクラコ)

 人にジロジロ見られるという経験がおありだろうか。

 7月のある平日の午後、新宿三丁目「無印良品」でのことだ。

 家で楽に着られる半袖ワンピースはあるかしら。紙のコーヒーフィルターも忘れずに買わなくちゃ。久しぶりの買い物に私はちょっと浮かれていた。

 レトルトのカレーや何種類ものお茶が並ぶ食品の通路を横切ろうとした時、二人組の女性がジロジロと私を見ていることに気がついた。

 なぜ?並んでいたレジに横入りした訳ではないし……。

 新型コロナウイルス感染症対策のため、ほとんどの大人がマスクをつけている。

 よくはわからないが30代後半と見受けられる二人。彼女たちの顔を真っ向から見る勇気もなく、逃げるようにその場から立ち去った。

 別の通路の洋服を見ていると、またあの二人がこちらを見ている。

「クリナ先生ですよね?」

「……」

「私たち日本語教室の……」

「もしかしてPさんとHさん?」

 彼女たちは、私が日本語ボランティアでオンライン授業を担当している韓国人の生徒だった!

 何という偶然。こんなこともあるのね。

 実際に教室で言葉を交わしたことのない生徒、たった2回オンラインで一緒に勉強しただけなのに、よくぞ声をかけてくれました。マスクをしているから顔だってよくわからなかったでしょう?

「はじめまして」

「ありがとう」

 胸が熱くなりました。

 

 次のオンライン授業で、思いがけない対面の話題で盛り上がったことは言うまでもない。

「今、先生のところから、鳥の声が聞こえました。いいですね」
「私はPさんの家のそばを救急車が通ったなと思っていました」

 パソコン越しの会話は続く。

 私は何だか不思議な気持ちだった。

 先週は思いがけず街で出会い、今は鳥の声や救急車のサイレンを共有している。

 同じ新宿の空の下。会う、話す、笑う。

 自分の人生には壮大な目的地というものはないけれど、こんなに温かい気持ちになれることが時おり生活の中に散りばめられているとしたら、それで十分ではないかしら。

 たとえ時々道順に迷ったり、間違えたとしても。

 そんなことを思わせてくれる夏の出来事。

 

2020年8月4日

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 このたびのエッセイ「鳥の声、救急車のサイレン」は、後半の「自分の人生には壮大な目的地というものはないけれど、こんなに温かい気持ちになれることが時おり生活の中に散りばめられているとしたら、それで十分ではないかしら」に向かって描かれています。

 この3行を生みだせる幸運と、作家の積み重ねを讃えたいと思います。 ふ

 


火焔太皷 いしいしげこ(イシイ・シゲコ)

ひっぱりだこ

 この間テレビで「日本の国宝び蔵出し」を日曜美術館(NHK)で観る。何度か見た事のある、俵屋宗達の風神・雷神の屏風絵に心ひかれた。

 このユニークな両神様は、今、ひっぱりだこ。

 そっと、のぞいて見たら、ご不在であったりして……。

 

反省期間

 百年くらい前のスペイン風邪で世界中の人の4分の1くらいが亡くなったと聞いたけれど、あの頃より人口の多いいま、このコロナ・ウイルスはどれくらいの人々をさらってゆくつもりなのだろう。

 50年に一度の災害と聞きながら、この時代の人々は泣かされている。

 情報を知ることが出来るのは有難い事だけれど、まるで「高見の見物」(言葉は悪いけれど)の様で、心苦しいばかり……。

 ダブル・パンチの状態だ。知りながらか知らずにか過ごして来た、私たちにとっての反省期間なのか。これは人災でしょうか。

 

気分転換

 お盆を迎える前に、墓参りに行った帰りにばったり友人と出合った。久々だったがエアー・タッチで少し立ち話。元気?お互いにお様様だ。食事作りが面倒になった。体を動かさないから、おいしくない、これも同じ。友が「冷凍出来るケーキのまとめ買いをしたの、冷凍出来るからたくさん買っちゃった」と笑う。それもありね、好きな物で、気分転換。ご主人は、こだわりのビン・ビールとのこと。

 

火焔太皷

 今、夫と心の中で会話している。軽い失語症のある夫にはリハビリにもなるのでよく話しかけた。そして笑った。

 主治医の勧めで、夫が落語を話すことになった。選んだ題目は志ん生の※「火焔太皷」。何度となく聴いた話であったが一言つまるとすべて忘れてしまう。読む事にする。すらすら話にかみ・しもをつけて上手に、ケアセンターの仲間の前で読んだ。とても失語症とは思えぬ程、生き生きと。

 落語じゃないけれど、おまえさん!! よく頑張ったじゃないかい、惚れ直したよ。

 

2020年7月16日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 山を愛するやさしい書き手です。

 口数は多くなく、作品にもそれはあらわれています。もう少し話してください、書いてください、と読みながら思うこともありますが、それは読者の勝手な希望であって、「語り過ぎない魅力」がいしいしげこの作品にはひろがっています。

 皆さんも、「語り過ぎない」について、ちょっと考えてみてくださいね。

 さて、本作。作品を4つに分けて、それぞれ小さなタイトルを立ててみました。この方式を、わたしはパターン化と位置付けています。この方式は、読みやすく、それよりなにより書きやすいという一面を持っています。

 そうそう、古典落語「火焔太皷」についてちょっと書いておきましょうか。

 

 古道具の甚兵衛は、気はいいが呑気で商売下手だった。

 ある日仕入れてきた太鼓のホコリをはたくため、小僧さんに叩かせると、いい音がした。そこへ通りかかった殿様が……。

 

 いい噺(はなし)です。

 つづきはどこかで聴いていただきたく。 ふ


ごめんねえ、ごめんねえ   小林ムウ(コバヤシ・ムウ)

 わたしの家の前は畑になっている。夏が来る頃にはいつも草がわんさか生えてしまう。こうなると汗だくで蚊にさされながらの草むしりとなり、これは過酷だ。いつも後悔する。なぜここまで生やしちゃったのか……。

 

 今年の春のこと。

 今度こそは草を生やさず、ピカピカで夏を迎えたいと思った。毎日、10分間草むしりをすることを誓う。それから、大雨以外は毎日草むしりを続けた。朝夕の犬の散歩のときに合わせて、目につく草を引っこ抜く。むしった場所をたしかめながら、つまり生えている草を背にし、後ろ向きで進む。根っこから抜けない草は鎌で刈り取った。

 4月5月は順調に過ぎ、畑はきれいに整えられていた。

 

 6月。

 学校が始まった子どもらのことで、バタバタと日が過ぎていく。次第に1日10分間の草むしりが5分になり、やらない日もちらほら。雨のシーズンに入ると、傘をさしながらの草むしりがめんどうになり……。

 そうして気がつくと、ここぞとばかりに草たちが一斉に力を盛り返していた。一面草の波。大小さまざまなサイズのエノコログサが風にフサフサ揺れている。大きく息を吐いてへこたれそうな気持ちを追い出した。

 

 気合を入れてむしりにむしる。顔から汗が吹き出してくる。ひたすら草をかき分けて引っこ抜く。オンブバッタが逃げてゆく。根っこの周りの土をバンバンと地面に打ち付けて落とし、アスファルトに干す。

 

 ふいに、亡き祖母のことを思い出した。畑仕事に精を出していた祖母。足を骨折してからはもっぱら草むしりの人になっていた。ほおっかぶりにモンペ姿。肥袋※を地べたに敷き、ぺたりと膝をついてじっくり草をむしっていた。日がな一日、少しづつ少しづつ。誰かに会えば、ひとしゃべり。

 

「ごめんねえ、ごめんねえ」

 と祖母はつぶやき、つぶやき、草を取る。

「おばあちゃん、なんでごめんねえっていうの?」

「草をとらんと野菜ができん。ほんでも、草だっていのちがあるがね。だから謝っとるの」

 

 謝りながらも容赦はない。きれいに、祖母の言葉でチッカチカにする。すると、しばらく草は生えない。まるで魔法のようだった。

 

 今のわたしはまだまだだね、おばあちゃん。でも、ちゃんと草に向き合いたい。

「ごめんねえ、ごめんねえ」

 

※肥料の空き袋

 

2020年7月8日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 ことし4月にお仲間に加わってくださった「小林ムウ」さん。

 間隔をあけずに打ちこんで書いてこられました。短期間で、世界観を築きあげ、書くよろこびにも出会えたのではないでしょうか。

 本作「ごめんねえ、ごめんねえ」は天に向かって、おばあさまに向かって、声に出して朗読してくださいね。おばあさまは、どんなにおよろこびになることでしょう。

 このように、誰かのことを思いながら書く、読ませたいひとを定めて書くことをわたしはおすすめしています。

 ひとりよがりではいられなくなるからです。

 説明ひとつとっても、このような塩梅です。

 ①必要な説明。

 ②不必要な説明。

 ③不必要だがおもしろい説明。

 

 ①はぜひ書いていただきたいです。②はあると、かえってわかりにくくなりますから、省きます。③はユーモアや、道草のたのしみを表現できそうでしたら、書かれるといいと思います。 ふ


「柔」と「粘」 おおにしかよこ(オオニシ・カヨコ)

「お母さんを漢字で例えると何でしょう」

 いきなり自分探しを始めた母親からの問いに、リモートワーク中のパソコン画面から顔を上げて、なぜ、今?と、戸惑いながら姉妹(むすめたち)がくれた答えは、奇しくも同じ。

「柔」

 ほう、その心は?

「鋼のようなしなり方で、いばらの道を突き進む、ヤワラちゃんだよ。ねえ」

 と笑う姉の隣で、

「えっ、やわらかいだよ。芯?ないない!自由。アハハ!」

 と笑う妹。

 それはそのままあなたたちではないか、と思う。どちらも私の背中を見て育ったということかと、愕然とする。

 この微妙な間に、なんだか面倒くさいぞと察知したか、

「いいんじゃなーい、そのままでー、ごめん、忙しいからー」

 そう笑い飛ばして、各自退散。

 

 ついでに、夫の背中にも尋ねてみる。

 こちらは換気のために開けてある窓から吹き込む風雨に耐え、つり革にも頼れず、電車に揺られて帰ってきたばかり。

「私の長所と短所を漢字で表すと何でしょうか」

 なぜ、今?と、目は語りながらも、長い付き合いである。マスクを外して、念入りに手を洗って、しばしの沈黙ののち、一言。

「『粘』かなあ、……あきらめないよね」

 これまたそそくさと、お風呂に消えた。

 

 先の景色はまだ見えないけれど、新型コロナウイルス感染症対策によって、思いがけず、再び訪れた束の間の家族との時間。この日のこのやりとりを、私は、きっと、いつか一人で懐かしく思い出す。粘り強く、柔軟に、ね。はい、了解。

 またいつか、それぞれの空へと旅立つ姿を見送る、その日まで。

 

2020年7月23日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 日常を切りとって書く、というのは、なかなかむずかしいものです。

 まず甘くなりがち。よほど決心して、自分の日常を客観視しなければなりません。家族が登場するとなると、これまたますますむずかしくなります。

 そうですね、家族のことは記号化して書くことをおすすめします。実態をくわしく正確に書こうとしたりせず、作品のために一部分だけ働いてもらうのです。用事が済んだら、即座にご退場ねがいましょう(失礼ごめんあそばせ)。

 おおにしかよこの「『柔』と『粘』はほんのり甘く、お嬢さまがた、だんな様が通りすがりに登場するところがいいですね。

 はじめから3行目の姉妹には、「むすめたち」とルビをふりましょう。


2020年7月公開の作品


甘い汁 原田陽一(ハラダ・ヨウイチ)

 自分の父は中小企業の会社を経営していた。

 もともと大手の繊維会社に幹部として勤めていたが、戦争で招集され、中国へ兵隊として動員された。終戦後、無事帰還することができ、その後は一念発起。独立して繊維関係の会社を立ち上げる。自ら先頭に立って、経営に乗り出した。技術力をもとにビジネス分野を開拓し、10年ほどで会社規模を大幅に拡大した。

 交友関係は非常に広く、業界だけでなく地域の人たちとも幅広く付き合っていた。酒が強く、いろいろな人たちと飲んでいた。

 三男坊ながら自分は、会社勤めを始めたころ、兄弟で一番酒が強くなった。父が家で飲むときは正面に座り、酒を酌み交わしながら、とことん父の話についていった。

 ある夏の休日。夕方から家で食事となった。

 開け放した居間、暖簾越しに庭が見える。風は止んだまま、蚊遣香が焚かれている。扇風機が首を振りながら、夏の名残りの暑さをかき混ぜる。
 父はランニングシャツにステテコ姿。あぐらをかいて、くつろいでいる。
 ビールが終わり、酒に移る。酒は父のお気に入り、京都伏見の銘酒「月桂冠」。饒舌になり一段と盛り上がる。
 話の途中、1匹の黒い蚊が飛んできて、父のむき出しの腕に止まった。

「お父さん、蚊が左腕に止まったよ」

 父は腕に止まった蚊をじっと見つめ、叩こうとしない。

「なあに、吸いたいだけ吸わせてやろう」

 父は生き物に対して、特別な想いがある。

 生きるためにせねばならないことは、させてやればいい。蚊は生きるために血を吸う。これを勝手に妨げてはならない。人間は血を吸われたって、危うくなることはない。吸うだけ吸わせてやれば、いずれ蚊は飛んで行く。
 人間も蚊も生き物同志、生きることはお互い様だ。

 みんなの見守る中、父の腕の上で、蚊はたっぷりと血を吸った。

 やっと飛び立つ。ところがあまり飛べない。すぐそばの畳の上に落ちた。そのまま下を向いてじっとしている。吸った血が蚊の尻から畳に漏れる。血を吸い過ぎた蚊は、身体が重くて飛べないのだ。

 じっと見ていた父が言った。

「この蚊は甘い汁を吸い過ぎた。甘い汁を見つけると、食らいついて逃れられなくなってしまう。見切りをつけられず失敗する。人間も同じだ」

 

 父は酒をつぎながら、自分の失敗談を話し出した。

 経営する会社は、本業で順調に成長していた。資金が潤沢になったころ、資金活用について、証券会社から株への投資を奨められた。

 当初は買った株が大当たりした。株の投資運用が極めて順調に推移し、大きな利益をもたらした。短期間に本業以外で大きな利益を得ることができたので、父はホクホクであった。しかし、何回も追加投資したところ、目論見が大きくはずれ、逆に大損を被ってしまった。

 父は動けなくなった蚊を見つめながら言った。

「誰でも甘い汁を見つけることができる。問題はそのあとだ。いつ甘い汁に見切りをつけるか。甘い汁に惑わされることなく、次の道筋に進む決断ができるか。この蚊のように、甘い汁を吸い過ぎると飛べなくなることを忘れてはならない」

「確かによくわかります。見切りの判断が本当に重要ですね」

 ここで母が待っていたかのように、にこにこしながら口をはさんできた。

「お父さん、今夜はそろそろ切り上げますか。甘い汁は飲み過ぎるとよくないから」

 

2020年6月30日

 

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〈山本ふみこよりひとこと〉

 作家のお父さま、お母さまのおはなしを読めるというのは、しあわせです。

 作品のなかの出会いの意味を噛み締める思いがします。

 ええ、ええ、この夏は、生き物としてのヒトの在り方を考えながら過ごしましょう。

 甘い汁……、これについても、吸うのはいいとして、ほどほどにして、吸い過ぎに注意しましょう。 ふ


全力で忘れる きいの綾乃(キイノ・アヤノ)

「母親の呪縛」ということばを、新聞記事でみかけるようになった。

 母が娘を所有物のように支配する、娘は母の期待に応えようとして自分らしく生きられない、そんな関係をもうやめようという主旨である。母への恨みつらみと、逃れられない苦しみがつづられた体験談を見るにつけ、苦々しい気持ちでいっぱいになる。

 さて私の母だが、二十三歳の若さで私を生んでいる。富山から嫁いで上京したばかり。生活に子育てにめいっぱいだったと思う。そこへ私は、口から生まれてきたタイプの子どもだ。「反抗期どうだった?」と聞くと、小さいころはほしい物があれば道の真ん中にひっくりかえって泣きわめき、思春期には「うるさいなあ」とよく言っていたそうだ。

 たしかに母は、少々口うるさかった。でも、そういうものかと聞き流していたのではないかしら。そもそも反抗してたっけと、よく覚えていないのだ。

 その私が母になったのは三十二歳。バリバリ働き、相当とんがっていたが、子どもができると、気持ちも体もまあるくなった。自分のことだけを考えて生きていくのとはわけが違う。子育ては思い通りになんていかないものだと、日々思う毎日だ。

 娘に口うるさく言ったあと、「母と同じだ」と苦笑いすることがある。娘のへりくつに「でた、口ごたえ女王」とつぶやきながら、さすが私の娘だと感心することもある。

 生身の人間が、一緒に生活していくなかで、思い通りにいかないことは、あって当然のこと。別々の人間なのだから、これはどうしようもない。だから気持ちが一致したとき、通じ合ったときのうれしさもひとしおなのだ。

 私が気を付けていることはひとつ。人の失敗はできるだけ許そう、忘れようということだ。いや、人のでなく、自分の失敗のほうが多いかもしれない。

 完璧な人間なんていないのだから、親だって間違うことがある。カッカしていても、一晩寝れば頭も冷える。言いたいことを言いあって、それで相手を傷つけたときや、間違っていたと気づいたときは、素直にその気持ちを伝える。プライドなど捨てて頭を下げる。そうやって許しあい忘れたい。

 全力で忘れて、普通に生活する。それが容易にできるのが、家族の特権だと思っている。

 

2014年10月

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 

 ひとは誰も「波瀾万丈」の人生を生きています。

「わたしは、それほどのことはありません……」というひとがあったとして、それはうっかり気づかないでいるか、よほど打たれ強いか、波瀾万丈に埋没しているか、のどれかではないでしょうか。

 そうしてひとは大波小波に翻弄されて苦労するために生きているのではなく、経験を修めたのちたのしむために生きているのだと、思いたいところです。

「きいの綾乃」にも、綴っておきたい経験が少なからずあり、それを時をかけ、ていねいに綴ってきました。いよいよそれをまとめはじめる季節がめぐってきたところです。

 作家の原点ともいえる本作を、わたしはなつかしくも慕わしく読み返しています。ここから懸命に生き、懸命に書いてきたこと、讃えずにはいられません。あたらしい季節のなかで、根を張り、葉をひろげてゆくであろう「きいの綾乃」に、乞うご期待。 ふ

 


文字にしてしまった リウ真紀子(リウ・マキコ)

 途方もなく苦手なことがある。

 とにかくおしゃれに関することが不得意だ。身だしなみを整えることは、エチケットだと言われ続けて育ったのに。

 朝、洗顔して鏡を見る、髪を整え肌も手入れして、お化粧をする。だめだ、すっきりさっぱり洗顔して髪をとかす、そこまでしかできない。眉を整えるのは一大決心が必要だし、口紅ときたら女子大生だった頃の初めの1本をようやく始末したところだ。化粧品売り場は足早に通り抜ける地区となっている。

 口紅1本も選べない自分、メイクアップした販売担当者の力を借りるしかないが、どうぞお試しくださいという優しい声、その敷居がとても高い。せめてと思って化粧水や乳液を購入するのはドラッグストアの棚から。そもそも目のアレルギーで化粧は避けたという事情もあったけれど、諦めたのだろう、夫は何も言わない。

 

 ワードローブを把握し、適宜、新しい服を加え、手持ちの服に合う靴やバッグを持つ、これは当たり前のことだろうなあとは思っている。が、自分のためとなるとどうしたものか、途方に暮れてしまう。先日引越ししたので服を自分なりに整理した(衣装持ちの母が、見かねておさがりをあれこれとくれるので、服の数だけは多かったのだ)。もう少し減らして、とにかく汚れやほつれなどないように管理するのが、まず自分にできること。

 洋服となると、自分のサイズもはっきりわからず試着してみないことにはちょうど良いかどうかもわからないのだからますます困る。大き目のものから試すほかない。試着室のカーテンの外から「いかがですか」と声がかかるとびくっとする。

 考えすぎとわかってはいるのだけれど。


 でも、このままでいいのか、と自問する声が聞こえる。年を重ね、一生の折り返し点も過ぎている。苦手です、質実剛健で参りますのでと開き直るのも限界ではないか。やはり身だしなみをなんとかしなくては。今、始めないともう変われないのではないかと気づき始めている。
 少女時代の、おしゃれになんかにうつつを抜かしていてはいけないという良い子のマイルールに、自分はいつまで捕らわれているのか。

 ここにこうして文字にしてしまったからにはそれを卒業して、手探りでも進もう。時間がかかりうそうではあるけれど。

 

2018年9月

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 知的でやさしい真紀子さんに、そんな苦手があったとは。

 ご本人が書かれているように「ここにこうして文字にしてしまった」わけですから、どうかおしゃれもたのしんでくださいましね。きっと真紀子さんらしい、甘さ控えめ、シンプル&ベーシックなテーマが、導いてくれるのではないでしょうか。

 さて、おしゃれと書くこと、これはつながっています。

 作品には「艶やかさ」が不可欠。艶を出すにはどうしたらいいかというと、まず、自分自身の艶を考えることです。

 男性作家の皆さんも、同じです。それぞれ、肌の艶、襟元、手触り、粋、光……、こんなことに意識を向けていこうではありませんか。

 何かがきっと変わります。 ふ


 福村好美(フクムラ・ヨシミ)

 12月に入り木枯らしが吹き荒れた翌日には、少し離れたバス通りにある雑木林から運ばれてくるのか、近隣には見られない木の葉が自宅前の路側帯に多く溜まっている。

 余分な仕事が増えたと思いながら掃いていると、近所の方々から「おはようございます」、「南天の実がきれいですね」などと声がかかる。自然の移り変わりの中、ひととの変わらぬなにげない会話に温かみを感じる。

 清掃を終えて清々しい気分であらためて自宅の外観を眺めていると、道路に面した塀に貼られたタイルの状態に、目が留る。

 

 我が家を新築した際には、入手した土地に合わせて家屋の建設を注文し、駐車場を含めた外構は地域の業者に委託した。塀はブロックのまま工事を完了したものの、周囲の家はタイルを貼り美しい外観を見せている。どうしようかとブロック面の前で思案していると、数軒先の家でご主人がひとりで楽しそうに塀にタイルを貼っている様子が見えた。聞くと素人でもそれほど難しくなくタイルが貼れるとのことで、それならば日曜大工に興味も経験もない我々でもできないことはないだろうという気がしてきた。

 まず、貼る面のサイズを計測して必要量のタイル枚数を算出し、工事材料店でタイルを選定し、タイル貼付け材(一発材)とタイル成形のための電動グラインダーを準備して、2〜3週間かけて完成させる目論見で夫婦での外構作業を開始した。

 ところが実際に貼り始めると、塀には、表札・郵便受け・インターフォン・フェンスなどが付けられており、また角・上面・接地面などのサイズ合わせが必要となり、思いのほかタイルをグラインダーで成形しなければならない箇所が多い。

 また、美しい外観を得るためにはタイル目地を縦横一直線にすることが求められタイル位置の調整に苦労する。この直線のガイドラインに有効なのが、「糸」である。壁面の両端に軽く釘を打ちそこから糸を張ると、普段は丸まっている糸が力強い一直線を作る。その直線に沿って正確に、かつ後でタイルがずれ落ちることのないようにしっかりとタイルを貼り付けていく。

 4月の中頃から作業を始めて、5月の連休中にできたのは、横幅10メートルほどの塀の5分の1程度であった。毎週土日は私がタイルを成形し妻が壁面に貼っていくものの、5月が過ぎ6月の末になっても完成しない。

 上の子供たちに預けていた乳幼児の末娘を、見かねた向かいの奥さんが家に呼んで面倒を見てくれる。完成したのは夏休みも終わる頃で、当初の設計通りに駐車場・玄関の内壁まで含めて、予定した場所はすべてタイル貼りにすることができた。30年たった今でも、タイルはずれ落ちずにきれいに一直線に並んでいる。

 

2018年12月27日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 理系、元大学教授の福村好美の作品は、ともすると硬く、むずかしくなりがちです。

 しかし、仲間から「福ちゃん、福ちゃん」と親しみをこめて呼ばれていることでもわかるように、硬くむずかしくても、なんともいえない味わいがあります。

 文章には書き手の本性があらわれます。

 作品を読むだけで、いろいろなことが伝わってきて、おもしろいなあとつくづく思わされるところです。もちろん恐ろしくもあります。

 ですから皆さん、まずは深呼吸して、機嫌よく書きはじめましょう。

 そういう意味で、福ちゃんの作品はいつも機嫌がよく、そこに独特の味わい、魅力が生まれます。 ふ


2020年6月公開の作品


よる くる とり かけはし岸子(カケハシ・キシコ)

 ベランダの方でバサバサと音がした。

 台所で皿を洗っていたわたしは手をとめる。

 目の前は、明かりを消した暗いリビング。

 その向こうには、ガラスに映るわたし。

 

 昼間にはプランターの野菜や、アブラムシ除けにと乾かしているみかんの皮を狙って、ちいさな鳥がくることがあった。

 ヒヨドリか、スズメか。

 いつもそうっと窓を開けようとしただけで、飛び立ってしまう。

 

 鳥が夜にくるとはめずらしい。

 姿が見たい。

 流れる水を止め、静かに手を拭く。

 近づいたら逃げてしまうだろうか。

 部屋の中から姿だけでも見えないだろうか。

 ここからではくらがりに映るわたしの顔しか見えない。耳を澄ましてみる。

 台所のあかりを消したらみえるかも。

 このままそっと近づいてみようか……。

 

 躊躇しているうちに、気配がなくなった。

 

 そしてまた、ひとりの台所が戻ってきた。

 

 この日から、夜になるとあの鳥が来ないだろうか、と気にするようになった。

 その鳥はどこからきたのだろう。森か川か、それとも海か。遠い国を旅して傷ついて、このベランダにたどりついたのかもしれない。

 

 いろいろと考えるうちに、想像の中で鳥は……何か鳥に似て違うもののように思えてきた。翼のある、なにか別の生き物だったかもしれない。

 

 家庭をもつ前、時間は全て自分のもので、何をするにも自分で選ぶことができた。孤独とわたしは親密で、うまくいっていた。

 それなのに結婚してからというもの、あの独特な静けさはわたしのところにはきてくれない。

 いつも家庭の誰かを気にかけたり、心配したりしている。

 これが、幸せというものなのだろう。もう寂しくはないけれど……。

 孤独の静けさは、せつないほどになつかしい。

 

 鳥は孤独と自由のかたちをしているように思う。

 だから、おもってしまうのかもしれない。夜くる鳥を。

 どうかまた、わたしの窓に飛んできてほしい。

 

 そして、また考える。

 鳥はどんな風体なのだろう。

 何色の羽を。

 どんな大きさだったのだろう。

 どこから来るのだろう。

 

 考えていると、なぜかその鳥は女の顔になっている。

 

 今夜も、闇夜のベランダを気にしている。

 

2018年12月24日深夜

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 講座のなかで、ときどき、「エッセイとは何だろうか」とか、「エッセイの型のようなものがあったら知りたい」という声が上がります。

 そのたびわたしは「まあまあ、自分のなかに溜まったものを吐きだすとしましょうよ」とか云って、のらりくらりと問いの本質から離れるのです。

 エッセイについては、いつかまたゆっくり語りあうとしましょう。

「かけはし岸子」にはジャンルについての迷いはなく、作品には、そのときどきでまったくちがった表情があらわれます。

 あらわれるという一面と、手法によって描きだす一面とがあるでしょうけれど、その多面的な発動がバランスをとって作品を生みだすように、わたしには見えます。

 書き慣れるということばがあって、それは芳しくない意味で受けとられることが少なくありません。

 しかし、書き手にとって書き慣れることは不可欠です。

「かけはし岸子」の内部には描かれることを待っているものがたくさんあります。どうか、どしどし書いてください。

 新作をたのしみに待っています。  ふ


Oh!RADIO  コヤマ ホーモリ

 5月2日。

 この日が清志郎の命日だとラジオが教えてくれました。11年前に亡くなったミュージシャンの忌野清志郎です。大人っぽかった中学の同級生Mちゃんに教えられてからのファンですが、すっかり忘れていました。

 流れてきた「JAMP!」という彼の曲を、朝ごはんの準備にとりかかりながら一緒に大声で歌っていると、次第に鼻のつけ根のあたりがじーんとしてきました。清志郎の不在が悲しいのではなく、コロナによる今の状況を憂いているかのような歌詞に、気持ちが揺さぶられてしまったのです。

 最近ラジオを聴いていますか。

 聴き逃した番組を聴くことができるラジコというサービスを知ってから、私はラジオとすごす時間がぐんと増えました。ラジオを聴くようになったのは中学3年生の頃。当時の、こんなおかしな思い出があります。

 ある日、同じ塾に通っていた友だち5人(Mちゃんもいました!)と塾をさぼり、公園でおしゃべりをしたあと、何食わぬ顔で帰りました。すると家の前で母が仁王立ちしてるではありませんか。すぐにばれた!とわかり(今思えば当たり前ですね、同じ塾で5人同時に休むなんて)、しっかりお灸をすえられました。

 そのあと自室へ入り、大きな黒いラジカセのラジオをつけると「しあわせですか、しあわせですか、あなたは今」とさだまさしの「しあわせについて」が、私に尋ねているかのようなタイミングで流れてきたのです。

 ……そこまで落ち込んではいませんでした。それなのに彼の物悲しい声と「しあわせですか」のフレーズにノックアウト、そのままベッドに突っ伏して大泣きしたのでした。こうやってラジオから流れてくる音楽に、感情が勝手に重なって、それを時に持て余すのですが、子供の頃からの習性のようでどうしようもありません。

 

 5月23日。高校からの友人Yちゃんから、昨日放送された作家村上春樹氏の番組がよかったと連絡が来ました。彼女は最近ラジオにはまりだしたラジオ仲間でもあります。20代、彼の作品を次から次へと読んでいた私たちですが、しばらくページをめくることはありませんでした。今回の番組を聴いて、彼の作品を読み返したくなった私は、本棚から「風の歌を聴け」を手にしました。ふわっと鼻腔に触れた古い本の匂いは、彼の語り口や言葉や選曲に通じる心地よさがありました。

 6月14日。今日も清志郎が歌う「トランジスタ・ラジオ」の歌詞のごとく、世界中からキャッチしたナンバーを聴きながら、お米をといだり、洗濯物を干したり、パソコンに向かったりしています。時にはその手を止め、音楽にじっくり耳を傾けます。懐かしい曲に再会したとき、知らなかった好みの音楽と出会ったときは格別で、その幸運さにうかれるほどです。

 ラジオのことを歌った曲や映画もたくさんありますね。多くの人が綴りたくなる親愛なるラジオへのストーリーがあるからなのでしょう。清志郎の遺作もまた「Oh!RADIO」でした。

 歌の結びは「Oh!RADIO 聞かせておくれよ この世界に愛と平和の歌を」。

 今日もそんな音楽との偶然の出会いを待ちわびている私です。

 

2020年6月14日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

「読む」という行為は、作者との出会いを意味しています。

 本作においては書き手であるコヤマ ホーモリとの出会いがあり、コヤマ ホーモリによって作品に置かれた忌野清志郎やさだまさしとも、わたしたちは出会うことができるわけです。

 ことに忌野清志郎はこの世から旅立ったひとです。つまり、すでにこの世にいない清志郎をこころのなかで感じることができることになります。

 このたび、この作品を通して中学時代の作家と、忌野清志郎と、さだまさしと、Mちゃんと、作家のお母上に会えたことは、しみじみうれしかったなあ。ふ


アイネ ランゲ ナハトエッセイ いわはし土菜(イワハシ・トナ)

 完全に寝そびれた。

 まくら元に時計はないが、どれくらいかはわかる。

 寝そびれたと思っても、1時間はがまんしているが、2時間ともなれば、「エイっ」と起きることにしている。

 その日もきっかり2時間のたうちまわっていた。

 しかし、眠れないことを苦にしてはいけない。

 むしろ、「起きてしまおう」が加速する。

 起きてからはじまる、その時間が「おたのしみな」時間になるのを知ってるからだ。

 しんと静まりかえった居間でパソコンを膝に乗せ、ふかくソファに腰掛けると、それだけで「上々」なじかんの始まりである。

 日中にはけっこうテレビもみるが、夜中のわたしは、映画も韓流録画もみない。

 そんなもったいないことはしない。

 まわりの空気と同じく「しん」としていたい。

 この静寂を逃したくないし、浸っていたい。

 日中には出会いもしない「無」のじかん。

「日常」からま夜中という「非日常」へワープした感じかな。

 そんな時間に起きているものだから、

 エッセイもそろそろエンジンあたためねば……。

 半年も手づけずの読みかけの本を手にしてみたり……。

 えーと、どこからだっけ、

 これ、なんのことだったかしら。

「しんとしていたい」とはうらはらで右脳だか左脳だか、はたまた前頭葉だの海馬だのと、そろいもそろって動きだし、ますますねむ気からは遠ざかっていく。

 モーツアルトに、「アイネ クライネ ナハトムジーク」というセレナーデがある。直訳すると、小さい夜の曲ということになるが、そもそも曲調の「セレナーデ」が夜曲を意味する。

 モーツアルトもそのまま「セレナーデ」じゃ面白くないから、幼稚園生にもわかるように「ナハトムジーク」をもじったのかなと、勝手に受けとめて、畏れ多くもわたしももじらせていただいた。

 わたしの「長い夜のエッセイ」が出来上がった。

 もう4時だ。そろそろ寝よう。

 

 2019年3月13日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

  いわはし土菜の、独特の世界観をおたのしみいただきたいと思います。

 日常は大冒険で満ちている。

 と、作品を読むたびおしえられます。

 ときがたってから、自分の経験を、いわはし土菜が書いてたあれだな、と思いだし、作品をなぞるようなことも少なくありません。

 たとえば本作の「寝そびれる」はまだ、わたし自身、ほとんど体験したことがありませんが、そんな事態がめぐってきても、たのしめそうです。「起きてしまって」「しん」としつつも脳に働いてもらってしまっていいわけね、なんて考えることでしょう。

 この作家からは、書こうとする対象をみつけてからの集中力、何が何でもこれをものにしよう、という決意が伝わります。

 これでゆこうと決めて書きはじめたものの、そうとう書いてから、「こりゃだめだ」とわかってすっかり消し、出直すなんてこと、わたしにはたまにありますが、この作家にはないのじゃないか。と、想像しています。 ふ 


ポケットの中 西野そら(ニシノ・ソラ)

 家をでるときに、メンバーズカードをサッと取り出せるようにしてクリーニング店に向かった。ついでに、いつもこんな風に備えるけど結局どこにいれたか忘れるから、今日こそは忘れないようにしなくちゃ。こう思ったこともハッキリ記憶している。

 だというのに、クリーニング店のカウンターでわたしは手提げカバンの中身をかきまわしている。

 そんなわたしを見かねたクリーニング店のいつものおばさん、

「電話番号でもいいですよ」

 すみません。こめかみのあたりをかきながら番号を伝える。

 今日こそは忘れないようにと思って……、それでどこに入れたんだっけ。どうやらわたしは無意識にパンツのポケットに入れたのらしかった。清算をしているときに、パンツのポケットに手を突っ込んだら、それがあった。

 

 忘れる。

 これまでにも散々やらかしてきた。たとえばわたしの算段で始末できる家の事ごと。こういうのは忘れたって気楽。忘れることで生じる失敗もたいした失敗とはならず、自分自身に唖然(あぜん)とはするが、その後の感情は可笑しさへと移ろうことが少なくなかった。

 ところが。

 2年前に図書館での仕事をはじめてから、可笑しさなって言ってる場合ではなくなってきた。

 端末の使い方。対応の仕方。物の置き場所。慣れて覚えたつもりでいても、それをしない時間が続くと記憶ってものはどんどん薄れてゆく。

 で、あやふやになった記憶にいちいち慌てる。ましてや失敗につながったりしたら、その後感情はそうとうに揺れる。年齢のせい?単にアタシがアホなだけ?メモの取り方が悪かったか?人間だもの、そりゃ忘れるよ。何かのせいにしようとしたり、落ち込んだり、反省したり、励ましてみたり。ってな具合。

 

 店でモタモタしないようにと意識はしたが、カードをどこかに入れる動作そのものは漫然とおこなっていたのだな、わたしは。ポケットの中でメンバーズカードを掴みながら思った。

 そうだ。

 これまでも、ただ漫然とメモを取ったり、漫然と話を聞いていただけだったのかもしれない。半世紀以上生きてきて、はじめてちとまじめに「漫然」を思い、揺れて硬くなっていた気持ちが緩んだ。

 取るに足らないことではあるけれど、生きている甲斐があるっていうのは、こういうときに使ってもいいような気がした、クリーニング店からの帰り道。

 

2019年6月10日

 

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〈山本ふみこからのひとこと〉

 共感して、くくく、と笑ったり、読みながら突如立ち上がったりした読者を思い浮かべてしあわせな気分に浸っています。

 得たいと思って書こうとしてもなかなかそうはならないし、意識し過ぎてもうまくいかない、というのが「共感」ではないでしょうか。

 それなら、見えない読者のことは考えず、共感が生まれたら幸運だった、という気持ちで書いてゆこう……。というのは、ちがいます。

 読者の存在は胸に置いて書く必要があります。そこに必要なのは、想像力と思いやりです。

 西野そらのエッセイには、静かに読者に寄り添い、語りかける感覚が息づいています。

 そうそう、この作家は書くのに時間がかかるそうなのです。

 そこで先日、こんなアドバイスをいたしました。

「『書きはじめます、2時間くらいで仕上げます』と自らに云い聞かせてから書くのです」

 これは効きます。

 それでもうまくゆかないときは、一度寝て、出直しましょう。

 

※「西野そら」には、日常の風景と心象を綴るブログがあります。

  ブログのURL:https://note.com/nishisora


絨毯と杖 寺井融(テライ・トオル)

 自宅への土産は難しい。
 せっかく買って帰っても、「あらっ、これ、何?」とお蔵入りになるものがある。反対に重宝して、ずっと使い込んでいるものもある。

 数少ない合格品が、居間に敷かれた二畳ほどの絨毯(じゅうたん)だ。白と焦げ茶の糸で紡がれた草花模様。トルコ製である。

 旅行ガイド氏に絨毯博物館に連れて行かれた。

「世界の三大絨毯産地は、ペルシャ(イラン)に中国、そしてトルコです。絨毯は使い込むほどに味が出てきて、高い値段で取引されるようになりますね。ここのはトルコ政府認定の手織り本格派ですよ」

 この勧めと、機織り職人(若い女性)の実演を見て、購入を決めた。

 イスタンブールから西安まで50日間のバス旅行(1997年初夏)でのことである。1,000ドルもした。ほかに、送料(船便)が200ドルもかかる。

 それでも買ったのは、バグダッドのウダイ・フセイン・イラク・オリンピック委員長の執務室で、青色を基調とした豪華な絨毯を見たからだ(1990年12月)。それ以来、〝わが家にも絨毯を〟と思っていたのである。

 トルコからイランに入った。〝もう何も買わないぞ〟と心に決めていたのだが、馬の彫刻が握りとなっている杖を市場で求めた。当時は48歳である。歩く補助具としてではない。これからトルクメニスタン、キリギス、ウズベキスタン、カザフスタンの中央アジア4カ国を回る。散歩の護身用であった。

 旅の最終盤、中国の西安で活躍しましたね、その杖が。

 一人で街歩きしたら、大学病院の前に出た。入ってみたかったが、「部外者入構禁止」の貼り紙がある。それでは、と杖をつきつき足を引きずって入口を通り抜け、構内を一周した。

 掲示板の壁新聞風の連絡文が、文革時代の名残りみたいで、面白かったですね。

 それはそれでよかったのだが、見学を終え、門を出て歩き始めたら、方角が分からなくなってしまった。暗くなってくる。タクシーも通らない。そこで自動車の修理屋を見つけ、送ってもらうことにする。助手席にも、修理工が乗り込んできた。相手は、男が二人。もっと暗いところへ連れて行かれて、身ぐるみをはがされるのかな。そう思わぬでもなかったが、10分後、無事ホテルに着く。

 そうだ。こちらは杖持ちの外国人だ。不審者にも見える。きっと先方も、怖かったのでしょうかねえ。失礼いたしました。御礼に10元払ったが、少なかったかな。

 土産ではもう一つ、トルファン(中国新疆ウイグル自治区)で干し葡萄を求めた。3キロほど買ったのではなかったか。食べ終わらないうちに、トルコから絨毯が届いた。

「この絨毯は、いいものね」と、同居人のお褒めをいただく。それはそうですよね、私にとって、最高金額のお土産でしたもの。

 杖は帰国後、使ってはいない。いずれ歩行の補助具として役に立つかも……。

 

2019年

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 寺井融さんは、元新聞記者。

 それがどうして講座の仲間に加わってくださったものか、不思議です。いつもちょっと違う角度から風を吹きこんでくださるので、ありがたいことこの上もないのですが……。

 プロフェッショナルでも、分野が異なると、エッセイに苦労する場合があります。かつて得意とした書きっぷりが癖となって邪魔をするのです。もしかしたら、「寺井融」にもそんな時期があったかもしれません。

「絨毯と杖」の文中、「である調」のなかにところどころ「です・ます調」が混ざっていますでしょう?これは作家の持ち味で、憧れます。

 その昔、「である調ならである調で、です・ます調ならです・ます調で統一」と習ったのじゃありませんか?

 そんなことは自由に破っていいのです。基本はあくまで基本ですから、かたく考えないで、ぶっ壊したっていいのではないでしょうか。どうかセンスよく、ユーモアを滲ませながらぶっ壊してみてください。


2020年5月公開の作品


苦しまぎれのアンソロジー  守宮カエル(ヤモリ・カエル)

向上心

机のまえに座る。不思議と自然に背筋がのびる。身も心もシャンとする。

なにかに向かおうとする自分にうっとりする。だけど机に向かっただけで満足してしまうんだな、これが。

あっというまに姿勢はくずれ気持ちもフニャフニャ。

とりあえず二杯目のコーヒーでも淹れるとしよう。

 

包容力

机に向かって勉強する。手紙を書く。本を読む。パソコンを操作する。

ここ1、2ヶ月、机のことを考えるともなく考えて日々を過ごした。なぜなら机に向かって書かなければならないことがあったから。たどり着いた机は懐がじつに深い、ってことに気がついた。そして、その懐の深さにとことん甘えているわたしがいた。

「あ、これちょっと待ってて」とか「あれもこれもしばらく預かってて」なんて調子でドシドシ押しつけるも、どっしり構えてヨッシャ!とばかりに受け止めてくれる。なんとも頼もしい存在。

「誰にも言わないで。内緒だよ」なんてものもこっそり託したり。

机は口が固い。

 

饒舌

小学校入学と同時に買ってもらえると思っていた机。少し遅れてわたしのもとにやってきた。ボンヤリとした子どもだったから、大げさに喜びを口にしなかったが、とても嬉しかった。

その机の本棚には大好きな本たちー『赤毛のアン』や『足ながおじさん』ーが並んでいた。そこに別冊マーガレットや別冊りぼんが加わり、読書の幅がグンと広がった(マンガを読むことも読書ですもの)。

見かねた親がマンガ禁止令を発動するも、本棚がうまい具合に目かくしとなり、何をしているのか、親にはわからない。しめしめ、とばかりに、わたしはじっくりと、十二分にマンガを堪能した。

だけど、そんな浅はかな子どもの行動を、親はすべてお見通しだってこと、自分が親になってよくわかる。

口数少ない成人の息子たち。彼らの机の上の本や雑誌、紙くずなどをたまに眺めて安心する。

机は饒舌でもある。

 

アグネス

高校卒業後、1つ上の姉は、親元をはなれて札幌のカトリック系の女子短期大学に入学し、その短大の寮、アグネス寮に入った。

1年後、めでたく姉と一緒の短期大学に入学することができたわたしも、アグネス寮に入るだろうと思っていた。否。

寮生活になじめなかった姉が、自炊しながら学生生活を送りたい、と親に懇願したから。

姉が探してきたのは、階下に大家さんが住む、マンションとは名ばかりの二階建てのアパートだった。短大まで徒歩3分のワンDK。テレビも洗濯機も、電話も持たない。あるのは姉とわたしの机が2台、6畳の部屋の窓に向かって並んだ。寝る部屋でもあった6畳間は、それでいっぱいだった。

窓は隣家の裏庭に面していた。特別、景色がよいわけでもなかったし、日中を部屋で過ごすこともほとんどなかったから、カーテンを開けることも少ない窓だった。

夏休み前の試験を控えた休日。わたしも姉もそろって机に向かっていた。窓は開け放していた。少しの庭木の緑と物干し台と、犬小屋がみえた。

2人は頭にハチマキを巻く勢いで、猛勉強中。わたしは家政学を、姉は英語をそれぞれブツブツつぶやき、たまにお互いの勉強の進捗状況を語りながら。

そのとき隣から呼ぶ声がした。

「アグネス、アグネス」

 

えっ?アグネス?

1年前のアグネス寮での生活を思い出したのか、姉は顔を曇らせる。

後日、アグネスが犬の名前と知り大笑い。アグネスっていう名前の犬はきっと、可愛らしいプードルかチワワ?

いやいやブルドッグだったのさ。

ブルドッグを連れて隣家へ入っていく人を見た姉は、中学生のころ、アグネスチャンに似ている、と言われたことがあったっけ。

因みにわたしは高校時代、ゴールデンハーフのエバに似ていると言われていた。あまり嬉しくなかった。アグネスチャンに似てる、という言葉を姉はどう受けとっていたのだろう。

 

こんな風に、わたしの記憶の糸はなぜか、机と姉とアグネスをつなぐ。

若かりしころの自分。それを取りまく時代や家族、友人たち。過ぎた時間のなかの出来事は、整合性のないチグハグなピースで彩られたパッチワークだ。

 

2019年8月19日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

  このたび、新しいペンネームでの出発です。

  おめでとうございます。名前は、思いきってつけたつもりでも、すぐ自分のものになります。ときどきこれでよかったのか……、と思う日があっても、それでよかったのです。いいですね、守宮カエル(ヤモリ・カエル)。

  本作については、云うことなし。

  守宮カエルの世界が完成されているのじゃないでしょうか。

  このような書き方を、作品の「パターン化」と位置付けることができます。このたびはそれぞれ異なる見出しがつきましたが、同じ見出しで書くこともできます。

  どうぞ試みてください。 ふ


だいじょうぶ  永見まさこ(ナガミ・マサコ)

 このところ散歩することが日課になっています。

 散歩というより探索していると言った方がいいかもしれません。家を出るときに「きょうは北へ行ってみよう」「きょうは西に」というふうに、まったくの風かませ。家のまわりを1、2時間ほどウロウロするだけですが、知らなかった場所や景色に出会え、思いがけない発見があります。

 わたしの住む町には野川という川が流れていますが、これまでの生活のなかで野川は身近な風景ではありませんでした。そこに架かった橋をわたることはあっても、川そのものに注意を払うことは、ほとんど無かったのです。ところが歩きまわるようになって、野川の両岸(りょうぎし)が歩きやすく整備されていることを知りました。整備された遊歩道の横に広がる土手には、所どころベンチも置いてあります。川の水は澄んでいて、泳いでいるサギやカモの脚が水のなかで動いている様子まではっきりと見えるのです。川岸には子どもたちが遊んでいます。犬の散歩をしている人も、花の写真を撮っている人もいます。

 

 毎日歩いていると季節の移る気配が、景色だけでなく音や匂いからも伝わってきて、自然に包まれているような心地よさを感じられます。人間は大きな自然の片すみにちょこっと置かせてもらっただけなのに、自分たちの暮らしに都合がいいように、この地球を、そして宇宙までも変えてしまったのではないか……。それが幸せにつながると信じて進んでいるうちに、いちばん大事なことを忘れ、置き去りにしてきたのかもしれません。

 

 川沿いですっかり葉桜になっている見事な桜の老木に出会いました。

「一年後には満開の花をきっと見にくるからね」

 そうつぶやきながらも、来年の桜が咲くころに、この世界はいったいどうなっているのだろう、という想いがふと浮かびます。不安な黒い雲で蔽われて心の半分が陰りそうになり、思わず目のまえの桜を見上げました。

「だいじょうぶ、大丈夫。みんな生きている仲間だから」

 老木のひそやかな声が、きこえてくるようです。

 

2020年4月18日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

  作家とならんで歩いているような気持ちで、これを読んでいます。

 歩きながら、これだけ観察をし、それを描写し、結びの見解(思想)にたどり着けるというと、もうもう、書く世界のたのしみを生きている証明です。

 さて、このたびは、漢字の選択のはなしを聞いていただきたいと思います。

 漢字が多くなると、誌面が黒っぽくなります。すべて漢字で書くとせず、ところどころ漢字をひらく(=かなにする)必要がありますね。

 これを決めるのも、書き手自身。

 たとえば「私」とするか「わたし」とするか。頃、中、時、事などをどうするか、決めておくとよいでしょう。

 因みにわたしは、わたし、ころ、なか、とき、こと、はすべてひらいて用いています。  ふ


マスクと女の子  原田陽一(ハラダ・ヨウイチ)

 今年(2020年)に入り、コロナウイルスが流行してマスクが必需品となりました。人混みへ出るときはマナーを守り、必ずマスクを着けるようになりました。マスクが不足するなか、街へ出ると殆どの人がマスクを着用しています。

 先日地下鉄に乗り、座っていると、途中の駅から小学校5、6年生の女の子が乗ってきました。紺のセーターが似合って、キリリとしたかわいい子。隣の席に座るなり、パッチリとした目で横から自分を見つめています。そして、おもむろに話しかけてきました。

「おじさん、マスクの着け方が間違っているよ」

「ええっ!」

「マスクには表と裏があるの。おじさんは表と裏が逆になっている」

「表と裏?」

「マスクのひもが付いている方が内側なの。ひもが外側に付いているから、裏表が逆になっている」

 自分がマスクを外して見ると、彼女はひもの取り付け部分を指差した。彼女の言う通り、裏表が逆でした。

「ありがとう。教えてくれて」

 彼女は、マスクが正しく着けかえられるのをじっと見守っていました。そして、満足げに微笑んだあと、隣で本を読み始めました。

 実は、自分はマスクに裏表があることは知っていましたが、マスクの裏表などどうでもいいと思っていました。使っているマスクは裏も表も同じ素材だし、同じ作りです。逆だからと言って、大きく効果が減るとは思えません。彼女はきっと大人から指導を受けて、守っているのでしょう。その素直さに敬服しました。だから、こちらも素直に礼を言ったのです。

 

 思えば、永い結婚生活において自分とカミサンは、規則や使い方の話合いを何度も何度も繰り返してきました。

 カミサンは、規則というものに忠実で、規則を真面目に守る。

 自分は、規則は規則として理解し、実際は自分の価値判断に従って運用する。

 例えば、一緒に交差点に来て、歩行者信号が赤だった場合。

 自分は左右を見渡して、車が遠くから来なければ赤でも渡ろうとします。このときカミサンは、自分の腕を強く押さえて引き止めるのです。

「渡っちゃダメ!」

「大丈夫、左右確認して車は来ないから」

「交通規則は守らないとダメ。誰が見ているか分からない。小学生が見ていたら教育上も良くない」

「規則は規則として理解して、実際の運用は自分で判断すればいい」

「それはひとりよがり。自分勝手な意見。みんなが決めたことは守らないとダメ」

 こうして話は平行線。カミサンを怒らせると、一日中口もきいてくれない。全てが止まってしまう。気が遠くなるような事態がやって来るので、ぐっと我慢して従うことになります。

 

 電車のなかで小学生の女の子がマスクについて指導してくれたとき、自分は最初のうち、余計なお世話だと思っていました。

 だけど途中から、これはカミサンの規則の指導と一緒だと思えてきたのです。素直に従おうと思いました。

 自分は規則を無視して、自己判断で勝手に進むことがある。それを、カミサンはあきらめずに何度も何度も説得して止めてくれました。

 そのカミサンは、今はそばにいません。空の上にいます。

 コロナウイルスを心配して、わざわざ女の子を遣わしたのかもしれません。

 

2020年4月15日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

  課題は「つくづく」。

 作家が「です・ます調」に挑戦した作品です。

 読者を思う、ということをわたしはたびたび皆さんにおはなしします。「です・ます調」で綴ると、読者の存在が見えやすくなります。理解してもらいたいという気持ち、語りかける文体が生じるのです。

 さて本作ですが、「原田陽一」の本性があらわれていて、はっとさせられました。本性が読者の気持ちをぐっとつかむ……。

 聡明でうつくしい亡き夫人も、「いいじゃない?」と満足しておられることと思います。

 さて、余談ですがマスクの裏表には諸説あり、メーカーによってはヒモが外側につくのをおもて面(メーカー名が正体で見えるのがおもて)としています。という説が支持されることも少なくありません。そういうことを読者から突っこまれないためにも、註をつけておくこともおすすめします。

 今回は「読者」のはなしをしましたが、結びに、未来の自分も大切な読者であることを、書き添えておきます。ふ


届け  田尻良子(タジリ・リョウコ)

 外の出るなと、言われても出たくなる。

 けれど、今は全国民、我慢の時だから、そんな時は、リビングの窓を開けてテラスに出ることにしている。テラスで思い切りのびをしながら、広い庭を眺める。広い庭と言っても、うちの庭ではなく、おとなりに建つ「サービス付き高齢者向け住宅」のものだ。そこは、三階建てなのだが、うちが坂の上に建っているので、庭を見下ろすことができる。

 この春。

 広い庭に桜が咲いた。チューリップも咲いた。雪をまとう桜も見た。今年はお花見に出かけられなかったが、おとなりの広い庭が季節を運んでくれた。今は新緑が美しい。

 庭に面して、それぞれの居室のテラスが並ぶ。朝は、そこで洗濯物を干しているご婦人たちを見かける。今日もみなさん、お元気だ、と安心する。

 暖かい日の昼下がりに、そのテラスで寝そべっているご婦人を発見。どうしたのだろう、まさか……と、気をもんだが、すぐに立ち上がりのびをしたので、ああ、ちょっと一休みしていただけね、とホッとした。

 

 札幌に住む母が入院したのだが、緊急事態宣言の下、見舞いにも行けない状態が続いている。おとなりの高齢者住宅が母の病院だったら、どんなにいいことか。見舞いは禁止でも、テラスから気配をうかがうことは可能だろうに。

 そんなふうに家族や友人を心配している人が今、たくさんいることだろう。この高齢者住宅の住民にも、家族に会えず寂しい日々を送っている人がいるのかもしれない。

 

 ある日の夕方、換気もかねてテラスに出たら、思わぬ風で、くしゃみが出た。聞こえたのか、ちょうど洗濯物を取り込んでいたご婦人がこちらを見上げた。思わず、すみませんと頭を下げたら、そのご婦人はニコッと笑ってくれた。

 それ以来、テラスに出た時に、誰かが庭を散歩していたり、洗濯物を干していたりしたら、会釈することにした。気づいてくれる人ばかりではないし、何の反応もないこともあるが、かまわない。時には、手を振る、思い切り手を振る。その向こうにいる母にも届くように。

 

 今日もテラスに出る。

 それにしても、見かけるのはご婦人ばかりだ。世のおじいちゃまがたは、どうなさっているのだろう。とにかく、みなさん、元気でいましょうね。と、わたしは、今日も大きく手を振る。

 

2020年4月

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 田尻良子さんはお料理の名手でもありますが、本作の調味の加減が巧みです。これはわたしの想像ですが……、味見をしながら書いておられるのではないでしょうか。料理を供する感覚で、読者のことも考えながら書いておられるのではないでしょうか。

 それから、札幌のお母さま、ご心配ですね。

 どうか「届け」を声に出して読んでください。札幌の方角を向いて。きっとお母さまに届きます。

 声に出して読む。このことをふみ虫舎エッセイ講座では大事にしてきました。「原稿は楽譜」を合言葉に、朗読にふさわしい文章を書きましょう、と約束しています。

 あ、良子さん、札幌はそっちじゃありません、こっちですよ!  ふ


2020年4月公開の作品


てくてく くりな桜子(クリナ・サクラコ)

 てくてく、歩いている。

 通りの向こう側に時々見かけるご夫婦。平日の昼間、名前も、住んでいるところも知らないご夫婦。70歳前後だろうか。

 ある時はスーパーマーケットで、ある時は街中で。ついこの間はカフェで遭遇した。

 いつもふたり。特別に会話が弾んでいるようでもないが、素っ気ない雰囲気でもない。

 一緒にいる、ということがごく自然なのだろう。穏やかな日常が伝わってくるようで、会う度に私もほんわかした気持ちになる。

 定年退職後の夫婦はあのような感じになるのかな。勝手に想像していた。

 

 今年(2020年)3月末、夫は無事に定年を迎えた。4月から週に3日は働くが、それ以外はすべて自由だという。スポーツクラブやテニススクールにも入りたいし、ピアノを習うのもいいな、語学の勉強もたくさんできる、と本人はかすかに浮かれている。

 全部ひとりでやることばっかり……。

 以前から夫は口数が少なく、パソコンの前に座っていることが多かった。そうでない時は海外ミステリーを読んだり、ラジオ講座を聴いたり、自己完結型。そう、いまにはじまったことではないのだ。

 だったら私も目的を見つけ、口実をつけては外に出かけたり、自分自身で楽しみを見つけないと。夫に不満たらたらの妻になってしまう。

 

 ある日、夫は本の整理をはじめた。

「これはあなたに買ったほんじゃないかな」と1冊の本を渡される。私の好きな作家角田光代のエッセイ『大好きな町に用がある』。

 この人って時折こういうことをする。私がちょっと喜ぶことを。

 私達夫婦はこういう調子でやっていけばいいのかもしれない。いつも一緒でなくても、時々歩み寄れれば。最近では夫に腹が立った時には、してもらった嬉しかったことをかき集めて気持ちを静めるようにしている。

 夫婦は向き合うのではなく、川を挟んでお互いの顔や様子を見ながら同じ方向に歩いていくのが理想だ、と昔読んだ本に書いてあったっけ。これからどれだけの時間が残されているかわからないが、お互いを気遣いながら前に進めたらいい。てくてくと。

 

 居間で夫は録音したスペイン語・フランス語・イタリア語のラジオ講座を聴いている。その隣で私は角田光代のエッセイを読んで笑っている。こういう日もある。

 

 2020年4月18日

 

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 〈山本ふみこからひとこと〉

 やさしさのあふれる作品です。

 くりな桜子という作家は、忍耐力、行動力の裏打ちのあるやさしさをもった人物です。しかし、やさしいから作品にやさしさがあふれ出す、というほど、ことは簡単ではありません。

 ほどよいやさしさ、甘過ぎないやさしさ、共感を呼ぶやさしさ、想像を掻きたてるやさしさを、作中に醸そうとするとき、必要になるのは「技術」です。

 わたしなども、つい、べたなやさしさを置いて、しくじります。

「てくてく」。

 さりげなく計算し、我慢もして、甘みもおさえた良質な作品になりました。ふ

 


バラ色  吉田 剛(ヨシダ・ツヨシ)

「百万本のバラ」という歌がある。

 女優に恋をした貧しい絵描きが、何もかも全てを売って街中のバラを買い占めプレゼントした。だが、女優はどこかのお金持ちがふざけたのだと思って、片思いの恋ははかなく終わってしまう、という歌だ。

 男は恋する女性に花を贈る。上手くいくかどうかは別として。

 

 私も若いころ女性に花を贈ったことがある。

 同じ職場に勤務する可愛いY子さん、いちど告白して振られたのに、性懲りもなくY子さんの誕生日に自宅に送ったのだ。

 花屋の店先でどの花にしようか考えた時、自分の気持ちを伝えるのはこれしかない、と深紅のバラを選んだ。

 期待の日々が続いた。振られてはいるもののバラの花に心動かされてこちらを向いてくれるかもしれない……。

 だが奇跡は起こらなかった。一週間後、感謝の言葉ともうこんなことはしないで欲しいと書かれた葉書が届いた。返事は予想通りだったが、私は失望し深く傷ついた。

 葉書がY子さんの母親からのものだったからだ。Y子さん本人の文章だったら覚悟の上、すっぱり諦められた。一度振られた後の敗者復活戦である。だが、母親がでてくるとは。大事な箱入り娘に悪い虫がとりついたので退治しようとしたのだろう。自分はそんな人間と思われていたのか。

 子供の喧嘩(恋愛)に親がでるな、お互いもう立派な大人ではないか。失恋の悲しみとは違う悔しさで胸がいっぱいだった。

 

 この痛手から立ち直るのにはずいぶん時間がかかった。けれどいまでは青春の滑稽な出来事として笑って思いだすことができる。Y子さんにも良い思い出をプレゼントできた。相手が誰であれ、男性からバラの花を贈られたという事実は女の勲章ではないか。もてる女の動かぬ証拠だ。

「百万本のバラ」でも振られた絵描きは、好きな人にバラの花を贈ったことを心の支えに生きていたと歌っている。この歌を聴くといつもY子さんのことを思いだす。あんなに素敵なひとだったのだから、バラ色の人生を送ったことだろう。もうお孫さんも大きくなって、「若いころはお祖母ちゃんももてたのよ」と自慢話をしているかもしれない。

 

 2019年7月23日

 

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 〈山本ふみこからひとこと〉

「バラ色」。

 作家がつけたタイトルは「女の勲章」でした。

 本編に流れるやさしさを生かすためにも、タイトルを「バラ色」としました。いかがですか?

 タイトルは大事です。

 読者のこころをトントンと叩くようなタイトルをつけたいものです。

 そも、本作の課題が「バラ色」でした。むずかしいテーマですが、昔を思いだして、気持ちを整理し、感傷的になり過ぎずに書かれましたこと!

 ひととしての学びも、さりげなく置かれていて。

 わたしの大好きなジョージア(旧グルジア)の画家ニコ・ピロスマニの物語が登場したことにもときめき、どきどきしながら読みました。 ふ


煮豆屋さん  きたまち丁子(キタマチ・チョウコ)

 お正月もあけた一月のある日、黒豆を煮てみようと思った。

 ツヤツヤ、ふっくらと煮えた黒豆に気分があがり、それからというもの、金時豆、ささげ、大納言小豆とつぎつぎと手にとり、たっぷりの水につけては、豆を煮た。

 

 ささげで炊いたお赤飯や、大納言でつくったお汁粉を容器につめ、長女のところへ届け、泊まりにきた次女にも出してみる。

 評判は上々。

 豆によっては、一日がかりで寄り添うことになる。いまのわたしには、そんな時間もたっぷりある。

 

 コトコト、コトコト、豆を煮る静かな音につつまれ、わたしはこんな空想をする。

 

 小さなお店のカウンターに、大きな蓋つきのガラスの容器がいくつか並んでいる。

 容器には数種類の煮豆が美しくおさまり、お客さまをまっている。

 壁には、

「お赤飯の注文、承ります。

 お汁粉あります」

 という貼り紙。

 

 そんな空想を、長女に話してみた。

 台所仕事をしていた長女は手を休めず、ふふふっと笑う。

「楽しいかなあとおもって、ちょっと話しただけ」

 と、わたしは心の中でつぶやく。

 幼い日の長女なら、こんな空想話に目を輝かせ、続きを聞きたがり、そばを離れなかっただろう……と、思う。

 別の日、次女に話してみる。

「どうかなあ……」

 と、次女はふふふっと笑う。

 幼い日の次女なら、こんな空想話を聞くや、

「いらっしゃいませ!」

 と元気な声を張りあげ、煮豆屋さんごっこを始めただろう……なんて、思ったりする。

 

 二人になぜ、こんな空想話をしたのだろう。急におかしくなり、わたしはふふふっと笑う。

 

 コトコト、コトコト、豆を煮る音だけが、台所に響きわたる。お鍋の中をのぞいては、水を足す。

 豆に寄り添っていると、様々な想いが、わたしのそばを通りすぐていく。

 

 2020年4月4日

 

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 〈山本ふみこからひとこと〉

「煮豆屋さん」。

 読んでほっとし、明るい気持ちになりました。

 情景が、作家のこころの動きが、目に浮かぶようです。

 作品としては、「パターン化」が実現しているのが、特徴でしょうか。

 ご長女のふふふっ、次女さんのふふふっ、作家自身のふふふっ、が、共通して立っている。これがパターンです。これが成功すると、読者が安心して作品を受けとめられます。内容を理解するという意味でも、期待を裏切らないという意味でも。

 本作は課題「おあいにくさま」のもとで描かれています。

「おあいにくさま」は、相手の期待に添えないときに断りとして(あるいは皮肉の意をこめて)使うことばです。

 とすると、このたびこのテーマからは逸れることになりますが、そんなことはかまいません。

 かまわないけれど、辞書を引くことは大事。それはお伝えしておきます。 ふ