2024年7月


断捨離   スズキジュンコ

 

 何年か前に突如として脚光を浴びた「断捨離」という言葉は、世間に根付いたと思う。

 正確な定義はよう知らんが、自分の生活と向き合い、不要なものは捨てて、シンプルかつ快適な生活を送るとともに物への執着からはなれ、所有物にとらわれることのない生活を手に入れる事を目指すとか、何とか……。

 提唱者のやましたひでこさんのホームページを見ると、「使わないものを手放すことで、本当に必要なもの、価値のあるものがさらに浮かび上がってきます。」とある。だがこれは、人によりけりと私は思う。

 

 先日テレビで田原総一郎の仕事部屋を兼ねた自宅の様子を見たけど、本や書類がうずたかく部屋中に積まれていて、カオスだった。

 不便してる様子もなかったし、自分にとっては大切なものだらけなんよ、といったすっきりとしたお顔をなさっていた。  

 

 外から帰ってきたときに、部屋がごった返していると、どっと疲れが出る気がするから、少しは片づけに気を使うが、必要なものだけに囲まれているという感じはない。見回すと、ガラクタと必要なものと6対4くらいの比率になっている。

 知らない間に物が増えて、片づけするのがめんどくさいと思うと、たまに狂ったように物を処分するけど、物と向き合うとかはしない。というかできてない。

 とりあえず捨てる。そこを一歩進めて捨てまくりはじめると、もったいないという感情が薄らいで、快楽中枢が刺激されて少しおかしくなる。

「ガラクタを捨てて、価値あるものを手元に残すとかそういうのダサい。なんか、大事なものから捨てていこうみたいなのがええんじゃ」と必要なものまでゴミ袋に投げ入れて、物欲や執着を退ける立派な思想の持主になった気分になる。

 妄想だが、大金を手にして、札束ごとドブ川に投げ捨ててみたくなる。調子に乗って無理言って買ってもらったダイヤの指輪なんかも指から外して、惜しげもなくライオンの檻の中に投げ込もう。

「あの人 気前よくなんでも人にやったり、ドブ川に捨ててはったけど、家の中にはガラクタしか残さんかったね。」「大したひとやったな」と言われるかと思うと思わずほほが緩むが、それこそ妄想。「アホや」と言われんだよ。

 これは「アホ」がすることです。

 

 一方、思い出というか記憶というのは、苦い(・・)辛い(・・)ものの方を皆捨てられずにいるのではないだろうか。

 実家の母の愚痴など聞いていると、楽しいこともあっただろうに、いやな記憶ばかりを鮮明に心に溜めていて、びっくりしてしまう。

 私だって、昔別れた恋人と過ごした幸せな記憶など知らないうちに手放しているが、別れるきっかけになったいやな出来事など、絶対忘れることが出来ないからね。

 大切なものは案外あっけなく捨てられるのかもしれない。

 

「まあ私はガラクタと苦い思いだけを残して、死んでいくんだろうなあ」と思う今日この頃。

 

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 ひとの「持ち方」には、おおいなる共通点と、おおいなるちがいとが、ありますね。

 そこにはそれぞれの過去、現在、未来の有りようがあらわれているからです。

 

「スズキジュンコ」による

 

 大切なものは案外あっけなく捨てられるのかもしれない。

 

 に、どきっとさせられました。

 モノに、あまり執着がないわたしにも、おかしな執着があるのかもしれない……なんてことも考えています。

 それから、過去は変えられると、わたしは思っているのです。

 出来事は変えられないかもしれないけれど、出来事の受けとめ方は変えられるのじゃないでしょうか。 ふ


ランチョンの窓から   コヤマホーモリ

 

 2月○日午後3時半、足の痛みで週に一度通院しているお茶の水の整形外科の受診が終った。

 場所に惹かれて、毎週往々にしてまっすぐ帰る気にならず、書店に寄ったり、神社に寄ったり。今日は神保町駅近くの「ビヤホール・洋食ランチョン」で早めの夕食を取ることにし、坂を下った。

 ビルの2階の店に着くと、大通りに面した大きな窓際の席に通された。コートを脱ぎながら、はじめての店内を見回す。ひとりの客も多く、ほどよい賑わいで落ち着けそうだ。注文は好物の牡蠣フライとヴァイツェンビールに、すぐと決まった。

 ほどなくしてビールが運ばれ、ひとくちふたくち呑む。早い時間から呑むビールはやはり格別、背徳の味か(と、書いてはみたが私はそのようなこと、露ほども思っていない。好きなことばのひとつに※「ハッピーアワー」がある)。  

 歩道を歩く人や靖国通りを行き交う車、向かいに建ち並ぶ古書店をぼんやり眺める。急ぎ足の青年が歩きながら食べているのはなんだろう。建て替え中の三省堂はいつできるのだっけ。あの古書店はまだ入ったことがないけれど、ハードルが高そうだなあ。そして、私の足はいつよくなるのだろう。

 ビールが半分になるころ、揚げたて大ぶりの牡蠣フライがやってきた。ザクザクとした食感のタルタルソースに心が躍る。マスタードとソースもある。付け合わせのキャベツには店オリジナルのトマトドレッシングをかける。鮮やかなオレンジ色のザ・洋食屋の味は、思い描いていた通りである。特筆すべきは、マスタードとドレッシングがガラスの容器にたっぷりと入っていることだ。このたっぷりが重要、店の懐の広さを感じる。さらにガラスの容器が、使いまわしていないのではと思うほどに清潔なのだ。ステンレスの蓋を開ければ、マスタードもドレッシングも今注がれたばかりの顔をしている。私は敬意を払って、ガラス容器を汚さぬよう、ゆっくりとスプーンをすくいあげた。

 牡蠣フライとビールを交互にほおばりながら、ふたたび向かいの古書店に目をやると、「澤口書店」の屋号が目に飛び込んできた。あれ? さっきは気づかなかった。3年前の実家仕舞いの時にお世話になった古書店だった。父の膨大な本、展覧会の図録、特に大判の美術全集の引取り先がなく、電話をかけまくった。需要がない、100冊以上から、などと言われ続けた中、唯一引取りに来てくれたのがこの古書店だ。手伝う間もないほど、70代と思しき店主の荷捌きが清々しかったのを覚えている。買い取り料金は雀の涙だったが、安心して父の本を託したのだった。

 父の本はないかもしれないが、帰りにのぞいてみよう。店主はいるだろうか。寄り道すると必ず小さなよいことに出会う。今日もとてもよい日である。

 

 

※ハッピーアワー 飲食店が平日の16時~19時くらいの時間帯で、アルコールを手ごろな価格で提供するサービス

                       

2024年2月

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 ……いいですねえ。

 牡蠣フライ食べたい。

 ええとわたしは、白ワインかウィスキーで。ええ、ハッピーアワーでゆきますとも。

 

 読みながら著者と同じ体験をする——これが読書のよろこびであり、ひとつの大きな価値だと思っています。読むことが、書くことと同じほどの創造性をもつことを、信じて疑わないわたしです。

「読まない」「読めない」ひとがふえたのは(そうでもないんじゃないかとわたしは思うのですけれどね、ともかく、そう云われるようになって久しいです)「書かなくなった」からです。「読む」と「書く」とは、一直線上で引き合うものではないでしょうか。

 

「ランチョンの窓から」を読みながら、そのことを確かめましたよ。

 素敵なハッピーアワーを、どうもありがとうございます。  ふ

 

 

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〈お知らせ〉

2024年7月20日(土)、21日(日)

東京浅草においてブッックマーケット2024が開かれ、わが「ふみ虫舎」も参加します(くわしくは山本ふみこHPをご覧ください。地図もつけました)。
わたくしは、2日間会場におります。 山本ふみこ


山笑う四度見直す旅支度  木下富美子(キノシタ・フミコ)

 

 荷物をつめる。出したり入れたり、上下を入れ替えたり。

 帽子はゴアテックスの雨用一つで晴れの日も兼用にしよう。綿のつば広の方は置いていく。一重のワンピースもちょっとくつろぐのにいい。そこまでゆっくりする時間もないから絹の長めのチュニック1枚でいいか。これが薄くて、たためば厚みは1㎝にもならない。湯上りにもいいし、重ね着にも重宝する。傘も一番軽いのにしよう。モンベル山用で100gないわ。チュニックもはかってみると130gだった。そういえば私は、リュックにつめながらいつも色んなものをはかりにのせているのだった。今つめている衣類より薄くて軽いものはないか……と思いながら。

 しかも出かけるときにはリュックの中身は8分目にしておく。こうして荷物をつめている時が一番たのしい。

 なぜ軽くするかというと、旅は身軽が一番だから。

 自分の脚で歩いて目で見て全身で空気感を感じたい。だから荷物は街歩き用の軽いリュックひとつと決めている。色ですか?色はショッキングピンクだ。迷子になってもだれかに見つけてもらえるようにと思って。あそこでおばあさんが倒れてましたよなんてことの無いように。

 

 さてとこの春はミステリーツアーに出かけるのです。3泊4日なのでねずみ色のおばさんルックにならないようコーディネイトも考えている。春らしく。目立ちすぎずに遊び心も入れて。誰かに声をかけられたらお茶に行けるような服で。

 というのは昔、仕事帰りにお茶に誘われたのでした。ちょっと粋なおじさんに。でもその時は子どもがまだ2歳でね。気がつけば毛玉のついた服を着ていたのです。でそれが理由でお茶を断りました。

 あのときからこのこしらえでお茶に行ける!? というのが私の基準になっている。

 

★「目隠しで触れると茄子でさえ怖い」

 たまたま今朝の新聞にあった川柳です。

 実際「ミステリ―」と言われるだけで期待感が倍以上になる。この不思議。大まか九州ということはわかっている。豪華客船,新幹線,飛行機とこれだけでもうれしい。特急のグリーンに乗るのも初めてだ。別府温泉か湯布院か「かもめ」で武雄というのは遠すぎだろうか。

                         
 2024年3月1日

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〈山本ふみこからひとこと〉

 毎度のことですが、「木下富美子」のタイトルは、俳句です。

 それだけでうらやましいですね。

 

 山笑う四度見直す旅支度

 

 ですって。

 

 旅支度ほど個性のあらわれるものはないかもしれません。

 おもしろく読みました。

 ねずみ色のおばさんルックにならぬように……は、わたしもこころに刻みました。

 

 ところで。

 かつて富美子さんをお茶に誘ったひとのことを、確かめなくちゃ、と思って、

「それは、どういうひと? 通りすがりのひと?」

「あはは、まさか。職場の先輩ですよ」

  

 ですって。 ふ


2024年6月


アンソロジー 顔    守宮けい(ヤモリ・ケイ)

 

  要

 

 お化粧で、まゆげが要と知ったのはいつの頃だったか。

 その頃から似合うまゆげを模索しながら、せっせとまゆげを整えてきたけれど、日によって上がったり下がったり。長かったり、短かったりの繰り返し。

 朝、鏡に向かう時間が年々短くなっている。いろいろ顔に塗りつけることも、パーツごとに手をかけることも少なくなった。

 だけど、まゆげには今でもしっかり時間をかけ、精神統一して臨んでいる。

 

「今の流行りは、自然な生えかたを活かして、整え過ぎない太めのまゆげです」

 と、まゆげワンポイント講座で教わった。

 まゆげを整える電動カミソリ、まゆげのマスカラ、まゆげ用ブラシ、などなど。まゆげ専用の今どきの道具を使いながら、顔映りのよい色のアドバイスを受け、2、3才若返って帰宅する。

 息子に最新のまゆげを披露する。

「これまでのまゆげを覚えていないから、わからない」

 はて?

 まゆげは顔の要、だよね。

 

 

 入れ墨

 

 夫の母は前衛的な考え方をする人だった。

 たとえば。

 名前を変えていた。本名はイトエといったが、夫とわたしはヨーコさんと呼び、わたしの子供たちも、「ヨーコおばあちゃん」と呼んでいた。

「けいさんも、名前を変えたらどうかしら」

 と、一度言われたことがある。

 なんでもわたしの名前は、夫が早逝する名前だと、ある占術家に言われたらしい。けれど、特に強くすすめらるわけでもなく、その後も改名のかの字も言われず、そのとき一度きりの会話であった。

 

 結婚して間もないころ。夫の実家に帰ると、義母の印象がなんとなく違っていた。あとから話しを聞くと、まゆげに入れ墨を入れて、化粧の手間を省くようにしあとのこと。

 近くでみても、地のまゆと馴染んでいる。

 それ以降、どんな時も美しいまゆが顔にある義母だった。

「お義母さん、度胸がありますね」

 と、言ったことがあったかどうか……。

 はっきりとは覚えていない。

 

 

 化粧

 

 1月、義母が身罷った。

 昨年3月に誤嚥性肺炎で緊急搬送されたのち、積極的な治療を施す病院ではなく、見守りのための病院に移送されてから、10か月後のことだった。

 その間、ひと月に一度、東京から関西まで新幹線で見舞いに行った。

 感染症対策で、面会時間や面会頻度に制限があった。

 意識もなく、身動きもできない義母に話しかけながら、固まった手や足をさすり、20分経つとバタバタと帰る。

 それが何になるのか分からないなか、義母のためというよりは、わたしは自分のために通っていたのだと思う。

 

 義母の病室までの数メートルの廊下から、他の病室がチラチラと見える。初めてそこ(その病院)に行ったとき、目に飛びこんできた光景に、ゾワゾワしたものが足元からあがった。 

 人間の尊厳とか、本人の意思はひとまず棚にあげられ、一度つないでしまったチューブを外すことは、犯罪につながる。

 義母の肉体をこの世につなぎ止めておくことに、いったいなんの意味があるのか。

 繰り返し湧いてくるこの疑問に、答えを見いだすことを、わたしは途中から放棄した。

 

 棺の中、薄く化粧がほどこされた義母の顔。

 とても綺麗だったことが、嬉しかった。

 

 

 2024年2月28日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 このアンソロジーを読んだとき、思いました。

 しあわせって、これだ、と。

 

 ご自身の仕事に打ちこみ、ご家族のために心を砕き、友人知人に心配りをする作家が、久しぶりに見せてくれた作品です。

 あなたの人生には、こういうシーンもあったのですね、と思いました。

 そうして、これを読むことができた自分を抱きしめてやりましたよ。 ふ


ノートを紹介します    夛田精子(ただ・せいこ)


 文房具が好きな私は、文房具店のみならずデパートでも、スーパーマーケットでも、そのコーナーをみつけると、思わず立ち寄っています。

 原稿用紙をさがしていたときに出合った、なかみが原稿用紙のノート。

 早速1冊求めました。

 これまではエッセイの下書きを、原稿用紙に書きこんだり、マス目のノートに書きこんだりしていたのですが、このノートに出合ってからは、これに書いています。

 書き終わったものを読み返し、鉛筆の下書きを消したり、赤青鉛筆で線を引いたり。センテンスを移動させたりもします。

 

  そんなこんなで3年近く書きこんでいたノートも、最後の1枚となり、久しぶりに銀座へ買い出しに行きました。

 そういえば前回のノートをみつけたのは、いまは閉店した新宿・小田急デパートの伊東屋でした。

 広いフロアにたくさんの種類があり、ぶらりと寄っても、あれこれ小1時間は楽しめるコーナーでしたっけ。

 

 銀座2丁目の伊東屋3Fのノート売り場をめざし、あれこれさがしました。

 ありました。

 インバウンドで混んでいる細長い店内をかいくぐり、レジに向かいます。

 たくさんのシールを両手いっぱいにかかえている女の子や、カードをぎっしりと詰めこんだカゴを持っているひとたちを見ると、世界中に文房具を好きな人がどれだけ多いかが思われますし、ツアーの目的の中に、伊東屋探訪を入れている人も少なくないのだろうな、と。

 

 ノートは、少し考えて3冊書いました。

 これでしばらくは、安心してエッセイの下書きを書くことができるでしょう。

 

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 文房具へのあこがれが、あらためて湧いてくるようです。

 このエッセイは、旅であり、形式としてはロードムービーみたいです。ごく身近な冒険や、移動を大切に、書いてゆきたいですね。 ふ 


100字エッセイ祭り

 

 会員の皆さんの「100字エッセイ」傑作選です。

 通常の作品発表は、作家に前もってお知らせし、文字データをいただいて準備しますが、「100字エッセイ」はお断りせずここに発表します。どうぞおたのしみに。

「100字エッセイ」は書き手をいろいろな意味で鍛え、脳もこころもやわらかくしてくれます。どうかそれを信じてとり組んでくださいまし。 山本ふみこ

 

 

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きむら ゆい
  

近所の桜並木を散歩しながら、去年は桜を見なかったなと思う。どうしてだったっけ。……そうだ。お母さんの具合がよくなくて、桜を見る間もなくいつの間にか春が過ぎていたんだ。今年は母もお花見に行けたらしい。(99字)

 

 

朝から息子に話していた。「キミの靴を買うから、きょう高校が終わる時間に迎えに行くよ」 そこで横から夫がひと言。「いや、一緒に行く必要ないだろ。自分で行って好きなのを選んで買えばいいよ」はい、その通り。(100字)

 

 

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みつお のぶこ

「なんで」「なに」がブームの3歳児。「みずって何?」ときた。新1年生の兄が「くうきみたいなこと」と即答。「おー、やるね」と感心する。でも……、水を得るため歩き続ける子がいること、いずれ知ってほしいな。(100字)

 

 

赤いトートバッグに目を引かれた。薄墨で描かれた図柄もいい。「とがったデザインだね」と娘。でも買うんですよ。レジに持って行くと「This Good」のひと言。「Yes!」ここはシドニーのユーズドショップ。(100字)

 

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かい ていこ
 

みそは2種常備。四角いケースの中央を昆布で仕切って右にわたしの故郷の仙台みそ。左に夫の故郷、鹿児島の麦みそ。みそは南北活躍機会均等の精神のもと、右隅と左隅から粛々と! あれ仙台みそがもう無い。まただ。(100字)

 

 

名前をかこう、さあかこう。結婚前は中嶋てい子。夫の母の娘時代は中島妙子さん。最近知り合った知的でスリムな彼女は中島啓子さん。名前を書こう、さあ書こう。今のわたしは甲斐てい子→かいていこ→書いて 行こ?(100字)

 

 

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守宮 けい(やもり・けい)

なぜか、なぜか和裁を習いはじめた7月。浴衣の反物を手に、自分で縫いたいとつぶやいたのがはじまりだった。そもそも、反物を買う予定でもなかったんです。時計草の柄の布地。予期せぬことの連続が人生ってホント。(100字)

 

 

靄の中、手さぐりで人に近づこうとした。わたしはその人とどうなりたいの? どうともなりたくないのだわ。ならば。さぐる手をとめ「次」の機会にしようと思うのです。「次」の機会があるのか、わからないけれど。(99字)


寂しいとか、心細いとか  くりな桜子(クリナ・サクラコ)


 今年(2024年)1月下旬、婦人科系の病気を患い、手術を受けることになった。

 

 幸運なことに、これまで大きな病に臥せることなく還暦を迎えた。今回の病気も命にかかわることはないから、緊張よりも術後の健康で快適な生活への期待の方が上回る気持ちで手術に臨むことができる。

 無事手術は終わった。

 全身麻酔だったので、あっという間だった、患者の私には。

 問題はその後……。

 右手に点滴、左手中指には酸素飽和度を測るパルスオキシメーターを付け、口元には人工呼吸器、両足ふくらはぎには術後の血栓予防のため間欠的に圧迫するフットポンプ。ゴボゴボとかプシューという音とともに十数時間続くそれらすべてが辛くて苦しくて、自分の堪え性のなさに情けなくなる。

 ああ、私は何にもわかってなかった。

 これまで人から病気の話を聞く度に、心から同情し心配しているつもりだったけれど、重篤な病気の人の絶望感、焦り、不安な気持ち……。私は何にもわかってなかった。

 身動きとれない体と気持ち悪さの中、ぐるぐるとそんなことを考えた。

 寂しくて心細くて、看護師がやって来てくれるのを、心待ちにする。左手に握らせてもらったナースコールが行方不明になった時には、パニックになりそうだった。

 

 術後1か月が経ち、順調に回復している今思う。

 たしかに大病することなくここまで来られたけれど、今後年齢を重ねるにつれ、ややこしい問題がたくさん出てくるかもしれない。

 老いて体が思うように動かなくなった時、これまでできていたことができなくなった時、素直にそれを受け入れられるのだろうか。夫と私、どちらか1人になったら、それまでと同じような生活を送って前向きな気持ちでいられる?偏屈な老人にならないかしら。

 寂しいとか、心細いとかと戦うことになるかも。

 

 いやいや、と私はかぶりを振る。

 あの時病室のベッドの上で自分の不甲斐なさにため息をついたけれども、もう一方で今の自分は大切なものをたくさん手にしている、と気づく瞬間も訪れたのだ。それはこれまで最善を尽くしてきた自分がちょっと誇らしく思えた瞬間でもあった。

 先のことはわからない。懸命に生きていく自分に期待するだけだ。

 

2024年2月21日 

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

「寂しいとか、心細いとか」

 よく読ませていただけたなあと、ありがたいなあと、思わされています。

 

 作家・くりな桜子さんのまわりはお医者さまだらけ。

 桜子さんご自身はお医者さまではないけれど、名医を支え、名医を育てている、という点では、それ以上の存在と云っても過言ではないように、わたしには思えます。

 

  だからこそ、病という「重荷」を「重荷」としてだけでなく、「恩寵」としてとらえることがかなったのでしょうね。

 

 余談です。

 皆さん、原稿を書くときたびたび登場させることとなる「◯◯することはないので」「□□だったので」という表現について考えてみましょう。

 

「ので」?

「から」でもよくない?

 

 というところにも、神経をつかってみましょう。  ふ


2024年5月


ケーキ屋さんに文庫   三澤モナ(ミサワ・モナ)


「おや、本が並んでいる」

 小さなケーキ屋さんの壁ぎわに文庫本コーナーを見つけたのは数年前。秋田市郊外の歯医者に通い始めてまもなくだった。

 歯の治療のあとに、ケーキ屋さんに立ち寄る自分を笑いながら、治療のたびにごほうびのお菓子を買う。いつも文庫本を横目で見て帰る。

 工房と店舗だけの小さな可愛いケーキ屋さん「ア・ドゥマン」。ケーキのショウケースが一つ。アツアツのアップルパイが、ショウケースの上に所せましとならぶ。このアップルパイがとても美味しくて人気がある。

 50代と思われる男性ひとりで営業している様子。口数の少ない、素朴な印象のパティシエである。

 

 昨年末、歯医者さんの帰りにまた立ち寄った。

 会計を済ませた後に、思い切って尋ねる。

「あの……この本は貸し出していますか?」

「はい。貸し出しています」

 よくよく見ると「またあした文庫」と、小さなカードが立ててある。それまで気づかなかった。いい名前……。

 200冊以上あると思われる文庫を眺めて、2冊選んだ。

「これ2冊お借りしたいです。何かに記録しておくのですか?」

「いいえ。何もないんですよ。どうぞ」

「これらは、マスターがお読みになった本ですか?」

「まあ……、初めはそうでしけど……。そのうちお客さんが持ち込むようになって……読んでいないものも増えました……」

 ちょっと照れたように笑った。

「いつまでにお返ししたらいいですか?」

「どうそごゆっくり……。いつでもいいですし、(小さい声で)返さなくてもかまいませんよ」

 

 年が明けて、本を返しに行こうと思い立つ。

 ついでにパイとクッキーも買おう。

 実は、2冊借りたうちの1冊を私はとてもほしくなっていた。

「アフロ記者」(稲垣えみ子著・朝日文庫)という本。新聞記者という、書く仕事の人の本気が伝わってくる気がした。ネットで注文してもいいのに私は、あのマスターなら許してくれるかもしれない、と思っている。代わりに読み終えた私の文庫本を置かせてもらおう。

 パイとクッキーを包んでもらい、会計を済ませた後に、実は……と切り出した。

「この本をとても気に入ってしまったのですが、これをいただくことはできませんか?」

 マスターは言った。

「いいですよ。稲垣さん、最近ラジオにもでていますね……」

「はい。私は最近テレビで見ました……ほしいなんて、図々しくてすみません」

「いいえ。よかったですね」

 

「よかったですね」

 ……思いがけない言葉だった。少しはずんだ気持ちになって、お菓子と本を抱えて帰る。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

「よかったですね」

 ということばに、うっとりしました。

 

 こんな感覚がこの世にひろがったら、いいなあ……。 ふ


雪降る夜におもったこと  きたまち丁子(キタマチ・チョウコ)

 

 天気予報によると、今夜夜半から明け方まで、雪が降るらしい。

 雪が降る前というのは、部屋の中の空気が急にひんやりとし、外はシーンと静まり返る。

 雪が、少しずつふりはじめる街の静けさが、子どものころからすきだった。

 

 夜更けや朝方、暖かい布団の中で聴く雪降る音。

 降りはじめは、音ではなく、気配のようなもので気づき、その静けさに耳を澄ませる。

 静けさに包まれて暖かい布団の中でうとうとする。

 

「雪の降る街を」☆ のメロディが、何処からともなく聴こえてくる。

 この曲は、短調で始まり、やがて、長調に転調する。

 

「遠い国から落ちてくる この想い出を」という歌詞のところで転調される。

 その歌詞にさしかかると、わたしはいつも、空から降ってくる雪と、遠い国から落ちてくる想い出の溶け合う映像が、ひろがる。

 

  87歳になるわたしの母は、元気にひとり暮らしを続けているが、会話となると、生まれ育った町、鳥取県の弥生町の話になっていく。

 

 結婚して、60年以上暮らす東京より、生まれ育った鳥取の町がいいという。

 

 最近は、子どもの頃のことばかり思い出すようで、遠い国からたくさんの思い出が落ちてきて、思い出をかみしめていると、1日があっという間に過ぎるらしい。

 

 そんな思い出話を、わたしはただ黙って聞いている。

 

「鳥取はいいところね」

「楽しいこども時代だったのね」

 

 などという優しい言葉を、なぜかけてあげられないのかなあと、いつも帰りのバスの中で後悔する、

 

 雪はどのくらい積もっただろうか。

 朝、窓に近寄り、そっとカーテンを開ける時のワクワク感は、子どものころから変わらない。

 雪が降り積もると、思うことがある。

 降りはじめる前のあのひんやりとした空気はどこかに消え去り、ふわりとした雪の暖かさのようなものがやってきて、わたしは寒さを全く感じなくなる。

 それは、短調から長調に転調される時の、あの曲の印象とも重なるような気がしている。

 

 

☆   雪の降るまちを

  作曲 中田喜直

  作詞 内村直哉

  1951年NHKラジオドラマ「えり子と共に」の劇中歌としてつくられた。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 中田喜直のメロディーに包まれる思いがしました。

「めだかの学校」「夏の思い出」「ちいさい秋みつけた」ほか、それはそれはたくさんの歌をつくった作曲家の、どことなく異国情緒を醸しだす「雪の降る街を」との再会をかなえた「雪降る夜におもったこと」。

 その意味でも、「きたまち丁子」に感謝したいと思います。

 

 そしてそして。

 歳を重ねたお母さまが、会話となると、いつしか生まれ故郷の鳥取のはなしにうつろってゆくというなりゆきが、あまりにもうつくしいではありませんか。

 80歳代、90歳代を生きることが許されたとして……、わたしは、どこの何をなつかしく思い返すだろうかと、想像せずにはいられません。

 思いがけない土地での、思いがけない記憶が浮かび上がってくるのかもしれません。そうしてそこで、思いがけないひとの名を口にしたりして、まわりをギョッとさせたりするのです。

 

 そんな思い出話を、わたしはただ黙って聞いている。

 

 と書く「きたまち丁子」のセンスが慕わしく想われます。

                    
 山本ふみこより


シャケ缶              おりべ まり


 夕食に必要なツナの缶詰を買い忘れたことに気づき、スーパーへ車を走らせた。

 

 ヨーロッパも物価の上昇で、缶詰類でさえもずいぶん高くなった。安いのにしようか、中ぐらいの値段にしようか、それともちょっと高いがおいしそうな瓶詰めにしようか……などと頭をひねっていたところ、となりのシャケ缶が目に入った。

 

 小学校2年生のとき、実家をリフォームすることになり、3か月ほど、私たち親子は歩いて10 分ほどの知り合いの家の2階を借りて生活することになった。

 実家の工事には、田中さんという大工が、時々弟子を2人ほど連れてくることもあったが、ほぼ1人で作業していた。

  田中さんは一見コワモテである。右目がつぶれていて刃物で切ったような傷跡がある。華奢な体と、剃った頭にタオルを巻き、白いダボシャツ、腹巻、そしてニッカボッカ。その風貌から、 初めて会った時は、子どもの目には、「ちょっとあぶない人」に映った。

 

  そんな様相とはうらはらに、田中さんの声は小さく、穏やかで、とても優しい人だった。

 

  ある日の夕方、わたしが実家近くの公園で遊んでいると、その日の作業を終えた田中さんが帰りしなに、

「まりちゃん、いまのおうちはちょっと遠いんだからもうお帰り。」

 と、わざわざ車を降りて、そう言いに来てくれた。

 一緒に遊んでいた友達のゆうちゃんは、

「だれ? このおじさん……。」

 とちょっとだけ怯えたような顔をした。

 

 わたしはリフォームの進み具合に興味津々で、時おり、土曜日の学校帰りに工事中の実家に寄った。ちょうどお昼の時間で、田中さんはお弁当を食べていた。

 

 田中さんのお弁当はたいてい日の丸弁当におかずがシャケ缶だった。アルミの弁当箱にご飯が雑に入っており、大きい梅干しが真ん中にひとつ。赤紫のしその葉の色が真っ白いご飯に少ししみ 込んでいた。母がわたしに作ってくれるのとは違い、なんてさびしいお弁当なのだろうと思った。

 

 田中さんがそのシャケ缶を缶切りでキコキコと開けて醤油をタラっとかけて食べている姿が、子ども心にとても切なく、気の毒に感じられた。それでいながら、お腹がペコペコのわたしには、そのシンプルなお弁当がとてつもなくおいしそうに見えた。

  

 後に母から聞いた話では、田中さんの奥さんは重い腎臓病を患い、子どもにも恵まれず、早朝仕事に出る旦那さんのお弁当も作れなかったそうだ。奥さんの看病も大変だと話していたらしい。

 
 わたしはその日スーパーで、ツナ缶とシャケ缶をひとつずつ買った。

 

 翌日、ひとりの昼食。お気に入りのわっぱの弁当箱に、ご飯を詰めて真ん中に梅干しをのせた。

シャケ缶をパコっと開けて、醤油を垂らし、田中さんに想いを馳せてそのお弁当を食べてみた。

 
 遠い国で頬ばるシャケ缶弁当は、思ったとおり、とてもおいしかった。

 

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 シャケ缶が大好きです。

 遠い昔のはなしですけれど、訊いていただけるでしょうか。

 身ごもったとき、しばらくのあいだ、悪阻がひどくてわたしはほとんど何も食べられなくなりました。シャケ缶に醤油を少したらして、そこにレモンをしぼったのだけは、美味しく食べられたのです。不思議でした。

 ということは、シャケ缶は、わたしにとってもっとも好ましい食べものなのではありますまいか。

 なつかしい食べものでもあります。

 いま、シャケ缶はお安くない……、のばした手をひっこめてしまうことになりがちな高級品となりました。

 

 余計なことを書きました。

 だけど、ヨーロッパから届く、こんなにの想い深い随筆に、共通の記憶を置いてみたくなること、許していただきたいのです。

 

 もう何も云いますまい。

 ゆっくり味わってお読みくださいまし。


 山本ふみこ より

 


ハトのおんがえし   碧るこ(アオイ・ルコ)


 それは、もう何十年も前、わたしがまだこどもだった頃のおはなし。

 日本が、戦後の混乱から、立ち直ってきたころのこと。

 

 知り合いから譲りうけた、ハトを家で飼っていたの。

 ポッポと名付けて、わたしはよくお世話をしていたわ。

 ハトのポッポが家にいる生活は、楽しかったわ。

 でも、しばらくしてどういう事情か忘れたけれど、ハトを逃がすことになったの。

 家族みんなで、青い空へ放したの。

 ポッポは、パタパタと飛び立っていったわ。

 

「さようならー。元気でねー。」

 それからまた、しばらくたったある日、近所の人が言ったの。

「お宅の家で飼っていたハト、公園にいるよ。」と。

 ああ、元気にしていたんだ、と、ホットしたわ。

 そんなある日、自宅の2階の部屋で、窓を開けて外を眺めていたら、

 目線の先の、隣の家の屋根に、ハトが3羽とまっているのを見つけたの。

「あっ。」

 なんと、1羽はポッポ。あとの2羽は家族ね。奥さんとこどもかしら。

 ジーッとこちらを見ているの。そうしたら、ポッポが、ぱたっと飛んで、部屋に入ってきたのよ。

 歩きまわったり、わたしの肩に乗ったり、部屋の中を飛んだり。

 そのうち部屋から出て行ってしまったわ。

 ただそれだけのこと。

 それだけのことなの……。

 

 あれから、何十年もたち、その間、良いことや、悪いこともあった。

 思い返すと、ポッポの出来事は、良いことだったのだなー。と、思えるの。

 だからこうして、ときどき思いだすのね。

 お金を届けてくれたわけでもない。

 幸福をもたらしたわけでもない。

 わたしに会いにきてくれただけ。

「元気にしているよー。お嬢ちゃんも元気でね。」

 そう言ってくれている感じだったわ。

 

「ただいま。」

「おかえり。るこ。」

「あら、お母さん、何か楽しそうね。」

「ふふふ……。今ね。コドモるこちゃんに、ハトのお話をしていたのよ。」

「コドモるこに?」

「楽しかったわよ。ニコニコしながら、お話を聞いてくれたのよ。」

「よかったね。それじゃあ、これから、わたしオトナるこが、お話を聞こうかな。

 ハトのお話以外で、何かある?」

 

 そうねえ……。あれは、もう何十年も前のおはなし……。

 

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 書いているあいだ、ずっとたのしかったでしょう。

 わくわくしながら、書いたでしょう。

 

 このスタイルで、いくつも書けそうですね。

 こんなふうに、ご自分のスタイルをつくることができるというのは、ものすごいことなのですよ。花火を打ち上げたいような気持ちです。

 

 それに、たとえば。

 辛いことがあったとき、疲れきったとき、わけのわからない目に遭ったとき……、書くことで気持ちを整理したり、立て直したりすることができます。

 うれしいときだって、同じです。

 自ら言祝ぐことができます。

 

 碧るこさん、つづきも待っています。

 

 山本ふみこより


2024年4月


相済みませんでした   桜本和美(サクラモト・カズミ)


 昔から夫は忘れ物が多い。

 ゴルフから帰ってきて、「洗濯物出して」といったら、「アッ、着替えを入れたスポーツバックを置いてきた」と。

 精算するとき、近くの棚にバックを置いてそのまま帰ってきたのだ。すぐに電話をして翌日、ゴルフ場まで二人でドライブがてらとりに行く。

 

 こんなこともあったな。

 郵便局へ土曜日にお金を下ろして行って帰ってきたら家の鍵がない。持っていったセカンドバッグを置いてきたのだ。慌てて引き返したがもうバッグはなかった。お財布はお金を下ろしてポケットに入れた。しかし家の鍵はバッグに入れたと言う。警察署に届けたが、住所を調べて泥棒に入られたらと夜もおちおち眠れない。月曜になり、これは玄関の鍵を取り替えないとダメかと思っていたところに、夕方警察署から連絡きた。郵便局の人が届けてくれたという。  

 でも、土曜日で閉まっていたはずなのに。火曜日の朝御菓子を持ってお礼に郵便局に行った。きけば月曜の朝お客さんが届けてくれたという。その人はATMに行ったらカバンをみつけたが、警察署までは持っていけないからと家に持ち帰り、月曜日に郵便局へ届けてくれたという。

 

 日本はなんとよい国なのだろう。まだまだスマホを忘れてきたり、書き切れないほど忘れ物があるが、いつも手元にもどってきている。

 

 先日スーパーに買い物に行き、レジを済ませると、夫が買い物袋に詰めてくれ車に向かっていた。その日のお昼は天ぷらうどんにしようとてんぷらを買ってきたはずだったが、買い物袋の中に見当たらない。

「そうだ、潰れないように最後に入れようと思って忘れてきた。これからとりにいく?」

「もう天ぷらは誰かが持っていっていると思うよ。仕方がない、今日は大根おろしとうどんだけよ」

 その翌日の朝のことだ。

「昨夜、台所の電気が付きっぱなしだったよ」とニヤニヤしながら鬼の首をとったように、夫がいった。

 そうだ、寝る前に湯飲みを洗ったのは私だった。

「相済みませんでしたね。次から気をつけます」

「あなたもね」と、言いたかったがそこはぐっと我慢した。

*****

 うふふふふふ。

「桜本和美」さんのだんなさまは、素敵なひとなのですよ。

 よく知っているつもりです。

 これまで、幾度となく「読まされて」きましたもの。

 けれど、こんな一面があったのですね。

 

(そうは云っても、弱点とおぼしきことでさえ、なんだかたおやかな話となってしまうのは不思議……)。

 

 身近なひとのことを書くむずかしさを、皆さんはいやというほど感じておられることでしょう。

 つれあい。娘。息子。孫。

 こうしたひとたちを描くときには「注意」が必要です。

 距離をとって、はるかなひとをとらえるようにね、描きましょう。

 山本ふみこ


年越し  鷹森ルー(タカモリ・ルー)


「除夜の鐘23時45分より」と書かれた看板が目に留まりました。これまで除夜の鐘をついたことがなく、この歳になってもまだ残っていた「人生初」に、行ってみようと思いました。

 白壁で囲われたその寺院はちょっと敷居が高そうで一度も入ったことがありませんでした。以前、国会議員の鴻池祥肇さんの葬儀があったお寺です。

 

 大晦日の夜は暖かく、行くともう数人が並び、除夜の鐘を執り行う儀式が行われていました。和尚さんが「ひとり、ひとつだけお願いをして鐘をついてください」と言われました。

 順番が来るまで少し緊張しました。びっくりするぐらい力強く鐘をつく人もいれば、やさしい音の人もいます。ちゃんと108回数えているのかなと思ったけれど、誰も数えてはいませんでした。

 

 お寺を後にして帰路につく途中、とおくで鐘の音が聞こえてきます。ゴーン、ゴーンとどこからともなく聞こえる優しい音色もいいなと思いました。

 自宅の近くに来たところで年が変わり、とおくで船の汽笛が一斉に聞こえました。

「ああ、港のある街に住んでいるんだな」と思った瞬間です。

 

 新年の朝、うちのベランダからしゃぼん玉を飛ばしてみようと、子どもと飛ばしていると、初詣の帰りの家族が通りかかりました。しゃぼん玉をみてベビーカーに乗って泣いていた赤ちゃんが泣きやみました。若いお母さんが元気いっぱいに「ありがとうございますー!」と下から呼びかけてくれました。

 はつらつとした気持ちよさに「若い人はいいな」と、私たちは手を振って応えました。

 

 元旦早々、すでに退屈になったので、うちの近所を走るコミュニティバスにはじめて乗ってみようと思い、住吉駅から小さなバスに乗りました。山道のカーブをくねくねと登り、山の手の住宅まで「くるくるバス」は登っていきました。終点で降りると、夕日に照らされた街と海が一望でき、冷たい風の中、荘厳な感じがしました。そして、新年にいい経験をしたなと思いました。

 

 帰りのバスに乗るとバスの運転手さんが

「バス代は1回分でいいですよ」

 と教えてくれました。

 世の中が、お正月で浮かれている中、仕事をしているこの若い運転手さんに感謝の気持ちをこめて、持っていた「バンザイ山椒」というお菓子を渡しました。

 

 再び「くるくるバス」は、輝く海を横目に山の深い谷を縫うように下って行きました。

 

 その頃、能登半島で大きな地震が起きたようでした。  

 

 2024年1月8日

 

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

「バンザイ山椒」を、調べてしまいましたよ。

 食べてみたいな。

 きっと、その地に出かけて食べてみます。

 

 さて、この作品をめぐって、メールのやりとりをしたなかで、鷹森ルーさんが、こんなひとことを送ってくださったのです。

 

  明日はまた寒くなるようですね。

  三寒四温はまるで春を産む大地の陣痛みたいです。

 (自分の出産のときの、寄せては返す陣痛のことを思い出します)。

 

 春を産む大地への畏敬と、感謝が湧きました。

 鷹森ルーさん、どうもありがとうございました。 ふ                   


100字エッセイ祭り

 

 会員の皆さんの「100字エッセイ」傑作選です。

 通常の作品発表は、作家に前もってお知らせし、文字データをいただいて準備しますが、「100字エッセイ」はお断りせずここに発表します。どうぞおたのしみに。

「100字エッセイ」は書き手をいろいろな意味で鍛え、脳もこころもやわらかくしてくれます。どうかそれを信じてとり組んでくださいまし。
 山本ふみこ

 

 

*****

高山美年子(タカヤマ・ミネコ)

娘のマイブームは、グラノーラにヨーグルトをかけて食べること。夫のマイブームは、季節限定のパピコを食べること。私のマイブームは、ヨーグルトを切らさないようにすることと、季節限定パピコを探してくること。(99字)

 

 

*****

三澤モナ(ミサワ・モナ)

「右足さん、シモヤケとひざ痛は大丈夫?」「このごろ少し良くなったよ。左足さんも冷や冷やすると言っていたけどどう?」「私も少しいい感じ。きっとモナさんがウォーキングを再開したからだね。続くといいけどね」(100字)

 

 

「てっぺい(3歳)がばあばんちいく、ばあばんといく、とうるさいの。惚れ薬でも持った?」と娘からLINE。へへ、ぎゅっと抱きしめて「またね」と言っただけ。そんな薬があったなら、昔むかしに使ってみたかった。(100字)

 

 

*****

スズキジュンコ

老いた母と口喧嘩した。グッと堪えて、「はいここまで」にしたけど、勝者然とした母の横顔ちらっ。くっ……。テーブルになんでかあったハイチュウを苛立たしさに任せて食べたら、奥の銀歯が取れしくさりやがってん。(100字)

 

 

*****

原田陽一(ハラダ・ヨウイチ)

常緑樹だって常に緑葉ではない。春に落葉して新緑に入れかわる。会社は4月に、新人入社、異動、退職があって新体制に入れかわる。会社の前、並木の楠が春一斉に落葉する。落葉を踏み、新体制の社員の日々がはじまる。(100字)

 

 

欧米の女性は陽気で、すれ違うとにっこり微笑んでくる。こちらも思わず微笑み返す。ウキウキする。女性と微笑みを交わしたあと、同行の男性が睨むことがある。「僕、何もしていません」と、心の中で懸命に訴える。(99字)

 

 

*****

桜本和美(サクラモト・カズミ)

すれ違いざまに「あっ、こんにちは」といわれた。思わず足を止め、ふり返って挨拶を返そうとしたが知らない人。よく見るとその人はスマホ片手に歩いている。……あら、わたしに声をかけてくれたのでは、ないのね。(99字)

 

 

ねえねえ、聞いてみたいことがあるの。小説を読んでいるとき、わたしの脳内には、登場人物が俳優や友人、近所の人などの顔になって、具体的に浮かんできます。読書がますます楽しくなるのです。あなたはどうですか?(100字)

 

 

*****

西野そら(ニシノ・ソラ)

「バーバへの想いを100字の文にして、みんなの前で読むのはどう?」卒寿を迎える母への贈り物を思い立ち、身内のグループLINEに送信す。誕生日当日、3人娘、その夫と孫たちの100字に一同拍手喝采、雨霰。(100字)

 

 

うわー、やられた。スズキジュンコ作の100字エッセイを読んで、少しばかり興奮する。率直で、優しくて、ユーモアがある。こういうの大好き。そのうえ、この人はわたしの書く気スイッチまでも押したみたい。(97字)

 

*この項3週間前の「スズキジュンコの100字随想」をご覧ください。


痛み  三澤モナ(ミサワ・モナ)

 

 右足の中指がちくちく痛む。虫刺されのような痛み。作業用長靴に虫が潜んでいたのだろうか。2、3日もすれば治るだろうと放置していた。ところが、治るどころか指が大きく腫れているではないか。赤くなって痛い。歩くとき自然に足に力が入り、さらに痛い。

 痛み始めて2週間。やっと重い腰をあげて皮膚科に行く。

「ああ、足が冷たいね。これはシモヤケだね。血の巡りが悪くなってこうなるんだよ」

 年をとると末端に血がいかなくなるんだなあと、つい年のことを思う。

「5本指のくつしたをはいて、あったかくするといいよ」

 ビタミン剤と塗り薬を処方された。

 足指のほんの一部のシモヤケで、足全体がジンジン痛み、気分もなかなか上がらない。

 

 ニュースで、ガザ地区のがれきの中から怪我で運ばれる子どもたちの映像を見る。胃のあたりに何かモヤモヤとした重いものがたまっていく。

 足指に薬を塗りながら、パレスチナの子どもの命を考えていた。

 

 若い友人からのライン。

 親子3人で国会前でのデモに参加したという。イスラエルへ停戦を働きかけるよう、日本政府に訴えるデモだ。

 そこで、パレスチナにゆかりのある人のスピーチを聞いたそうだ。

「母親が自分の子どもたちの全身に、本人や家族の名前を書いている。これで遺体がバラバラになっても見つけられる。私たち家族はまた会える……。でも、3歳の子は体が小さすぎて家族全員分書ききれなかった……」

 友人は言う。

「話を聞いて、私はおもわず、連れてきた1歳のわが子を何度も抱きしめました」 

 

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 シモヤケの痛みから、パレスチナの子どもの命へと、話題は写ってゆきます。

「痛み」を主題としたエッセイであることは明かされていませんし、かの地の人びとが背負う痛みを思えば、自らの足の中指の痛みなんかはじつにじつにとるに足らないものである、とも書かれてはいないのです。

 若い友人から届いた、イスラエルへ停戦を働きかけるよう、日本政府に訴えるデモへの参加を綴るLINEを紹介することで、書き手は自らの立つ「場」を表白。

 この表現手段の選択は、おそらく「三澤モナ」の慎み深さのなせるところだと思うのです。 

 そして、この慎み深さは、世間によって設定されたもの——ほら、大人としてふさわしい、とか、女子として適度、という……ね——ではなくて、作家が人生経験のなかで掴みとった価値観です。

 
 打たれました。 ふ


あふれこぼれるもの   車屋王和(クルマヤ・ミコト)

 

 東京都府中市「郷土の森公園」にて出逢った銀杏(いちょう)の大樹。

 夏には青々とした葉を繁らせ、大きな傘となって道ゆく人々に一息つかせる。早朝散策の折り、わたしにも「王和さん、おはよう」と声をかけてくれる。

「おはよう、今日も逢えて嬉しいわ」

 と、わたしも挨拶する。

 

 10月初旬のこと。

「王和さん、もう少ししたら実をたくさん落とすから拾ってね」

「ありがとう、まかしといて」

 

 10月下旬いよいよ時が来たようだ。巨大な樹からポロッホロッ、パタパタ、ポンポンと黄色の実が落ちてくる。

 毎日、日増しに多く落ちてくる。

 拾う人が多くなる。

 夜半に強風が吹き荒れた翌日、散歩する人もまばら、銀杏の樹の下には、幾重にもかさなるように実が落ちていた。

 ああこの日のことねと、わたしは思った。

 持っていた袋にいっぱいつめ込んだ。

「ありがとう、いっぱいいただきましたよ」

「嬉しいわ。貴女に拾ってもらいたかったのよ」

 なんども繰り返し洗い、大きなザルに広げて天日に数日干し、ようやく美しく色白のサラサラした、ぎんなん完成。

 ハロウィーンに小分けしてみなさんに配り、楽しい収穫祭となった。

 

 まもなく黄緑色だった葉が黄色に変身。

 そして11月には黄金色に輝き、その姿のなんと威風堂々(いふうどうどう)とみごとなことでしょう。

 朝日にライトアップされた瞬間などは、身動きできないほど美しい。

 そしてまた、よい香りがファーと広がっているのだ。

 

 銀杏の樹のような人生が送れたら素敵だわと思った。

「とても立派で美しいわ」

 そう言って称える。

 

 日常生活の中でも、落ち葉をしおりにして、大好きな本にはさんでみたり、絵手紙に銀杏の葉や、プラプラした二子(ふたご)の実を描いたり、葉をなぞって型を取り、クッションカバーにアップリケしたりして、大好きな秋を、わたしは楽しんでいる。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 うつくしい人生ということについて、考えました。

 ……そうして。

 銀杏の樹のような人生が送れたら……という思い方を、おそわりました。

 

 銀杏は樹としての「いちょう」とも、実としての「ぎんなん」とも、読むことができます。使い分けに、ルビをふることもできます。

 文章のなかで、その使い分けをどうするか、もっと云えば、それをどう生かすかは書き手に任されているのですよ。  ふ 


2024年3月


100字随想  スズキジュンコ


「お得ですよ」とか「すぐにお作りします」と声をかけられても、なんか嫌い。キャッシュカードのようなポイントカードは財布に入ってない。が、夏休みのラジオ体操式のスタンプを押すカードには異常執着ありにけり。(100字)

 

 

もっとライト感覚で、もっとポップな感覚で、

もっとドライ感覚で、もっと心地よい感覚で、

もっとハッピー感覚で、もっと陽気な感覚で、

もっとおしゃれ感覚で、

もっとノリノリの感覚で、

もっと、もっと、もっ、ごほっ。(100字)

 

 

ジュンコさん、漢字はどう書きますか?

若い時は、「不純」のジュン。次は「小泉純一郎」のジュン。今は「単純」のジュンと答えているが、ピンとこない人が少なくない。

「純文学」のジュンはどうだ‼

わっ よう言わん。(100字)

 

 

えー 私の好きな食べ物は、首が痛くなるような高い位置にテレビが据えられている蕎麦屋で、板わさを食べながらウーロン杯を飲んでいるオジサンと同席して、徹子の部屋を見ながら食べる「たぬき蕎麦」であります。(99字)

 

 

土曜日と日曜日が離ればなれになってるなんて考えられないと思って、ながいことマンスリー予定表は月曜始まりを使っていた。でも、ある日重大なことに気がついてしまった。水曜日が週の真ん中に無いってどうなのよ?(100字)

 

 

今夜は寄せ鍋。あったまるし、冷蔵庫の在庫も一掃しよう。まず豆腐、そして鶏肉、肉団子もある。ちょっとだけ残ってる豚肉も入れちゃおう。まな板の上で待機してるネギが言った。寄りすぎ、タンパク質によりすぎ鍋。(100字)

 

 

知っているかい? 人間って燃えるんだよ。嘘だと思ったら、エレファントカシマシのライブに行って、宮本浩次が歌っているところを見てみなよ。パプアニューギニアのウラウン火山くらい熱く燃え上がっているから。(99字)

 

 

お正月が過ぎても、目隠し無しで、飽きずに福笑いをやって遊んだ。ちょっと配置を変えるだけで、好きな顔と嫌いな顔がある。美人か否かはパーツの配置具合が重要。

美人になりたいけど、美容整形じゃ無理だなあ。(98字)

 

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

「スズキジュンコ」が、おしえてくれたのですよ。

 100字エッセイは、踊る感じで、うたの歌詞をつくる感じで書くといいって。

 これ、何事にも通じているなと思って、感心しました。

 踊るように。

 うたうように、さ。  ふ

 

*****

「ふみ虫舎エッセイ講座」会員の皆さんへ

 こちらから掲載許可をいただいた上で、お知らせしている作品掲載日に誤りがあることがわかりました。お知らせしている日にちから、うしろにひと月ほどずれます。

お詫び申し上げます。

 掲載日を知りたい方は、お問い合わせいただきたくお願いします。

 

 山本ふみこ


黄緑色  臼井嘉子(ウスイ・カコ)

 11月5日、深大寺動物霊園のオダギリさんという方が専用車でお迎えに来てくれた。

 蓮(れん)が息を引き取ってから二日後のこと。

 

 オダギリさんは、夫と私にお悔やみの挨拶をした後、横たわる蓮の前に座って合掌。

 そしてこれからの段取りを説明してくれた。持ってきた段ボールの棺の蓋に、黒マジックで「蓮」と書き、その横に「11月3日」と命日を書き入れた。

 それから、蓮の黄緑色の水玉もようのタオルを棺の中に敷いた。10日ほど前にシャンプーをしたときにも、身体を拭いたバスタオルだ。

 私は蓮の身体を覆っている布を取り外し、ドライアイス代わりに使った袋入りのロックアイスや保冷剤を身体から下ろした。

 もう11月だというのに、その数日間は夏日が続いて、頻繁に替えてはいたのだが、溶けて小さくなった氷が袋の中でカチャカチャとぶつかりあった。保冷剤はやわらかくなっていた。それでも何とかやり繰りして火葬までの2日間、身体を綺麗に保つことができた。

 

 亡くなる前日の深夜、蓮の身体を撫でていたとき、その見えなくなった目で蓮が私を見ていることに気づいた。言葉を持たない蓮の瞳に私は言葉を探した。

静かな、穏やかな時間だった。

 翌11月3日。

 これからはいつも傍に寄り添っていようと、蓮の横に毛布を敷き準備をした。支度を終えてお昼の12時頃ふと蓮を見ると、何かが違っていた。

 すぐに近づいてその顔を見た瞬間、私は別れを知った。

 身体はまだ温かく、いつもと違うのは呼吸をしていないことだけだった。

 頭を撫で、顔を撫で、身体を撫で、尻尾を撫でた。

「蓮、蓮、蓮、」

 声に出して呼んだ。

 

 両手を蓮の身体の下に差し入れて静かに抱き上げた。若い時には11キロ半だった体重は7キロまで落ちていた。私の手の触れる温もり失った身体は、石のように固く感じた。

 亡くなる前の晩、往診に来てくださったオオタ先生にリンゲル点滴をして頂いたので、身体にはまだ水分が沢山残っていて、抱き上げると蓮の身体から体液が滴り落ちた。口元に当てたタオルも濡れている。枯れるように逝かせてあげたいとわたしは望んでいたけれど、現実は違ってしまった。

「ごめんね」

 棺の中へ、蓮をそっと寝かせた。

 半分垂れている耳は真っ黒なビロードのように柔らかくて、触るだけで癒された。ムチのように固く長かった尻尾は年を重ねるごとにフサフサになり身体が硬直しても柔らかくて、根元から先までを両手の平で包むように撫でた感触は、生きている蓮と変わらなかった。


 夫とオダギリさんが蓮の棺を専用車まで運んだ。

 私は後ろから付いて行く。

 玄関先に停めた専用車には棺を置く台が設えてあり、お坊さんの座布団のような絵柄の布で覆われていた。そこに棺を置いて、明るい色の花束を一つ。

 ドアを閉める前に一礼し、夫と私もその車で火葬場まで一緒に行った。

 

 運転しながらオダギリさんが、気遣って話しかけてくださる。

「何歳だったのですか」

「17歳でした」

「長生きですね、大往生でしたね」

 いろいろなことを思い出すと涙があふれそうになるから、出来るだけ簡単に答えて、外の景色を見るともなく眺めた。

 

 霊園が近くなったとき、「果実珈琲店」のシャインマスカットが大きく描かれている看板が目にとまった。それは棺の中に敷いた蓮のバスタオルと同じ色だった。

 

 

*****

 

    臼井嘉子(ウスイ・カコ)

                             

 蓮の棺を乗せた車は、深大寺近くの土産もの店や蕎麦屋が軒を連ねた通りをしばらく走り、路地を右に曲がった。細い道を入っていくと、墓地と林の間を抜けて深大寺動物霊園の火葬所の前に出た。

 車を停め霊園スタッフのオダギリさんがドアを開けて、夫と私を建物の中へ案内する。

 棺はオダギリさんと火葬所の担当者が運んでくれた。

 ガラス扉の奥に祭壇が作られていて、両側に大きな花かごと、写真立てを取り囲むアレンジメントの花も置かれて華やかだった。

 

 白いサテン生地の布団が敷かれた火葬所のストレッチャーに、蓮は黄緑色のバスタオルごと移された。私は蓮の周りにたくさんの花を置いた。ジェイやさくらやコロや犬友から頂いた花を、みんなの気持ちが嬉しかったから全部持って来て飾った。好物のバナナやパンやササミのおやつも口元の近くに置いた。

 焼香台が運ばれてきて、私はお線香を2本取って蝋燭の炎で火を付け、香炉の灰に立てた。

 そして蓮の写真を見て合掌した。

「安らかに安らかにね」

 

 隣の扉が開けられると、焼却炉はすぐ近くにあった。

 ガラガラと音を立てながら蓮をのせたストレッチャーはその前まで進む。そして亡き骸はストレッチャーの上の台ごと滑り込ませるように炉の中に入れられた。

 どんな音だったか思い出せないのだが、何かとても重い音がして焼却炉の扉を閉められた。それからスタッフによって、扉の左上にあった丸い燃焼開始ボタンが押された。

 私はちょっと息苦しくて自分が身体を固くして見守っていたことに気づいた。それから小さな息を吐いた。

 

「お待たせしました。」

 1時間半の後、待合室に呼びに来てくれたオダギリさんの後に付いて火葬所に戻ると、焼却炉の前には準備が整っていた。

 炉の扉が開けられると、熱い空気がうわっとこちらに押し寄せてきた。

 蓮は横たわったその形のまま骨と灰になっていた。

 それを見届けてから、促されて私たちは前室に戻り、骨を拾うためにしばらくの間待った。

 火葬場の担当は20代と見受けられる女性だった。蓮の前でかぶさるようにして箸を動かしているのが見えた。

 一番最初に運ばれてきたステンレスのトレイには、頭蓋骨。顎のなかには犬歯がまだそのかたちをしっかり残していた。

 夫と私が長い箸を持ち、2人で一つの骨をつかんで骨壺に入れる。それを2回行った後は、手を使って骨を壺のなかへ納めていった。

 火葬場の担当のかたは身体の全ての骨をきっちりと分類し、順番に並べ、丁寧に説明してくれる。頸椎、肩甲骨、胸椎、腰椎、大腿骨。足の骨はかかとから指まで小さいけれど確認できた。そして最後に運ばれてきたトレイには、肋骨や尻尾の骨が置いてあった。

 肋骨の骨は細くて十本くらいが重ねて置いてあった。なんだか鶏の手羽先を食べた後にお皿に残った骨みたいだなと思った。

 尻尾の骨は、付け根から先までみごとに順番に置かれていた。最初は少し大きくて、段々に細くなっていく。一番最後の骨は本当に小さくて箸の先ほどであった。

 長いシッポをパタパタと振ってこっちを見ている蓮がこころに浮かんだ。

 

 蓮のすべてを最後まで見届け、残すものなく納められたことに少しホッとして、私は白い布に包まれた骨壺を、そっと受け取った。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 蓮という名の主人公は、犬さん。

 静かに読んでいただけたなら、それでいい。

 そういう作品です。

 

 読者の記憶のなかから、さまざまの情景が立ち上がるのではないでしょうか。

 わたしもそうです。

 17年間ともに暮らした黒猫のいちご(いち、と呼びました)を見送ったときのことを、思いだしていました。それから時はずいぶん流れましたが、いつもわたしのなかには「いち」がいて、会話がつづいています。とても頼りになる存在だったのです。ひとに告げてはならないことを聞いてもらうこともあります。

 

 さて、このたびは連作として2篇を紹介しました。

 静かなリズムを刻んで、淡々と描かれた2篇に唸らされています。

 うまいな、と思ったのは、「オダギリさん」です。その日書き手が初めて会った「オダギリさん」のおかげで、読み手は安心して作品世界に入りこむことができます。

 

 蓮さんに捧げる作品が生まれたこと、よかった……。 ふ

 

*****

「ふみ虫舎エッセイ講座」会員の皆さんへ

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バームクーヘン   オンネカノン(オンネ・カノン)


 社会福祉士になって初めての職場は「就労移行支援事業所」だった。

「就労移行支援事業所」とは、身体や精神、知的に「障がい」を持つ人が「雇用されて働く」ことを目標に職業訓練を行うところである。

 えのきさんは事業所のホームページを見て、ひとりで入所相談会にやってきた。黒いパンツスーツに黒くて長い髪。パソコンの専門学校を卒業して就職したけれど、すぐクビになる。母親に言われて精神科を受診したら「発達障害」と診断されたとのことだった。

「働きたいけど働けるところがない。」

 ここにきた理由をそう話してくれた。

 入所して数か月がたった頃、えのきさんは遅刻が増えてきた。理由を聞こうと面談室に来てもらう。

 

 小学校1年から不登校で、学校へ行かないことを母親に叱責され、母親に引きずられるようにして小学校へ行ったこと、学校へ行っても教室に居場所がなかったこと、教室にいられないから、給食室が唯一の居場所だったけど、そこにいると担任や校長先生に「おまえはおかしい」となじられ「学校」という場に恐怖感しかないことを話してくれた。

 いまでも歩いていて「学校」があらわれると経路を変える、小学生や中学生と行き交うのが怖い。だからそのたびに引き返すようになってなかなか事業所へたどり着けないとのことだった。ここまでをえのきさんは一気に話した。

 わたしはえのきさんが27歳になるこれまでの孤独を思った。

 母親だって、娘を「普通」にしたくて必死だったのだろう。でも誰かひとり、この子の手をにぎり、何も言わずに抱きしめてくれるオトナはいなかったものか。

 

「えのきさんをなじったオトナがおかしいです。大人を代表してあなたに謝ります。ごめんなさい。えのきさんはちっともおかしいとこないです。」

 えのきさんの目から涙があふれた。

 小さな女の子のようにぽろぽろ泣いていた。

「そんなこと言ってもらったのは初めてです。誰もそんな風に言ってくれなかった。」

 

 数か月後、わたしはこの事業所を辞めることになった。えのきさんはわたしを見ようともせず、よそよそしかった。わたしは寂しかった。もしかしたら、えのきさんはもっと寂しかったのかもしれない。

 最後の出勤日、記録を入力しているとえのきさんがやってきた。

「好きなものが分からないから悩んだけど、これを買ってきた。」

 桜のバームクーヘン。

 本当はこれ、もらってはいけないのかもしれない。でも、わたしは受け取った。

「ありがとう。すごく嬉しいよ。バームクーヘン、大好きだよ。」

 えのきさんははにかんで笑った。えのきさんは笑うととてもかわいい。

 

 えのきさん、元気にしてますか?

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 泣きました。

 

 抱きとめてもらいました、わたしも。

 オンネカノンさん、どうもありがとうございました。

 

 作家「オンネカノン」は、仕事の上で——いや、それだけではないな。ひととして生きる上で、だろうな——えのきさんとの間に生じさせたような、関わりをたくさん持っています。

 思いだしたり、整理したりして、綴っていただきたいと希っています。

 

 ここでちょっと時制について、記します。

 本文のなかに、こんなくだりがあります。

 

 わたしはえのきさんが27歳になるこれまでの孤独を思った。

 

 原文では「これまでの」が「いままでの」となっていました。

「いままでの」が誤用であるなんてことはありません。これでもかまわないのですけれども、書き手がどこに立って書いているかを考えたとき、かすかに時制のズレがあらわれます。

 えのきさんと話している「そこ」から、過去をふり返るとき、「これまで」と記すのが自然かなあと思って、青ペンを入れました。

 伝わりましたでしょうか。

 なんにしても、「いままでと書くか、これまでと書くか」を迷っていただけたら……と思うのです。  ふ


笑い   中澤紀子(ナカザワ・ノリコ)

  

「あ!」

 姉が叫んだ。

 お味噌汁の鍋を持ったままつまずいたのだ。

 丁度母が、父のご飯をよそろうとした時だ。

 味噌汁は見事に炊きたてのお釜に、がぼっと。

 すかさず父の「ばか! 何してる」と怒鳴り声。母はびっくり。姉は困った顔。弟ふたりと私はポカン。

 周りを見ると、お味噌汁は釜の中以外どこにもこぼれておらず、母はぱっと持っていた杓子と茶碗を引っ込めたのか、やけどもしていない。

 

 小学校高学年だった私は、この時、突然笑いがこみ上げおさえることができなかった。

 弟たちも笑いだし、母も笑いだし、姉も笑いだした。

 今思うと熱い味噌汁が、誰にもかからなかった安堵だったかもしれない。父だけが苦虫を噛みつぶしたような顔をしていたが……。

 

 あの時の笑いをふっと思い出すことがある。

 あの時、弟や私が笑い出さなかったら……、父は姉をせめて怒鳴り、姉は泣き出し、母は仲裁に入り、私たちはオロオロ。

 

 あの時の笑いは、なんだったのだろうと思う。

 誰もけがをしなかったことへの安堵。それもあるが、それだけではない。一瞬にして、温かいご飯がオジヤになってしまったことへのおかしさだったのだろうか。

 

 あの時の笑いは、その後の私の人生に大きく影響を与えた気がする。

 他人にも、こども達にも、自分にも、失敗をなじることなく笑いにもっていく余裕が芽生えた気がする。

 

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

「よそろう」ということばがおもしろく感じられ、広辞苑にあたりました。

 まず「よそう」を探しました。

 漢字は「装」を用いるのですね。
 飲食物を整え、用意する。転じて飲食物をすくって器に盛る、をあらわしているのでした。……初めて知りました。

「よそろう」は、わたしの持っている辞書にはみつけられませんでしたが、中澤紀子さんの故郷の長野県東部の佐久市のことばかもしれません。

 

 それにしても、気持ちのいい随筆です。

 励まされる思いがしました。

 笑いというのが、どれほど大事なものであるかを、さりげなくおしえていただいたのです。

 

「中澤紀子」という作家には、困難を背負う時代もあったし、いまでも、思いがけない役割にこころを尽くす機会のめぐってくることも少なくない……。箏の奏者であり、若きひとたち、子どもたちへの指南役でもある日常にも、苦心はいっぱい。

 けれど、いつもやさしく微笑んでおられます。

 あやかりたいと思います。  ふ


2024年2月


アフリカのカゴ   日日さらこ(ニチニチ・サラコ)

 

 ぶらりと立ち寄った百貨店の地下の催しコーナーで、カゴと目があった。

 アフリカ雑貨の店が出店しているようだ。こうなると素通りできない。ヤシ繊維で編まれたカゴバッグ。ナス紺とベージュの色合いに魅かれ、気づくとレジに並んでいた。店主と思われる女性が、

「家に帰られたら、一度水にザブッとつけて水通しして、その後しっかり乾かしてから使ってください。形が整いますので」

 と、言う。

 家に帰ってその通りにした。大きなタライなどないから、お風呂の残り湯にザブッと。すると一瞬で、風呂の水が、紫になった。まるで絵の具を溶いたみたいに。えっ。あわててカゴを引き上げ、風呂の水を抜くも、浴槽が紫に染まっていた。カゴを外に干し、浴槽を洗う。が、取れない。風呂用洗剤、衣料用洗剤、電解水、除光液、酸素系漂白剤等、家にあるものを片っ端から試したが、少し薄くはなったものの、取れない。

 困り果てて、買い求めた店に電話する。事情を説明すると、その催しコーナーを統括する百貨店の社員と思われる方が言った。

「今から、すぐそちらに店の者を伺わせ、掃除させますのでご住所を」

「いえいえ、そんなつもりで電話したのではなく、何を使えば落ちるのかを教えてほしいのですが」

 と、断っても頑として譲らない。

 今後の参考にしたいので、と言われたら断れなくなり、結局来ることになった。今度は慌てて家の中を片付ける。なんでこんなめんどうなことになったのだろう。

 歩いて10分の距離だから、片付くひまもなく、先ほどの店主が掃除道具でいっぱいのバケツを抱えてやってきた。

 ズボンの裾をまくり上げ、袖もまくり上げ、やる気充分の店主に「ゆっくりしていてください」と、言われても、落ち着かず、片付けの続きをやりながら待っていると、やっと声がかかる。

 浴槽はすっかり白に戻っていた。塩素系漂白剤が決めてだったという。思わぬ手数をかけてと頭を下げると、いやいやご迷惑おかけしましたとさらに深く頭を下げながら帰っていった。やれやれと洗面所に戻ると、わたしが気を利かしたつもりでハンガーにかけた店主のデニムジャケットがそこにぶらさがっていた。

 

 という珍事の顛末を会う友達ごとに聞いて聞いてと話したら、さまざまな反応が返ってきた。

「それは商品として未完成ね。即、返品よ」

「よくこのご時勢で、家の中に赤の他人を入れたわね。わたしなら絶対いや」

「その残り湯は、水ではなくもっと温度が高かったから、より色が抜けちゃったのでは」

「持って歩くと、洋服に色移りしちゃうよ。ジャガイモでも入れておくしかないね」

「お詫びの品、たくさんもらったのね。元は取ったじゃない」

(実はお詫びにと、アフリカの珈琲、紅茶、ドライフルーツ、スパイスを渡されたのだ)。  

 それぞれ、そうか。なるほどと思いつつもストンと腑に落ちない。わたしは使いたいのだ。カゴバッグとして持って歩きたい。なんとか色止めできないか試してみよう。

 ところで、デニムジャケット。次の日で催事は終了だったので、その日のうちにと思い、夜届けに行きました。わたしと目があった店主の顔にはこう書いてありました。

「今度はなに」

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 わくわくしますね。

 どんなカゴだろう + お風呂の残り湯にザブッと + 「ハンガーにかけた店主のデニムジャケット」 + お詫びの品品 + 「今度はなに」。

 

 ところどころ笑いました。

 共感しながら、くくくくく、と。

 

 先輩たちはよく云ったものです。

 読み手を泣かせるのは比較的たやすい、と。

 そんなこと云ってみたいなあと口をとがらせながらも、一方、「ちょっとわかる」と思うのでした。

 けれど笑わせるのは、むずかしい……、ほんとうにむずかしいです。

 くすっと笑ってもらえたなら、と希ったところで、どうしたらかなうのでしょうね。

 

 ひとつ云えることは、機嫌よく書く必要はあるだろうと思います。うまいなあ、読ませるなあと感心する文章でも、それがにこりともしていないとき、ぞっとすることがあります。

 読み手は、書き手の機嫌、書いているときの表情に、驚くほど敏感です。

「日日さらこ」という作家は、おもしろがりだし、「アフリカのカゴ」を書くとき、少し照れながら笑っていると思われます。

 ええい、「風呂の残り湯にザブッ」のはなしも書いてしまおう、とね。

 

 ところで、色止めのことだけれど、新しいスニーカーや、登山用品に吹きつける防水スプレーを使ったらどうでしょうね。  ふ


100字エッセイ祭り

 

 会員の皆さんの「100字エッセイ」傑作選です。

 通常の作品発表は、作家に前もってお知らせし、文字データをいただいて準備しますが、「100字エッセイ」はお断りせずここに発表します。どうぞおたのしみに。

「100字エッセイ」は書き手をいろいろな意味で鍛え、脳もこころもやわらかくしてくれます。どうかそれを信じてとり組んでくださいまし。 山本ふみこ

 

 

*****

日日さらこ(ニチニチ・サラコ)

 

「冷やしシャンプー始めました」通りがかった美容室の貼り紙に目がとまる。冷やしシャンプー?シャンプーを凍らせてジャリジャリ?氷水で洗う?わたしも何か冷やしを始めてみたい。カステラを冷凍庫に入れてみた。(99 字)

 

 

新幹線の車内販売が終了するという。特に思い出はないが、最後ならと夫と一緒にコーヒーを頼む。新聞を読みながらの夫がコーヒーを勢いよくこぼした。白いズボンが茶色に染まる。思わぬ忘れられない思い出となった。(100字)

 

 

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高木佳世子(タカギ・カヨコ)

 

中央線で都内へむかう。いつもは座れる立川で席があかなかった。つり革につかまっていると、思いの外視界が広い。この山の稜線の先は確か……と少し左に視線をうつしたら、やっぱりあった、富士山。「行ってきます」(100字)

 

 

「あれ、おばさん」どんど焼きの会場でおもちを配っていたら、地元の小学生に声をかけられた。「あのとき本を……」コロナの間も細々と通っていた読み聞かせ。「内容を忘れても、声はおぼえているよ」は本当だった。(100字)

 

 

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かよ(カヨ)

 

パントマイムのショーを見る。クラウンは一言も話さない。失敗をくり返す。観客はクラウンの表情や動作をみて、想像する。そして、笑い、応援する。お互いに応答しあっている。ショーはコミュニケーションなんだ。(99字)

 

※クラウン=道化師。ピエロ。

 

 

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いしいしげこ(イシイ・シゲコ)

 

暖かい日が続き、早めに大掃除。カーテンも窓ガラスもすっきり。おせち料理は好きなものを用意する。ところがお供えのゆずり葉とうらじろが売ってなく……。プラスチック入りの小さなお供え餅を半紙の上に置く。(98字)

 

 

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岩本則子(イワモト・ノリコ)

 

娘が7つのとき、電車の中でぐずるのを私が叱っていたら、前の席に坐っていたおじいさんが言う。「まあそんなにあせりなさんな。子どもは「ツ」がついているうちは子どもなんはヨ」7ツ8ツ9ツ。……なるほど。(98字)

 

 

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車屋王和(クルマヤ・ミコト)

 

自転車に乗っている私の横を、爽やかな青年が風のように走り抜けた。引き締まった身体に、よく似合うトレーニングウェア。白地にオレンジ色のラインの入った真新しいスニーカーが眩しかった。一瞬17歳の乙女に。(99字)

 

 

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夛田精子(タダ・セイコ)

 

本棚からときどき、1冊の図版を取り出す。きょうも久しぶりに見た。みちのくの仏たち。素朴だけれど力強い表情にみとれる。以前、塩尻宿で見た「抱き仏」を思い出す。仏さまは、私が想う以上に身近だったんだ。(98字)

 

 

お米の美味しさに心づく。何を今更……なのだが、とりあえずごはんがあれば何とでも。思い出すのは父のつくってくれた「ポンポンごはん」。炊きたてを茶碗によそって塩をパラパラ、ポンポン上げて丸くして食べる。(99字)

 

 

*****

みつおのぶこ

 

夫は、私の誕生日にはいつも花を買って帰ってきた。最後のプレゼントは、病床から注文したバッグと財布だった。私の好きな黄色の。枯れてしまう物でなくてよかった。それらはいつも傍にいて、気遣ってくれている。(98字)

 

 

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由岐谷クオリ(ユキタニ・クオリ)

 

 

家に帰ると、洗濯物の山が待っていた。鼻歌をうたいながら、どんどん洗濯機に放り込む。洗いあがりを待つ間、てのひらをじっと見る。わたしの右手は知能線が人より長いらしい。考え込む質だけど、無鉄砲でもある。(99字)

 

 

*****

中澤紀子(ナカザワ・ノリコ)

 

箏の弦をはじく。大きな音からだんだん小さくなっていく音の響き。この音色に初めて気がついたのはいつだったか。これを小学4年生の子どもたちに知ってほしい。その音色を知ることによって、強くなれる気がする。(99字)

 


うちの母は  木村 ゆい(キムラ ユイ)

 

 2~3か月に一度、母の受診のために車を出している。

 病院までは片道1時間半。行きと帰りで3時間を車中で過ごす。

 母はおしゃべりが好きなたちで、こちらが黙っていても何かしら話題を提供してくれる。

 先日の話題は、自作の俳句のことだった。

 手帳を開いて読み上げる。

 

 水の星 怒り悲しみ 沸騰す

 

 季語は? と聞いたら、無くてもいいのよ、と言われた。

 尊敬する先輩にとても褒められたと喜んでいる。

「何だかふっと作れたのよね。どう? わかる? 何が言いたいか。」

 助手席からプレッシャーをかけてくる。

「え、その水の星ってのは地球のことでしょ? 地球が怒って悲しんでいるってことでしょ?」

「なに言ってんのよ。そうだけど、そういう簡単なことじゃないのよ。」

「あ、そう。」

 

 運転をしながら、へーという気持ちになる。

 お母さんって、割と穏やかというか、いつでも自分の楽しみで頭をいっぱいにしているタイプのように思っていたけれども、俳句を詠むとなると何だかちょっと過激な感じだな。

 人って何年付き合ってても意外な一面があるものだな。

 わたしが抱いている母のイメージと母が抱いているセルフイメージにはいつでも解離があるように感じているが、文字に起こされるとさらにその距離が広がるようだった。

 実家に送り届けたあと、家でぼんやりしていたら母からメールが届いた。

 例の俳句を先輩が額装して届けてくれたらしく、その写真まで添付されている。

「母の詠んだ句です。理解していただけると幸いです。」

 一晩おいて、返信した。

「わたしも作ってみました。

 

 俳句見せ 褒めろとねだる 母に〇」

 

 〇は赤丸にしようと思う。

                          

 2023年10月30日

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 いつしかゆいさんのお母さんになっていました。

「季語はともかくさ、深遠なテーマでしょ? ね、ね?」

 なんてつぶやいていたのです。

 

  人って何年付き合ってても意外な一面があるものだな。

 
 ほんとうにそう。

 身近なひともそうだし、自分自身だって……。

 そんな発見を、こんな感じにやわらかく書かれると読者は、ぐっときます。けれど、エッセイ・随筆に慣れていないと、「何年つき合っていても、ひとには意外な一面があるものです」との結論だけが立つ、研究発表みたいな文章になったりします。

 エッセイ・随筆の場合、ある場面を通して、心情を伝えると効果的です。それには、やはり腕前が必要になります。腕前を支えるセンスを磨きましょう。 ふ


使い途    よもぎ茜(ヨモギ・アカネ)

 

 この日は特に暑かった。都内で展覧会を見に行った帰り、いつもなら最寄り駅から自転車でまっすぐ帰宅するのだが、のどがカラカラだった。そこでファストフードに寄り、冷たい飲み物を1杯飲んで帰った。

 家に着き、まっ先にエアコンを入れて荷物を見ると、持って出かけたサブバッグが見あたらない。自転車のカゴにもない。ファストフード店に、うっかり忘れたのかもしれない。お店に問い合わせるとサブバッグはお店にあり、保管してくれていた。

 すぐにまたお店まで、自転車でサブバッグを取りに行った。のどを潤すためにアイスコーヒーを一杯飲んだことで、また大汗をかいてしまった。

 再度家に着くと、エアコンを入れておいたおかげで部屋は涼しく快適だった。サブバッグの中を改めて確認する。空っぽの水筒、文庫本、買った残暑見舞いのカード。ほかに見覚えのない、三つ折りにしたA4サイズの入る茶色い、厚さ1センチほどの封筒が入っていた。

 何も書かれず、封もされていない茶封筒をのぞくと、帯のついた新券の一万円札が一冊。つまり100万円が入っていた。

「あれ? 私、今日、100万円引き出したっけ?」

 そんな訳はなない。

 だいたい今どき、現金100万円って何に使うだろう。娘が大学生のとき、当時1年間の学費が100万円だったかな? ほかに大きな金額となると……、ええと。車の購入や、家の修繕があったとしてもすべて銀行振込で、現金を引き出すことは久しくなかった。

 

 もし、この100万円が私のもので、自分のためにチビチビではなく、パッ!と使ってよいとしたら、何に使おう。

 

 案1 自分の持っている服をすべて処分して、本当に必要で、ときめきの服を買う。

 案2 下がってきた瞼を上げる美容整形をする。

 案3 友人とハワイに行って、現地でフラのレッスンを受ける。

 

 夢はふくらみ、100万円では足りなくなりそうだ。

 

 記録的に暑かった今年の晩夏、出先でサブバッグを忘れたのは事実。

 100万円入りの封筒は私の妄想です。

 外出するのも一苦労の猛暑ですから、涼しい部屋に帰ってから、はなしをつくってみました。

 

 窓の外は、まだまだ太陽が元気で明るいですが、そろそろ夕食の支度をしなければ。気持ちはいっぱい。されど、おなかペコペコです。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 ドキドキしました。

 ……皆さんも、100万円、何に使うだろう、と妄想されたのではないでしょうか。

 おもしろく、巧みな展開でした。

 100万円入りの封筒は妄想だった、と打ち明けたあと、そこまでの「である調」を、「です・ます調」に転換されましたね。こういう使い分けは、おすすめです。

 学生時代、ひとつの文章のなかで「である調」「です・ます調」は統一しましょう、と教わりました。たしかに、ごちゃ混ぜになっていると、うるさく感じられます。散らかっているといいましょうか、ね。

 でも、どこか際立たせたい、というとき、1行だけ異なる文末表現にしたり、ある部分から転調したりするのは、おもしろいのではないでしょうか。

 

 それから。

 いつも「である調」で書いているあなたさまには、「です・ます」調で、いつも「です・ます調」で書いているあなたさまには、「である調」で書いてみることをおすすめします。

 どちらも、それぞれ異なる雰囲気を持っています。

 試してみていただきたいと思います。  ふ


2024年1月


小学校理科室の先生だった父  リウ 真紀子(リウ・マキコ)

 

 父は私たち子どものために、ブリキと金網でできた大ぶりな飼育箱を用意していた。灰色に塗られた箱。そこに何匹もの小さな芋虫を入れ、成長を見せてくれたのだ。

 小さな借家住まいで六畳と三畳の和室があるだけだったのに、その飼育容器は子どもの目にとても大きく、不釣り合いに思えた。父の気合いがこもっているようでちょっと怖かったほどだ。私が小学1年生の、春か秋のことだ。

 金網の中では5、6匹もの芋虫が黙々と草の葉を食みつづけ、だんだんと体色が変化し緑色に黒い模様が入り、ふっくらした姿に変わっていった。それを怖がることもなくじっと見ていたことを思い出す。やがて枝にとまった芋虫たちは動かなくなった。

 サナギになったのだよ、と父に教わったことが思い出される。それぞれがむずむずと動き出し、羽化し、ひらひらと舞うアゲハになった。そうっと、羽をたたんだ状態のアゲハを持たせてもらったこと、手に粉が残ったこと、その粉はリンプンという名前のものだということ。息をのむようにしてじっと見ていた自分が、半世紀を経てすっかり別人のようになった私の中に今もいる。

 まるで羽化し損なったサナギのように、子ども時代の自分がいることを、へその奥あたりに感じる。あの時そばにいたはずの母や妹、弟の気配はすっかり消えてしまったのは、父と自分だけの空間に包まれていたからだろうか。室内を飛び交っていたアゲハたちを、父はやがて窓を開け放ち外に出したのだった。

いつからだろうか。鱗粉が指につくことが、自分にはどうにも受け入れられなくなり、ひらひら舞う蝶から鱗粉が落ちてくるような気さえして、蝶を遠ざけるようになった。モッサリとした様子の蛾はなおさらのこと、逃げ出したくなるほど怖がるようになってしまった。虫を嫌がってキャアという女の子といった場所に自分から入り込んだ。つまらないな。

 祖母は小形の蝶をハブラックァと呼び、亡くなった親しい人の魂が形を変えて訪ねてくるのだと教えてくれた。遠ざけていた蝶ともう一度親しくなろうと思う。父もあちらの世界に行ってからもう13年、ハブラックァとなって軽やかにやってくるこどもあるだろうか。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

「ハブラックァ」

 と呼ぶのか……、素敵です。

 わたしのところにやってきてくれる親しいひとの魂はね、いつもハエの姿をしています。

 これからは、そんなハエを「ハブラックァ」と呼ぶことにしましょう。

 

 くり返し読むうち、わたしも父のことを思いだしたり、カマキリやコオロギ、とかげたちと友だちだった子ども時代のことをぼんやり考えたりしました。

 読書が生、共有の感覚です。

 こういうとき、書き手に向かってお礼を云いたくなります。

 リウ 真紀子さん、どうもありがとうございます。

 

 真紀子さんは、お父さま譲りの観察屋、おもしろがりですね。  ふ 


サバの味噌煮   高山美年子(タカヤマ・ミネコ)

 

 一人暮らしの姉が骨折をした。普段はヘルパーさんのお世話になっているのだが、お金を引き出したいので、頼めないかと連絡がきた。急いでむかった。

近くのATMでお金を引き出す。次にスーパーマーケットに寄り、買い物リストを見ながら頼まれた食品をかごに入れる。好物の寿司も書いてある。なれないスーパーマーケットでの買い物には手間取ったが、リストの品を探すのは結構楽しかった。

 お寿司をおいしそうに食べはじめる姉を横目に、買ってきた食品を冷蔵庫にしまう。

「サバはどうするの」

「みそ煮が食べたい」

 と言うので、サバの味噌煮を作ることにした。

 野菜室のすみにあった、元気のない生姜を千切りにした。しゃきしゃきしていないが、できるだけ細く切った。味噌はある。砂糖も酒もみりんもある。いざ、調理開始。

 まず、サバをフライパンで両面焼く。少し焦げ目がついたら、合わせておいた調味料を入れる。つづいて、千切り生姜をドバっと投入してひと煮立ちさせ、落し蓋をしてしばし待つ。蓋を取ってサバと生姜に汁を絡め、火を止める。出来上がり。

「食べる時、もう一度温めてね」

 と伝えて、家路を急いだ。

「もしもし、あのサバの味噌煮美味しかった」

 姉から電話でお礼を言われた。それから、会う度に何度も言われた(あれはお父さん直伝のサバの味噌煮なのですよ)。

 

 父が我が家に遊びに来た時、サバの味噌煮が食べたいと言った。自信のなかった私に、作り方を教えてくれた。焼いてから煮る。私はそれからずっと焼きサバの味噌煮を作っている。おふくろの味ではなく、親父の味である。

 父は美味しいと言ってくれた。姉も美味しいと言ってくれた。天下一品のサバの味噌煮かどうかはわからないが、笑顔がこぼれる味であると、勝手に思っている。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 美味しいもののはなしを書かせたらこのひと……という書き手があります。

「高山美年子」は、そのひとりです。

 食べものと自分とのあいだに、距離をとることも大切な条件だといえるでしょう。それからものがたり。

 ものがたりを盛りこむのです。

 文章の味つけ、と云ってもよいかと思います。

 

 ものがたりというのは、どんなものを書く場合にも、必要な要素です。エッセイ・随筆にも、それは必要です。

 つくり話を加えようという提案ではありません。

 他者にものがたりを読み聞かせるつもりで書く、という意味です。

 

 さてそれでは、どうすればものがたりが紡げるでしょう。

 書き手がものがたりを生きる自覚を持つことだろうと、わたしは思うのです。

「高山美年子」の「サバの味噌煮」が美味しそうで、こころときめかされるのは、作者とサバとのあいだにものがたりが築かれているからにほかなりません。

 

 ものがたりを生きなけりゃ、ものはつくれません。

 ものがたりを生きなけりゃ、文章は書けません。   


花種のこぼれる路地や立ち話  木下富美子 (キノシタ・フミコ)

 

 スミレのこぼれ種がお向かいの門柱あたりから飛んできたらしく、15cmぐらいの円になって咲いている。可愛いったらありゃしない。道の端の、すぐ誰かに踏まれそうなぎりぎりのところ、コンクリートの小さな隙間から伸びているぐわぁーっと。こんなきわどいところに生えてこなくてもよさそうなものなのに。

 むかし、漫画家の横山隆一が鎌倉の自宅から駅に行くまでの道すがら、種まきをしていると書いていた。自分の庭で取れた花の種をひとつかみもって駅まで歩く間によその庭に花咲か爺さんよろしく種を投げ入れるのだという。春になったらどんな花が咲くだろう。庭の主の驚いた顔を想像するとおかしいという話だった。

 種をまくといえば、スミレの種はこぼれるのではなくアリが運ぶと聞いて驚いた。そういえば右隣の家の駐車場出口の5ミリぐらいのコンクリートの隙間にもスミレが咲いている。車が出入りするちょうど真ん中の危ないところだ。なんだってまたよりによってそんなところにという場所だが、アリが仲立ちする、というならわかる。 

 

「俳句の種をまく」と夏井いつき先生がよく言う。そして、夏井先生は車いすでも、どこへも出かけなくても家で俳句は作れますと力強い。台所俳句で私の好きな投句がある。

 

 そうめんの一筋逃げる排水口

 

私の初めて作った句が、これ。

 

 春の空レンゲタンポポヒメジョオン

 

 おじいさん先生に「木下さん並べただけじゃダメですよ。しかも全部季語です」と言われた。季語が4つ並んでも何の疑問も持たないほど単純だった。職場の先輩に退職してから趣味を探しても遅いから何か始めた方がいいよと言われた。ちょうどその時、市の広報で「俳句やりませんか」の案内を見たのがきっかけだ。その種を育てている。先週作った句。

 

 扇風機ふたつこわれて西日さす

 

 ところがこれも季語が2つだった。いまだにこんな具合だけど日常のこぼれ話を拾う。俳句にひねる。私のこぼれた種は今子どもたちに育てられている。

 

「あいたたたプロレスの技夏の夜」小6

 

 こぼれだねって、計画性がないのが面白み。ちょっとクスッとする。

 風が吹く。

 

 2023年10月3日

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

「木下富美子」の随筆のタイトルは、いつも俳句です。

 うらやましいなあ、俳句のタイトル。と、いつも思っています。

 

 そうしてこの作品には俳句がいっぱい。

「俳句はおもしろいですよ、やってみませんか」

 とときどき誘われることがありますが、そのたび「ははは、そうですね」などと笑ってごまかします。しかし、ここでこんなふうに俳句を並べて見せられると、ちょっとひねってみたくなります。

 

 エッセイ・随筆の肩をもって、書いておきましょう。

 エッセイ・随筆のおもしろさは、日常のある部分を探しあててとり上げるところから、はじまっている……。このとき、書き手は物語のつくり手になっています。

 自身に向かって、読み手に向かって、語りかけるおもしろさと云ったら!

 

 そうそう、木下富美子さんは小学校の教員です。

 ご苦労にはちがいないけれど、それもうらやましいな。  


100字エッセイ祭り

 

 会員の皆さんの「100字エッセイ」傑作選です。

 通常の作品発表は、作家に前もってお知らせし、文字データをいただいて準備しますが、「100字エッセイ」はお断りせずここに発表します。どうぞおたのしみに。

「100字エッセイ」は書き手をいろいろな意味で鍛え、脳もこころもやわらかくしてくれます。どうかそれを信じてとり組んでくださいまし。 山本ふみこ 

 

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雨宮和世(アメミヤ・カズヨ)

 

9月。書店に2024年の暦が並んでいる。年々はやく並びだすようだ。リビング。トイレ。寝室。それぞれどれがよいかと選ぼうとして、ふとカレンダーから手をはなす。せめて来月購入しよう。早く歳をとる気がする。(100字)

 

 

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桜本和美(サクラモト・カズミ)

 

山手線の向かいの席にインド系の美しいお母さんと、顔がよく似ていて、年も同じくらいの3人の男の子が座っている。三つ子かな。次に座った白人のイケメン2人。色違いのバッグに、見つめ合う感じ。カップルかな。(99字)

 

 

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かたばみ くれば

 

日中、銀座から日本橋、上野から御徒町へと交通手段を混ぜながら、目一杯歩く。そして帰宅。買い忘れに気づき、また出直す。夜の横断歩道でウーンと伸びをする。こんな日もあるよね。この日の歩数、23382歩。(99字)

 

 

*****

みつお のぶこ

 

カーン、コロコロコロ。隣家の椚の実がキッチンの窓に当たる。この家に暮らして30年。今年はやけにその音が気になる。子や孫が別世帯となり、ひとりの時間が増えたからだろうか。そういえば、ひとりごとも増えた。(100字)

 

 

*****

スズキ ジュンコ

 

ジュンコさん、漢字はどう書きますか? 若い時は「不純」のジュン。次は「小泉純一郎」のジュン。今は「単純」のジュンと答えるが、ピンとこない人が少なくない。「純文学」のジュンはどうだ! わっ、よう言わん。(100字)

 

 

*****

かよ

 

時計を見ると14:26との表示。まっすぐな道、車を運転中。11月半ばのこの時間、日差しはもう夕方に向かっている。取り立てて言うほどのことはなにもない、1人きりの時間。そうだ、1人きりってこういう感じ。(100字)

 

 

*****

原田陽一(ハラダ・ヨウイチ)

 

夕方、自宅の出口でお隣に尋ねられる。

「おでかけですか?」

「ちょっと会社へ」

「忘年会でしょ!」

「ばれちゃいましたか」

「顔に書いてありますよ」

今月、10回も忘年会があり、顔がゆるみっぱなしのようだ。(97字)


  爪   いしいしげこ(イシイ・シゲコ)

 
 2023年の天候は、これまで体験したことのない、夏の暑さの連続でした。

 世界中でいろいろと天災が続き、心痛めて居りますが、本当は人災だと私は思っています。

「暑」の字を書くのもイヤ! でも口からは知らぬ間に出ている言葉は「暑い暑い」でした。

 6月の末に夫の十七回忌を済ませました。

 家族だけでひっそりと「般若心経」を読み上げました。ふと気がつくと、この暑さの中で白い蝶が舞っていました。

 きっと夫です。

 

 草をむしりながら首筋にジリジリと陽射しがくい込むようでした。夏草はとても元気、軍手をしてチカライッパイ引き抜く。なかなか根が深いから、頑張る。

「痛っ!」

 何日か前、少し深爪したところに当たってしまったのです。

 ……そういえば、と、あの頃夫の入浴後によく爪を切ってあげていたことを思い出していました。老眼鏡の私は、夫の足の爪を一度深爪にしたのです。今、自分で自分の爪を深爪にして、その痛さを知りました。わずかな時間の中で私の心の中は、その時の夫の顔や声がプレイバック、今のいま、一緒に居るんだと実感しています。

 あの頃「お墓の前で泣かないでください」という歌が流行っていて、姿は見えないけれどいつも風に乗って、私の側に居てくれていると思うようにしていました。風になって、疲れた足元を励ましてくれていると信じ、山旅を一緒に楽しみました。

 

 やっぱり自然は大好き。

 地球という素晴らしい住処。人間が知恵を働かせ、工夫して、調和して、生きられるようにしてきたというのに、いつの頃からか道をまちがえた気がするのです。どこかの分岐で道を……。

 連日蒸し暑く33度越えは当たり前のようい続く日々、逃げ出すことはできません。反省の、毎日。

 かつてTVで流れた「反省なら猿でも出来る」という猿まわしの画像がふと浮かんできます。当時は笑って観ていましたが……。この頃よく耳にする絶滅危惧種という言葉が気になってなりません。

 

 犬や猫は、人間(ひと)の言葉を理解する、すぐれたなにかを持っていると私は思うのです。この動物たちも自然の中で生きられたらなんて……。勝手に思ってしまいました。

 山で、小さな花が岩にしがみつくように咲いているのをみつけると、頑張れ!と心の中でエールを送るのです。

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 2024年さいしょの作品として、ふさわしいなあ、と思いました。

「爪」

 じっくり味わってくださいまし。

 学ぶことがたくさんこめられています。

 

 2024年は、書く年になるだろうな、と感じています。

「ふみ虫舎エッセイ講座」会員の皆さんも、そうでないあなたさまも、わたしも、書いて自らを支える、書いて他者を慈しむ2024年を織ってゆきましょう。

 

 山本ふみこ