2025年3月


もうすぐ冬至     三𠮷みどり(ミヨシ・ミドリ)


 12月のある日。

 常より早起きをして、わたしは、王子の飛鳥山公園に来ている。

 その日は年納めの句会で、16年続いている句会である。

 それぞれが吟行して、句会場へ集合する。10句を出句して句会をする。

 人数は10名前後。ベテラン揃いで、才能があり、同じ景色を見ても、あっ、こういう1句になるんだ。そうか! と触発されている。

 その場所に仲間の皆さんと一緒にいられるだけで、うれしい。

 なのに、近頃わたしは、俳句に集中できなくて、困っている。

 周期的にそうなることもあるのだけれど、体調の悪さなのか……、長年やってきたことの中だるみなのか……、誰からも選ばれなかったら、どうしようかと、などと考える。

 石段を上りつめた公園は、広々として、冬木が枯れたり、紅葉したり、落葉したり。冬鳥が木のてっぺんに、入れ替わったりしている。

 ゆっくり歩いてゆくと、プラタナスの大樹の前に出た。大きな葉は枯れて風に音を立てている。樹の下にたたずむと、香ばしい、何とも云えない、いい匂いがした。

 

 プラタナスの樹の下冬の匂ひして

 

 1句を授かった。

 冬暖かの日で、青空がまぶしい。銀杏が散って、銀杏落葉のベンチで人々がくつろいだり、銀杏落葉の広場で、母親と子どもが静かな時間を過ごしていた。

 

 子を下ろす銀杏落葉のまん中に

 

 ノートに記す。そして句会場へ。

 会議室には何人かが来ていて、しーんと静まり返った部屋には、短冊へカリカリと文字を書く音だけがひびいている。筆圧の強い、わたしのシャープペンの芯が、ぽきっと折れた。緊張しているのだ。

 句会が始まる。清記用紙が回ってきて、良いと思った句を選んで書く。

 10句選、その中で1句特選を決めて、披講(作品を読み上げ)、選をし、句の感想を云って、最後に一句の作者が名乗る。

「子を下ろす銀杏落葉のまん中に」が読み上げられて、何人かの選に入り、特選にしてくれた人もいた。 

「きっとかわいい子なんだと思います。情景の切り取りがいいです。」

「作者は?」 

「みどり」

 すこし高めの声で元気に名乗った。

 句会は4時半に終わり、外に出ると暗くて、ぶるっと身をよじるくらい寒い。

「もうすぐ冬至だね」仲間のひとりとならんで、駅まで歩く。

「それじゃまた」

 笑顔で手を振って別れた。

 

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 うつくしくも、きめの細かい随筆が生まれました。

 俳人でもある三𠮷みどりさんの文章は、隅隅まで計算されており、読者は安心して作品のなか、漂うように歩きまわることができます。

 計算と云えば、冷たく聞こえ、情緒の領域を裏切るように思われがちですが、ほんとうは、それこそ文章世界に不可欠なものなのです。


大みそかのごちそう     杏紀のりこ(アキ・ノリコ)

 

 大みそかの晩にはとろろ汁を食べて、年を越すものだと思っていた。それが、どうもよそのお宅では、年越し蕎麦というものを食べるらしいと知ったのは、小学生のときだった。

「おばあちゃん、なんでうちは大みそかにとろろ汁を食べるの?」

「こまおじいさん(私の高祖父)、お蕎麦が嫌いで、大みそかには、こまおじいさんが好きなとろろ汁を食べるって決めて、それからずーっとうちでは大みそかにはとろろ汁を食べてるんだよ。」

 

 大みそかの夕方になると、祖母が大きなすり鉢とすりこぎを取り出し、そこに山芋を擦って入れる。生の鯖でだしを取って、母が味噌汁をこしらえる。骨付きの鯖はだしを取っても、身はたっぷり残っていて、食べ応えがある。子どもの頃、あまり鯖は好きではなかったけれど、鯖と大根とネギが入っている味噌汁は大好きで、鯖の味がしみた大根は格別だった。

 

「のりこ、すり鉢押さえてて。」

 祖母は、左手で軽くすりこぎを持ち、右の手のひらをすりこぎのてっぺんに軽く乗せ、かろやかにくるくる回す。ごりごりごり。山芋はすり鉢の中で流れるように回る。

 山芋が少しなめらかになると、次に生卵を割り入れ、山芋になじむようによく擦る。

 卵がなじんだ頃、母が味噌汁を持ってくる。祖母がそこから汁をすくい、少しずつ少しずつすり鉢に流し入れる。そして、またごりごりごり。

「今度はのりこが汁を入れて。」

 お玉で味噌汁の汁だけをすくって、私は慎重に、慎重にすり鉢に流し入れる。

 祖母はまた山芋を擦り続け、私はまた味噌汁をすり鉢に流し入れる。

 しばらくすると、「のりこもやってみな。」と祖母が私にすりこぎを渡す。

「なんでもやってみないとうまくならないでね(うまくならないからね)。」

 私がすりこぎを使っても、なかなかうまく回らない。祖母はなんて上手にすりこぎを使えるんだろう。

 

 山芋だけのときは、まるで餅のようだった白いかたまりが、鯖のだしをたっぷりと含んで、とろとろなめらかなとろろ汁になる。とろろ汁は、すり鉢ごと大みそかの食卓にでーんと置かれ、私たちは炊き立てのごはんに、たっぷりとすきなだけとろろ汁をかけて、ズルズルと流し込む。とろろごはんのときは、いつもお代わりをして、お腹がいっぱいになる。

 

 今、私が持っているのは小さなすり鉢だけ。ごまを擦るのがせいぜいだ。ごめんね、おばあちゃん。私は、大人になっても、すりこぎをうまく使えないままです。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 なんて美味しそうなこと。

 そうして、この手仕事の妙と云ったら……。

 いまは失われた文化である。なんてことは、云いますまい。こうしてひ孫の記憶に残り、手にも受け継がれているのですもの。

 読者たるわたしも、なんとか、真似してやってみたいという気概が生まれていますもの。


蛸のやわらか煮    かいていこ

 

 蛸(たこ)はたたくのだ。

 大根でたたくのだ。

 

 仙台駅の駅ビルの、ある寿司屋に「蛸のやわらか煮」という一品がある。

 一口大の蛸が五切れほど、丸い吸盤を2列に並べて甘辛くとろりと炊かれ、うすみどりのわさびがチョンとのっている。

 蛸は火を通すと固くなるもの、と思っていたが、この蛸はやわらかく、美味なのだ。どうしたらこうやわらかくできるのか、訊いてみた。

「大根でたたくんです」

 と若い職人は言った。

 初めてきいた。まじないだろうか。この店独自の調理法だろうか。

「大根を適当な長さに切って、」

 と、切る仕草をし、大根の葉部分を握ってたたくかたちをする。

「適当な長さ」というところに感心した。丸ごと1本の葉付き大根を振り回して大立ち回りをすることはないのだな。必要な長さを決めるところに、仕事をする人の知恵と、大根でたたくことの日常性が見えた。

 

 前回来たときはそこまでの話だった。

 今回は兄とふたりでカウンター席だ。早速「蛸のやわらか煮」をたのんだ。美味しくうれしく、

「これ、大根でたたくんですよね」

「大根は、皮をむいて身に穴をあけて、ね」

 気さくな親方は手を動かしながらこたえてくれる。

「穴をあける…… 水分が出ますね?」

「そ、ジアスターゼ。たたくことで蛸の身の繊維を壊すだけじゃなく、酵素の作用でやわらかくなるんだよね」

「大根の酵素…… たけのこを茹でるとき大根おろしを入れるとえぐみがとれる、と読んだことがあります」

「……たけのこは…… おでんで牛スジや蛸は大根の近くに置くの、あれ理にかなってるね。大根の酵素でやわらかくなるのね」

 これをきいて嬉しくなった。

「たいへん勉強になりました。兄さん、お勘定、倍払ってください」

「ハイ、じゃ倍で」

 と、兄。今日は兄と来てよかった。

 

 蛸をたたく? ときいたとき、蛸が平らになるほど叩きのめす、わけではないよね、できそうだけど、と何やら暴力的なイメージが湧いた。しかし、やわらか煮の蛸は吸盤もきれいに立ってどこにもキズなどなかった。

 

 持ちやすい長さにカットした葉の部分と、適度な重量のある、必要なだけの長さの白い部分。道具としての大根は、いかにも使い勝手がよさそうだ、とこれはわたしの想像。実演を見たわけではない。

 どのくらいの力で、どのくらいの回数で蛸はやわらかくなるのだろう。どんな感触だろう、どんな音がするのだろう。蛸は生きているのだろうか、痛くないのか、可哀そうではないのか……。

 おっと、そこまで考えてはいけない、箸が出せなくなりまする。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 おいしそうですねえ。

 この蛸で、一杯やりたいですねえ。

 

 情景の描き方にも、会話にも、惹きつけられて、読み手の自分が書き手のとなりに坐っているかのような心持ちになります。

 傑作が生まれました。

 おめでとうございます。

 

 ひとことだけ、ご参考までに。

「おまけ」と思ってお読みくださいまし。

 

「たいへん勉強になりました。兄さん、お勘定、倍払ってください」のくだりです。「兄さん」が、この店をともに訪れた「兄」であることは、落ち着いて読めばすぐわかります。

 しかし、ゆっくりお酒を喉にすべらせるように読んできたところで、それまで登場しなかった「兄さん」(「兄」は登場します)に、かすかな異和をおぼえはしないでしょうか。

 それで、ひとつ小さな提案をさせていただこうと思いました。

 

「たいへん勉強になりました」

 カウンターの向こうへそう挨拶してから、となりに坐る兄の顔を、わたしは覗きこむ。

「兄さん、お勘定、倍払ってください」


2025年2月


旅のおまけ       由岐谷クオリ(ユキタニ・クオリ)

                            

 東京で暮らす、ムスコの家に泊まった翌朝のこと。

「この前、タイに行ってきたんやけど、帰る直前までバーで飲んでたら、うっかり飛行機に乗り遅れそうになって。もう絶対間に合わんと思ったのに、間に合ってしまった」

 とムスコが言う。

 バーの人が機転をきかせ、知り合いに頼んで爆速で空港に送り届けてくれた、と。胸の中で、思うほどにはお礼が伝えられなかったことを悔やんでいる。

「じゃあ、今日はその分世の中の役に立っておくれね」

 そう言って仕事に送り出す。台所の水栓をピカピカに磨いてから、わたしは羽田に向かった。

 

 空路、徳島阿波おどり空港に着き、徳島駅行きのリムジンバスに乗り込む。

 座席に座り、ひと息つくと、通路をはさんだ向こう側に座っている女(ひと)が、話しかけてきた。鮮やかなブルーのTシャツにポニーテール。隣の席に移る。

 ポニーテールさんは、友人に会うため、年に数回来県しているという。今回は、そのご友人が、迎えに来られなくなり、初めてバスを乗り継いで行くのだそうだ。

「どの辺りですか?」

「乗るバスと降りるバス停は、なんとなくわかっています……。ニトリの近くです」

「なんとなく」というのが引っかかる。日中、路線バスの本数はとても少ない。時刻は午後3時、気温は30度を超えている。

 今朝のムスコの話を思い出す。そのときすでに、わたしが降りるバス停が目前にせまっていた。

「よければ、わたしが車でお送りします。駅でバスを降りたら、そこで待っていてください。必ず、10分以内に赤い車で迎えに行きます」

 返事も聞かずにバスを降り、全速力で家に戻って、車で駅に向かう。おせっかいだけど、とまらない。汗も、とまらない。エアコン全開で車を走らせる。

 駅のロータリーの真ん中、阿波おどりの壁画の前にブルーのTシャツが見えて、ふーっと肩の力が抜けた。

 ポニーテールさんのおかげで、この日一日の帳尻が合ったような心持ち。

 旅のおまけ。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 なんと温かい由岐谷クオリさんでしょう。

 そう伝えてもきっと由岐谷クオリさんは、こう云うのではないでしょうか。

「ひとのため、はいつも、自分のためのような気がします」

 伝えそびれたり、云い足りなかった「ありがとう」や「ごめんなさい」も、さまざまな罪滅ぼし、恩返しも、タイミングを逃せばどうすることもできない……と考えがちですが。

 由岐谷クオリさんのようなやり方もあります。

 どこか、別の場所で別の誰かさんに向けて行動することで、それはきっとかなうのですね。


人力観覧車      寺井融(テライ・トオル)

 

 2、3歳の頃である。札幌に移り住んでいた私は、南一条の丸井さん(丸井今井百貨店)に行くのが大好きだった。屋上にある電動木馬に乗ると上機嫌で「もう一回、と何度もせがむの。小清水の畑を売って出てきていたから、安月給の公務員でも払えたんだけど」と母がいう。一回5円であったのか、10円であったのか。父の月給は数千円だったはず。若夫婦にとって痛い散財だったのであろう。

 と言って、遊具や遊園地を好んだわけではない。運動神経が人一倍鈍く、怖がりである。上京したての頃、大学の友人に「ジェットコスターにつきあってくれ」と誘われる。

 後楽園遊園地で生まれて初めて乗ると、いやぁ速いのなんのって。のぼったり、下ったり、高低差もめまぐるしい。目を開けていることができず、ただひたすら無事終点にたどりつくのを祈っておりましたね。友はいたって涼し気で「いつ乗っても楽しいな。これですっきりした」だって。

 彼にとって、一緒に乗ったこともある彼女への未練を断ち切る「失恋お別れ乗車」だったのだ。

 

 話は替わる。

 2012年、日本からの団体を率いてヤンゴン市(ミャンマー最大都市)に行く。大型フェリーで十数分、ヤンゴン川を渡ってタガー地区に入る。

 こちらは高層ビルの大都会とは大違い。豚や鶏も飼っている農家や職人の家を並べている。サイカーと呼ばれる自転車タクシーに乗り、町を散策する。ここで所在なげにたむろしていた若者5人と遭遇。彼らを、近所の子どもたちが遠巻きにしている。若者たちの中心には、人間の力で動かす観覧車やメリーゴーランドがあった。道路が移動遊園地になっていたのである。

 筋骨隆々たる青年が「乗りませんか」と声をかけてくる。ひとり200チャットだという。当時のレートで20セントぐらいにあたるが、現地の生活実感からすると500円ぐらいにつく。庶民が、そんなに気楽に乗れるものではない。

「乗ってみようか」「危険じゃないのかな」「ものは試しさ」と言ったやりとりがあって、仲間のうちの4人が乗ることになった。

 その人数だけではすきすきとなる。効率も悪い。そこで子どもたちのうち、高学年の4人を乗せてあげることにした。費用は大人持ち。「キャー」「ウォー」と大喜びである。年少さんと当方は見学組です。観覧車は3回転させられる。乗車組は「遠くに市内のビル群も見えましたよ」と満足して降りてきた。

 

 孫娘が3歳となった。私に似てちょっとした乗り物でも敬遠する。まずは回転木馬に乗せてやりたい。豊島園に欧風木馬があったはずだが閉園したときく。どこに行けばいいのか。デパートの屋上に電動木馬があると最適なんだけどなあ。

                                             

 2024年10 月17日

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〈山本ふみこからひとこと〉

 新聞記者であった寺井融さんには政治的なエッセイ、時評が少なくないし、現在の「アジア母子福祉協会理事長」という立場から、福祉的なエッセイも同じく。

 どれも読ませます。ことに歴史的なものには、わたしの知らなかったことがたくさん綴られていましてね、驚かされます。

 けれど(ちょっと小声です)、わたしは寺井融さんの旅のエッセイ、食べもののエッセイのファンなのですよ。

 このたびの「人力観覧車」は、旅のエッセイです。時空を超えた(思い出という意味で)旅、ミャンマー・ヤンゴン市へのほんとの旅、お孫ちゃまとのこれからはじまつ旅……。

 

 そうだ、皆さん、魅力的な回転木馬を知っていらしたら、おしえてくださいまし。国内なら、どこでも! 山本ふみこ宛て、ご一報を。


ココナッツのスープ    ラクサマーナみおき


 とても忙しい週だった。

 週末、午後からゆっくり風呂に入る。お湯がぬるくなったからタオルをぺろっと巻いて、ちょっと台所へ行ったら、香ばしい甘い匂いが夕方にむかう空気に重なっていた。一瞬、魔法かと思ったけどそんなことはなくて、ココナッツのスープが焦げていたのだった。

 駆け寄って、昔誰かに習った通りに、水を注いだりせずに、落ち着いて鍋を火からおろして、蓋を取り、焦げの上の部分をつつくと、具として入っていたさつまいもや白玉は無事だった。底はかなり濃い茶色になっているけどカラメルみたいでおいしい。無心にフォークでこそいで食べていると、いくつかの思い出が頭の中にやって来た。昔とても仲が良かった あーちゃんのお父さんの話を思い出した。

 

 あーちゃんは外国の南の島で育った。パパはクルーズ船で音楽を演奏していて、モテモテなので浮気ばっかりして家にはめったに帰ってこなかった。

 シャツのボタンはいつもおへそまで開けるスタイルのパパ。

 ママに見つからないように夜中子ども部屋の窓からあーちゃんを連れ出しパジャマで映画を見に行くパパ。

 あーちゃんのビーチサンダルが海に流れた時、真っ暗になるまで、安い、どこででも買えるサンダルをずっと潜って探していたパパ。

 あーちゃんは何度もお父さんの話を笑いながらしてくれたけど、ふっと気持ちを閉ざしたり、悲しいような怒ったような顔をしたり……。

 その全部があーちゃんの、お父さんへの気持ちを表していた。

 そんなふたりのお気に入りは、お弁当を持ってひみつのビーチに行くこと。すごく甘いカフェオレにお米が入ったものにしょっぱいソーセージか干し魚を合わせて食べるお弁当で、聞いていておいしそうとはまったく、お世辞にも思えなかったけど、「本当においしかったんだよ。」と真面目にいう顔には信じてあげないと、と思わせる切実さがあった(こんなことを思い出している間に、焦げたスープ、食べられるところはもうほとんど食べてしまった)。 

 

 あーちゃんとは今、遠く離れてしまって、もう会うこともないだろうと思う。友だちだけど、かつて夫だった人だ。長い時間をかけてまるで自分のもののようになった思い出を、お気に入りの本のようにときどき取り出してみている。

 

 ちなみに後に偶然食べる機会があったのですが、とても甘いカフェオレにお米が入ったものはチャンポラードというもち米とココアのお粥のことだと思います。なんと、本当においしかったのです。

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 読みながら、自分がちょっといいひとになってゆくような、錯覚をおぼえました。

 わたしの考える「いいひと」とは——。

 

 焦がしたスープを(イライラしたりせずに)、落ち着いておもしろがって食べるひと。

 誰かさんが海で流したビーチサンダルを、潜っていつまでも探すひと。

 お父さんがつくった(お母さんも料理に関与しているかもしれない)お弁当を、切実に愛するひと。

 かつて夫だったひとを、なつかしく思いだすひと。

 

 読み手を、錯覚であるにしてもこんな気落ち——自分がいいひとになってゆくという——にさせてくれるなんてね、もの書きってカッコイイ!

 

 ラクサマーみおきさん、次作をこころから待っています。


スイカ        日日さらこ(ニチニチ・サラコ)


 スイカを食べている。

 暑い夏にこれほど似合う食べ物は他にあろうか。と、今年ほど身に染みて思ったことはない。汗ダラダラで外出先から戻る時、冷蔵庫にスイカが冷えていると思うだけで足取りが軽くなる。みずみずしく、シャキシャキして、程よい甘さ。どんな高級な果物も、スイーツも、アイスクリームも、かき氷でさえ、スイカに勝るものはない。

 

 昔から、夏にスイカはかかせなかった。海水浴、お祭り、キャンプ、いや、普段の夏の日にも、いつもスイカがあった。わたしが小学生のころ、中学生のいとこと姉と一緒に、赤ちゃんが生まれたばかりの親戚の家に行く時も丸いスイカを抱えていた。スイカは誰もが喜ぶ。スイカなら安心。八百屋さんにも、スーパーにも、スイカがゴロゴロと並んでいた。わたしたちはポンポンとスイカを叩いて、おいしそうなものを選んでいたものだ。

 それなのに、スイカの生産量も消費量も減り続けているという。夏はどんどん暑くなる一方だというのにどうしたことか。

 今、スーパーの果物コーナーに、丸いスイカがゴロゴロ並んでいるということはない。並んでいるのは、4分の1、8分の1に切り分けてあるスイカだ。確かに、丸ごとは冷蔵庫に入らないし、食べきれるほど、家族もいない。うちも3人家族だから、買うときは8分の1だ。そこに最近、一口大にカットされたスイカが入っている小さなパックを見つけた。これは、ひとり暮らしの高齢の方や、包丁を使いにくい人などにとってはうれしい配慮だろう。けれど、どこか寂しさがつきまとう。

 丸いスイカには包容力があった。何人でも大丈夫。親戚の知り合いでも、友達の友達でも、近所の人でも、誰でも食べにいらっしゃい。いつでもどうぞ。

ザクザクッと切って、みんなでかぶりつく。

 丸いスイカを見かけなくなったと同時に、あのスイカの周りにあった包容力もどこかに消えてしまっていないだろうか。

 

 まだまだ暑い日が続く。今日もスイカを食べる。8分の1でもいい。パックに入っていてもいい。暑い日はスイカを食べましょう。みなさん、スイカのこと、忘れていませんか。

 

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 

 熊谷に引っ越してきた翌年と、その翌年の2回、畑で夫はスイカを育てました。5月の終わりごろ苗を買ってきて植えつけます。

 スイカはたちまちツルをのばし、みるみるうちに畑はスイカ畑となりました。ぽこんぽこんとあちらこちらにスイカの子どもが生まれます。育てやすい果物と云えるでしょう……。

 ところが、実ができるや、このスイカを狙うものたちが、吸い寄せられてきます。

 四つ足の生きものもきているみたいです。足跡が残っていましたから。あれはハクビシン? 四つ足さんは姿を見せませんでしたが、あからさまにスイカを狙うのがカラスです。

 わたしにとってカラスは、身近な存在で、とくにうちの庭によくくる2羽については、たぶんあれはジロウで、こちらはカノコだという具合に見分けがつき、それは3回に1回くらい正解だと思います。ジロウとカノコのほうでも、わたしを身近な生物と認めてくれているのに、畑のスイカを狙います。さーっと空からおりてきて、くわっと食べるのですよ。

 スイカが好きなら、1個や2個はあげるからさ、全部をつつこうとしないでよ、と思います。

 

 あ、ごめんなさい。

「日日さらこ」さんの「スイカ」につつかれて、つい。

 急いで畑ばなしを結末まで運びますと……、1年目カラスと闘った夫は、20個近く収穫できるはずのところ、無キズのスイカを3個しかものにできませんでした。

 2年目は、スイカの実がなる前に、畑にテグスを張りめぐらせました。なんだかおそろしく時間をかけて。おかげでスイカはたくさんとれましたが、3年目はスイカ作りはしなかったのでした。

 

 夫よ、スイカ、好きなのにね……、残念。

 

 けれども、「スイカ」を読んで、ことし、夫にスイカづくりをすすめて、わたしも少しくらい手伝ってもいいかなと思ったのです。

 スイカへの愛がむくむくと湧きました。

 皆さんは、どうですか。

 この夏、スイカにこだわろうと、身がまえているのではありませんか?


2025年1月


ジュリーを見た日   砂丘じゅり(スナオカ・ジュリ)


「BSで沢田研二75歳バースデーコンサートをやるよ」

 家人が言う。

「えっ? ジュリーのコンサート? 放送あるの? 見ていいの?」

 9月1日のことだ。

 7時から3時間の放送とある。時計を見ると6時半。わたしは1人で先に夕食をすませ、テレビの前に座った。

 コンサートはタイガースの楽曲から始まった。サリー、ピー、タローが演奏し、虎の着ぐるみに身を包んだジュリーが歌いだした。あの頃のうただ。タイガースの全盛期。わたしは中学生だった。

 

 中学2年生の時。昭和43年(1968年)。3学期の期末試験の前だ。近くの海岸で2日間、映画の撮影のためタイガースがやってきた。女生徒たちはほぼ全員、勉強が手につかなかった。

 映画撮影1日目。放課後、部室に行くと誰もいない。先生がやってきた。

「おまえもタイガース見たいんだろう」

「はい!」

 と答えると、

「練習はなしだ」

 と言って、先生は音楽室を出ていった。

 わたしはそれまで出したことのない力で自転車をこいで海岸へ向かい、時計を見て宿泊先で待つことにした。しばらくすると真新しい「国民宿舎白子荘」の玄関前に、黒山のような女性たちが押し寄せ、その間を縫うように大きな黒い車が2台止まった。わたしはもみくちゃにされながら、車のドアを見ていた。

 ジュリーは1台目の車から出てきた。にこりともせず、早く玄関へ入ろうとしているようだったが、着ていた衣装の肩の飾りが引きちぎられ、黄色い歓声の中で立ち往生していた他4人のメンバーはとても愛想がよく、とまどいながらも笑顔を振りまいていた。

 いつまでもその場から去ろうとしないファンのために、タイガースが屋上に出てくれることになった。芝生の庭で屋上を見上げていると、5人が現れた。4人のメンバーたちは、にこやかに手を振ってみせたが、ここでもジュリーはにこりともせず、ファンの女性たちを見おろしていた。

「氷のように冷たく美しい。はっきりと整って憂いのある顔。世の中にこんな美しい男の人がいるのか!」と思いながら、じっとジュリーを見つめていた14歳のあの日。

 あの時のジュリーが75歳になっても、ひたすら歌っている。バースデーコンサートの1年後の今、それをテレビで見ているわたしも71歳になった。人生は続いているのです。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 わくわくしました。

 タイガースファン、「沢田研二」ファンですもの。

 時代ごとに湧き上がるもの——文化、芸能、スポーツ、ファッションほか——は、時がたってもものがたりがひろがりますね。自分を育ててくれたものがたり、彩ってくれたものがたり、進化させてくれたものがたりです。

 

「ジュリーを見た日」は、読むわたしたちに大事なものがたりを思いださせ、それを現在と、そして未来の自分とつなげてくれましたね。

 中学生時代のものがたりの挿入も、自然で、読ませます。思いがつよくても、過剰にならないところが魅力的、とわたしは感心しています。


バニティケース     平木智子(ヒラキ・トモコ)


 かつてロンドン在住の初期、1990年代はじめ、労働許可証取得の縁で日系の免税店「いぎりす屋」で働いていた。

 年2回の大セールは大盤ぶるまいの値付けがされ、日本からの旅行者や現地住いの顧客でいつも大盛況であった。

 バブルがはじける以前は、品々が飛ぶように売れていった。

 それでも売れ残ったディオールのバニティケース。これをさらに社員割引で購入した。サイズは32×23×高さ22cm。

 もう32年も私の朝の身支度に付き合ってくれている。長い歳月の使用で、箱型本体の両サイド皮部分の角はすり切れ、ロックもバカになり、ワンタッチでは開かなくなった。

 蓋の内側に設置されていた鏡はシミで曇り、用を足さなくなったので、とうにはずされ捨てられた。

 パリ、ディオールの輝きを失った化粧道具入れになっていた。

 

 新しいのに買い替えようかと、デパートを3、4軒見てまわったが、どこも一様に布製かビニール製のやわらかい素材で、サイズも旅行用かと思うほど小ぶりであった。

 ヨーロッパのバニティケースは、ブランド物に限らず、ほとんどが先のサイズで、しっかりとした箱型だった。

 この頃は体力に自信がなく、ロンドンへ出かけることも叶わなくなったので、むこうで購入することもできない。

 さて、どうしたものかと買い替えのことを思いながら数年が過ぎていった。

 このバニティケースは、外観はディオールのロゴシートと上質の牛皮で仕上げられていて、存在感を示しているだけでなく、箱自体が実に堅牢である。だからこそ、30年以上も使用してきたのだ。あらためて見直すと、見た目には少しシャビィになっているが、化粧品各種をびっしり収めてもびくともしない頼もしい箱であることに気づいた。

 かたくしぼったタオルで丁寧に拭いてみると、随分とスッキリしてきた。

 うん、うん、やっぱりディールの貫禄だ。

 ここまで頑丈につき合ってくれたのだから、残りの私の人生いっぱいまでこのまま伴走してもらおうかとの思いに至り、買い替えの固執から解放されて、安堵の日々である。

 

 2024年10月7日

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 身近な道具、とくに自分自身に関わる働きをするモノたちは、友だちのような存在ですね。だからこそ、間に合わせで求めたりしないで、気に入ったもの、手にも目にも馴染むモノを選びたいと思うのです。

 バニティケース。

 わたしはひきだしです。

 そのほかに外出用のミニをひとつ、旅用のをひとつ持っています。どれも実用的で、ものがたり性に欠けているような。

 本作を読んで、そもそもバニティケースということばに惹きつけられました。

 そうして、使い古したバニティケースをかたくしぼったタオルで丁寧に拭き、さいごまでそばにいてもらおうと心を決める結びのところで、思わず泣きそうになりました。


ゲリラ襲来      スズキジュンコ


 雨というのは水の粒が連なって降ってくるもの。こうして眺めていると、窓の外の雨のスジは細目に開けた蛇口から出てくる水道水のようだ。

 分厚い雲が覆っている。午前11時、外は真っ白や。

 ときおり稲妻が走って、案外と明るい。

「ゲリラ豪雨」というだけあって、部屋の窓から見ていてもかなりの迫力。

 

 外に出て、やってやりたい。

 

 マンションのエレベーターまでは屋根があるけど、傘を差して歩く。スカートの色が水色から青に変わる。部屋の中にいるときは「ざー」と聞こえていた雨音が「ごぉうわー」に変わった。

「ゲリラライブ」

 さあ来い!と、ここが得意のノリノリ気分。

 

 1階まで降りたが、エントランスから外に出る勇気が出ない。

 滝のような雨に傘は用を成さなさそうだし、アスファルトからの跳ね返しが半端ない。地面からも噴水のように雨が上がっている。

 重い雨の圧に胸が押される。

 でも、その中に入ってみないことには……。

 

 閃光と同時に「ばりっ どっわーん」と爆発音が響く。落雷はすぐそばだ。

「ひぃっ おっかない」

 さらなる奇襲攻撃を仕掛けて来るかもしれないわ。だって、「ゲリラ」ですもの。

 身の危険を感じた私は外に出ることなく、部屋に戻ることにした。

 なんというか、あっさりの撤退。

 

 エレベーターを降りて自分の部屋に戻る時、なんの意味もないけど、行きには差した傘をささず、あえて廊下の外よりを歩いた。

 部屋の前まで来たところでまた雷鳴がとどろいた。閉じた傘に抱きつきながら、へっぴり腰で鍵を開けようとしたが、動揺していて、すんなりと鍵穴に鍵が入らない。でも、背中に雨を受けながら「滝修行かよ」と言ってやった。

 抵抗と悪あがきはしたってわけ。

 

 おそらく、部屋を出てから、戻るまで5分と時間が経たなかったと思うが、私はヘトヘトになった。

 玄関先でスカートを脱いで、シャワーを浴びに行ったのに、脱衣所に立ってびしょ濡れTシャツにパンツ一丁で、何故だかタオルで髪の毛を拭いて、ぼんやりする。

 

 ぼんやりしている間にゲリラは雨雲を引き連れて場所を変えた。

 しょぼい小雨が途切れるのを待たずして、ベランダに雀が飛んできて、呑気そうにチュンチュン鳴いている。蝉も一斉にミンミンミーンと狂い鳴きを始めた。

 此奴らは、どこに忍んで、ゲリラの襲来を凌いでいたのだろうか。

 やるなー。

 いつどこで何に襲われるかわからない。その時の身の処し方を、どうやって学ぶのだろう。

 

 それに引き換え私ときたら、相手の手ごわさなど露ほど考えず、ゲリラとの対戦を思いついたものの、リングに上がる前にご辞退申し上げ、お為ごかしのこっぱずかしい一人芝居をして、ダメージを食らって、一発ダウン。

 あーあ せめて虹でも出てくれりゃいいのになぁと思うけど、世の中そんなに甘くない。

 シャワーを浴びて、コンビニスイーツでも食べることにしよう。

 いや、やはりビールにするか。

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 威勢がよく、正直で、ああ、気持ちがいい! と思うのです。

 

 威勢のほうは、わたしもおずおずとやってみることは、あります。威勢よさげに書くのです。

 けれど「外に出て、やってやりたい」と出撃したのに、雷に怖気づいて「ひいっ おっかない」とは書けないのですよ。

 カッコつけちゃうというか。

 雷が怖いくせに、ね。

 

 書き手の「正直」は、読み手を安心させます。

 安心もさせるし、信用を生みます。

 結果としてに読み手は「どんなことにもつきあいますよ」という気分になるのです。


                        100字エッセイ祭り

 
 会員の皆さんの「100字エッセイ」傑作選です。

 通常の作品発表は、作家に前もってお知らせし、文字データをいただいて準備しますが、「100字エッセイ」はお断りせずここに発表します。

「100字エッセイ」は書き手をいろいろな意味で鍛え、脳もこころもやわらかくしてくれます。どうかそれを信じてとり組んでくださいまし。 山本ふみこ

 

 

***** 臼井嘉子 (ウスイ・カコ)

 

向こうに見える真鶴半島の真ん中あたりから、ゆっくりと陽が昇る。オレンジ色の光が反射して海は白く煌めき、寄せては返す波音がかすかに聞こえる。裏のみかん畑からは鳥のさえずり。吉浜の1日が始まります。(97字)

 

 

裏の畑からみかんをいただいた。ぐりぐりしぼって、氷を3つ。「あー美味しい」。子どもの頃、みかんを食べすぎて手の平が黄色くなったよな。みかん3個でグラスなみなみ。これでビタミンC 1日の必要量なんですと。(100字)

 

 

***** 三澤モナ(ミサワ・モナ)

 

「お父さん何拝んだの?」と男の子。「オレはもう世界平和のことしか考えないの!」とお父さん。ハッとして見とれる。坊主頭で迷彩色ズボン、強面のお父さんの真似をして、私も世界平和をお祈りする。神社にて。(98字)

 

 

「入院患者さんたち、ワールドシリーズで盛り上がって、みんな元気になったの。すごいね、大谷効果。ある患者さんにドジャース勝ちましたね、って言ったら、ヤンキーズファンだった。思い込みに注意だね」娘の話。(99字)

 

 

***** きたまち丁子(キタマチ・チョウコ)

 

この秋訪れた山口県仙崎にある「金子みすず記念館」。「いつも丁寧な人でした」とは、みすずさん小学校のときの担任の先生の言葉である。丁寧な字、言葉、所作。そして心遣い。写真の中の詩人は遠くを見つめていた。(100字)

 

 

「豚肉のりんご煮を作ったのに何も言わないばかりか、残したのよ」出張で飛びまわる夫君のためにお鍋でコトコトと。電話の向こうで、友はふくれている。秋の夜長、退屈していた私に降ってきた微笑ましいひととき。(99字)

 

 

***** スズキ ジュンコ

 

ハスのきんぴらなどつまみ、ぼんやりしながら、ジンとか、あれとか飲んでんのよ。記念日。誕生日。ゴールデンウィークにお盆休み。クリスマスも、年末年始も。「スズキジュンコ」通常ダイヤにて運行しております。(99字)

 

 

新聞広げてうたた寝してる父に「今日は暖かいから、お散歩どう?」と誘ったら、薄目をあけてチラッとこっちを見た。「散歩日和なのになあ」としつこく言ったら、大あくびして目閉じちゃった。ムム 猫になったのか?(100字)

 

 

そーだ そーだと思うことあり。しかし、何故そう思うのかはわからない。だからさ、それはさ、「恐らくは日本人と呼ばれる以前の死に絶えしヒトビトの祈り有りてー」すまぬ。これはエレカシの「生命賛歌」の歌詞だ。(100字)