ふみ虫舎エッセイ通信講座作品集


2023年9月の公開作品


ピアノのはなし    三澤モナ(ミサワ・モナ)


 30年前、あるみやげ物店。

 母が小さい声で私を呼んだ。母の手には両手のひらに収まるくらいのグランドピアノの模型がのっていた。

「ピアノを習いたいと言ったのに、習わせてあげられなかった……。これ、買ってあげようか」

「えーっ? 本物があるからいらないわ」

 ふたりで笑った。

 子どものころ一度習いたいと言っただけだったのに、母は何十年もの間そのことを気にしていたのかと驚いた。 

 いま、あのときの母の年齢(70代)になって、この小さなできごとをよく思い出す。

 小さいころからピアノに憧れていた。自分で買えたのは30歳のときだった。小さい家の6畳の居間に、デンと陣取ったピカピカのピアノがまぶしかった。

 

 神奈川に住む叔母から聞いた話。

 近所に住む高齢の女性が楽譜をもって訪ねてくるという。そうして1時間ほど静かに弾く。

「ありがとうございます。これが楽しみで」

 そう嬉しそうに言って帰っていくのだそうだ。素敵だ。高齢になってピアノを楽しめる私になりたい、と思ったのだった。

 

 私が買ったピアノはその後、20年の間に何度も引っ越しを重ねることになる。

 最初の江戸川区の家に2年。江東区のマンションの一階のリビングに8年。ここで小学生になった娘たちが習い始める。秋田の家の洋室に8年。私も通信教育で学びはじめる。

 そして、ここ、森の中の家のリビングに収まった。

 

 ある日、友人夫婦が訪ねてきて言った。

「ねえ、ここのリビングは広いから、うちのグランドピアノがとても似合うと思う。こちらのピアノと交換できないかしら?」

 娘さんが弾いていたグランドピアノは、リビングを圧迫していて、今や、物置台になっている。娘が帰ってきたら弾くだろうからピアノは必要。交換できたらありがたい、というのである。

 びっくりした。

 20年一緒に転々としてきたピアノを手放せるだろうか? でも、グランドピアノなんて夢のまた夢で、自分で買える代物ではない。魅力的……迷う。

 友人の家に行ってそのピアノを見る。帰ってきて迷う……迷う……。そして、とうとう、

「知らないところに行くのじゃないのだし」

 と、交換を決めた。

 大きくて年季の入ったグランドピアノがうちにやって来た。そして、私のピアノが出ていく。ネコがよくピアノの上に飛び乗ってじっとしていたことを思い出し、少し申し訳ない気持ちで送り出したのだった。

 それから、20年になる。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 やさしい物語。

 迷う、というところ、気持ちが伝わりました。

 いろいろな思い、お母さまの思い出(冒頭の)もあるピアノですもの。大事なグランドピアノをモナさんに託したいというご友人の心情も伝わりました。

 

 さて、このたび、会話について書いてみたいと思います。

 書きことばにするときは、話しことばよりもていねいにすることをおすすめします。

 とくに、買いものの際の会話、行きずりのひととのやりとりには、注意が必要です。親しい気持ちが生まれたからといって、「……だよ」なんて書きますと、書き手の(相手に対する)心根が疑われてしまうことになりかねません。

 おや? この書き手は、他者に対して邪険じゃないか。 とね。

 その場の空気がうまく伝わった上で、荒っぽいことばを置くならかまわないし、ましてや「このやろう」を「このやろうでございます」と書くことをすすめているのでもありません。

 会話というのは、文章のおもしろみを醸します。

 魅力的に立ててくださいましね。 ふ


いける、いける  草香なむ(クサカ・ナム)

 

 高校を卒業してすぐ、上野動物園でアルバイトをしていた時のことだ。昼ごはんに白いご飯とシーチキンの缶詰を持ってきた女の子がいた。おもむろに缶詰をパカッとあけ、何もかけず、

 

「うん、いける、いける。」

 

 と、冷えた白いご飯と一緒に食べだした姿に、目が釘付けになる。野球でいったら、直球ストレート! 軽いショックだった。

 

 今から何年か前、短期間入試関係の仕事をした時のことだ。スウェーデンから一時帰国して、家族のために稼ぎにきていた日本人女性と一緒になった。昼休み食堂に行くと彼女は、友人から借りたというタッパーに、白いご飯を詰めて持ってきていて、サバの缶詰をおかずに昼食をとっていた。

 

「日本のように、味噌味の魚とか向うにはなくてね。」

 

 と、目を細めて感激しながら、それは美味しそうだった。そうか。日本のものはそのままで十分いけるんだ。

 

「缶詰だけをおかずに、ご飯たべている人みたの、2人目。」

 

 上野動物園時代のことを話すと、愉快そうにケラケラ彼女は、笑った。

 ちょうど正月明けだけだった。お餅を頼んだ時に、オマケについていた、おみくじ付きの緑茶のパックが家にあったのを思い出し、次の日彼女にもっていった。

 

「これ、飲むのもったいない! スェーデンで待っている娘のお土産にする。」

 

 え?そんなに⁈ 彼女の喜び方が、嬉しかった。

 いくつになっても新鮮なことはあるな。彼女たちを見習って。いつか私も堂々と、缶詰をパカッ、とやってみたい。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 いいないいな。わたしも、やってみたい、缶詰をパカッと。

 とときめきました。

だけどわたしは、やってるか、自分ひとりのごはんのときに。シーチキンにマヨネーズをかけ、しょうゆをちょっぴりたらして食べるのですよ(すだちかレモンを絞りたい、です)。

 

「いける、いける」に登場する皆さんとちがうのは、わたしが隠れて(?)「缶詰パカッ」をしているところです。

 いいないいなと、思わずときめいたのは、この清清しさ、堂堂とした佇まいに対して、です。それを、眺める「草香なむ」のこころの動きです。

 

 こういうこと、見逃さず作品に実らせたことに、拍手しています。 ふ               


100字エッセイ祭り

 

 会員の皆さんの「100字エッセイ」傑作選です。

 通常の作品発表は、作家に前もってお知らせし、文字データをいただいて準備しますが、「100字エッセイ」はお断りせずここに発表します。どうぞおたのしみに。

「100字エッセイ」は書き手をいろいろな意味で鍛え、脳をやわらかくしてくれます。どうかそれを信じてとり組んでくださいまし。 山本ふみこ 

 

*****

はるの麻子(ハルノ・アサコ)

 

スーパーの駐車場。さて、と思うが、自転車がぎゅう詰めでなかなか出せない。エイっと引っぱった途端カゴから卵のパックが落下。帰宅し割れた卵7個でカステラを焼いてみる。カステラがふくらむ。しぼんだ気持ちも。(100字)

 

朝6時半に散歩から戻ると、家のまえで孫と出会う。「きょうは早いね!」「うん。練習試合があるからグランド整備で7時集合なんだ」中学校に入り野球に夢中になっているこのひとは、子どもだろうか、大人だろうか。(100字)

 

*****

三澤モナ(ミサワ・モナ)

 

歯周ポケットをチクチク……ウッ。歯石を超音波でキュルキュル……痛いっ。虫歯治療のキーン……怖いっ。思わずハンカチをぎゅっと握りしめる。「力を抜いて」と言われても……。これからはもっとちゃんと磨きます。(100字)

 

「大好きな季節なんですよ」と、雪が降ると80歳代になるお隣りさん。「ストーブの上に冷凍肉まんを置いて、それを楽しみにお父さん(夫君)と雪寄せするの。ひとやすみに食べるアツアツのおいしいこと!」と言う。(100字)

 

*****

オンネ カノン

 

雨に濡れる紫陽花を見ると思い出す。子どもの頃、殻を取ったらナメクジになるのかと、カタツムリの殻を割ろうとしたことがある。なんてことをしたのだろう。今、とんと見かけなくなったカタツムリ。許してください。(100字)

 

ミックスソフトクリームが大好き。チョコレートとバニラの。小さな頃はぺろぺろ舐めて、溶け出すと大慌てで口に入れた。今? 今は「コーンでいいですか?」「いえ、カップで」ゆっくりゆっくりスプーンで食べる。(99字)

 

*****

きたまち丁子(キタマチ・チョウコ)

 

夏の夕暮れ。坂道を自転車でかけ上がってきた野球少年が、縁石にのりあげ、転んだ。「だいじょうぶ?」 照れ臭さからそのまま走りさるのでは……? 幼さが残る少年はしかし、軽く会釈し、笑顔を残していった。(98字)

 

秋田の銘菓「さなづら」をいただく。秋が深まるころ、黒い実をたわわにつける山葡萄・さなづらを濃縮ジュースにし、寒天でかためたお菓子。名刺のようなかたち。芳醇な香りを味わいながら、届けてくれた友人を思う。(100字)

 

*****

かよ(カヨ)

 

「ママ、これにする!」と、こどもは言った。「いいね」って、言えたらよかった。「本当にピンクでいいの? 黄色はどう?」なんて。つまらないことを言いました。男の子がピンク色の傘を選んだって、いいのにさ。(99字)

 

*****

原田陽一(ハラダ・ヨウイチ)

 

創業100年の八百屋の店主。「おすすめはチェリー、100グラム300円」「大将、僕の好みがわかってるね。1000円分ください」「あいよ、大盛りのおまけ」実に気っ風がいい江戸っ子。但し後継者がいない。(99字)

 

男3人のゴルフ合宿。「いびきが激しいので、覚悟してください」「僕は寝言が大きいですから」「ええっ、いびきと寝言にはさまれて寝るの?」ふたりとも家では隔離されて寝ている。友情か隔離か、むつかしい選択。(99字)

 


つばきの財布つばきの財布  由岐谷 クオリ(ユキタニ・クオリ)

 

 心細く思うことがあると、わたしは秘密の隠し場所からつばきの財布をそっと取り出す。白いつばきが織り模様で描かれた財布は、祖母の形見。祖母がこの世を旅立って13年になる。

 暮らしをともにすることは一度も叶わなかったけれど、毎年わたしの誕生日やクリスマスには、いつも美しい文字で書かれた便りとともに「おこづかい」が届いた。その美しい文字を見ては、祖母はどんなひとかしら、と想像しながら返事を書いた。10代後半のいっとき、祖母はわたしの文通相手でもあったのである。

 祖父の退職を機に、近くのマンションに居をかまえた祖父母のもとを、ときどきひとり訪ねるたのしみをみつけた。わたしは社会人になっていたのである。

 仕事帰りに立ち寄って、お茶を飲みながら小一時間、たわいのない話をするのだけれど、ふたりはにこにこと優しい眼差しで聞いてくれた。そして帰るときにはいつも、祖母はエレベーターのところまで見送りにきて、ポケットからつばきの財布を取りだし、そっとわたしに千円札をにぎらせた。驚いてわたしが押し戻そうとすると、「おじいちゃんには内緒だから。早くしまって!」と小声でいう祖母の必死さに圧倒されて、恥ずかしながら、わたしは長い間そんなふうに祖母からおこづかいをもらっていた。

 つばきの財布が、祖母のへそくり用であったことを知ったのは、ずっと後のことだった。祖父母の生活において、家計管理は堅実な祖父が担っていたようで、ずっと専業主婦であった祖母は、こっそりとへそくりを貯めるスリルを楽しんでいたと思われる。

 旅立つ少し前、祖母はつばきの財布の秘密とともに「へそくりを貯める極意」をわたしに授けてくれた。

「隠し場所は身近なところがいいわ。使いみちとして、化粧水とか下着を買うときにちょっと上等なものを買うのがおすすめ、そういうものの違いは男の人はわからないから。そうしてね、心に余裕をもってことにあたる。じゃないと顔に出てばれちゃうから。これ一番大事。」

 祖母が逝った後、祖父から何か形見分けの品を、といわれたとき、まっ先につばきの財布が頭にうかんだ。そのありかは祖母とわたしだけの秘密。聞いていた通り、鏡台の引き出しを引き抜いた奥のすきまに、それはあった。祖父はちょっと驚いていたけれど、黙ってほほえみ、うなずいた。

 家に戻り、つばきの財布を開けると一枚の紙きれが入っていた。美しい祖母の文字でこうある。

 

「ストレス解消」

自分を愛する

自分を責めない

自分を比較しない

自分をアピールする

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 おばあさま、あこがれます。

 こういう存在に、努力して近づきたいですね。

 

「つばきの財布」の説明を少しだけ加えることをおすすめします。

 どんな質感? 色は? つばきの花が描かれているの? 

 と、ほら、ちょっと知りたくなるではありませんか。

 

 このたびは、「それはいつの出来事か」ということについて、考えてみたいと思います。

「つばきの財布」のなかで、社会人になって祖父母の住むマンションに訪ねるようになったはなし(①)。つばきの財布が、祖母のへそくり用のものであったはなし(②)。

 ここに「それはいつの出来事か」があらわれています。

①  ……訪ねるようになったのは社会人になってからだった。

②  ……知ったのは、ずっと後のことだった。

 とありました。

 わかりやすいです。

 しかし、短いひとつエッセイのなかで、同じ表現が置かれると、説明的になりがちです。というわけなので、①を、こう変えてみました。

 

祖父の退職を機に、近くのマンションに居をかまえた祖父母のもとを、ときどきひとり訪ねるたのしみをみつけた。わたしは社会人になっていたのである。

 

 重複はゆるみを生みます。

 そろえるなら、まったく同じ表現にすることで、パターン化がかないます。

 そう書いていて、自分も相当ゆるんでいるけどな、と省みています。この欄だけは、自分のことをすっかり棚に上げて、書かせていただきいます。 ふ


2023年8月の公開作品


とうふ  日日さらこ(ニチニチ・サラコ)

 

 小さな豆腐屋を見つけた。夫の母を見舞ったあと、西荻窪の商店街を歩いていて、足を止めた。豆腐は二種類。北海道産大豆で作られたものと茨城県産大豆のものと。

「北海道生まれなので、北海道産の方にします」

「北海道出身の方はみなそう言って北海道産を買われるのよ」

 と、店主と思われる女性が言う。そうでしょう。そうでしょう。

 商品とおつりを受け取ると、さらに店主が言う。

「そしてね。茨城出身の方はみな北海道産を買われるの」

「あら。……。えっ」

 

 北海道産のものだけが特別においしいと思っているわけではない。北海道を応援しなくてはという強い気持ちがあるわけでもない。ただ自然にそちらに手がのびる。

 北海道に住んだ年数より、東京や神奈川に住んでいる年数が長くなって久しいが、食べ物だけではなく、北海道出身という人に出会うと、それだけで信用してしまうようなところがある。

 以前、仕事で、とてもおしゃれでスマートな人に出会い、この人は東京育ちのお坊ちゃまなのかと緊張していたら、北海道出身ということがわかり、なあんだ、何気取っているのよ、もう、と、急に遠い親戚のおじちゃんに思えてきたということもあった。

 けれど、北海道出身だから特に親しくなるということでもない。こちらで出会い親しくなった人は、岐阜出身、新潟、鹿児島、沖縄などさまざまだ。同じように、いろいろな地域のおいしい食物に出会ってきた。

 そういえば、実家が北海道というと、必ず言われることがある。

「北海道。いいわねえ。食べ物おいしいですもの」

 ええ。おいしいものいっぱいありますよ。若い頃なら胸を張った。でも、どこにだってあれやこれやあるじゃないですかと、今は思う。

 

 さて、小さな豆腐店のはなし。北海道産を選んでくれる茨城の方にお礼を言いたいくらいだが、知り合いに茨城出身という人は思い浮かばない(出会っていたとしたら本当にごめんなさい)。茨城を訪ねたことはある。大洗の海岸で、大きなハマグリの潮干狩り。民宿の盛りだくさんのごはん。楽しくて次の年にも出かけた。帰りには切り干し大根が入ったそぼろ納豆を買った。納豆……。大豆。

 

 また、母の面会日が巡ってきた。豆腐屋に向かう。

「北海道産と茨城産、一つずつお願いします」

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 みなさん、「とうふ」、ともかくおたのしみください。  ふ


Cの形   かよ 

 

 ちいさなパン屋です。おとなが4人入ったら、次の人は外で待ちます。それくらいの広さです。ショーケースには、つやつやしたパンが15種類ほど並んでいます。食パン。バゲット。ロデヴ。スコーン。あんバタ。タルティーヌ。プチパンなど。

 

「こんにちは」

 ショーケースの向こうにいる店員さんが、ほっとさせてくれる声で迎え入れてくれます。もう何回も訪れているので、店員さんとわたしはお互いの顔を知っています。でも、名前は知りません。知らなくても、むしろ、知らないまま、にこっと笑ってあいさつできる距離が、心地よいのです。

 その日のショーケースに、チーズバゲットがありました。残り1つの。

「やったね!」

 心がおどります。会計を済ませて、袋を受け取り、

「ありがとうございます、また来ます」

 と言って、店を出る。

 

 ちいさなパン屋へは車で出かけるため、たいてい帰りの車の中で、パンを食べます。チーズバゲットは、直径15㎝くらい、アルファベットのCの形をしていて、チーズがたっぷり入っています。パンを焼いているとき、外側にとけだしたチーズが、カリカリに焼かれます。それをパキっと折って、ボリっと音を立ててかじります。

「やっぱり、おいしいなあ。来てよかったなあ。」

 このパンを食べるたび、同じことを言っています。

 バゲットをガリっとかみちぎります。とても堅い。あごがすごく疲れるのだけれど、それがいい。そこがすき。堅い塊をかみしめていると、わたしが食べているものはパンではないかもしれない。なんて思えて。おかしくて、笑い出したい気持ちがこみあげてきて、本当にあははっと笑っています。にこにこきげんよく、パンをこねたり焼いたりする人たちの顔が浮かんできます。食べる前より、すこし元気になります。

「ごちそうさまでした」

 両手を合わせる。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 云うことありませんねえ。

 美味しそうで、たまらなくなりますねえ。

 

 バゲットをガリっとかみちぎります。とても堅い。あごがすごく疲れるのだけれど、それがいい。そこがすき。堅い塊をかみしめていると、わたしが食べているものはパンではないかもしれない。なんて思えて。おかしくて、笑い出したい気持ちがこみあげてきて、本当にあははっと笑っています。

 

 ↑ここが、好きです。

 

 さて皆さん、「あの」「その」「この」に気をつかいましょう。

 この品詞は連体詞(体言を修飾)に分類されます。話ことばとして用いるときにはさほど気になりませんが、書きことばとなると、うるさい存在になりがちです。

「Cの形」3段落目に「ちいさなパン屋へは車で出かけるため、」があります。原文では「そのパン屋へは車で出かけるため、」となっていました。

「そのパン屋」と書くのには理由があります。他のどのパン屋でもなく、それまで書いてきた「ちいさなパン屋」のはなしなのですよ、という説明の理由です。その、と書くのがまちがっている、誤用であるという話ではありません。

「そのパン屋」と書いた場合、ものがたりの風合いがかすかに損なわれはしないかとわたしは考え、ここを「ちいさなパン屋」としたのです。

 

 タイトル、とても素敵。 ふ


尊いもの   谷澤美雪(タニザワ・ミユキ)

 

 年が明けて寒い1月。

 天気予報を注意深く見る。

 どうか、晴れの日がつづきますように。

 西の空がビュービューと吹きますように。

 

 テレビの天気予報の画面にお陽さまマークが並んでいる。

「よし! 大根を収穫するチャンス到来」

 物置きから木の樽を出す。庭に一直線に6メートルほどの紐を張ってから畑に出発。

 スマートなもの、太くなり過ぎたもの、2つ3つとタコ足のように育った大根と出会う瞬間は楽しい。

 土のついた大根が庭先に山盛りになった。

 準備した樽に水をため1本1本、丁寧にヘチマのタワシで洗う。こうして大根たちはたくわん漬けへの道をすすんでゆく。

 不揃いのものはみんな大根切り干しにする。七夕の短冊のように切っていく。長さは鉛筆1本ほど。さらに2本切れ目を入れる。刻む人、私。干す人、夫。

 気がつくと風に揺れながら長い長いまっ白な大根のれんが出来ている。むこうには海が広がり、水平線が見える。

「ああ、いい眺めだなあ」

 孫が学校から帰ってきた。

「これ、なあに」

「大根切り干しを作ったんだよ。カリカリになるまでこのままにしておいてね」

 見慣れない光景に興味を持ったようで、ときどき「バーバ、大根見てくるから」と外に出てさわったりしている。

 

 数日がたち、完成。

 春がきた。とびきり新鮮なイカが出まわると、大根切り干しとイカの和え物を作る。

「これ、おばあちゃん好きだったよね」

 と息子が話す。

「おばあちゃんの味だね」

 そうだ、大根を干す手順も、この味付けもみんな亡姑(はは)を見て覚えた。

 陽をあびて風に吹かれながら心待ちにしてできた大根切り干しは「尊いもの」という意味を私に教えてくれている。

「あんなに干したのに、みんなに分けてあげるほどなかった」と話すと、夫が「今年は大根の種をもっと蒔こう」と言う。

「うん、そうだね」

 今日は、気も合って良い日です。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 なんていいのでしょう。

「大根切り干し」ということばにさえ、魔力を感じるわたしです。

「切り干し大根」と呼ぶことが多いのではないでしょうか。これはとくべつな……、格別な「大根切り干し」です。

 

「谷澤美雪」の作品は、手書きです。

 うつくしく、やさしい文字がならびます。

 こういうとき、わたしは自分でタイピングすることになりますが、不安ですから、そこらにいるひとをつかまえて「読み合わせしてください」と頼みます。

 2人ひと組でする内容確認の作業です。このたびは夫をつかまえて、声に出して読んでもらい、わたしが自分で打ち出した原稿をにらんでいました。

 こんなふうです。

 

 カギ アンナニホシタノニ テン ミンナニワケテアゲルホドナカッタ カギ トハナスト、オットガ カギ コトシハダイコンノタネヲモットマコウ カギ トイウ マル ベツカギ ウン テン ソウダネ カギ ベツギョウ キョウハ テン キモアッテヨイヒデス マル

 

 かつて出版社(新聞社も)の編集部で、初校の校正といえば、みんなこれでした。

 なつかしかったし「谷澤美雪」の文章の豊かさうつくしさがこころに沁みました。

 

 美雪さんも、ご家族に音読をしてくださいまし。

 ことにだんな様に。 ふ


修業時代    ぽんこりんこ 


 母が亡くなった。1981年、母49歳、私23歳。

 心にポッカリ穴があいた。

 そんな時、彫刻家の従兄弟が「帽子やらないか」と薦めてくれた。

「?」

 帽子なんて全然興味が無かったけれど、従兄弟の紹介で国立のアトリエに行った時たちまちのうち魅了されて、即決、「私、やります!」と言った。

 当時、確か65歳だった関民(せき・たみ)帽子作家の半地下になったアトリエは木の優しさとランプの灯りに演出されて、手作りの帽子たちがキラキラしていた。

 20歳そこそこの小娘には充分すぎるほど魅力的だった。

 アトリエの奥は住居と夫君(彫刻家 関頑亭/せき・がんてい)の工房になっていて、火事で焼けて寄付で建ったという平家(一部半地下)の総檜造りである。ちょっと普通じゃない。芸術家の家とはこういうものかと目を白黒させていた。

 その日の夕方、キッチンで焼肉定食をご馳走になったことを覚えている。タレでササッと焼いた牛こまの大盛りと同じく大盛りキャベツの千切りと、シンプルを量でカバーする大盛りスタイルが豪快で、チマチマとおかずを並べる我が家の食卓と大違いだった。

 

 さて、意気揚々と翌日から通うことになったのだが、行ってみて丁稚奉公だと気づく。

「まず、おトイレのお掃除からお願いね」と第一声。

 丁稚奉公というのは社会の教科書に載っている昔のことと思っていた。そんな世間知らずの私の驚きと戸惑いを想像してほしい。

 母親亡き後、父と祖母との3人暮らし、本来なら住み込みだけど、あなたがいないとお父さんが困るからとの理由で、通いで昭和の丁稚奉公が始まった。アトリエの前の掃き掃除、お魚屋さんへのお使い、台所仕事で褒められたこと(たまに)、そんなことが印象に残っている。平日の毎日、朝から夕方まで通って、確か1ヶ月6,000円頂くという貴重な経験だった。

 結局、未熟すぎる自分にその修業は長くはつづかず、生徒として勉強することになる。40年前のこと、修業時代とふり返ってみたが、なんのことはない、今だに修業時代にいるのだった。

 

2023年5月

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 ぽんこりんこさんは、それはうつくしい帽子をかぶっています。

 うつくしいだけではありません。ご自身によく合った帽子なのです。

 ものをつくるというのは、どの道にも共通性があって、ああ、そこが似ていますね、ここは少しちがうけれども、わかりますわかります、ということになります。

 帽子をつくるのと、ものを書くのと、どこかが似ているでしょうかね。

 似ていても似ていなくてもかまわないのですけれど、「ぽんこりんこ」という作家のなかで、ふたつの創作が仲よく釣り合っていってくれますようにと、祈っています。

 靴デザイナーの「高田喜佐」(1941―2006)はエッセイの名手でした。あんなふうに鮮やかに、潔くエッセイをものにしてくださいね。

 

 ところで、本作は、道のはじまりです。

 つづきをたのしみにしています。 ふ 


酒屋さんのサンドイッチ  きたまち丁子(キタマチ・チョウコ)


 近所の八百屋さんの片隅に、塩鮭を見つける。

「八百屋さんの塩鮭かあ」

 とおもいながら、ためしに買ってみる。

 焼き鮭にしたところ、油が乗っていて香ばしく、美味であった。

 

 20代の頃、四ツ谷麹町にあった、石油プラントをあつかう会社に勤めていた。

 昼休み、ランチが楽しみで、同僚と12時5分前に会社をとびだし、制服のまま、今日はハヤシライス、今日はちらし寿司、今日は五目かた焼きそば、今日はパスタと、評判の店を訪ねた。

 

 お給料前になると外食を控え、自宅からお弁当を持参したり、パンを買って社内で済ませたりもした。

 ある時先輩から、

「会社の裏にある酒屋さんに行ってみて。

 そこのサンドイッチがとても美味しいから」

 と教えてもらう。

 

 会社のすぐ裏、その古い酒屋さんの暖簾をくぐると、各地の銘酒がずらっと並ぶ店内のレジ横に、小さなガラスケースがあり、食パンやフランスパンと一緒にサンドイッチがならんでいた。

 ハムや卵のオーソドックスなものだったが、わたしはそのサンドイッチパンの美味しさに魅了され、会社に在籍した3年半の間、足繁く通った。

 そして、サンドイッチによりミステリアスな要素を加えた事柄がもうひとつ。

 店のレジに立つのは、なんと、酒屋のはっぴを着た50代と思しき双子のおじさんであった。

 おじさんたちは一卵性の双子。

 初めのうちは気づかなかったのだが、しばらくして双子と気づいた時は、本当に驚いた。

 

 酒屋さんの屋号と、当時、隣町にあった有名なパン屋さんの屋号が同じだったことから、同僚とわたしはこんな推測をした。

 パン屋さんと酒屋さんは親戚同士で、パンを少しゆずり受けて店のかたすみにおいているのでは……。

 でも、結局さいごまで謎は解けなかった。

 

 今だったらいくらでも訊けるのに。

「なぜ酒屋さんにこんな美味しいパンが?」

 なんて。

 あの頃は、若かったから、訊きたいのをがまんして、ただパンを買っていた。

 そういえば、3年半の間、双子のおじさんとは一度も言葉をかわさなかった。

 

 八百屋さんの鮭、酒屋さんのサンドイッチ……。

 そういったものに、わたしは、心を掴まれる。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 この作品も、好きです。

 食いしん坊だからかもしれないけれど、それだけじゃありません。書き手の瑞瑞しさ、おもしろがりがじつに魅力的。

 

 さて、結びに注目してくださいな。

 

 そういったものに、わたしは、心を掴まれる。

 

 これが原文では「そういったものに、わたしは、心を掴まれてしまう。」でした。「しまう」でもわるくはないけれど、「〜してしまう」の表現には、ちょっと色味があります。心を掴まれるのがすこし困ったことのような、色味です。

 

 なるべく色をつけずに、率直に書いてゆく。

 つけるとなったら、コテコテにつける。

 

 こんなことも、書き手の手法のうちなのではありますまいか。 ふ


2023年7月の公開作品


店番   コヤマホーモリ

 この3月、古本屋の棚主になった。

 その店は賑やかな商店街を抜けた先、小さな公園の前にある。もとは雀荘だった空き家の中古住宅を3年間の期限付きで借りているのだとか。本の合間にはフィギュアやアジアの雑貨、季節外れの真っ赤なボールオーナメントのツリー、サボテンが置かれている。座って読んでOKのソファも3つ。無秩序に寄せ集められたように見えるが、不思議と違和感がない。

 

 テレビのニュースで知った「シェア型書店」という聞きなれない名前が頭のすみに居座った。棚ひとマスを貸し出し、棚主のセレクトした本を並べる最小本屋の共同体であり、神保町や渋谷、吉祥寺をはじめ、各地に出現しているという。ある日、自転車圏内であるふた駅先のターミナル駅近くに、共同書店をうたう店があることを知り、頭の引き出しが……、開く。

 

 初めて共同書店に行ってみた日、棚にはまだぽつぽつと空きがあった。店を一周すると、2021年発売の雑誌ブルータスの「やさしい気持ち」特集を手に「棚主になりたいのですが」と店番の女性に声をかけた。店番は棚主のレギュラーメンバー数人でまわしていて、開店の時間も曜日も不定期だった。

 私の初店番だが、土曜日の午後の3時間とする。街の喧騒からはずれた場所で、ドアを開け放っていてもいっこうに客が来ないので、様子を見に来た夫に怖くないかと心配される。

 むろん、まったく怖くない。むしろ、その時間、その空間がちょっぴり楽しくもある古本屋気取りの私、小さな本屋を独り占めだ。

 客が来ない間ひとり、ほかの棚主の本をひとつひとつ見てまわる。『猫語の教科書』『日本のもっとも美しい図書館』『日本産野鳥図鑑』『シヴェルニーの食卓』。

 その後、棚に収めようと持ってきた自分の本のことが気になり、そのうちの一冊を手にとった。1991年に出版された銅版画家・山本容子の版画で綴られた『赤毛のアンの贈り物』(掛川恭子訳)。懐かしい気持ちでアンの言葉をなぞる。 

「わたしという人間は、昼間はこの世のものだし、夜は眠りと無限の時間のものよ。でも、たそがれになると、その両方から解放されて、わたしだけのものになるの。」

 読み終えるころには、20代の私と今の私が重なり、手放したくない気持ちがあふれた。表紙をそっと撫でバッグに戻した。

 

 結局、初店番の日は9名の来店、6冊のお買い上げで閉店した。私の棚の本も1冊売れた。佐藤正彦著の文庫本『毎月新聞』(2009年)200円。レジに持ってきた青年に「これ私が出品したものです。」といって手渡すと、なぜかとても驚いていたのがおかしかった。そして私は『くそつまらない未来を変えられるかもしれない投資の話』(ヤマザキOKコンピュータ著/2020年)をジャケ買いならぬ、タイトル買いをした。

 店番初仕事は上々、不安だったタブレットでのカード決済もできた。未知のジャンルである本のおみやげつきだとほくそ笑む。         

 外に出ると街は黄昏時、散歩をしながら初店番の閉店を待っていてくれた夫が見つけた、店の近所の小さな焼き鳥屋ののれんをくぐ
る。
                

2023年3月20日

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 いいなあいいなあ、古書店主。

 と、多くの皆さんが思われたことでしょうね。

 

 さてこの作品、構成がむずかしかったことと思います。

「シェア型書店」の説明をしなければならず、店の佇まいを表さなければならず、店番の雰囲気を醸さなければならず……。どこから書きだすか、ということが鍵を握っています。

 

 この3月、古本屋の棚主になった。

 その店は賑やかな商店街を抜けた先、小さな公園の前にある。

 

 文句のない書きだしです。

 何より引きこまれます。

 

 小さな焼き鳥屋の結びも見事。

 別の意味で引きこまれました。 ふ


義父のこと  木村ゆい(キムラ・ユイ)


「最近はオレが食事の支度してるんだよ」と義父が言う。  

 得意料理を聞いてみる。

「カレーかな。肉の他に何入れるかも大体決まってるんだよ」

「何入れるんですか?」

「にんじんとジャガイモと玉ねぎ」

 

 

「料理てのは、材料切って、炒めるか煮るかして、最後に味付けな。これで大体全部できるんだよ」

「うすうすそんな気はしてました」

「肉はひとつかみが50グラムになるんだよ」

「え、そうなんですか」

 

 

 義父は養老孟司先生のファンらしい。先生の幼少期から現在までのことを詳しく話してくれる。あまりの弾丸トークにこちらは途中ボンヤリしてしまったけれども、尊敬する人について話が止まらないのは素敵だ。

 

 

「もう墓の準備もできてるんだよ」と義父が言う。

「かあさんと一緒にいこうと思ってるんだけど、まあどっちが先にいくかわからないからな。先にいった方が川の向こうで呼べばいいんだけど、かあさん方向オンチだからな。迷うかもしれない」

 

 

 義父は太極拳を17年つづけている。このあいだの昇段試験で、1点足りなくて4段に上がれなかったと、悔しそうにしている。

「毎朝5時半に起きてやるんだよ」

 太極拳の話も止まらなくなるので、ひとまず、また会う日までどうぞお元気で。

2023年5月5日

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

「義父」と書くと、わざわざ「父」と区別するように思われて、わたしは「ちち」と書くことにしています。それだってまあ、区別でしょうけれども、「義」の字を使わなくてすむことに、安堵するのです。

 ところが木村ゆいのこの作品に描かれた「義父」は、あるとくべつな趣(おもむき)をまとって立っています。「魅力」と云い換えることができます。なんという豊かなで自然なやりとりでしょう……作家と「義父」と。

 

 ところでこの作品、100字エッセイとして書かれたのですって。

 そうとは気づかず、わたしは読んだのです。連作100字エッセイとしても成立していますが、エッセイとしてもおもしろい形態ではありませんか。

 かたちなんかどうだっていいということの証明です。いえ、それは乱暴が過ぎますね。かたちよりも大切なことがある、と云いなおしましょう。 

 お見事でした。 ふ

*****

「ふみ虫舎エッセイ講座」会員の皆さまへ

〈お願い〉

・作品送付の際、差出人名の横に、会員番号を記してください。

 よろしくお願いします。 


オーブンの中を覗く   かたばみ くれば


 昨年秋から、焼き菓子教室に通いはじめ、秋冬コースを終了し、先日修了証書を授与された。

 習ったお菓子の種類は13。そのうち、ビスコッティ、フロランタン、レーズンサンド、パウンドケーキ、フィナンシェ、マドレーヌ、洋梨のタルトは毎週くり返し作っている。

 休みの日の、手持ち無沙汰なときに作ることもある。思いがけなかったのは、仕事から帰ってきて、疲れているとき作りたくなり、ほんとうに作ること。

 料理と違ってお菓子作りは、きっちりと材料を量って作るところが、大雑把な私には向かないと思っていた。けれど悶々と仕事のことを考え込んでしまうときは、こんな緻密な作業に没頭するのが効果的なのだと気づいた。禊ぎの一種なのかもしれない。    

 材料をひとつひとつ準備していくのも面白いけれど、焼き上がりを待つのも好き。オーブンの前に小さなスツールを置き、読みかけの本を持って、座り込む。何も持たずに、ただ座っているだけというときもある。本を読むのに疲れると、ときどき、オーブンの中を覗く。

 生地が焼けて、色が変わっていく様子や、フロランタンの上掛けが段々茶色に染まっていくのをみて、安心する。そうして仕事の疲労や嫌な想いのあれこれが、浄化される気分になるのだ。

 子どもや夫もよく食べてくれるが、一番食べるのは私。だって、レシピ通りに作ると、本当においしいのだもの。増えていく体重はこの際気にしない。おいしい焼き菓子を食べてご機嫌でいられるなら、それが一番。私は私のために焼く。

 パウンドケーキは、夫以外は飽きてしまったらしい。紅茶の葉っぱを入れてみたり、珈琲味にしてみたり、抹茶を混ぜ込んでみたり、いろいろ試してみたのだけれど。フルーツは入れないでー、という子どもたちのリクエストに応えていたら、あっという間にネタ切れしてしまった。なんとかしなくちゃ、と紅茶の缶やジャム、キャラメルソース、チョコチップなどをならべている台所の小さな棚とにらめっこ。ううむ、次は何を練り込もうか。

 我が家で、目下、大人気なのは、フロランタン。

 フロランタン、というお菓子は、以前はそれほど好きではなかった。市販のお菓子は、生地はおいしいけれど、上に乗っているアーモンドが、私には物足りなく感じられた。

 ところが、習ったとおりに作ってみたら、下地のサックサクのクッキーと、アーモンドキャラメルのちょっとぶ厚い層の上がけが、ねっとりと甘くて本当においしい。下地のクッキーは、冷凍で2週間保存が効くと聞き、早速いくつかストックした。日曜の買い出しには必ず、アーモンドスライスやら水あめやらバターやらを買い込んで、食べたいときにいつでも簡単に、上がけのアーモンドキャラメルだけを作って、すぐに完成できるようにしてある。

 フロランタンの下地のクッキーも形を変えれば、レーズンサンドのクッキーになる。ちょっと手間がかかるけれど、レーズンはお湯でふやかして十分に水分を拭き取り、ダークラム酒に付けこむ。こうするとしっかりとお酒が吸収されるのだという。

 フロランタンに次いで人気なのが、ビスコッティだ。ビスコッティ1個の卵の分量は半分。卵が半分だけ残るのがもったいないので、大人が好きなアーモンド入りのビスコッティと、子どもが好きなアーモンド抜きのビスコッティと、ふたかたまりをいっぺんに作る。それを3回焼かなくてはならないから、合計6回、オーブンの中に生地を入れる。

 どれも手間がかかる。だけど、レーズンをしみこませた後に残った、ダークラム酒を入れて飲む珈琲や、ビスコッティをぽりぽりかみしめながら、甘いワインをお供に、晩ご飯を作るのも、密かな楽しみ。

   

 2023年5月12日

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 何事にも興味を持ち、しかも行動力のある作家です。

 この姿勢は、この先も、作品に生かされるでしょうね。たのしみです。

 

 オーブンの前に小さなスツールを置き、読みかけの本を持って、座り込む。何も持たずに、ただ座っているだけというときもある。本を読むのに疲れると、ときどき、オーブンの中を覗く。

 

 作品のなかで、もっともいいなあと思うのは、ここ。

 情景が浮かぶでしょう? ふ


花や木のこと  きたまち丁子(キタマチ・チョウコ)

 

 部屋に花を飾ります。

 花器に挿したときに動きがでるような、細い茎のきゃしゃな花が好きです。

 

 茎の水切りをまめにし、花によっては、お辞儀をしているようなさいごの時期(とき)まで、花の眺めを楽しみます。

 あじさいやチューリップは、お辞儀をしているさいごの時期にも可憐だったり、妖艶だったり、咲きはじめの頃とは異なる美しさをみせてくれます。

 

 そうして、さいごのさいごには花の部分だけを切り、水を張った器に浮かべたりもします。

 

 さて、今我が家の周りの木々、街路樹の欅(けやき)やナラの木が、青々とした葉をたくさんつけ、新緑の時期をむかえています。

 この時期の葉の輝きに、わたしは1年分の元気をもらいます。

 新年のはじまりは元旦、というのが常識ですが、わたしの新年のはじまりは、この新緑の時期なのです。

「えっ?」と言われそうですが、若い頃からそうでした。

 フレッシュな青々とした葉を眺めていると、余計なものが削ぎ落とされ、自分まで新しく生まれ変わったような気分になります。

 心機一転、

「もっと心持ちのよい人になろう」

 なんて思ったりもします。

 歳を重ねても毎年そんなふうに思える自分でいられるでしょうか。

 

 桜の時期は少し気持ちが複雑です。

 いつの頃からか、桜の時期になると、

「見に行かなくちゃ」

 とせき立てられる気持ちになり、落ち着かないのです。

 ドラマの中で、自分の命がそう長くないと感じた人が、

「来年の桜は見られるかしら」

 と呟く場面を何度か目にしたことがあります。

 わたしの父もそうでした。

 桜を眺めていると、ふっとそのセリフが聴こえてくることがあり、寂しくなります。

 新緑の時期が待ち遠しくなるのには、そんな理由があるのかもしれません。

 

 ときどき、部屋に飾る花を、玄関周りに咲く花で間に合わせることもあります。この時期ですと、ヴィオラやアネモネといったところでしょうか。

 少しずつ摘みとっては小さなガラスの空き瓶に入れ、部屋のあちらこちらに飾ります。

 おしゃれな花器より、ジャムが入っていたような空き瓶の方が、花の可憐さを惹きたててくれるのです。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 植物との、ある意味抜き差しならぬやりとりを描きながら、この結びはどうでしょう。

 

 ジャムが入っていたような空き瓶の方が……

 

 ですって。

 すごいですね。

 田辺聖子が、こんな組み立て方、書き方をしました。 ふ


2023年6月の公開作品


にちようび   かよ


いい風

 時計を見ると午前9:00。

 おお、やってしまった。6:00に起きて、トーストとドリップした熱いコーヒーを飲みたかったのに。ききたかったラジオは、すでにエンディング。

 こんなはずではなかった。

 ……これはきっと、いい風が吹いてきた合図。よし、こうなったら、ホットケーキ焼いちゃおう。あまいにおいにさそわれて、ふとんの中からごそごそ、こどもたちが起きだしてくるぞ。

 

さんぽ

 雨あがる。

 清々しい晴れ間が広がっている。こどもたちとさんぽにいってみるか。

「しゅっぱつ~」

 げん(6)が先陣を切る。

「しんこーう!」

 りゅう(4)、かい(2)、わたしが、そのあとにつづく。

 葉っぱのトンネルを見上げると、レース模様が空に施されている。すき間からお日さまがきらきら輝く。風が吹いて、枝がくすぐられたようにゆさゆさ揺れている。上から糸のようなものが垂れていて、ちいさなイモムシが、ぶらーん、ぶらーん、スイング中。

 こどもたちとおおげさにおどろく。橋につくと、トンネルからごおおっと音をたてながら、電車が顔をだして、こちらへ向かってくる。

「でんしゃ、おーい!」

 こどもたちがさけぶ。

「電車、おーい!」

 わたしもさけぶ。

 電車は忙しそうに、がたごとがたごと、いってしまった。

「でんしゃ、いっちゃった」

「ね」

 

ハナミズキ

 てくてくからとぼとぼ。歩くスピードが落ちてきた。

 よし、みんなを元気にするおまじないを唱えよう。

「すぐそこのアイス屋さんでひとやすみするよー」

 あら不思議。あっという間にアイス屋さんの客になりましたとさ。

「牛乳。いちご。アップルパイ。お願いします」

 店から出て、ベンチに座ってアイスをひとくち。スプーンですくって、またひとくち。

「つめたい!」

「すぐきえちゃった」

「もういっかい?」

 一番先に食べ終わったりゅうが、たずねる。

「もうおしまい。また今度。」

 ゴミ箱に容器とスプーンを捨てる。目をあげると、街路樹のハナミズキがずらり、整列している。青い空に、白い花と緑の葉。ああ。きれいだ。いまここで。犬と散歩している

 

 こどもも、長ネギの入った袋を持って通り過ぎていく女(ひと)も、杖をついてゆっくりゆっくり歩く男(ひと)も、みんなそれぞれの景色を見ている。それはかけがえのないこと。

「いくよー」

 こどもたちの声がする。

「今いくー」

 

 さんぽの途中。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 たのしいですねえ。

 日曜日の朝寝坊(というほどのことはない。計画とちがった、という意味で)を「こんなはずではなかった」と思いかけるも、すぐと「いい風が吹いてきた合図。よし、」と切り替えるあたり、くすぐられます。

 

 この春「かよ」は、書き手として文体やら、表現のスタイルやらをつかみました。つかんだそのときを、わたしは見ました。

 これで書いてゆく道が、ひろがるなあ、のびてゆくなあと思って、じーんとしました。自らの人生に、「書く」という柱が立ったと云ったらいいかな……。

 

 本作の「ハナミズキ」の書き出し。

 

  てくてくからとぼとぼ。

 

 が、あります。

 これ、よくわかります。歩くスピードが落ちてきた、というくだりです。

 しかし、これ、とぼとぼではないかな……。「とぼとぼ」は、元気なく歩く様(さま)をあらわすことばだからです。

 

  てくてくから、てーくてーく。

 

 は、どうかな。伝わらないかな。

 ちょっとむずかしくて、だけどおもしろいことば選び。 ふ


受付  由岐谷 クオリ(ユキタニ・クオリ)


「青少年センター」という公共施設の受付に週3日、座っている。

 今は春休みだから、朝9時のオープンと同時に学生が続々とやってくる。無料の自習室、卓球やフットサル、eスポーツと利用目的はさまざま。

「おはよう」

「いってらっしゃい」

「お疲れ様でした」

 幾度となく声をかけて、背中を見送る。

 この施設を利用する人には、毎回利用申込書を受付に出してもらうのだけれど、それには彼らの名前が書かれている。

 いいな、と感じたのは先輩スタッフが皆、彼らに「〇〇くん」とか「〇〇さん」と名前で呼びかけること。例えば、自習室を利用する青シャツくん(仮称)だと、

「青シャツくん、5番の席を使ってくださいね、いってらっしゃい」

 という風に。

 名前を呼ばれた子は、一瞬はっとして少しうれしそうに見える。

 彼らを見ていると、学生の頃の自分がよみがえってきて、胸がぎゅっとなり、わたしも、あの頃と中身はそんなに変わっていないんだけどな、と思う。

 大学では教育学部を専攻しながら、一度も採用試験を受けることなく一般企業に就職した。教育実習に行ったとき、クラス全員に一律に教育を行うことが、わたしには到底できそうにないとわかったから。

 けれど、今の仕事に就いてみて気がついた。やっぱりわたしは教育の現場に携わりたいんだな。子どもたち一人ひとりと向き合って関われることがうれしい。年齢にしばられず、人として共有したいことがたくさんある。彼らから教わることもたくさんあるだろう。

 自習室で黙々と机にむかう彼らを、

「ちょっと休憩。屋上に行ってひなたぼっこしてみない?」

 と誘ってみたい。

 キラキラして、多感で、繊細な彼らが生きてゆく未来を想像する。期待ではなく、願いのようなもの。

「いろんなこと、やってみてほしいな」

「生きてゆくことを楽しんでね」

「人生は宝さがし、宝物いっぱい見つかるといいね」

 そんなことを、いつか伝えてみたくて、わたしは受付に座っている。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 こんな気持ちで坐っていたいなあ。

 と、こころから思ったことでした。

 この場合の「坐る」とは……、役割のことです。

「おはよう」「いってらっしゃい」「お疲れ様でした」の気持ちをこめて役割を果たそうとするひとを、仕事の神さまは応援したくなるだろうなあ。

 

彼らを見ていると、学生の頃の自分がよみがえってきて、胸がぎゅっとなり、わたしも、あの頃と中身はそんなに変わっていないんだけどな、と思う。

 

 このくだり、いいですねえ、いいですねえ。

「受付」の光の柱です。

 わたしもいつも、思うのです。17歳のころと、気質、好み、好奇心ほか、なにもかも変わってないなあ、と。何が変わったかというと、大人のふりができるようになった、感じかな。 ふ


100字エッセイ


*****

三田村はなな(ミタムラ・ハナナ)

 

友だちが離婚を決めた。築いてきたのか、壊したのか、とにかく目に見えないものがたくさんある。ひとは目に見えるものを重視する。目は前についていて、自分の中はなかなか見えない。ときどき目を閉じてみよう。(98字)

 

 

唐揚げ粉ある?パン粉ある?〇〇のタレある?ないよ、がつづく、それがあったら凄いね。でも作れるよ、味、変わらないね! サバイバルできるかも。便利はときどきくらいがいい。なくてもこんなに嬉しいんだから。(98字)

 

 

馬がときどき家の前を歩く。蹄がコンクリートを叩く、蹴る、合わせる……。ぴったりの表現がみつからない。この音、響きが心をすっと沈めてそしてワクワクさせる。目を閉じ、聞こえなくなるまでそれはつづく。(97字)

 

*三田村はななさん、英国在住(ふみこ註)。

 

*****

碧 るこ(アオイ・ルコ)

 

ついに実行。わたしのお焚き上げ。会社のロッカーの中。ひっそりと保管していた品を廃棄したのだ。想いをはせる時間もなく、慌ただしくあっという間に終了。簡単なことだった。そしてひとこと。さ・よ・う・な・ら(99字)

 

 

腰が痛い。肩が痛い。首が痛い。頭が痛い。膝が痛い。シミがある。クスミがある。シワがある。イボがある。白髪がある。眼がかゆい。顔がかゆい。背中がかゆい。全身かゆい。そしてメンタル不調も発症。それでもわたし生きています。ゆるーく生きています。(119字)

 

*100字までに削るお手伝いをしようとするも、できません。ご自分でお願いします(ふみこ註)

 

 

*****

リウ真紀子(リウ・マキコ)

 

地面はまだ枯れ草に覆われているが、じっと目を凝らすと見えてくる。おお!ツクシ、スギナ、カタクリ、スミレ、レンギョウ、ツツジ……。土の上で凍てついてこときれたネズミのからだを、黙って木の根方に埋める。(99字)

 

 

釧路は漁業と炭鉱、製紙業の街だった。過去形だ。かつて漁獲高日本一を誇ったが、海流の変化などで魚が獲れなくなり、炭鉱閉山、工場も閉鎖。往き来するようになったこの地方都市で、わたしは何をしようとしている?(100字)

 

 

*****

かたばみくれば

 

娘の保育園のお迎え時、ママ友から食事に誘われ、中華料理店へ。「生ビールジョッキ大で!」よく食べ、よく飲んだ。そして支払い。現金なし、カード不可、頭真っ白。「私出しますよー」女神のようにママ友、微笑む。(100字)

 

 

昼休み、お天気がいいと外に出る。睡眠に良いというセロトニンを浴びたいのと、アイスコーヒーを買いに行きたいのと、散歩をしたいのと。仕事の日、ひとりきりのささやかな楽しみ。(84字)*

 

*この100字エッセイいいなあ。でも短い。11〜16字加筆してくださいな。散歩のあとに、もうひとつ。散歩をしたいのと。→散歩をしながら一瞬まどろみそうになりたいのと。(これで98字になります/ふみこ註) 


アルミホイル  はやかわなおみ

 

 小学生のころ母に頼まれて、近所の病院に入院していた祖父に、茹でてアルミホイルで包んだとうもろこしを届けたことがあった。

 アルミホイルを畳んで返そうとする祖父に、

「これは使い捨てだから返さなくていいよ」と言うと、

「これは金属だから捨ててはダメだ。洗って、また使わなければ。」という答えが返ってきた。

 記憶はここで終わっていて、そのアルミホイルをどうしたのか全く憶えていないのだけれど、

「貧乏くさいこと言うなあ……」と思ったことは憶えている。

 けれど同時に、

「確かにそうだよな……」とうっすら感じたことも憶えている。

 そのときから私はアルミホイルと、ちょっと面倒くさい感情をもって付き合うこととなる。

 細長い箱からアルミホイルを引っ張り出すときに、

「これは金属だから捨ててはダメだ」という言葉がぼんやり浮かんできて勢いが削がれる。

 そして長さが足りずに、もう一度引っ張りだして結局本当に必要だったよりもたくさんアルミホイルを使う羽目になってしまう……ということを何度もくり返している。

 テレビの料理番組などでアルミホイルをたっぷりと使っているのを見ると

「もったいない」と思ってなんとなくドキドキする。

「お祖父ちゃんの呪い」のようなことになって長い年月が過ぎた。

 最近、アルミホイルを引っ張りながらそんなことを思い返していたとき、気づく。

「あれっ」

 これまでこんなにアルミホイルのことを気にしながらも洗ってそれをまた使おうと思ったことは一度としてないではないか!

 ペラペラして洗い難いだろうな。しかし……。

「洗って、また使わなければ。」と祖父は確かに言ったのだ。

 そもそもお祖父ちゃんも、アルミホイルを洗ったことないよね!

「ザ・明治の男」であった祖父が台所で何かを洗うなんてこと、あるはずもない。

 台所にいる姿を見た記憶だってない。

 そして祖父母の住んでいた家で誰かがアルミホイルを洗っている姿だって決して見たことはないのだ。

 40年以上前に亡くなった祖父。

 実際に祖父の指示でアルミホイルを洗ったひとがいたのかどうか、今となってはわからない。

 いないような気がする……。

 

 というわけで呪いが解けた私はアルミホイルを気楽に使えるようになったかというとそうでもなく、今も「このくらいで足りるかな」とか考えながら箱からチマチマ引っ張り出している。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 その昔、わたしが短大に通っていたころのはなしです。

 学園長のお宅で1週間、掃除や料理をする(薪でお風呂も炊きました)、修業のような機会がありました。

 指導役として、ナカジマさんという方がいて、若く、いたらぬことばかりのわたしたちの相談に乗っていただいていたのです。

 いろいろなことをおそわりました。

 薪でお風呂、というのには苦戦して、皆、絶望しましったっけ。湯が熱くなり過ぎても水でうめることができません。というのも「水でうめるとお湯が硬くなるから、それはしないように」という申し送りがあったのです。

 それなら、というので、服を脱いで自ら湯船に身を沈め、お湯の温度を下げたという先輩のはなしが実(まこと)しやかに伝えられました(ほんとうのことだったとしたら、どんなにか熱かったでしょうね)。

 話が長くなりました。

 ナカジマさんは、自分で使ったサランラップを洗って干して、もう一度使う、ひとでした。風車のように広がった物干しに、サランラップの小さな紙片

が干されてキラキラ日に輝くのを幾度も見たことがあります。

 同じようにしろという指導はありませんでしたが、いまでも、わたしの記憶のなかに、サランラップが干してある光景がしまわれています。

 

 そんなことを思いだしました。

「はやかわなおみ」の書きぶりはやさしくて、読み手のこころをくすぐりますね。わたしもたっぷりくすぐられて、昔語りをついさせていただいてしまいました。

 過去の自分ばかりでなく、こんなふうに読者の気持ちを包むように書くことは、ほんとうにほんとうに大事です。

 たとえば筆者に、モノを大切に使いましょう、というメッセージがあったとして……、それをそのまま書いても読者のなかに共感は生まれにくいのです。

 ほら、結びのこれ、いいじゃありませんか。

 

 今も「このくらいで足りるかな」とか考えながら箱からチマチマ引っ張り出している。

 

 あなたもわたしも、これからアルミホイルを使うたび、チマチマやってしまいそうではありませんか。

 あ、サランラップについてもよろしくお願いします。 ふ


2023年5月の公開作品


太巻きとおいなりさん  古川柊(フルカワ・ヒイラギ)

 

「こっちでは、みんな太巻きを食べるみたい。」

 結婚し、大阪で暮らし始めたばかりの妹が、初めて目にする、地元埼玉とは一風変わった節分の日の様子を聞かせてくれた。2002年のことだ。

 2月3日の朝から、スーパーマーケットはもちろんのこと、肉屋に魚屋、居酒屋までもが、店先でにぎやかに太巻きを売っているらしい。

 

 ———へぇ、太巻きねぇ。

 さほど興味も沸かず、ぼんやりと聞き流していたら、あれよあれよというまに、クリスマスのケーキのごとく、バレンタインのチョコレートのごとく、「恵方巻き」というネーミングで全国制覇を果たし、気がついたときには節分に食べるものとして、すっかり太巻きが定着していた。

 聞くところによると、2004年頃には関東でもかなりの知名度を上げていたというのだから、コンビニエンスストアの策略とはいえ、その席巻ぶりには舌を巻く。

とはいうものの、我が家で節分に太巻きを食べたことは、まだ一度もない。

 

 こどもの頃から、太巻きを好んで食べることはほとんどなかった。

 父が無類のいなり寿司好きだったので、おいなりさんは母がよく作っていたし、海苔巻きもかっぱや鉄火、かんぴょう巻きなど、具がひとつだけのいわゆる細巻きならときどき食べていた。当時、太巻きといえば、ピンク色した桜でんぶが必ずといっていいほど入っており、わたしは、あの甘くてボソボソとした物体が苦手だったのだ。

 そんなわけで、太巻きを見てもまったく食指が動かないまま大人になったのだが、最近の太巻きといったらどうだろう。甘辛く煮ふくめた乾物や卵焼き、かにかまやたくあんといった、昭和の頃からおなじみのザ・太巻きといったものだけではなく、まぐろやサーモン、いくらに海老など、さまざまな海鮮が華やかに巻かれているものもあり、昔とはずいぶん様子が違う。

 それならば、今年2023年の節分には、自分の好きな具材ばかりを集めて太巻きを作るのはどうだろう。そんなことを考えていた節分当日の朝、思いもよらない鬼が我が家にやってきた。

 なんと、オットの元に、新型コロナウイルスがやってきたのだ。

 さすがに、久々の高熱と激しい喉の痛みに襲われたオットに、生ものというわけにはいかず、結局今年も太巻きを口にすることのないまま、恵方巻きデビューは持ち越しとなりました。

 

 あれは今からさかのぼること20年前、2003年2月3日の夜おそくのこと。自宅マンションの駐車場で、車から降りて歩きだしたとたん、なにかちいさなものが、こつん、と頭にぶつかった。

 7か月あまりの闘病生活の末、2月2日の夕方に旅立った父が、あちら側にたどり着いたとたん、節分の豆撒きをしはじめたのではあるまいか。

 そして、どんなに豪華な太巻きでさえ、父の前では永遠に、おいなりさんにはかなわないにちがいない。

 

——— 鬼はそと。鬼はそと。

           福はうち。福はうち。———  

 

2023.04.15

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 たのしませていただきました。

 

 太巻きもおいなりさんも大好きなわたしです。

でも油断すると、自分のお腹まわりが太巻き(!)になりがちですから、炭水化物を、自由に、望むだけ口にすることが憚(はばか)られます。

 しかし、ものすごくイヤなことがあった日には、寿司をたらふく食べる、と決めています。太巻き、おいなりさん、握り寿司に救われることが少なくありません。

 

 さてところで。

「古川柊」の作品には、いつも唸らされます。

 読後棋士のごとく「負けました」と、頭を下げたくなることもあります。

 今回、ちょっと「こうしたらどうか」という点について記しましょう。

 

 なにかちいさなものが、こつん、と頭にぶつかった。

 

 のくだりです。

 このあと改行して「え!」がいいのか、「あ!」がいいのか、何か入るといいのではないでしょうか。

 お父さまが旅立たれたのが「前日」のことだとしたら、なおさらです。

 ひと呼吸おいて、驚きましょう……。

 

 そして、どんなに豪華な太巻きでさえ、父の前では永遠に、

 

 の前にも、少し何かほしいかなあ……。こんなのはどうでしょう。

 

 そうして、父はあちら側仕様の太巻きを……?

 いえいえ、どんなに豪華な太巻きも、父の前では永遠に、おいなりさんにはかなわないにちがいない。

 

 ご参考までに。  ふ


カップ麺は買わない  三澤モナ(ミサワ・モナ)


 料理は嫌いではないが、得意とは言えない。料理を手早くさっとできる人を本当にうらやましく思う。自分の時間が持てるようになった今、あらためて料理を勉強中。

 大家族の中で育ち、手伝いに駆り出されることは少なくなかったが、生家を離れるまで、料理という料理を知らずにきた。

 結婚後、働きながら三人の子育てをしてきた。何を作って食べさせたのだろう。簡単なカレーライス、シチュー、とんかつ、サラダ、焼き魚……かなあ。   

 夫が麺類を担当していた。

 どんなに忙しい日もカップ麺は買わない、と心に決めていた。あまりに楽で、そちらに流れてしまうのが怖かったからだ。

 朝、ご飯を炊き忘れて慌てたことがある。子どもの登校に間に合わないので、コンビニに走っておにぎりを買った。情けない気持ちになった。夜は夜で、疲れ切って作る気力がないときは、おなじみの食堂に行くことがあったっけ。これでいいはずがない。ゆとりをもって、手作りのものを食べさせたい……そう思う日々だった。

 今、2人の娘たちも、まさにそんな気持ちのようだ。

「お母さん、3人も育てたのに、よくがんばったよね。お母さんのご飯美味しかった。ちゃんと手作りしてくれたね。私は、疲れて帰ってくると、そんな気力ないよ」

「お母さんのお弁当は最高だった。揚げ物も冷凍食品を使っていいのに、全部手作りだった。旅行の時に持たせてくれたサンドイッチ、美味しかったなあ」

 え? おかあさんの手抜き料理を覚えていないの?

 いつの間に娘たちの記憶が書き換えられたのだろう? たま~に頑張ったことが、かえって鮮明に記憶されたのだろうか?

 

 それぞれ2人の子どもを育てながら働く娘たちは、ときに自分を責めている様子。その気持ちよくわかる。

 働くママたちに、小さい声でそっと伝えたい。

 

「どこかのポイントさえうまく押さえていたら、子どもの記憶は、そのポイント中心に書き換えられるようですよ」

 

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 若いひとたちのみならず、誰もが励ましていただく、そんな作品です。

 代表してお礼を申し上げます。

 どうもありがとうございます。

 子どもたちは、どこかでカップ麺を食べているでしょうし、大人も時としてジャンクフードに心動かされます。そうであっても、「カップ麺は買わない」という標語を胸のなかに掲げている。……わかります。

「三澤モナ」の作品の読後が、ふわっと明るいのには、下記のような要素があると思われます。

 

・カップ麺を悪者にしない。

・手作り礼賛を掲げない。

・正直である。

 

 いつか、おなじみの食堂のはなしも、読みたいなあ。

 

 5月の講座(東京・新宿)に遠方から参加してくださいましたこと、どうもありがとうございました。とてもうれしく、皆もうれしく、佳い日になりました。またご参加くださいまし。 ふ


パイナップルライス  原田陽一(ハラダ・ヨウイチ)

 

 2023年3月、タイのホアヒンに旅をした。

 ホアヒンはバンコクの南西200キロにある保養地。

 もともとタイ王室の保養地として発展し、宮殿、寺院、ホテル、ビーチ、ゴルフ場が広く展開している。皇室の御用邸がある日本の那須や葉山に似ているかもしれない。

 夕方、友人とナイトマーケットと呼ばれるホアヒンの下町に出かけた。

幅3メートルの路地の左右にはテントの露店がずらりとならび、1キロほどつづいている。明るい裸電球のもと、現地タイ人と避寒に来たヨーロッパ人の客を中心にごった返す。日本人や中国人はほとんどいない。店は客に声をかけながら、せっせと売り出す。

 焼き鳥、焼き魚、スウィーツ、果物などの食べ物を安く売っているのである。鞄やファッション、アクセサリーを売る店もある。

 あれっ、本物かな? ルイ・ヴィトンやクリスチャン・ディオールのブランドを、平然と並べて売っている露店もある。

 立ち並ぶ露店の後ろにはレストランや食堂が店を構える。店先はオープン・エアのテーブル席で、その奥に室内席がある。コロナ対策はせず、全く自由。テーブルに遮蔽板などない。マスクをしている人もいない。

 庶民的な地魚料理店に入った。入口では活きた魚や貝類を並べて、客に見せながら焼いている。70卓程度の店。半数は外に席があり、テーブルも椅子も古い木製。昔、学校の教室においてあったようなもの。

 店員が来て、写真付き料理メニューを見せながら、注文をとる。英語はほとんど通じない。写真を指して単語を並べて、身振り手振りで注文。

 お奨めはパイナップルライス。

 パイナップルを丸ごと半分に割る。中身の果実をとり出して、パプリカ、海老、ライスを一緒に焼き飯にする。パイナップルの甘さ、海老のまろやかさ、そこに独特の香辛料が加わって、タイ風炒飯が出来上がる。この炒飯をくりぬいたパイナップルにてんこ盛りで持ってくる。タイの特産品をすべて盛り込んだ料理で、とてもうまい。

 タイのあっさりした地ビールを飲みながら、わいわいがやがや。

                              

 ええっ、オートバイが入ってきた!

 突然、我々が座っているテーブルとテーブルの間に、オートバイが割り込んできた。露店の間を抜け、テーブルを抜け、店の奥へ入って行く。店の奥の厨房へ、新鮮な地魚を届けようとしている。みんなあまり驚いていない。

 今度は、いきなり、空からニワトリが飛んできた。

 コッコッコッコッコー

 黒い羽に頭は茶色。とさかが紅い雄鶏。入口の魚の焼き場の方へとことこ歩いて行く。焼き場のそばに置いてある残飯が目当てらしい。残飯にありついて食べると静かに去っていった。店の人は追い出すわけでもなく、ごくあたりまえに見守っている。

 友人が灰皿を頼んだ。店員がすぐに持ってきてくれる。テーブルで煙草を吸いだす。ここは何でも自由。みんなの要求を全て受け容れてくれる。

 店への持ち込みも自由だ。

 隣にいたヨーロッパ人は露店で買った果物を持ち込んできた。マンゴーとパパイヤ。店員が持ってきた皿にならべて、デザートとしてつまみだした。

 今度は、若い女子店員がにこにこやってきた。

「コンニチハ、ヨウコソ」

「えっ、日本語できるの? すばらしい」

「ベンキョウシテイマス。ニホンニイキタイデス」

「それはいいねえ。頑張ってください」

「アリガトウ。ドウイタシマシテ。ドウゾヨロシク。サヨウナラ……」

 知っている日本語を彼女が全て並べたてる。

 日本の挨拶の仕方をひととおり、ていねいに説明する。眼を輝かせて練習。

「ぜひ日本に来てください」

 

 ナイトマーケットは、現地の人も世界の人もニワトリも全て受け容れる。

 わいわいがやがや。自由と活気に充ちている。今の日本は規則・規制の連発で静かに沈んでいるが、その昔、こんな何でもありの時代があったような気がする。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 その昔、タイの食生活を観察していたとき、「本日主義」ということばと出合いました。作家の平松洋子から聞いたことばです。

 年間の平均温度29度、平均湿度73パーセント以上というタイの「食」において、保存食や常備菜は考えにくいことで、ご苦労なことだなあと思っていたときに知った「本日主義」なる位置づけは思いがけなくもあり、なんとも魅力的に聞こえました。

 当時は、まだ日本において、いまほどタイ料理が一般的でありませんでしたが、そのときから一気にタイ、ベトナム料理にわたしは傾いていったのです。

 このたび目の前に舞い降りた「パイナップルライス」によって、なつかしい友だちと再会したような気持ちにさせてもらいました。

 おいしそうですねえ。

 どの国とも、どんなひととも、こんなふうに敬愛をもって交わることができたなら……、どんなにいいでしょうね。ふ


笑いの記念日   いわはし土菜(イワハシ・トナ)

 
 松本零士が亡くなった。

 訃報報道では、テレビも新聞も代表作の欄には「銀河鉄道999」とある。

 ひとこと申したき筆者である。

『銀河鉄道999』は読んだこともないし、アニメも観てもいないのだが、私の中で、松本零士といえば、ダントツで「男おいどん」だ。

「おいどん」こと、浪人生、大山昇太の四畳半生活を描いた漫画である。

 昔々、弟に頼まれた「少年マガジン」を甲府駅の売店で買った私は、当時は当たり前だった列車の4人掛けボックスシートに座り、韮崎に向け帰宅の途についた。

 気難しい年頃に突入した弟が、マガジンを読んでいる時は穏やかだったと記憶している。

 ボックスシートは、私のほか年季の入った3人だった。

 止せばいいのに、弟が何を読んで笑っているのか、買ったばかりのマガジンをめくると、そこに、大山昇太がいた。

 押入れには洗濯嫌いな昇太のパンツが山と押し込んであり、時に、大家さんが開けてしまい、大騒動になるのだった。

 私が見たシーンは、そのパンツの山から「さるま茸」が生えてくる回だった。

 初めて見たその漫画に笑いが止まらず、遂には、降りる駅まで3駅、ボックスシートの3人を巻き添えにして笑った。

 3人は、笑っている私を見て笑っているのだったが。

 3駅といっても、山手線の3駅ではない、ローカル線の3駅だ。

 30分はかかり、今でもそれは大して変わらない。

 その間、「若いはいいね」とか、「箸が転んでもだね」とか、巻き添えを食った方々はみな、いい人たちだった。

 いまは、若いばかりがいいんじゃないと、釘を刺したくなる歳になったけれど、想い返せば、私もたくさん言ってもらえていたんだな。

 高校三年間、マスク付けっぱなしや修学旅行が無くなったりはきつかったことだろうけれど、「若い」はいいよと言ってあげたい。

 松本零士を偲んで、「男おいどん」全巻六冊買いました。

                          
 2023年3月19日

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 笑わせていただきました、わたしも。

 わはははでも、クスッでも、読者を笑わせるのは大変です。「泣かせる」より、むずかしいと思わずにはいられません。

 

 この5月、ページがめくられたような機運があります、なんとはなしにですが。笑おうではありませんか。空を見上げようではありませんか。ユーモアの芽を育てようではありませんか。

 作品にもユーモアのタネを蒔きましょう。

 上質なユーモアのタネ。

 

「笑いの記念日」を、その道しるべとしてご紹介したいと思います。 ふ


100字エッセイ 

 

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日日さらこ(ニチニチ・サラコ)

 

雪が降ってきた。天気予報通りだなあと地面を見ると、どこにも雪は見当たらない。幻影かと目線を上に戻すとやはり雪。同じ場所、同じ時刻。19階のカフェの窓の前で雪を眺めているわたしと、雨だ!と走り出す若者と。(100字)

 

 

昼食会。普段は玄米を食べているという友人が、白米久しぶりと言いながら、バッグを開け取り出したのは黒ゴマ。白米を食べる頼りなさの緩和?いやこの人のことだからゴマが好きなだけかも。いいな。バッグからゴマ。(100字)

 

 

朝6時台の電車。途中の駅から乗車の女子高生が、先に乗っていた友達とハイタッチ。それから会話が弾み、2人の笑いがマスクからはみ出そうだ。高校生活=マスク生活だったろう。でも。それがつよいにもなりそうな。(100字)

 

2023年3月15日

 

*****

くりな桜子(クリナ・サクラコ)

 

花屋の店頭に約50センチの桜の枝。あら珍しい。いつもはもっと大ぶりなのに。……どうしようかな。迷っていたら、50代とおぼしき男性が買っている。1本だけ手に持ち歩き出す姿に痺れ、わたしも購入。(95字)

 

 

月に1本エッセイを書く。自分で決めた約束。ウンウン唸ったり、何位置もかかったり。どうにかこうにか書き上げる。あれやこれやから脱出するわずかな時間。わたしにはこの世界がある。わたしにはこの世界がある。(99字)

 

 

4月。入学式後の女子大生に写真を撮ってと頼まれる。「おめでとうございます、いいですよ」はちきれんばかりの笑顔。「あの頃に戻りたい?」と連れの友人に訊く。「全然。ここまでくるのは大変だったから」(96字)

 

 

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100字エッセイって、いいなあ。どうぞおたのしみくださいまし。 ふ


2023年4月の公開作品


だから白檀  桜田わ子(サクラダ ワコ)

 

 両手を合わせ、鼻から息を吸ったところで目を合わせる。口をすぼめ少しずつ吐き出し、頭を垂れる。背を丸め、頭を丹田に近づけ、吐き切ったところで息を止め、3秒。

 手は合わせたまま、ゆっくり頭をあげる。5回繰り返したら呼吸を整え、ローソクを右手で扇ぎ消す。香っているのは白檀。目を合わせているのは仏壇の阿弥陀如来像。

 

「まんまんちゃんに上げてから」

 頂き物はまず仏壇にあげるのが当たり前だった子どもの頃、燈明も線香もあげずに手だけ合わせ、お供えのお菓子を下すのが楽しみだった。

 

 結婚後は時々思い出したように、お茶とお水を上げていたが、忙しいことを理由に、仏飯をあげて拝むのはお盆と義父母の命日だけ。

 

 長い年月を経て定年退職後は、ほぼ毎日、仏飯を供えローソクを灯し、お線香をあげるようになった。ほぼ毎日というのが、どうにも自分らしいのだが、面倒だと思う気持ちを持ったまま拝んでいた。でも、今は違う。

 

 コロナ禍前に3か月通った気功教室での息を吐き切るという深い呼吸を思い出し、お参りの時にしてみたら何かが変わった。鼻から息をゆっくり吸い込み、頭を下げながら腹圧をかけ全部吐き切る。この拝み方をするようになってから、不思議と漠然たる不安がなくなったのだ。面倒だと思うどころか、この1年、自分のために必要な時間となっている。

 

 忙しく毎日を過ごしていた30代のころ、「運命は性格の中にある」という芥川龍之介の言葉を自分に言い聞かせていた。あのころの自分に、この拝み方を教えたい。今は笑いながらそう言える。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 拝み方のうつろいは、小さな変化のようで、じつは大変化。

 ……そう思いました。

 この拝み方、「まんまんちゃん」の皆さまが、贈られたものでしょうか。

 さて、わたしは、子どものころから仏壇を「のんのんさん」と呼んできました。

 呼び方にもいろいろありそうですね。

 そうしてこの作品と出合ってから、毎朝、鼻から息をゆっくり吸い込み、頭を下げながら腹圧をかけ全部吐き切る拝みをしています。  ふ


 味方   くりな桜子(クリナ・サクラコ)

 


「お客様、いかかですか」

 試着室の外で、ショップスタッフが尋ねてくる。

「ちょっと違うかな」

 私はそそくさとロングスカートを脱ぎ、足早に店を出る。

 買う気満々で出かけたのに、何も買えず帰ってくることがふえている。

 若い頃は、ひやかしでよくウインドショッピングをしたものだった。

 洋服ばかりでなく、アクセサリー、バッグ、靴……。

 頻繁に店に立ち寄るのは、好きなものや似合うものがたくさんあり見つかるから。60代になった今では考えられないことだ。

 お洒落をしたい気持ちは十分持っているのに、年齢と共に似合う服がどんどん減ってくるという厳しい現実。その度、心の中はザワザワ落ち着かない。

 

 それは買い物に限らない。

 年齢を重ねていくことへの不安からか、今の気持ちを上手く言葉にできないもどかしさからか、最近モヤモヤすることが多い。この焦燥感はどうやったら解消されるのだろう。

 自分が楽しい、心地良いと感じることを増やす。今に集中して生きる。人からのアドバイスをいくつも思い出す。

 そうだ! 私は自分を勇気づける言葉をスマートフォンのメモにいくつもストックしていたんだっけ。見返すと、あった、あった。

「行動することを大切に」とか「今できることを淡々とやる」とか……。

 ふー、私って全然変わってない。うじうじ考えるところ。これまでも幾度となく悩みに悩んで、何とか解決してきたのでした。

 こうしてエッセイに書いてよかった。自分の性格や行動パターンを再確認できたから。ずっと付き合っていかなければならない自分だもの。責めてばかりいないで、自分自身の味方でいなきゃ。

 

 先日街で見かけた70代くらいの女性。白いコートに白に近いベージュのパンツという出で立ち。ワントーンコーデというのかしら。彼女の上品な雰囲気にピッタリ合っていて、それは素敵だった。

 真似してみたいと思ったが、どうかな。

 いつも答えは自分の中にしかない。多分。お洒落も、生き方も。

 

2023年2月18日

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 作家・くりな桜子とは長く、ともにエッセイ、随筆の研究をつづけてきました。

 そうして、このひとはもっとも著しい変身をとげた書き手として、わたしのなかに存在しています。書きつづけることの値打ちを証明する意味においてもまぶしく、憧れの存在です。

 

 そんなわけですからこのたびは、文章のことでなく……、文中の「年齢と共に似合う服がどんどん減ってくるという厳しい現実」のくだりについて、書こうかな、と思います。

 たくさんのものはいらない、気に入ったものとともに生きてゆきたい、という境地にたどり着かれたのですってば。

 そう申し上げたいと思うのです。

 たとえば「シンプル&ベーシック」というめあてを持った途端、選ぶものはどんどん減ってゆきましょう? そういうことですってば。

 

 文章も、ファッションと似ています。

 どう選んで、どんなストーリーをつくるか。どちらも等しくセンスが問われますってば。ふ


『スティーブ&ボニー』 siki(シキ)


 そのひとを知ったのは、あのとき。

 福島第一発電所の事故が起こったあと、マスメディアの情報がどれも表面的なものに思えて、インターネットで情報を必死で探していた。

 twitterでひとりの物理学者が淡々とデータを分析し発信をしているのを見つける。そのときやっと信頼できる人を見つけた、と心強く思ったことを覚えている。その物理学者の発信を追いかけるなかで、いわき市に暮らすそのひとを知ったのだ。

 twitterでのみじかい言葉は私の心に、ひりひりとした残像を残して響いていた。細かな内容は覚えていないけれど。

 あの事故から、12年もの歳月が過ぎようとしている。そのひとのことは細切れに追っている程度だった。ところがつい先日、近くの図書館の新刊コーナーで私は偶然、そのひとの著作をみつけたのだ。とっさに手にとって、読まなくては、と思った。本の題名は『スティーブ&ボニー 砂漠のゲンシリョクムラ・イン・アメリカ』*。私はなにもできていないけれど、そのひとが大切にしてやってきたことを知る必要がある。いま、そのひとがなにを考えているのかを知りたい。

 本の内容は、リトルボーイ(広島に落とされた原子爆弾)を生み出した原子炉があるハンフォードに、そのひとが残した足跡のはなしだった。

 国際会議でそのひとは福島での活動について発表し、それは本に収録されている。短い滞在のなかの静かであたたかな交流も。分断、分断といわれ続けているアメリカで。

 福島で暮らすひとりひとりの、かけがえのない人生を大切にしたい。この地でひとりひとりが少しでも安全を感じられて、外の世界への信頼をとりもどす力になりたい。ずっとそのひとを貫いている想いを、私は確かめる。文字で書けば当たり前のようなことだけど、どれほど困難な道のりだっただろうか。考えただけでも胸が苦しくなる。

 そしてそれは、終わった過去のはなしではない。福島にいこう、そう思った。

 

*『スティーブ&ボニー 砂漠のゲンシリョクムラ・イン・アメリカ』(安東量子/晶文社刊)

 

 2023年2月

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 この作品とめぐり逢えて幸いだった……、と思いました。

『スティーブ&ボニー』を読んでみようと思います。

 どうもありがとうございます。

 

 さてここに「そのひと」とある表記が、原文では「彼女」となっていました。

 彼女、彼という表現を使わないようにしよう、というはなしではありませんが、彼女、彼、はなかなかむずかしい位置づけであることだけは、意識していたいと思います。

 英語を教科として学習するなかで、早い段階で翻訳作業がはじまります。

 そうしてsheを「彼女」、heを「彼」、theyを「彼ら」と訳しましたよね。しかし、わたしたちの会話のなかで「彼女」「彼」「彼ら」ということばはあまり使われません(自然に使えるひともあるでしょうけれど)。

「彼女」「彼」「彼ら」と表現したときの、書き手たる自分との距離感を考えてみていただきたいのです。本作では、「彼女」を「そのひと」と記すことをおすすめしてみました。

 初出を「あの女(女に「ひと」のルビ)」とするのもいいかもしれません(2回目の登場から「その女」としても、読み手の認識は「そのひと」となります)。ともかく「そのひと」とするほうが、対象への敬愛が生まれはしないだろうかと思って、おすすめしたのです。

 

 細かいことのようですけれど、sikiの選ぶ「私」の位置を、見てください。

 なかなかのセンスだと思います。私は……という書き方も、ごく幼いころに学習したわけですが、頭に私が……と置く方法は、稚拙になりがちです。

 どこに「私」「ぼく」を置くかについても、考える必要がありそうです。 ふ


瀋陽(しんよう)で餃子    寺井 融 (テライ・トオル)


 1975年8月下旬の北京。日本青年訪中団の仲間のうちの1人と、市内散策に出かけた。天安門広場を抜け、前門あたりから路地に入る。

 午後10時過ぎであったが、夜でも人通りはたえない。1軒の裸電球の食堂をみつけて入った。労働者風の男たちが食べている、スープ餃子みたいな椀を注文。客の視線が一斉にこちらへ。まだ、外国人が少なかった時代のことである。

 店主も奥から出てきた。「〇〇〇〇」とか「××××」とか、言っている。なんだかわからない。紙を出し、「我是日本人」と書く。ワーッ。それで「味好」と続ける。また、ワーッである。

 主人が奥に引き返し、お替りを持ってきた。夜の公式歓迎宴で、お腹は一杯であった。けれども、とにかく詰め込む。お代は、とってもらえなかった。

 

 翌日、エスコート氏がやってくる。耳もとで「夜も、ご活躍ですね」だって。

 公安のお供つきなら、なお安全だ。その後も私は各地で出没(自由行動)する。どだい団体向けの模範コースなんかには、興味が涌かない性質(たち)なのだ。

 北京から南京、蘇州、上海と列車で下って、上海からいったん北京へ国内線で飛ぶ。その後、また汽車に乗って長春、瀋陽、哈爾浜と、東北地方(満洲)へ向かう。あれは瀋陽であったか。

「満洲に入ったのに、餃子が出てこないね」

 誰かが言った。

 そうだ、そうだ、これは団長室で言ってみようよ、となる。団長部屋は、ベッドルームと応接ルームのスイートであった。四、五人で応接間を占拠し、「そろそろ餃子を食べたいよな」「こちらは本場だから、きっと美味しいよ」と、めいめいが声をあげた。

 

 翌日の昼である。待望の水餃子が、洗面器ほどの大きな器に入って、出てきましたね。ヤッターである。

 皮は重厚。中身も豚肉がたっぷり。野菜は白菜やニラであったか。大蒜もきいていて、贅をこらした宴会料理よりも数等美味しかったですよ。

 その晩、部屋でラジオ(日本の短波放送)をつけたら、松生丸事件(1975年9月2日)が報じられていた。黄海上で日本の松生丸が銃撃され、乗組員二人が死亡、6人が北朝鮮に連行された事件である。日本政府は断乎抗議。北朝鮮側は当初、日本側に非があると強硬ではあったが、後に生存者と遺体は帰国させている。

 一瞬、エスカレートしたらどうなるか。緊張が走った。北と中国との関係から言って、飛び火したらえらいことになる、と感じたのである。工場の掲示板に「現代の宋江(註・左派が周恩来総理を指していた、の説あり)打倒」と書かれた壁新聞が出ていた。文革末期だったのである。9月11日に帰国した。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

「寺井融」の描く食の世界が、わたしは好きなのです。

 本作にも、スープ餃子、水餃子が登場します。

 ごくりとイメージを飲みこみながら、地名と、歴史的事件について調べるのもたのしいです。

「松生丸事件(しょうせいまるじけん)」をわたしは知りませんでした。

 北朝鮮との関係はむずかしく、その関係は現代においても緊張の度合いを深めています。

 

 ほんとうは、日本と、どんな他国とのあいだにも常にむずかしさはあり、それをひととしてどうとらえるかを常に考えていなければ……。日本の犯した過ち、あるいは大きく関与した事柄が、曖昧になってゆくようで、恐ろしくもあります。

 寺井せんせい、ときどき「註」もつけてくださいね。お願いします。 ふ


2023年3月の公開作品


道順を教えて     かたばみ くれば

 

 道順を教えて、と訊かれることが少なくない。

 いま住んでいる地元で、一人暮らしをしていた関西で、果ては韓国、フランス、イギリス、ドイツで。海外では、旅行中の日本人から訊かれる。

 

「駅はどこ?」

「郵便局はどこ?」

「銀行はどこ?」

「このお店はどこ?」

 

 韓国では、現地の人からハングル語で道を尋ねられて、びっくりした。

「私は日本人です。わかりません。ごめんなさい。」

 道を尋ねられた、とわかったのは、私がまさに向かおうとしていた場所の名前が聞き取れたからである。

 茨城育ちの、結婚とともに浅草近辺に住むようになった身としては、少々照れくさいのだが、税金も払っていることだし、あえて「地元」といわせてもらおう。地元では、年齢層が幅広く、若い人から子連れのママ、ご年配の方まで。

 

「浅草線の蔵前駅は?」

「大江戸線の蔵前駅は?」

「東京メトロ銀座線は?」

「合羽橋は?」

「近くにケーキ屋さんはある?」

「この歯医者さんに行きたいのだけれど・・・」

「この内科のある病院はどこ?」

「雷門方面はどっち?」

「駒形どじょうはどこ?」

「この蔵前のカフェはどこ?」

「あげまんじゅうのお店に行きたい」(ハングル語)

「アイス最中のお店に行きたい」(ハングル語)

「スカイツリーへはどうやって行くの?」(英語)

 ハングル語はどうしても説明できず、お店まで案内した。

 英語で尋ねられたときは英語で答えた。が、

「あなたの英語がわからない。」(英語)

 と悲しそうな表情で言われたので、大きな目印が見えるところまで、一緒に歩いて行ったこともある。

 

 そんなに害のない顔をしているのだろうか。よく言えば「ぽっちゃり」していて、動作がゆっくりで、のんびりしているように見えるのだろうか。ドンと構えた体つきで、安心感があるのだろうか(友人にもよく、「根拠のない自信を持って堂々としているよね」といわれる)。しかし、道を聞くとなると、ある程度、その土地に馴染んでいそうな人を選ぶような気もする。

 もしも相手から「その土地に馴染んでいる人」とみられたら嬉しい。

 だってそれは、地元の人と認めてもらえたようなものだから。東京にはずっと憧れがあったから、東京の人と受け止めてもらえたら、さらに嬉しい。息子とは話していると、「ママ、それは東京弁じゃないよ。」と指摘を受けることもあるけれど。

 

 子どもたちを連れているときもあれば、そうでないときもある。子連れで道を聞かれたときは、道案内をする私の姿を見て、娘たちが感心したようにいう。

「ママは、よくみちをきかれるねえ。」

 あなたたちは道を聞かれても知らんぷりしてもいいのよ。道を聞くフリをして、誘拐されちゃうかもしれないから。娘たちはひゅっと首をすくめる。

 

 道を訊かれるのは、一人でぼんやり歩いているとき。

 あまりにもよく道を聞かれるので、学生時代、就職活動をしていたときには、自己PRとして「道をよく聞かれる」をあげたくらいだ。

「私は道を歩いていると、よく人から道を尋ねられます。『この人に聞けば大丈夫』と思われているのだと思います。仕事では、そのような親しみやすさを生かして、区民から相談しやすい雰囲気を作ったり、信頼につながればと思っています。相談の内容については、学びを続けながら、安心や解決の道筋がたてられるよう、務めていきたいと考えています。」

 

2023年1月12日

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 道を訊くときは、なんとはなしに、一緒に困ってくれるひとを探しているのではないでしょうか。

 このエッセイののなかに、もの思わされることがあらわれていますね。

 

 たとえば。

 東京弁のはなし。

「あなたたちは道を聞かれても知らんぷりしてもいいのよ」のくだり。

 道を訊かれるのは、一人でぼんやり歩いているとき、という考察。

 

 なるほどなあ、と思い、やっぱりいいなあ、知らないひとから道を訊かれるのって。……と思うのです。ふ


ここのところのわたしのこころ  木村ゆい(キムラ・ユイ)


 朝、しごとに向かって駅の階段を上っている時のわたしのこころは、忙しない。人にぶつからないよう気をつけながら、少しでも速く前に進もうとしながら、その日やるべきことを考えながら、こんにゃく部長(仮名)のあれやこれやをぐるっとひと通り思い浮かべて憂鬱になりながら、一段一段上る。

 

 しごとからの帰り、駐輪場の3階から自転車を押して下りるとき、こころが回復していくのを感じる。一段一段下りるごとに、職場であった楽しいことも、こころ塞がるような出来事も、どんどんどんどん遠ざかる。

 

 家に帰ったら犬の散歩をする。

 犬は2匹いるうえに、バラバラの方向にグイグイ引っ張ったり、かと思うと全く動かなくなったり、ほかの犬に吠えかかったりするので、あまりぼんやりしていられないが、それがかえってモヤモヤを抱えたわたしの頭をからっぽにして、散歩を終えるころにはこころもからっぽになっている。

 

 夜、子どもたちの話を聞く。

 高校生の娘は部活で問題が発生していて、解決するためにはどうすればいいのか悩んでいる。息子は高校受験の真っただ中で、プレッシャーに押しつぶされそうだ。

 話を聞きながら、考える。わたしがたった今抱えている問題や悩みやプレッシャーと、本質的にはほとんど同じじゃないか。君たちの気持ち、すごくよく分かるよ!

 

 ここのところのわたしの日々は大体こんな感じ。

 でも、ではなくて、だから、わたしは今日も駅の階段を上ってしごとに向かえる。

 

2023年1月21日

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

「ここのところのわたしの日々は大体こんな感じ」

 と、結び近くに置かれています。

 大体だろうと、くわしくは、だろうと、そのときにしか書けないこと。書く、とはそういうことでできあがっています。

 読む、もそうです。

 書く、読むをくり返しながら、ひとは自らの変化をたしかめることができます。……よく書かれました。

 

「家に帰ったら犬の散歩をする」(こころが穏やかになる時間だ)

 

「夜、子どもたちの話を聞く」(自分をふり返ることになる)

 

 それぞれのあとに(  )のような表現があったのを、トルとしてみました。

 なぜって、そのような説明がなくても、それは描かれていますもの。まとめようとしない、ということを皆さんも、考えてみてくださいまし。

 

「話を聞きながら、考える。わたしがたった今抱えている問題や悩みやプレッシャーと、本質的にはほとんど同じじゃないか。君たちの気持ち、すごくよく分かるよ!」

 お嬢さんと息子さんに、本作を読んで聞かせてさしあげてくださいな。ふ


冬晴れの朝  いしいしげこ

 

冬晴れの朝

 クリニックの予約日、せっかく外出したのだから、少し足をのばしていつもの目黒不動尊へ。年に何回か足を運ぶ、心休まるところだから。

 境内は人もまばらで、すっかりお正月の準備が出来ている。広い境内も、すみずみまで拭き掃除をしたように……。

 空気までが、くる年をじっと待っている。

 この1年、無事に遅れたお礼をこめて、般若心経を読み上げる。

 

 

おねえちゃま・も?

 睦月を迎えた今日は成人の日。

 今年は例年になくポカポカ陽気、風もなく、晴れ着も映える。よかった。

 着慣れぬ和服は袖口や衿あしから風が入り、寒い。でも今日は大丈夫そう。

 この間、七五三の幼子の、和服で足元に運動靴という可愛らしい姿に出合ったばかり。

 振袖姿でにこやかに歩いてくる新成人の娘さんの足元には厚底のパンプスがあった。

 思わず目が点。

 

 

チク・チク

 長い間、忘れていた針仕事。

「ポケットの底に穴があいたから直しておいて」

 と息子がジーパンを置いてゆく。

 裏返してみると、500円玉ほどの穴が……。布を当てがうほどでもなく、ひと折りしてかがる。

 針仕事、大好きであった。今や針に糸がなかなか通せなくなっているが、昔のカンのようなものが働くのか、すっと通ることがある。

 そして驚くことがあった。

 体だけではなく、指も太くなって指貫(ゆびぬき)が入らない。そっと針箱に戻す。

 

 

たった1本

 いつの頃であったか、1本だけ生えた親知らず。右下の奥。

 ときどき主張するようにうずくことがあったが、すぐに忘れた。

 ところがここへきて、主張が続く。だましだまし、1日、2日と過ごしていたのだが、もう無視出来ぬところまで。それこそ、寝ても覚めても……。

 くる時がきてしまったようだ。

 前に聞いたことがある。

「歯の痛さと孫の可愛さには勝てぬ」

 重い腰を上げる。痛み止めで楽になったが、後日に抜歯の予定を入れる。こわいナ。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 いいですねえ。

 こういうものを読ませていただきますとね、あれ、自分が書いたのか……と思ったりします。いえ、この観察にも感性にも、わたしは届いていないのですけれど、なんだか。

 これが究極の共感だと、思うのです。 ふ


それから  オンネ カノン

 

 派遣会社で働いていた。

 派遣会社というと「派遣社員」として働いていることと未だに混同されることがあって驚くのだけれど、派遣社員とは派遣元(私が働いていたのはここ)から派遣先に派遣されて働いているひとのことである。

 派遣元である派遣会社は派遣スタッフを登録するための業務や、派遣先を開拓する「営業」の仕事などを行っている。

 派遣スタッフを登録し、派遣スタッフを募集している派遣先企業との「マッチング」を行う、「派遣コーディネーター」をわたしはしていた。

 仕事をはじめて数年後、郊外の支店へ異動になった。

 

「こんにちは。これから派遣の登録を行います。希望されている仕事とのマッチングをするため、職歴の確認をさせてください。」

「前の派遣先は男女一緒のトイレでした。トイレがひとつしかなかったのです。そこの掃除もしていました。それで辞めました。そんなことで辞めたらダメですよね。」

「え? 十分に辞めていい理由じゃないですか? 嫌ですよ、トイレが男女一緒なんて。」

 ここで、そのひとは泣き出した。

 20代前半で、職歴がすでに10社ある。

「仕事を紹介してください」

 と泣きながら言う。

 面談の最後に、

「わたし、これを持っています」

 そう言って、精神障害者手帳を出した。

 

 派遣登録まではできるが、それだけでは派遣スタッフとして派遣先に送り出すことはできない。面談中に一度もわたしと目を合わせず、会話がまったく成立しないひともいた。

 そんなひとたちが少なからず登録にやってきた。ここまでやる必要はないと思いながら、会社のパソコンで調べて行政の就労相談窓口を伝える。

 皆、こんなところは知らないという。

「障がい者雇用」という言葉も知らないという。

 なぜ知らないの? 

 なぜ、必要なひとのもとに必要な情報がいかないの?

 

「社会福祉士」という資格のことをわたしは思い出した。

 これから自分がここ(派遣会社)でずっと働くことも想像できない。20年くらい前までは「名称独占」(※)なだけで就職に特別なチカラは持たないと言われていた資格だったけれど、この間の日本社会の変動は大きく、欧米でいう「ソーシャルワーカー」としての「社会福祉士」が活躍できる福祉の現場が増えていた。

 

「社会福祉士」は国家資格で、年に1回しか試験がない。受験資格を得るため、通信制の学校を調べ、スクーリングに通いやすい、近隣の専門学校を見つけた。

雇用保険に加入していると通学費用にいくらか補助金も出る。有給をとって、ハローワークで手続きをした。

 

 受験資格を得るまでに2年を要した。翌年、社会福祉士試験に合格した。

 

 ひとの人生の選択にゆるやかに寄り添える仕事は楽しい。クリエイティブな仕事だと思う。「これしかない」と思いこんでいるひとに「これもあるよ」と提示していけるように、自己鍛錬が必要だけれど。

「社会福祉士」という仕事がもっとたくさんのひとに周知されたらいいなと思っている。

 

※「名称独占」:国家資格でも医師や看護師といった「業務独占」資格と違い、社会福祉士は資格を持っていればその名称を名乗れるという資格。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 この作品において、作家とわたしとのあいだに、やりとりがありました。

 理解が届かなかったから、です。

 

「派遣会社」の成り立ちも、わからなかった。

「派遣登録」の意味と、登録の限界もわからなかった。

「障がい者雇用」の内容も。

 

 そういうわけで、やりとりがあったのです。

 

「オンネ カノン」という作家には、限りない可能性があります。

 まずは、現在の仕事を通しての記録を、作品に生かしてほしいと思います。

 それを切にお願いしたいと思うのです。 ふ


2023年2月の公開作品


忘れもの  谷澤美雪(タニザワ・ミユキ)


 自分に自信が持てなくなり立ち止まっていると、遠い子どもの頃の時間を思い出す。

「いいの?」

「このままで?」

 海のすぐ近くに住んでいながら、私は泳ぐことが苦手だった。臆病で水が怖かった。

 

 小学校4年生のとき、近隣の学校3校が集まって水泳大会が行われた。近づくにつれ「体育」は毎回水泳の練習となる。犬かきのような泳ぎしか出来ない私はゆううつでたまらなかった。

「何故、水泳大会なんてあるのだろう?」

 練習をしなくてもすむ方法はないものかと、考え続けていた。

「そうだ、水着を忘れましたと言えばいいんだ」と、わざと水泳の支度をせずに登校。

「先生、水着忘れました」

 先生が言った。

「次の理科の勉強はしなくてもいいから、今から家に取りに行ってきなさい」

 ドキン! とした。

 心の中がグルグルまわっている。体が固くなっていくような思いを胸いっぱいにして、あふれそうな涙もぐっとこらえた。

 家まで片道1キロ半はある通学路を必死に歩いた。家には母も祖母もいたはずだが、他のことは覚えていない。

 

 この日、私は子どもなりに「きびしさ」という思いを体全体で味わったのだ。

 先生は、私のずるい心を知っていたんだ。

 練習は毎日、放課後まで続いた。

 大会が目の前になった日、選手の発表があった。なんと私は平泳ぎの選手に選ばれた。

「え、わたしが25mなんて泳げるわけないじゃん」

 でも、言えない。

 やるしかないんだ。

 

 大会の当日が来た。

 マイクで私の名前が呼ばれた。

「5コース、ヤマダミユキさん」

「ハイ」

 バーン!

 泳ぐんだ。泳ぐんだ。順位なんてどうでもいい。自分と戦った。

 25m、泳げた!

 泳ぎ切った! 苦しみが喜びに変わる瞬間を、水の中で知った。

 

 4年生だったあの日の私が、60才を過ぎても、迷いつづけている私を試してくれる。

「きっとうまくいくよ」

「自分を信じてやってごらん」

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 4年生のミユキちさん、よくがんばりました。

 わたしも、「そこ」へもどって、励ましていただきました。

「谷澤美雪」の物語のような随筆、いいなあ、いいなあと思います。「壺井栄」を思いだしたりしています。

 

 さて、きょうは「わたし(私)」や「ぼく(僕)」の位置についてお伝えしましょう。

 本作「忘れもの」のはじまり近くに、こんなくだりがあります。

 

   海のすぐ近くに住んでいながら、私は泳ぐことが苦手だった。臆病で水が怖かった。

 

 もとの原稿には、こうありました。

 

   私は海のすぐ近くに住んでいながら、泳ぐことが苦手だった。臆病で水が怖かった。

 

 声に出して読んでみてください。

 正解不正解というはなしではありません。

 が、しかし、「私」が後方に移動した上のほうが、すっきり読めるのではないでしょうか。

 

「私は泳ぐのが苦手」の「私は」と「苦手」の文節は近くつなげたほうが、はっきり通ります。

「私は」からはじめると、ちょっと幼い感じを醸す場合もあります。「私」はどこに置こうかな、てっぺんではなく、中ほどに置いてみようかなと、考える神経を携えるとよいと思います。

 てっぺん× というはなしではないことを、重ねて記しておきます。ふ


ブランデーケーキと暗闇  鶴木マキ(ツルキ・マキ)

 

 父は2022年2月、84回目の誕生日を迎え6日後に亡くなった。

 誤嚥性肺炎で入院したのは前年の7月。その頃の父は何度も入退院をくり返していた。都度痩せ最後の入院前は物を食べるのを嫌がった。食べるとむせて苦しいからと。

 お酒が好きな人だった。家でリハビリをしていたときも缶チューハイを飲んでいた。そばの酒屋に買いに行く体力がまだ残っていた。しかしひと月の間に体力が落ち寝たきりになった。生きる気持ちが少なくなっていたのかもしれない。

 食べないと体力も落ちてしまうよ、入院の2週前にブランデーケーキを持って行った。

 父は洋酒の味がすると喜んで食べた。口から物を摂ってもらいたかったので、その姿が嬉しかった。

 次に様子を見に行ったのは訪問医が来る日。

 お父さん、あのブランデーケーキ全部ひとりで食べちゃったのよ、と母は言った。

 その日の父は2週間前より更に調子が悪そうだった。訪問看護師が痰の吸引をし、肺炎かもしれないと言う。後から来た訪問医は父に入院を勧めた。母も父も入院を拒んだが私は2人を説得した。

 救急車で運ばれた父をみて病院長は言った。加齢と病気で呑み込みが上手くできなくなった。食べ物の一部が肺に溜まり肺炎を起こす。一度治ってもまたくり返すだろう。これは寿命だから仕方がない、人はいつか死ぬのだと。

 医者でなくこの人は坊主なのではないか? 一瞬私は思った。

 果たして父を病院に連れて行ったのは良かったのだろうか? あのまま家にいれば結局肺炎は悪化し長い療養などせず亡くなっただろう。坊主のような院長は肺炎で亡くなるときは意識がないから、本人は苦しくないと言っていた。        

 父とはコロナで面会もままならず、危篤になってからも会わせてもらえなかった。父は末期ひとりだった。

 

 亡くなる2週間前父から電話があった。

 コロナを院内感染していた父は治って少し元気になっていた。どうしても聞きたいことがあると言う。父の兄の連れ合いが亡くなった。葬式は終わったのかと。叔母は患って長いがそんな話は聞こえてこない。笑いながらお父さんそれはきっと夢を見たんだよ。私が言うと、電話の向こうでえっ? と言ったきり黙ってしまった。

 寝ては起きをくり返す父には、夢と現実の境目が薄くなっていたのかもしれない。

 そうなのか? ひと呼吸入れて父は言う。

 どうやらまだ少し疑っている様子だ。病院から何の電話だろうと心配しながらスマートフォンをとった私は安堵して、お父さんまたかけるよ、仕事に戻らないと。そう言うと父は今何時だ? と聞いた。父は目がほとんど見えない。

 今? 夕方の4時だよ、私の答えに父は、そうか。夜中だと思った、そう言いながら電話を切った。

 それが父との最後の会話だった。夜中だと思ったと言った父は寂しかったのではなかろうか?

 実家に行くときブランデーケーキを持っていく。カステラ生地にブランデーが滴るほど染みたブランデーケーキ。父よ、寂しがらないで欲しい。何度だってあの日に私の心は戻るのだから。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 久しぶりに「鶴木マキ」の作品を読みました。

 読んですぐ、情感が伝わることに感心したのと同時に、これを書けてよかったね、と思いました。

 

「 」を使わず会話をすすめる方法も、なかなかいいなと思わされました。わたしは「 」を使いたがりだからな、こんど、こんなふうにやってみましょう。

 

 ね、鶴木マキさん、この作品、お父さまに向かうつもりで、静かにゆっくり音読してみてくださいまし。ふ


100字エッセイ 鷹森ルー(タカモリ・ルー)

 

***

 

おせちはデパートのものでなければ「おせち」にあらず、みたいな風潮です。でも普段食べなれないものばかりで箸が進まない。そんな中「欲望おせち」なる言葉を発見! これだ! 今年は食べたいものだけを作ります。(100字)

 

 

軽井沢の万平ホテルがしばらく休館になるというので、友だちと行きました。夜のディナーに女性がひとり、窓際の席に坐って食事をしていました。そんなひとが4人!並んでいました! ひとり旅、究極の自立と自由。(100字)

 

 

***

かたばみくれば

 

かんざしを探している。べっ甲がいいなと金額を見たら、想像以上の高値に驚いた。ここはひとつ、身の丈にあったもので折り合いをつけることとする。そしてめぐり逢った、宝尽くしの模様と人工パールのかんざし。(98字)

 

 

日曜日の夕方、夫とともに、ぶらぶら1週間分の食材の買い出しに行く。帰り道、日本酒やリキュール類も豊富な近所の酒屋に寄る。店の奥で立ち飲みができるのだ。ビールを頼み、よく冷えているそれを、ぐびぐびぐび。(100字)

 

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 100字エッセイはたのしいです!

 表現力を鍛えられるし、「過剰」になりがちな創作上の問題と向き合えます。 ふ


庭ということば  リウ真紀子(リウ・マキコ)


 東京都北多摩郡という、今はなき住所の借家暮らしが記憶の始まりだ。

 小さな2軒長屋だったが、真南に面した6畳間の長辺いっぱいに、大きな掃き出し窓と濡れ縁があった。そこから繋がる庭で筵を広げてままごとしたり、ビニールプールで水浴びしたものだった。

 父は子供のために庭づくりに精出した。農業大学から当時はまだ珍しかった八重咲きのチューリップ球根を分けてもらい庭いっぱいに咲かせたり、赤いつるバラを上手に繁らせ一面に花を咲かせたり、ちょっと地面を掘ってセメントを流し池にして金魚を飼ったりもしてくれた。庭という、安心して日暮れまで過ごせる空間があったのはなんと恵まれていたのだろう。

 細い通路に沿って北側にまわると、質素な門と玄関があった。さらに進むと勝手口があり、そこにはポンプで汲み出す井戸があった。ジブリ作品『となりのトトロ』に登場するあれである。

 玄関周りなのに日差しがあまり当たらないからちょっと寂しいところで、踏み固められたような地表から負けずに伸びてくるドクダミが初夏になると白い花を咲かせた。触ったり葉を傷つけたりすると独特の匂いがして、子どもだった自分には少し恐ろしい植物だった。ペッタリと固まったような地面にはゼニゴケも広がって、南側とは全く違う空間。両親はそんな北側の地面には注意も払わず放っていた。

 読書するようになって出会う「裏庭」という言葉で思い浮かべるのは、この北側の井戸とそのまわり、冷たく固くなった地面のことだった。「庭」と呼んでいいのは、日当たりのよい南側の庭だけだと思っていた。翻訳された西欧の子ども向け読み物に出てくる庭の描写でも、思い浮かべるのは、自分が育った庭だった。

 

 イギリスで暮らす機会があり、街並みや家の佇まいにも触れた。公道に面する住宅の玄関まわりのfront yardに対して、道から見通せない住居建物の向こう側に広がるプライベートな空間をback yardと捉えるのが一般的なようだ。このback yardが裏庭と訳されるのだが、なるほど、子どもが遊んだり家族でバーベキューしたりする「我が家の領域」がそれで、日当たりが今ひとつでちょっとひっそりしている裏側の空間という意味ではないのだと気づいた。

 

 日本であっても気候風土は様々なので、きっと「庭は家の南側」にこだわらないところも多いのだろう。自分が育ってきた環境、経験してきた事柄に、言葉の理解はずいぶん制約を受けているものだ。こんな気づきがあると、トム(*1)が13時の鐘を聞いてそうっと階段を降りていった真夜中の庭や、秘密の花園(*2)の庭をもう一度訪ね直したいという気持ちがふくらんでくる。そして、今暮らしている家の小さな庭では陰も日向も生かしつつ、表も裏もない庭づくりを楽しみたいものだと思う。

 

*1『トムは真夜中の庭で』 イギリスの作家、フィリパ・ピアスによる児童文学。初版1958年。

*2『秘密の花園』 イギリスの作家、バーネットによる児童文学。初版1911年。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 記憶のなかの物語を紡ぐのは、むずかしい……。

 なぜといって、つい甘みがつよくなるからです。

 甘みの強いものを飲まされる(読まされる)読者は、どうしたってむせかえってしまいます。甘くなる理由にとして、登場人物への感謝、サービスもあげられます。それはどうか、べつの機会に、お伝えくださいましね。

「庭ということば」はその意味でも、よい調味です。 ふ


2023年1月の公開作品


思いがけないおくりもの    おりべまり(オリベ・マリ)

 

「あ〜っ!」

 あやうく転ぶところだった。 

 

「週に4日1時間歩きなさい!」とかかりつけの先生に言われたのは3週間前のことだ。それでしぶしぶ家のまわりを歩き始めた。

 目的もなく歩くのはあまり好きではない。

 ずいぶん歩いたと思っても15分ほどしか経ってないことが少なくないから、何かを聴きながら歩くようにしている。

 この前は仲良しの友だちとおしゃべりをしながら森を歩いたが、ふと気づいた時には50分が経っていた。そんなものである。

 

 秋も深まり、わたしの住むとおくの国の風景は日に日に変わっていく。

 めずらしくお日様の照る気持ちのよいお天気だから、今日は歩くのも苦ではない。

 日本の紅葉の時期とはちがった風情。

 建物にからまる蔦の葉が、黄色、オレンジ、そして真っ赤にグラデーションを描く。

 はらはらと高いところから落ちて来る葉っぱの中には、わたしの手のひらよりもはるかに大きいものもある。

 陽の光にてらされた風に舞う落ち葉のカーテンが、地面に少しずつ敷きつめられて赤いペルシャ絨毯と化す。

 

 今年は雨のふらない夏、ものすごくあつーい夏だった。

 芝生も枯れた。植木も枯れた。それが9月まで続き、水不足が心配された。

 たまには暑くて長い夏もいいじゃない! と思ってみたが、確実に温暖化が進んでいることを身をもって知らされ、喜んでいる場合ではないと感じた。

 例年は8月に入るとスーッと涼しくなり、すでに秋の気配がして風もいくらか冷たくなり寂しげになる。

 

 天候が不安定なこの国は、1年を通して雨がおおく、空がひくい。

 この気候のせいで、ここの人々は他の国の人たちに比べて多少暗く閉鎖的だと感じる。

 いや、ひかえ目である、というべきか。

 

 朝起きて太陽の光を浴びるというだけで、その日の気分がどれだけ違うかということをここで30年暮らしてきて実感している。真っ暗の中起きて、やっと明るくなってきたと思っても日中はグレー、雲が重く空にのしかかっているせいで息苦しいような感じがする。そこへ雨がしとしと降れば、その日の気分は限界に近づき、ため息ばかりだ。それがここの11月なのである。

 

 それでもクリスマスが近づくと、その暗さを忘れさせるかのごとく街はキラキラと輝き、本格的な寒さがやって来る。グレーの空はともかく、この国の冬がけっこう好きだ。森を散歩すると、靄(もや)が一面にかかり、朝でも昼でも夜でも、なんとも幻想的な風景に出会える。寒さをしのぐために近くのカフェでホットワインなんかを飲んだりして……。

 

 と、いろいろなことを妄想しながらぼんやりと上ばかり見て歩いていたら、落ち葉の赤い絨毯の上で足がツルッとすべった。葉っぱの下に隠れた犬のアレを踏んだのだった。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 ヨーロッパ在住の「おりべまり」。

 日本の秋の深まりとは異なる気配を受けとめ、受けとめ読みました。

 皆さんも、どうぞおたのしみください。

 

 うつくしいなあ、と嘆息しつつ読み進めましたが、結びにはくすっと笑わずにはいられませんでした。ふ


夏の終わる頃に   しもむらひでこ

 

 こんな、新聞投稿を読む。

 配偶者を亡くした50代の女性が、知人に「いつもじゃないけどね、ときどきご主人、近くに来るから」と言われたことへの思いが綴られていた。

 私も友人に「ご主人は、あなたが心配で、きっと見守っていて、姿や声では伝えられないけれど、いろんな方法で、合図をおくってくると思うよ」と言われたことを思い出していた。

 こんな話、信じたい人にとっては願いや救いであり、信じられない人には

「なーに言ってんだか」

 ということなのだけれど。

 

 で、「ヤモリ」です。

 

 何年もこのところ、夏の終わる頃に1匹のヤモリが現れる。

台所のシンク前の左側の磨りガラス窓の外側に。おなか側からのシルエットをしっかり見せつけてくれる。

 初めて気づいた時、「ひぇー、どうしよう」と思った。私は、この手のシルエットをもつ生き物は苦手だ。とりあえず、お引取り願いたいが、刺激を与えず、そーっとしておくことにした。ヤモリは「家守り」で家を守ると、どこかで聞いたように頭にうかんだからだ。

 翌朝、窓を見るといない。

「よしよし」とほっとする。夕方帰宅するとはりついている。この繰り返しで数日過ごす。

 今年は、来ないな、と思った気持ちが伝わったものか、とたんに現れた。定位置に。

 調理する位置に立つと、その視線の先の目の高さにヤモリがいる。見ないわけにはいかない。

 いいんです。

 地球は、大きなおうちですもの、いたい所にいてください。

 でもね、夜、電気をつけた時、窓にはりついたシルエットをみるとね、こう、背中がザワザワ、ゾクゾクしてしまうんです。私。

 今年も3日ほどして、いなくなった。ほっとした。

 そう、ほっとしているのに、ほっとするのが申し訳ないような、はたまた、愛想尽かされ、おいていかれたような心細くなるのは、どうしたことだろう。

 しかも「『来年も待っているよ。』なんて、言えない私を許してね。」とつい詫びてしまうのは、どうなの、私。

 

 きっと心のどこかで、毎年考えているんだ、あれは。「みんなを守っているよ」の「合図」なのかと。

 

 ヤモリが見えなくなった後に。

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 この作品を書き上げたあと、「しもむらひでこ」とやりとりがありました。何についてだと思いますか? 

「旦那さまのこと?」

 ええ、そのことも聞きました。

 でも、その話は内緒です。

 

 句読点の話をしたのです。

「夏の終わる頃に」の終わり近くに、こんなくだりがあらわれます。

 

              *

 きっと心のどこかで、毎年考えているんだ、あれは。「みんなを守っているよ」の「合図」なのかと。

              * 

 

 書き手は迷いました。

「あれは」のあとを「。」にしたものか、「、」にしたものか……と。

 

 どちらでもいいでしょう、と思われたあなた。それはちがいます。

「、」「。」は、大きな大きな存在です。

「、」「。」で書く。

「、」「。」で決まる。

 と云ってもいいほどなのです。

 そこにこそ、書き手のセンスがあらわれるのです。

 

 ここでは「。」が選ばれました。

「正解です!」という話ではないのが、文章世界の不思議であり、おもしろみです。ただ、こんなところに神経を遣うことこそが大事。

「、」「。」に気持ちを向けることのできる書き手でありたいですね。  ふ


100字エッセイ  

 
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はるの麻子(ハルノ・アサコ)

 

「ボクは男を捨てるつもりはないよ、いくつになってもね。キミも女を捨てるつもりはないだろう」草とりをしていたら聞こえてきたセリフ。携帯電話で話しながら道を行く男。妄想を噛みしめつつ、草とり、草とり。

 

2か月間エッセイが書けなかった。冷蔵庫に詰まった食材をながめても料理にとりかかれない状況に似ている。あれを作ろう、いやこれがいいかも。アイデアが浮かんでは散らばっていくばかりで、全くまとまらない。


(2022年11月29日)

 

*****

クッカハナコ

 

クリスマスの準備を始めよう。

まずはオレンジポマンダー作りから。クローブをオレンジに挿しシナモンをまぶす。うーん良い香り。部屋中クリスマスの香りに包まれる。

仕上げにシャンパンゴールドのリボンを結ぶ。


 

ようやく理想のレインコートを見つけた。黄色のポンチョタイプ。胴長でもお尻までしっかりカバーできる。フードはかなり大きい。これを探していたのだ。これで雨の日もご機嫌だ。

あっ、これ愛犬のレインコートです。

 

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ルウ真紀子(ルウ・マキコ)

 

自分の親世代を看取った頃、90歳過ぎてなお元気なお年寄りは稀だったはず。

だから、絶好調の母はどう振る舞えばよいのか迷っているのだろう。これほど達者なのだもの、わたしは年寄り扱いなんていたしませんとも。



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〈山本ふみこからひとこと〉

 100字エッセイのおもしろみを、噛み締めています。100字の行間に、書き手の気分のようなものが見え隠れしています。情感、ムードを大切に。 ふ


後ろに注意  三澤モナ(ミサワ・モナ)


 恥ずかしくて、できればすぐに穴に入りたかった。昨年の夏の出来事である。

 銀行などの用事があって出かけ、そのあとカフェでランチをした。1年前に買った麻のワンピースを、私は着ていた。通販カタログで見て買い、素材とデザインを気に入っていた。その日は買ってから2回目の着用。どこか着心地が悪かったが、急いでいたので、そのまま出かけたのだった。

「オシャレなワンピースでオシャレなランチ」が終わって、車に乗って気がついた。ワンピースの背中のファスナーが開いていたのだ。何かピタッと来ないと思っていたのは、そのせいだったのだ。「なんか変」と思ったときに気づくべきだった。下に着ていた黒のスリップが丸見えだった……はず。

 カフェのお客さんもスタッフもきっと見たよね。あーっ、恥ずかしい。ドキドキしてきた。

「黒のスリップを見せるためのおしゃれ!」とか、「そういう斬新なデザイン!」と思ってくれなかったかな?とひとりで悪あがきする。

 あわててファスナーを上げ、急いで運転して帰宅した。

 家に着くなり、ワンピースを脱ぎ捨てた。ワンピースは悪くないのに、理不尽にも、恥ずかしさと悔しさをワンピースにぶつけていた。気に入っていたのに……と。着用するたびに思い出しそうだ。

 

 20代のころの同じようなショックを思い出した。

 職場用の服を通勤着に着替えて、さっそうと廊下を歩いていた私。後ろから、足音が聞こえた。上司が何も言わず、普通に通り過ぎた。私はふと違和感を感じ、ハッとしてタイトスカートの後ろファスナーに手をやった。開いていた。絶対気づいたよね。私、カッコつけて歩いていたのに……。顔から火が出るほど恥ずかしくなった。上司が女性なら教えてくれただろうか。男性上司が知らん顔してくれたことに感謝すべきだろうか。

 

 またやっちゃった。もっと早く、右腕が五十肩で十分に上がらなくなった時点で、そんな服をあきらめるべきだった。

「もはや後ろファスナーの服を着ないぞ」と決心したものの、麻のワンピースを惜しんで、しばらく恨めしく眺めていたのだった。

 

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 数かぎりなくあります、わたしにも。

 恥をかきながらの人生を、昨日までつづけてきて、きょうからまたつづけてゆくのがわたしというひとらしいです。

 

 ほんとうによくぞ書いてくださいました。

 どうもありがとうございます。

 こんなふうに書き手と読み手のあいだの分かち合いによって、作品のぬくもりはつくられ、育てられます。分かち合おうと考え、企てるだけでは、そうはならない。

 日頃から、他者に興味を寄せ、その存在が抱える事情や心持ちを想像することが、どうしたって必要です。

 2023年も皆さんと、こころを耕しながら、紡いでまいりたいと存じます。

 あたらしいことも、してみたいと考えています。

 

 書くことの「大事」を胸に抱いて、1年を過ごしましょう。

  2023年1月3日

                  ふみ虫舎エッセイ講座日直 

                      山本ふみこ