ふみ虫舎エッセイ通信講座作品集
2023年3月の公開作品
道順を教えて かたばみ くれば
道順を教えて、と訊かれることが少なくない。
いま住んでいる地元で、一人暮らしをしていた関西で、果ては韓国、フランス、イギリス、ドイツで。海外では、旅行中の日本人から訊かれる。
「駅はどこ?」
「郵便局はどこ?」
「銀行はどこ?」
「このお店はどこ?」
韓国では、現地の人からハングル語で道を尋ねられて、びっくりした。
「私は日本人です。わかりません。ごめんなさい。」
道を尋ねられた、とわかったのは、私がまさに向かおうとしていた場所の名前が聞き取れたからである。
茨城育ちの、結婚とともに浅草近辺に住むようになった身としては、少々照れくさいのだが、税金も払っていることだし、あえて「地元」といわせてもらおう。地元では、年齢層が幅広く、若い人から子連れのママ、ご年配の方まで。
「浅草線の蔵前駅は?」
「大江戸線の蔵前駅は?」
「東京メトロ銀座線は?」
「合羽橋は?」
「近くにケーキ屋さんはある?」
「この歯医者さんに行きたいのだけれど・・・」
「この内科のある病院はどこ?」
「雷門方面はどっち?」
「駒形どじょうはどこ?」
「この蔵前のカフェはどこ?」
「あげまんじゅうのお店に行きたい」(ハングル語)
「アイス最中のお店に行きたい」(ハングル語)
「スカイツリーへはどうやって行くの?」(英語)
ハングル語はどうしても説明できず、お店まで案内した。
英語で尋ねられたときは英語で答えた。が、
「あなたの英語がわからない。」(英語)
と悲しそうな表情で言われたので、大きな目印が見えるところまで、一緒に歩いて行ったこともある。
そんなに害のない顔をしているのだろうか。よく言えば「ぽっちゃり」していて、動作がゆっくりで、のんびりしているように見えるのだろうか。ドンと構えた体つきで、安心感があるのだろうか(友人にもよく、「根拠のない自信を持って堂々としているよね」といわれる)。しかし、道を聞くとなると、ある程度、その土地に馴染んでいそうな人を選ぶような気もする。
もしも相手から「その土地に馴染んでいる人」とみられたら嬉しい。
だってそれは、地元の人と認めてもらえたようなものだから。東京にはずっと憧れがあったから、東京の人と受け止めてもらえたら、さらに嬉しい。息子とは話していると、「ママ、それは東京弁じゃないよ。」と指摘を受けることもあるけれど。
子どもたちを連れているときもあれば、そうでないときもある。子連れで道を聞かれたときは、道案内をする私の姿を見て、娘たちが感心したようにいう。
「ママは、よくみちをきかれるねえ。」
あなたたちは道を聞かれても知らんぷりしてもいいのよ。道を聞くフリをして、誘拐されちゃうかもしれないから。娘たちはひゅっと首をすくめる。
道を訊かれるのは、一人でぼんやり歩いているとき。
あまりにもよく道を聞かれるので、学生時代、就職活動をしていたときには、自己PRとして「道をよく聞かれる」をあげたくらいだ。
「私は道を歩いていると、よく人から道を尋ねられます。『この人に聞けば大丈夫』と思われているのだと思います。仕事では、そのような親しみやすさを生かして、区民から相談しやすい雰囲気を作ったり、信頼につながればと思っています。相談の内容については、学びを続けながら、安心や解決の道筋がたてられるよう、務めていきたいと考えています。」
2023年1月12日
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
道を訊くときは、なんとはなしに、一緒に困ってくれるひとを探しているのではないでしょうか。
このエッセイののなかに、もの思わされることがあらわれていますね。
たとえば。
東京弁のはなし。
「あなたたちは道を聞かれても知らんぷりしてもいいのよ」のくだり。
道を訊かれるのは、一人でぼんやり歩いているとき、という考察。
なるほどなあ、と思い、やっぱりいいなあ、知らないひとから道を訊かれるのって。……と思うのです。ふ
ここのところのわたしのこころ 木村ゆい(キムラ・ユイ)
朝、しごとに向かって駅の階段を上っている時のわたしのこころは、忙しない。人にぶつからないよう気をつけながら、少しでも速く前に進もうとしながら、その日やるべきことを考えながら、こんにゃく部長(仮名)のあれやこれやをぐるっとひと通り思い浮かべて憂鬱になりながら、一段一段上る。
しごとからの帰り、駐輪場の3階から自転車を押して下りるとき、こころが回復していくのを感じる。一段一段下りるごとに、職場であった楽しいことも、こころ塞がるような出来事も、どんどんどんどん遠ざかる。
家に帰ったら犬の散歩をする。
犬は2匹いるうえに、バラバラの方向にグイグイ引っ張ったり、かと思うと全く動かなくなったり、ほかの犬に吠えかかったりするので、あまりぼんやりしていられないが、それがかえってモヤモヤを抱えたわたしの頭をからっぽにして、散歩を終えるころにはこころもからっぽになっている。
夜、子どもたちの話を聞く。
高校生の娘は部活で問題が発生していて、解決するためにはどうすればいいのか悩んでいる。息子は高校受験の真っただ中で、プレッシャーに押しつぶされそうだ。
話を聞きながら、考える。わたしがたった今抱えている問題や悩みやプレッシャーと、本質的にはほとんど同じじゃないか。君たちの気持ち、すごくよく分かるよ!
ここのところのわたしの日々は大体こんな感じ。
でも、ではなくて、だから、わたしは今日も駅の階段を上ってしごとに向かえる。
2023年1月21日
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
「ここのところのわたしの日々は大体こんな感じ」
と、結び近くに置かれています。
大体だろうと、くわしくは、だろうと、そのときにしか書けないこと。書く、とはそういうことでできあがっています。
読む、もそうです。
書く、読むをくり返しながら、ひとは自らの変化をたしかめることができます。……よく書かれました。
「家に帰ったら犬の散歩をする」(こころが穏やかになる時間だ)
「夜、子どもたちの話を聞く」(自分をふり返ることになる)
それぞれのあとに( )のような表現があったのを、トルとしてみました。
なぜって、そのような説明がなくても、それは描かれていますもの。まとめようとしない、ということを皆さんも、考えてみてくださいまし。
「話を聞きながら、考える。わたしがたった今抱えている問題や悩みやプレッシャーと、本質的にはほとんど同じじゃないか。君たちの気持ち、すごくよく分かるよ!」
お嬢さんと息子さんに、本作を読んで聞かせてさしあげてくださいな。ふ
冬晴れの朝 いしいしげこ
冬晴れの朝
クリニックの予約日、せっかく外出したのだから、少し足をのばしていつもの目黒不動尊へ。年に何回か足を運ぶ、心休まるところだから。
境内は人もまばらで、すっかりお正月の準備が出来ている。広い境内も、すみずみまで拭き掃除をしたように……。
空気までが、くる年をじっと待っている。
この1年、無事に遅れたお礼をこめて、般若心経を読み上げる。
おねえちゃま・も?
睦月を迎えた今日は成人の日。
今年は例年になくポカポカ陽気、風もなく、晴れ着も映える。よかった。
着慣れぬ和服は袖口や衿あしから風が入り、寒い。でも今日は大丈夫そう。
この間、七五三の幼子の、和服で足元に運動靴という可愛らしい姿に出合ったばかり。
振袖姿でにこやかに歩いてくる新成人の娘さんの足元には厚底のパンプスがあった。
思わず目が点。
チク・チク
長い間、忘れていた針仕事。
「ポケットの底に穴があいたから直しておいて」
と息子がジーパンを置いてゆく。
裏返してみると、500円玉ほどの穴が……。布を当てがうほどでもなく、ひと折りしてかがる。
針仕事、大好きであった。今や針に糸がなかなか通せなくなっているが、昔のカンのようなものが働くのか、すっと通ることがある。
そして驚くことがあった。
体だけではなく、指も太くなって指貫(ゆびぬき)が入らない。そっと針箱に戻す。
たった1本
いつの頃であったか、1本だけ生えた親知らず。右下の奥。
ときどき主張するようにうずくことがあったが、すぐに忘れた。
ところがここへきて、主張が続く。だましだまし、1日、2日と過ごしていたのだが、もう無視出来ぬところまで。それこそ、寝ても覚めても……。
くる時がきてしまったようだ。
前に聞いたことがある。
「歯の痛さと孫の可愛さには勝てぬ」
重い腰を上げる。痛み止めで楽になったが、後日に抜歯の予定を入れる。こわいナ。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
いいですねえ。
こういうものを読ませていただきますとね、あれ、自分が書いたのか……と思ったりします。いえ、この観察にも感性にも、わたしは届いていないのですけれど、なんだか。
これが究極の共感だと、思うのです。 ふ
それから オンネ カノン
派遣会社で働いていた。
派遣会社というと「派遣社員」として働いていることと未だに混同されることがあって驚くのだけれど、派遣社員とは派遣元(私が働いていたのはここ)から派遣先に派遣されて働いているひとのことである。
派遣元である派遣会社は派遣スタッフを登録するための業務や、派遣先を開拓する「営業」の仕事などを行っている。
派遣スタッフを登録し、派遣スタッフを募集している派遣先企業との「マッチング」を行う、「派遣コーディネーター」をわたしはしていた。
仕事をはじめて数年後、郊外の支店へ異動になった。
「こんにちは。これから派遣の登録を行います。希望されている仕事とのマッチングをするため、職歴の確認をさせてください。」
「前の派遣先は男女一緒のトイレでした。トイレがひとつしかなかったのです。そこの掃除もしていました。それで辞めました。そんなことで辞めたらダメですよね。」
「え? 十分に辞めていい理由じゃないですか? 嫌ですよ、トイレが男女一緒なんて。」
ここで、そのひとは泣き出した。
20代前半で、職歴がすでに10社ある。
「仕事を紹介してください」
と泣きながら言う。
面談の最後に、
「わたし、これを持っています」
そう言って、精神障害者手帳を出した。
派遣登録まではできるが、それだけでは派遣スタッフとして派遣先に送り出すことはできない。面談中に一度もわたしと目を合わせず、会話がまったく成立しないひともいた。
そんなひとたちが少なからず登録にやってきた。ここまでやる必要はないと思いながら、会社のパソコンで調べて行政の就労相談窓口を伝える。
皆、こんなところは知らないという。
「障がい者雇用」という言葉も知らないという。
なぜ知らないの?
なぜ、必要なひとのもとに必要な情報がいかないの?
「社会福祉士」という資格のことをわたしは思い出した。
これから自分がここ(派遣会社)でずっと働くことも想像できない。20年くらい前までは「名称独占」(※)なだけで就職に特別なチカラは持たないと言われていた資格だったけれど、この間の日本社会の変動は大きく、欧米でいう「ソーシャルワーカー」としての「社会福祉士」が活躍できる福祉の現場が増えていた。
「社会福祉士」は国家資格で、年に1回しか試験がない。受験資格を得るため、通信制の学校を調べ、スクーリングに通いやすい、近隣の専門学校を見つけた。
雇用保険に加入していると通学費用にいくらか補助金も出る。有給をとって、ハローワークで手続きをした。
受験資格を得るまでに2年を要した。翌年、社会福祉士試験に合格した。
ひとの人生の選択にゆるやかに寄り添える仕事は楽しい。クリエイティブな仕事だと思う。「これしかない」と思いこんでいるひとに「これもあるよ」と提示していけるように、自己鍛錬が必要だけれど。
「社会福祉士」という仕事がもっとたくさんのひとに周知されたらいいなと思っている。
※「名称独占」:国家資格でも医師や看護師といった「業務独占」資格と違い、社会福祉士は資格を持っていればその名称を名乗れるという資格。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
この作品において、作家とわたしとのあいだに、やりとりがありました。
理解が届かなかったから、です。
「派遣会社」の成り立ちも、わからなかった。
「派遣登録」の意味と、登録の限界もわからなかった。
「障がい者雇用」の内容も。
そういうわけで、やりとりがあったのです。
「オンネ カノン」という作家には、限りない可能性があります。
まずは、現在の仕事を通しての記録を、作品に生かしてほしいと思います。
それを切にお願いしたいと思うのです。 ふ
2023年2月の公開作品
忘れもの 谷澤美雪(タニザワ・ミユキ)
自分に自信が持てなくなり立ち止まっていると、遠い子どもの頃の時間を思い出す。
「いいの?」
「このままで?」
海のすぐ近くに住んでいながら、私は泳ぐことが苦手だった。臆病で水が怖かった。
小学校4年生のとき、近隣の学校3校が集まって水泳大会が行われた。近づくにつれ「体育」は毎回水泳の練習となる。犬かきのような泳ぎしか出来ない私はゆううつでたまらなかった。
「何故、水泳大会なんてあるのだろう?」
練習をしなくてもすむ方法はないものかと、考え続けていた。
「そうだ、水着を忘れましたと言えばいいんだ」と、わざと水泳の支度をせずに登校。
「先生、水着忘れました」
先生が言った。
「次の理科の勉強はしなくてもいいから、今から家に取りに行ってきなさい」
ドキン! とした。
心の中がグルグルまわっている。体が固くなっていくような思いを胸いっぱいにして、あふれそうな涙もぐっとこらえた。
家まで片道1キロ半はある通学路を必死に歩いた。家には母も祖母もいたはずだが、他のことは覚えていない。
この日、私は子どもなりに「きびしさ」という思いを体全体で味わったのだ。
先生は、私のずるい心を知っていたんだ。
練習は毎日、放課後まで続いた。
大会が目の前になった日、選手の発表があった。なんと私は平泳ぎの選手に選ばれた。
「え、わたしが25mなんて泳げるわけないじゃん」
でも、言えない。
やるしかないんだ。
大会の当日が来た。
マイクで私の名前が呼ばれた。
「5コース、ヤマダミユキさん」
「ハイ」
バーン!
泳ぐんだ。泳ぐんだ。順位なんてどうでもいい。自分と戦った。
25m、泳げた!
泳ぎ切った! 苦しみが喜びに変わる瞬間を、水の中で知った。
4年生だったあの日の私が、60才を過ぎても、迷いつづけている私を試してくれる。
「きっとうまくいくよ」
「自分を信じてやってごらん」
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
4年生のミユキちさん、よくがんばりました。
わたしも、「そこ」へもどって、励ましていただきました。
「谷澤美雪」の物語のような随筆、いいなあ、いいなあと思います。「壺井栄」を思いだしたりしています。
さて、きょうは「わたし(私)」や「ぼく(僕)」の位置についてお伝えしましょう。
本作「忘れもの」のはじまり近くに、こんなくだりがあります。
海のすぐ近くに住んでいながら、私は泳ぐことが苦手だった。臆病で水が怖かった。
もとの原稿には、こうありました。
私は海のすぐ近くに住んでいながら、泳ぐことが苦手だった。臆病で水が怖かった。
声に出して読んでみてください。
正解不正解というはなしではありません。
が、しかし、「私」が後方に移動した上のほうが、すっきり読めるのではないでしょうか。
「私は泳ぐのが苦手」の「私は」と「苦手」の文節は近くつなげたほうが、はっきり通ります。
「私は」からはじめると、ちょっと幼い感じを醸す場合もあります。「私」はどこに置こうかな、てっぺんではなく、中ほどに置いてみようかなと、考える神経を携えるとよいと思います。
てっぺん× というはなしではないことを、重ねて記しておきます。ふ
ブランデーケーキと暗闇 鶴木マキ(ツルキ・マキ)
父は2022年2月、84回目の誕生日を迎え6日後に亡くなった。
誤嚥性肺炎で入院したのは前年の7月。その頃の父は何度も入退院をくり返していた。都度痩せ最後の入院前は物を食べるのを嫌がった。食べるとむせて苦しいからと。
お酒が好きな人だった。家でリハビリをしていたときも缶チューハイを飲んでいた。そばの酒屋に買いに行く体力がまだ残っていた。しかしひと月の間に体力が落ち寝たきりになった。生きる気持ちが少なくなっていたのかもしれない。
食べないと体力も落ちてしまうよ、入院の2週前にブランデーケーキを持って行った。
父は洋酒の味がすると喜んで食べた。口から物を摂ってもらいたかったので、その姿が嬉しかった。
次に様子を見に行ったのは訪問医が来る日。
お父さん、あのブランデーケーキ全部ひとりで食べちゃったのよ、と母は言った。
その日の父は2週間前より更に調子が悪そうだった。訪問看護師が痰の吸引をし、肺炎かもしれないと言う。後から来た訪問医は父に入院を勧めた。母も父も入院を拒んだが私は2人を説得した。
救急車で運ばれた父をみて病院長は言った。加齢と病気で呑み込みが上手くできなくなった。食べ物の一部が肺に溜まり肺炎を起こす。一度治ってもまたくり返すだろう。これは寿命だから仕方がない、人はいつか死ぬのだと。
医者でなくこの人は坊主なのではないか? 一瞬私は思った。
果たして父を病院に連れて行ったのは良かったのだろうか? あのまま家にいれば結局肺炎は悪化し長い療養などせず亡くなっただろう。坊主のような院長は肺炎で亡くなるときは意識がないから、本人は苦しくないと言っていた。
父とはコロナで面会もままならず、危篤になってからも会わせてもらえなかった。父は末期ひとりだった。
亡くなる2週間前父から電話があった。
コロナを院内感染していた父は治って少し元気になっていた。どうしても聞きたいことがあると言う。父の兄の連れ合いが亡くなった。葬式は終わったのかと。叔母は患って長いがそんな話は聞こえてこない。笑いながらお父さんそれはきっと夢を見たんだよ。私が言うと、電話の向こうでえっ? と言ったきり黙ってしまった。
寝ては起きをくり返す父には、夢と現実の境目が薄くなっていたのかもしれない。
そうなのか? ひと呼吸入れて父は言う。
どうやらまだ少し疑っている様子だ。病院から何の電話だろうと心配しながらスマートフォンをとった私は安堵して、お父さんまたかけるよ、仕事に戻らないと。そう言うと父は今何時だ? と聞いた。父は目がほとんど見えない。
今? 夕方の4時だよ、私の答えに父は、そうか。夜中だと思った、そう言いながら電話を切った。
それが父との最後の会話だった。夜中だと思ったと言った父は寂しかったのではなかろうか?
実家に行くときブランデーケーキを持っていく。カステラ生地にブランデーが滴るほど染みたブランデーケーキ。父よ、寂しがらないで欲しい。何度だってあの日に私の心は戻るのだから。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
久しぶりに「鶴木マキ」の作品を読みました。
読んですぐ、情感が伝わることに感心したのと同時に、これを書けてよかったね、と思いました。
「 」を使わず会話をすすめる方法も、なかなかいいなと思わされました。わたしは「 」を使いたがりだからな、こんど、こんなふうにやってみましょう。
ね、鶴木マキさん、この作品、お父さまに向かうつもりで、静かにゆっくり音読してみてくださいまし。ふ
100字エッセイ 鷹森ルー(タカモリ・ルー)
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おせちはデパートのものでなければ「おせち」にあらず、みたいな風潮です。でも普段食べなれないものばかりで箸が進まない。そんな中「欲望おせち」なる言葉を発見! これだ! 今年は食べたいものだけを作ります。(100字)
軽井沢の万平ホテルがしばらく休館になるというので、友だちと行きました。夜のディナーに女性がひとり、窓際の席に坐って食事をしていました。そんなひとが4人!並んでいました! ひとり旅、究極の自立と自由。(100字)
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かたばみくれば
かんざしを探している。べっ甲がいいなと金額を見たら、想像以上の高値に驚いた。ここはひとつ、身の丈にあったもので折り合いをつけることとする。そしてめぐり逢った、宝尽くしの模様と人工パールのかんざし。(98字)
日曜日の夕方、夫とともに、ぶらぶら1週間分の食材の買い出しに行く。帰り道、日本酒やリキュール類も豊富な近所の酒屋に寄る。店の奥で立ち飲みができるのだ。ビールを頼み、よく冷えているそれを、ぐびぐびぐび。(100字)
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〈山本ふみこからひとこと〉
100字エッセイはたのしいです!
表現力を鍛えられるし、「過剰」になりがちな創作上の問題と向き合えます。 ふ
庭ということば リウ真紀子(リウ・マキコ)
東京都北多摩郡という、今はなき住所の借家暮らしが記憶の始まりだ。
小さな2軒長屋だったが、真南に面した6畳間の長辺いっぱいに、大きな掃き出し窓と濡れ縁があった。そこから繋がる庭で筵を広げてままごとしたり、ビニールプールで水浴びしたものだった。
父は子供のために庭づくりに精出した。農業大学から当時はまだ珍しかった八重咲きのチューリップ球根を分けてもらい庭いっぱいに咲かせたり、赤いつるバラを上手に繁らせ一面に花を咲かせたり、ちょっと地面を掘ってセメントを流し池にして金魚を飼ったりもしてくれた。庭という、安心して日暮れまで過ごせる空間があったのはなんと恵まれていたのだろう。
細い通路に沿って北側にまわると、質素な門と玄関があった。さらに進むと勝手口があり、そこにはポンプで汲み出す井戸があった。ジブリ作品『となりのトトロ』に登場するあれである。
玄関周りなのに日差しがあまり当たらないからちょっと寂しいところで、踏み固められたような地表から負けずに伸びてくるドクダミが初夏になると白い花を咲かせた。触ったり葉を傷つけたりすると独特の匂いがして、子どもだった自分には少し恐ろしい植物だった。ペッタリと固まったような地面にはゼニゴケも広がって、南側とは全く違う空間。両親はそんな北側の地面には注意も払わず放っていた。
読書するようになって出会う「裏庭」という言葉で思い浮かべるのは、この北側の井戸とそのまわり、冷たく固くなった地面のことだった。「庭」と呼んでいいのは、日当たりのよい南側の庭だけだと思っていた。翻訳された西欧の子ども向け読み物に出てくる庭の描写でも、思い浮かべるのは、自分が育った庭だった。
イギリスで暮らす機会があり、街並みや家の佇まいにも触れた。公道に面する住宅の玄関まわりのfront yardに対して、道から見通せない住居建物の向こう側に広がるプライベートな空間をback yardと捉えるのが一般的なようだ。このback yardが裏庭と訳されるのだが、なるほど、子どもが遊んだり家族でバーベキューしたりする「我が家の領域」がそれで、日当たりが今ひとつでちょっとひっそりしている裏側の空間という意味ではないのだと気づいた。
日本であっても気候風土は様々なので、きっと「庭は家の南側」にこだわらないところも多いのだろう。自分が育ってきた環境、経験してきた事柄に、言葉の理解はずいぶん制約を受けているものだ。こんな気づきがあると、トム(*1)が13時の鐘を聞いてそうっと階段を降りていった真夜中の庭や、秘密の花園(*2)の庭をもう一度訪ね直したいという気持ちがふくらんでくる。そして、今暮らしている家の小さな庭では陰も日向も生かしつつ、表も裏もない庭づくりを楽しみたいものだと思う。
*1『トムは真夜中の庭で』 イギリスの作家、フィリパ・ピアスによる児童文学。初版1958年。
*2『秘密の花園』 イギリスの作家、バーネットによる児童文学。初版1911年。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
記憶のなかの物語を紡ぐのは、むずかしい……。
なぜといって、つい甘みがつよくなるからです。
甘みの強いものを飲まされる(読まされる)読者は、どうしたってむせかえってしまいます。甘くなる理由にとして、登場人物への感謝、サービスもあげられます。それはどうか、べつの機会に、お伝えくださいましね。
「庭ということば」はその意味でも、よい調味です。 ふ
2023年1月の公開作品
思いがけないおくりもの おりべまり(オリベ・マリ)
「あ〜っ!」
あやうく転ぶところだった。
「週に4日1時間歩きなさい!」とかかりつけの先生に言われたのは3週間前のことだ。それでしぶしぶ家のまわりを歩き始めた。
目的もなく歩くのはあまり好きではない。
ずいぶん歩いたと思っても15分ほどしか経ってないことが少なくないから、何かを聴きながら歩くようにしている。
この前は仲良しの友だちとおしゃべりをしながら森を歩いたが、ふと気づいた時には50分が経っていた。そんなものである。
秋も深まり、わたしの住むとおくの国の風景は日に日に変わっていく。
めずらしくお日様の照る気持ちのよいお天気だから、今日は歩くのも苦ではない。
日本の紅葉の時期とはちがった風情。
建物にからまる蔦の葉が、黄色、オレンジ、そして真っ赤にグラデーションを描く。
はらはらと高いところから落ちて来る葉っぱの中には、わたしの手のひらよりもはるかに大きいものもある。
陽の光にてらされた風に舞う落ち葉のカーテンが、地面に少しずつ敷きつめられて赤いペルシャ絨毯と化す。
今年は雨のふらない夏、ものすごくあつーい夏だった。
芝生も枯れた。植木も枯れた。それが9月まで続き、水不足が心配された。
たまには暑くて長い夏もいいじゃない! と思ってみたが、確実に温暖化が進んでいることを身をもって知らされ、喜んでいる場合ではないと感じた。
例年は8月に入るとスーッと涼しくなり、すでに秋の気配がして風もいくらか冷たくなり寂しげになる。
天候が不安定なこの国は、1年を通して雨がおおく、空がひくい。
この気候のせいで、ここの人々は他の国の人たちに比べて多少暗く閉鎖的だと感じる。
いや、ひかえ目である、というべきか。
朝起きて太陽の光を浴びるというだけで、その日の気分がどれだけ違うかということをここで30年暮らしてきて実感している。真っ暗の中起きて、やっと明るくなってきたと思っても日中はグレー、雲が重く空にのしかかっているせいで息苦しいような感じがする。そこへ雨がしとしと降れば、その日の気分は限界に近づき、ため息ばかりだ。それがここの11月なのである。
それでもクリスマスが近づくと、その暗さを忘れさせるかのごとく街はキラキラと輝き、本格的な寒さがやって来る。グレーの空はともかく、この国の冬がけっこう好きだ。森を散歩すると、靄(もや)が一面にかかり、朝でも昼でも夜でも、なんとも幻想的な風景に出会える。寒さをしのぐために近くのカフェでホットワインなんかを飲んだりして……。
と、いろいろなことを妄想しながらぼんやりと上ばかり見て歩いていたら、落ち葉の赤い絨毯の上で足がツルッとすべった。葉っぱの下に隠れた犬のアレを踏んだのだった。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
ヨーロッパ在住の「おりべまり」。
日本の秋の深まりとは異なる気配を受けとめ、受けとめ読みました。
皆さんも、どうぞおたのしみください。
うつくしいなあ、と嘆息しつつ読み進めましたが、結びにはくすっと笑わずにはいられませんでした。ふ
それで、いいのだ。 追分なつ(オイワケ・ナツ)
はじめて自分で注文して本を買ったのは、小学校5年生のときだった。
「はたして、子どもの言い分をきいてくれるものなのか?」
とドキドキしながら、いつも行く本屋さんより、少し大きな本屋さんの扉を開けた。カウンターの横で、何度もメモを読み返してから、やっとお願いしてみた。こちらのドキドキとはウラハラに、淡々と事務的な言葉が返ってきた。差し出されたノートに指示されたことを書き入れ、頭を下げた。
2週間ほど待っただろうか。約束通り、その本はやってきた。大切にとっておいた図書券が、わたしにプレゼントをしてくれた。
『詩の生まれる日』
学校で担任の先生が読んでくれたその本の中の、『春』という詩を何度も読みたくて、わたしは注文したのだった。かっちゃん、という男の子が書いた詩だ。
たんぼに、/ほりかえした大きい土のかたまりがあった。/先生の/あごの形ににている。/泥の上にすわって竹とんぼのえで、/先生の顔みたいにちょうこくした。/よーくにてきた。/たんぼのふちに立てて、/「またあいにくるよ。」ってあいさつをした。/大根のつぼみがあった。
わたしも、そんなふうに、ひとりですごすことがよくあった。
まわりの女の子たちが、好きな男の子の話や、きのうテレビで見たアニメの話題で盛り上がったりしていた年頃だ。
「うんうん」とその場にいることもあるのだが、ひとりふらりと、ぬけ出して、木や花とのんびりすごすことも多かった。
「かっちゃんとは同じ景色を共有している。」
心の友のように感じていたのかもしれない。今思うと、土を先生に見立てていたぶん、かっちゃんのほうが社交的だったのかもしれないけれど。
そして、わたしは、そのまま大人になった。
ふと気がつくと、ひとりのんびり土手や野はらで空を見上げ、風にふかれていたりする。そして、頭がからっぽになったころ、花や木に「またくるよ。」ってあいさつをする。わたしをとりまくあらゆるものに、「ありがとう」と思っている。
かっちゃんは、それを知らない。
それで、いいのだ。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
ひとは見えているようには生きていない。
最近とみに思うことです。
作家の「追分なつ」に、わたしは二度ばかり会ったことがあるけれど、「ひとりになりたい」と考えているなんてところは見せない、明るくて人懐っこいひと、というのが印象です。
そんなことを考えるわたしも、そう。
「自分は人嫌いなんだろうか」と考えることがあるとは、誰にもわからない、なんというかひとに囲まれていることが好きな賑賑しいわたしに見えているでしょうね。
なつさんの真似しちゃおう。
それでいいのだ。
さてところで。
ものを書くときは、ひとりです。
ひとりになる時間をつくらないかぎり、書くことは決して実現しないと云ってもいい……。
そこがもっとも好きなところです。
皆さん、ご自身とよく会話して、ご自身を理解しようとしてくださいましね。
「孤独」と聞いて、それはお気の毒、なんて考えたりしないわたしたちは、「孤独」の肩を持って値打ちを探ってゆく道を選んだわたしたちは、書き手なのです。 ふ
夏の終わる頃に しもむらひでこ
こんな、新聞投稿を読む。
配偶者を亡くした50代の女性が、知人に「いつもじゃないけどね、ときどきご主人、近くに来るから」と言われたことへの思いが綴られていた。
私も友人に「ご主人は、あなたが心配で、きっと見守っていて、姿や声では伝えられないけれど、いろんな方法で、合図をおくってくると思うよ」と言われたことを思い出していた。
こんな話、信じたい人にとっては願いや救いであり、信じられない人には
「なーに言ってんだか」
ということなのだけれど。
で、「ヤモリ」です。
何年もこのところ、夏の終わる頃に1匹のヤモリが現れる。
台所のシンク前の左側の磨りガラス窓の外側に。おなか側からのシルエットをしっかり見せつけてくれる。
初めて気づいた時、「ひぇー、どうしよう」と思った。私は、この手のシルエットをもつ生き物は苦手だ。とりあえず、お引取り願いたいが、刺激を与えず、そーっとしておくことにした。ヤモリは「家守り」で家を守ると、どこかで聞いたように頭にうかんだからだ。
翌朝、窓を見るといない。
「よしよし」とほっとする。夕方帰宅するとはりついている。この繰り返しで数日過ごす。
今年は、来ないな、と思った気持ちが伝わったものか、とたんに現れた。定位置に。
調理する位置に立つと、その視線の先の目の高さにヤモリがいる。見ないわけにはいかない。
いいんです。
地球は、大きなおうちですもの、いたい所にいてください。
でもね、夜、電気をつけた時、窓にはりついたシルエットをみるとね、こう、背中がザワザワ、ゾクゾクしてしまうんです。私。
今年も3日ほどして、いなくなった。ほっとした。
そう、ほっとしているのに、ほっとするのが申し訳ないような、はたまた、愛想尽かされ、おいていかれたような心細くなるのは、どうしたことだろう。
しかも「『来年も待っているよ。』なんて、言えない私を許してね。」とつい詫びてしまうのは、どうなの、私。
きっと心のどこかで、毎年考えているんだ、あれは。「みんなを守っているよ」の「合図」なのかと。
ヤモリが見えなくなった後に。
*****
〈山本ふみこからひとこと〉
この作品を書き上げたあと、「しもむらひでこ」とやりとりがありました。何についてだと思いますか?
「旦那さまのこと?」
ええ、そのことも聞きました。
でも、その話は内緒です。
句読点の話をしたのです。
「夏の終わる頃に」の終わり近くに、こんなくだりがあらわれます。
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きっと心のどこかで、毎年考えているんだ、あれは。「みんなを守っているよ」の「合図」なのかと。
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書き手は迷いました。
「あれは」のあとを「。」にしたものか、「、」にしたものか……と。
どちらでもいいでしょう、と思われたあなた。それはちがいます。
「、」「。」は、大きな大きな存在です。
「、」「。」で書く。
「、」「。」で決まる。
と云ってもいいほどなのです。
そこにこそ、書き手のセンスがあらわれるのです。
ここでは「。」が選ばれました。
「正解です!」という話ではないのが、文章世界の不思議であり、おもしろみです。ただ、こんなところに神経を遣うことこそが大事。
「、」「。」に気持ちを向けることのできる書き手でありたいですね。 ふ
100字エッセイ
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はるの麻子(ハルノ・アサコ)
「ボクは男を捨てるつもりはないよ、いくつになってもね。キミも女を捨てるつもりはないだろう」草とりをしていたら聞こえてきたセリフ。携帯電話で話しながら道を行く男。妄想を噛みしめつつ、草とり、草とり。
2か月間エッセイが書けなかった。冷蔵庫に詰まった食材をながめても料理にとりかかれない状況に似ている。あれを作ろう、いやこれがいいかも。アイデアが浮かんでは散らばっていくばかりで、全くまとまらない。
(2022年11月29日)
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クッカハナコ
クリスマスの準備を始めよう。
まずはオレンジポマンダー作りから。クローブをオレンジに挿しシナモンをまぶす。うーん良い香り。部屋中クリスマスの香りに包まれる。
仕上げにシャンパンゴールドのリボンを結ぶ。
ようやく理想のレインコートを見つけた。黄色のポンチョタイプ。胴長でもお尻までしっかりカバーできる。フードはかなり大きい。これを探していたのだ。これで雨の日もご機嫌だ。
あっ、これ愛犬のレインコートです。
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ルウ真紀子(ルウ・マキコ)
自分の親世代を看取った頃、90歳過ぎてなお元気なお年寄りは稀だったはず。
だから、絶好調の母はどう振る舞えばよいのか迷っているのだろう。これほど達者なのだもの、わたしは年寄り扱いなんていたしませんとも。
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〈山本ふみこからひとこと〉
100字エッセイのおもしろみを、噛み締めています。100字の行間に、書き手の気分のようなものが見え隠れしています。情感、ムードを大切に。 ふ
後ろに注意 三澤モナ(ミサワ・モナ)
恥ずかしくて、できればすぐに穴に入りたかった。昨年の夏の出来事である。
銀行などの用事があって出かけ、そのあとカフェでランチをした。1年前に買った麻のワンピースを、私は着ていた。通販カタログで見て買い、素材とデザインを気に入っていた。その日は買ってから2回目の着用。どこか着心地が悪かったが、急いでいたので、そのまま出かけたのだった。
「オシャレなワンピースでオシャレなランチ」が終わって、車に乗って気がついた。ワンピースの背中のファスナーが開いていたのだ。何かピタッと来ないと思っていたのは、そのせいだったのだ。「なんか変」と思ったときに気づくべきだった。下に着ていた黒のスリップが丸見えだった……はず。
カフェのお客さんもスタッフもきっと見たよね。あーっ、恥ずかしい。ドキドキしてきた。
「黒のスリップを見せるためのおしゃれ!」とか、「そういう斬新なデザイン!」と思ってくれなかったかな?とひとりで悪あがきする。
あわててファスナーを上げ、急いで運転して帰宅した。
家に着くなり、ワンピースを脱ぎ捨てた。ワンピースは悪くないのに、理不尽にも、恥ずかしさと悔しさをワンピースにぶつけていた。気に入っていたのに……と。着用するたびに思い出しそうだ。
20代のころの同じようなショックを思い出した。
職場用の服を通勤着に着替えて、さっそうと廊下を歩いていた私。後ろから、足音が聞こえた。上司が何も言わず、普通に通り過ぎた。私はふと違和感を感じ、ハッとしてタイトスカートの後ろファスナーに手をやった。開いていた。絶対気づいたよね。私、カッコつけて歩いていたのに……。顔から火が出るほど恥ずかしくなった。上司が女性なら教えてくれただろうか。男性上司が知らん顔してくれたことに感謝すべきだろうか。
またやっちゃった。もっと早く、右腕が五十肩で十分に上がらなくなった時点で、そんな服をあきらめるべきだった。
「もはや後ろファスナーの服を着ないぞ」と決心したものの、麻のワンピースを惜しんで、しばらく恨めしく眺めていたのだった。
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〈山本ふみこからひとこと〉
数かぎりなくあります、わたしにも。
恥をかきながらの人生を、昨日までつづけてきて、きょうからまたつづけてゆくのがわたしというひとらしいです。
ほんとうによくぞ書いてくださいました。
どうもありがとうございます。
こんなふうに書き手と読み手のあいだの分かち合いによって、作品のぬくもりはつくられ、育てられます。分かち合おうと考え、企てるだけでは、そうはならない。
日頃から、他者に興味を寄せ、その存在が抱える事情や心持ちを想像することが、どうしたって必要です。
2023年も皆さんと、こころを耕しながら、紡いでまいりたいと存じます。
あたらしいことも、してみたいと考えています。
書くことの「大事」を胸に抱いて、1年を過ごしましょう。
2023年1月3日
ふみ虫舎エッセイ講座日直
山本ふみこ