ふみ虫舎エッセイ通信講座作品集


2021年5月の公開作品


パンダ焼きを手土産に  小林ムウ(コバヤシ・ムウ)

 

 よく晴れたある日。

「ねえさまあ、来たよお。」

 玄関先で、鈴をふるような声がする。

 パンダのおばさんだ。祖母の妹。いつも手土産にパンダ型の人形焼を持ってきてくれる。パンダ焼き。わたしの大好物だ。

 

「あがりゃあ(ウチニハイッテ)」

 祖母が笑顔でむかえる。そうして、縁側にふたりならんで腰かけ、庭の柿の木を仰ぎながらおしゃべりがはじまる。わたしもパンダ焼きめがけて、ちゃっかり隣りにすわる。

 

 おばさんは何やら難しい顔。言葉の調子がツンツンしている。祖母はうんうんと聞いている。次に祖母が話し、おばさんが返す。

「ほんでもよう(ソウイッテモネ)」

 それが何度かくり返された。

 

「そうだなも(ソウダネ)」

 おばさんが深くうなずいた。

「そうだなも」

 そうだなも、そうだなもと祖母とおばさんはかわるがわるうなずく。そのうち、どちらともなく、うふふ、あはは……。

 

「そろそろ、ごぶれいしようかあ(カエルネ)。また、来るでねえ」

 そういったおばさんは来たときとはうってかわって明るい顔だ。自転車にまたがり手をふるおばさんを祖母と一緒に見送った。

 

 ふと、いつも野良仕事にでかけている祖母が家にいたことを不思議に思った。

「おばあちゃん、今日パンダのおばさんが来るって知ってたの?」

 

「ふふふ。なんとなくねえ。おばあちゃん、ええことがある日は朝から耳たぶがほてるんだわ。さわってみやぁ」

「ほんとだぁ! ボカボカ(ポカポカ)」

 

 これは40年近く前のおはなし。もう祖母もパンダのおばさんもこの世にはいない。家は建て替えられ、庭の柿の木も切られてしまった。それでも、秋晴れの日にはふたりのやりとりを思いだす。

 

 なかよし姉妹はあちらでも肩を並べておしゃべりしているだろうか。いつかまた、となりにすわりたい。

 

2020年12月

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 土地のことばって、ほんとうにいいものですね。

 昔から大切にしてきたことばのやりとりのなか、憂いや苦味がほどけてゆきます。

 こんな光景を記憶に刻んだところに、作家の感受性を思わずにはいられません。そうです。ものを書くときに不可欠なのは感受性かもしれません。どんなものを書く場合にも、感じとる力、受け容れるこころが必要なのではないでしょうか。

 ただし、感受性を野放しにしてはいけません。こうしたものも整理して、計って置いてゆく。そこに書き手の力量があらわれる、とわたしは思っています。

 これは少し前の作品ですが、いま、あらためて読むことができて、幸いでした。 ふ


ごちそうさま  原田陽一(ハラダ・ヨウイチ)

 

 毎年12月になると、大好きな海の幸がやってくる。

 寒ブリの刺身。

 豪快に厚めに切ったのがいい。刺身は脂がのり、とてもなめらか。

 たっぷりの大根おろしに、山葵をすこし加え、これを小皿に入れる。濃い口の刺身醤油をたらして、かき混ぜておく。

 寒ブリの厚めの一切れを箸につまむ。小皿の大根おろしをのせて口にはこぶ。

 寒ブリの脂たぎった切身が舌にのる。

 ほんわかとしたブリのとろ味が、味覚につたわる。大根おろしがからみあって、とろ味が口中に広がる。

 ううっ、うまーい。

 一切れを飲みこんだあと、舌の上にはまだブリのとろ味が残っている。

 淡麗辛口の冷えた大吟醸酒を杯に注ぐ。

 一口はこぶ。舌の上に残っていたブリのとろ味と冷酒が混ざりあう。喉まで入り込んで腹におちる。

 うまさが脳天まで響きわたる。

 ううっ、たまらない!

 人間に生まれてよかったとつくづく思う。至福のとき。

 

 ブリは南の海で生まれる。成長とともに、ワカシ、イナダ、ワラサ、ブリと名前が変わる。出世してブリになるころには、体長1メートルくらいまで育つ。大きくなると、黒潮にのって北上。冬になると、回遊して富山湾に入り込んで来る。脂も最高にのっている。富山湾では、定置網を張って捕える伝統的な漁法が受け継がれている。

 富山湾の奥にある氷見(ひみ)漁港。ここにあがる「氷見の寒ブリ」は、ブリの最高級ブランドだ。

 

 寒ブリの季節になると、何度もうまいうまいと舌鼓をうつことになる。ブリのとろ味をもとめて、つい食べ過ぎてしまう。冷酒もしこたま飲み、あくる朝、二日酔になって、やり過ぎたことに気づく。反省と不安の気持が、しみじみと頭をもたげてくる。

 ブリは日本海の荒海を群れて泳ぎ、出世魚として成長してきた。健気に成長したブリを人間様が網で捕える。

 荒海で出世してきた魚を人間様があぶあぶと食べるのは、いかがなものか。

 魚の一生を考えると、魚に対して人間はあまりに傲慢で、勝手過ぎるのではないか。少々後ろめたくなってくる。

 とは言え、人間にも食べるリスクはある。寒ブリを食べれば食べるほど、脂肪やコレステロール値が上がる。高血圧や糖尿病など成人病に追い込まれるリスクが高くなる。

 魚は捕えられて食べられるリスク。人間は成人病にかかるリスク。

 人間も相応のリスクを抱えつつ、食べさせていただいているということで痛み分け。何とかご容赦ください。

 海の神様、いつもごちそうさまです。


2012年3月22日                     

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 じつに美味しそうですね。

 美味しそう、たのしそう、という場面を書くときにはがまんが必要です。自らの感情をそのまま盛りこむと、たいてい美味しくもなく、たのしくもなくなります。

 なにしろ、読者はそもそも、その美味しさ、たのしさとは無関係に読んでいるわけですから、慎重にそこへ案内しなければなりません。

 原田陽一はまるで一緒に呑んだり、食べたりしているかのように場面をつくりました。お見事。ふ


2021年4月の公開作品


風神雷神 いわはし土菜(イワハシ・トナ)

 三月のある土曜日、朝から夕方のような空模様に、思わず時計に目がいく。正午をいくらか過ぎた時間だった。

 表では雷まで鳴りはじめたが「春雷」というほど風流でもない。

 風流が認められれば、褒めなくてはいけないが、寒いのか、暑いのかもはっきりしない陽気に雷さままでおいでになり、ただただ面食らう。

 雷さまには、やっぱり真夏においでいただきたい。

 桜が咲き、木々が芽吹き、ゆっくり目覚めていく春を待っているいま……である。

 春はあけぼの……というではないか。

 風流どころか、無粋である。

 と、昼下がりに、ぼおっと外を眺めながら、

「自然のなせる術に逆らっても徒労というもの」

 なんて、わかったふうな口をきく。

 しかし、いにしえの画人たちが、競って描いた「風神雷神」さま*は、私の一番すきな絵画だ。

 本物にも数回お目にかかった。

 その場を立ち去りがたい、いつまでも眺めていたい絵だ。

 あの笑みを浮かべながら、天を縦横無尽に飛び交う姿を想像していて、こちらも笑顔になる。

 春雷は無粋だ、なんて大それたことを言ったが、その鳴りひびく音に、幼いころから、私はちょっと怖いが、ワクワクしていた。

 いますぐそこで、雷神さまのあばれ太鼓の乱れ打ち。

 ちょっと萎えてる心に「喝」がはいる。

 無粋なんて言ったからだろうか、雷神さまがどんどん遠くなる。

 音が小さくなって、かすかな回数になってきた。

 テレビの気象速報で、当地区に突風の恐れあり!と流れている。

 ここで、ピンときた、風だ。

 しかし、幸いというべきか、風神さまのほうは、おいでにならなかった。

 今回は、まだ、足並みを揃えるには早すぎた感じかな。

 足並みが揃ったらどうなるかには、別の問題を含むが……。

 雨を眺めているうちに、とうとう雷は聞こえなくなってしまった。

 嬉しいような、さみしいような土曜の午後でした。

 

2021年3月15日

                      

※「風神雷神」さま:風神雷神図屏風 俵屋宗達国宝、尾形光琳 酒井抱一

  重要文化財

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 この作品にずるずるとした感想を添えるのは「無粋」。

 皆さんも、この感覚をただただ味わってくださいまし。

 さて、わたしはちょっと講師風にひとつ記させていただくとしましょう。

「である調」で綴った本作ですが、結びのところだけ、「でした」となっています。こういうところを見て、統一がなっていない!とめくじらを立てるのは、これまた「無粋」。効果的に、「である調」のなかに「ですます調」を置く(逆も然り)ことで、ある効果が期待できることもあるのです。

 全体に混ざり合うスタイルはおすすめしません。

 が、効果的にひとつ異なるものを置くと、何かが伝わることもあります。ふ


ばつが悪い 永見まさこ(ナガミ・マサコ)

 

 どんなに寒い日でも、沈丁花の香りがすると、春がすぐそこに近づいているのを実感できます。たったそれだけで心が浮きたつ、そんな早春の季節が好きです。

 13年前(2008年)のあの頃もそんな季節でした。

 4月から長男と次男が社会人となり勤め先の寮に入ることが決まっていました。

「家に残しておきたいものは、段ボール一箱くらいなら預かるけれど、それ以外は寮に持っていくなり処分するなりして、物入れのなかは空っぽにしてね」  

 と、息子たちに伝えました。

 わたしの経験から言うのです。結婚したとき、仕事の忙しさにかまけて片づけきれない自分の荷物は実家に放置したままでした。それをやっとのことで片づけたのが10年後だったという経験から、今片づけてもらわないと、この先ずっとわたしが彼らの荷物をかかえることになると考えたからです。

 社会にでる間際の自由なときを惜しむように、毎日出歩いていた息子たちも、3月半ばになると競いあうようにいそいそと部屋の片づけをはじめました。夕方になると、いらないものが入ったゴミ袋や束ねられた本や教科書がずらっと並びます。その様子を横目でながめながら、親元から飛びたつ助走のスピードがぐんぐん上がっているのを感じていました。

「息子さん2人が同時に家を出るなんて寂しいでしょう?」

 と問いかけられるたびに、

「ええ。でも就職と同時に自立してくれて、ホッとした気持ちもありますから……」

 などと殊勝な母親ぶって答えていました。

 けれど本当のところは「ホッとした」どころか、「こんなにめでたいことは生まれて初めて!」というほど有頂天になっていました。2人の巣立ちはじつに喜ばしい、でもそれにも増して5人家族が3人になってからの家事の量やそれに費やす時間の激減を考えただけで、気持ちが舞い上がっていたのです。

 いよいよ長男が家を出る朝のことです。

「タンスに残っている服は古着に出していいから。今まで、いろいろとお世話になりました」

 思いがけないひと言で、一瞬しんみりとした空気になりました。

 けれどドアが閉まったと同時に、わたしは現実に立ちかえり、長男の部屋に走ります。タンスに残るTシャツやトレーナーをビニール袋にどんどん詰めていると、ふと人の気配を感じます。顔を上げると、たったいま玄関を出たはずの長男が、そこに立っていました。忘れものをした、と言って。

 さっそうと実家を後にしたのに、直後に忘れものを取りにもどった長男、寂しそうな顔をつくって見送りながら、浮かれている姿を垣間見られたわたし、たがいにばつが悪いことこの上なし。

 

2021年3月4日

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 この作品には、学ぶことがたくさんあります。

 母と子の距離感、自らの失敗の生かし方、敏速なる片づけなど。

 息子さんにしても、お母さまのたくましさを実感したことでしょうね。自分に対する「信」も受けとめたのにちがいありません。

 リズムのある作品となりました。

「ホッとしたどころか、こんなにめでたいことは生まれて初めて!」

 いいですね、ここがいちばん好きです。 ふ


看板娘 草香なお(クサカ・ナオ)


 3年前くらい前になる。

 東陽町にある会社で奨学金関係の書類の整理を半年ほどしていた。朝が弱いせいもあり、いつもマクドナルドで1杯コーヒーを飲んでから、出勤していた。

 70歳は超えていたと思う。若い時は、綺麗だったんじゃないかなと思われる女の人がフロアーを担当していた。まさに「制服が似合う可愛いお婆ちゃん」。若者の中で同じように働くその姿は、人目をひき、気がついたら、目で追っていたり、今日もいるかな? なんて考えたり……。いたらいたでなんて言葉をかけていいかわからず、朝から深く頭を下げて挨拶していたなあ。

 

 また2年程前からお世話になっている駒場東大前のマクドナルドでも、こんなことがあった。

「その、サカナの骨のネックレス素敵ですね」

 店員が客に話しかけてくるのは珍しいな、と思いながらも、

「昔、お世話になった恩師にもらったんです」と、だけ私は答えた。

「へえー、すごい」

 と、少し声のトーンをあげて彼はいい、こぼれるような笑顔になった。

 勇気を出して本当のことをいってよかった……それだけでも私は満足だった。

それから、数日がたち、正月が明けた頃だ。仕事で、またいつもの駅前を通り過ぎた時だった。突然、向うから歩いてくるとても髪の長いお兄さんに、

「おはようございます」

 と、声と掛けられた。私が、誰?という顔をしていたら、お兄さんはつづけた。

「マックの店員です」

 髪は下ろしているし、何より制服をきていなかったから、全然気がつかなかった。

「今年もよろしくお願いします」

 ちぐはぐな挨拶だな、と自分でも思いながらも、その場はわかれた。

 学生さんだったようで、その後、卒論を92枚書いたことや、

「今年卒業なので、お店も3月でいっぱいで卒業なんです」

 ということも後で教えてくれた。

 「私もここは、4月で卒業。3月いっぱいよろしくね」

 ここ数年、コロナ渦に世界は巻き込まれ、旅行は出来なくなり、あたり前のように考えていた日常生活にも規制がかかるようになった。テレビやニュースなどを見ていると恐ろしいくらい。ない頭が余計に混乱してしまうこともしばしば。けれどもそんな日常の中にも、小さな光はある。

 恐らく私は、マックめぐりを暫くつづけるだろう。出会うか出会わないかわからない、触れ合いを求めて。

 

2021年3月

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 日常のなかにも、小さな光がある。

 この主題にこころ打たれています。

 ほんとうにそうですね。そんな光を注意深く掬いとって描いてゆくことが、書き手の道なのだ、とあらためて思わされました。 ふ


 読解力   泉野ほとり(イズミノ・ホトリ)

              

「ちゃんと空気は読めるんで」

 息子はそう言って、スマホを弄った。

 地方の高校寮で生活をする息子が夏休みに帰省した時のことだ。幼少の頃からわがままで負けず嫌いだった息子が陰で「ジャイアン」と呼ばれていたのを知っていた母はすこうし心配なのだ。不器用だけど根は優しい息子だが、傍若無人なところから誤解されることもあった。

 息子の学校における人間関係は分からなかったが、親子で始めたライントークのやり取りは申し分なかった。意外であった。本をほとんど読まず、興味のある知識は動画から得ている彼から、ラインで的を射た返信が返ってくる。一方、私は読書好きだが、メールやラインでのやり取りが苦手で失敗を重ねてきた。送信した後でいつまでもくよくよしてしまう。

 もしかすると国語の読解力とコミュニケーション能力は違うものなのだろうか。夏休みの宿題への雰囲気づくりと、読解力とコミュニケーション能力のなぞを解き明かしたくもあって、国語の読解の課題を一緒に解いてみることにした。

 

「結構ムズイよ。大丈夫?」

「ああ、コイツ、コイツ。簡単なことをわざと難しく言うんだよ」

 

 苦手な論説文を前に不機嫌な息子は昭和の大先生の「名文」に暴言を吐く。思わず、彼の言い分にも一理あると感じた私はただの親馬鹿なのであろうか。

「確かに英文の論説文の方が読みやすいね」

 マズイ。そう感じる私は、読解テストで万年追試組の息子と同じ……?

 ということは、私の読解力は息子と同じ程度であり、コミュニケーション能力は息子以下ということになる。これまで、著者の言わんとすることを受け取っていると思っていたのは私の勘違いであったのか。そう考えると私のSNSでの失敗の数々に合点がいく。読解力の無さを補おうとして相手からのメールやトークを曲解し、自分に都合よく解釈していたのかと思うと恐ろしくなる。

 しかし、息子よ。

 長い人生、空気を読むだけで生きて行けるのか。いや、それは自分で考えよう。

 

2021年3月

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 作品のなかに「国語の読解力とコミュニケーション能力は違うものなのだろうか」というくだりがあります。

 この問いの投げかけは、おもしろいですね。

 うーん、と唸ってからわたしはひとつの答えを出しました。

「コミュニケーション能力っていうのは、本能に近いところで鍛えられてゆくような気がする……」

 皆さんはどう思われますか?

 さて、もうひとつお伝えしたいことがあります。

 やさしさ、思いやり、あたたかみのある文章を綴りたい、というはなしをたびたび耳にします。書き手のなかにやさしさ、思いやり、あたたかみの要素があることは大前提になりますが……、それだけでは実現しません。この気持ちを醸すには、「わざ」も必要なのです。

「やさしい」「思いやりがある」「あたたかみが感じられる」と書いても、伝わりません。

 ではどうするか。

 その場の様子、仕草、会話の語尾などに注意を払うことです。

 泉野ほとり「読解力」に、いろいろなことを考えさせてもらいました。 ふ


2021年3月の作品公開


お腹を抱えてわらう きたまち丁子(キタマチ・チョウコ)

 

「お腹を抱えて笑う」という箇所にさしかかり、ふと本をとじた。

 確か、

「箸が転んでもおかしい年頃」、そんな年頃が、遠い昔、あったような……。

 休み時間に教室で、あるいは学校からの帰り道、同級生とコロコロ、ケタケタ……。

 中学生の頃だ。

 何があんなにおかしかったのか。

 そんなことを懐かしがっていると学生時代の友人から電話がかかった。

 お互い2人の娘を持つ身。

 いつしか話題は、娘の家族が遊びにきたときの、食事のメニューへ行きつく。

 大人数、若い人や小さな子ども向けのメニューを同時に考える大変さに話は及ぶ。

 コロナ禍の中、外食にたよることもできず、手料理をふるまうのだが、なんだかてんやわんや。

 そうして、1月の次女の誕生日の日のことを、わたしは話し始めた。

 クリスマス、お正月のときとメニューがかぶらないよう、次女の好きなものを作ろうなどと、意気込んだのがいけなかった。

 材料はそろっているのに、メニューが決まらない。

 頭が真っ白になり、どういうわけか、わたしは、台所でヘラヘラ笑い出した。

 そこで、受話器の向こうの相手は吹き出し、

 「なんか、わかる」

 といい、大笑いしている。

 わたしもつられて、お腹を抱えて笑う。

 何がそんなにおかしいのか。

 散々笑いあったあと、

 「なにはともあれ、唐揚げとポテトサラダは欠かせないのよね」    

   と、話はまとまりかけたが、

   「でも、それだけじゃ……ねえ。」

 と、また、笑い転げる。
 もう止まらない。

 一瞬だが、箸が転がってもおかしかったあの頃の感覚が舞い戻ってきた。

 実は、本を閉じたとき、

「もう、お腹を抱えて笑うなんてことはないのだろうなあ」

 という思いがよぎった。

 やっと電話を切ると外は夕暮れ。

 歳を重ね、ひとまわり体の小さくなったわたしたちが、お腹を抱えて

笑っている姿をふと、想像する。

 電話の向こうにいる友人にそのことを伝えたい気がしたが、やめておいた。

 洗濯物を取り込みに、わたしはトントントントンと2階へ駆け上がる。

 

2020年3月

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 笑うっていいなあ。

 機嫌よくするというのは、こうなると、人生のめあてのように思えるなあと、すっかり感心しました。

 皆さん(もちろんわたしも)、機嫌よく書きましょうね。約束です。ふ 


「因幡の白兎」 寺井 融(テライ・トオル)

 

 昭和29年3月末のことである。日曜日だった。4丁目(札幌市中心地)の維新堂に行く。小学1年生の教科書を買うためである。

「これからは、こんな本も読んだらいいぞ」

 父がそう言って、教科書のほか1冊の大型本を買ってくれた。

 挿絵が大きなスペースを占めるいわば絵本。タイトルが何であったかは忘れた。「因幡の白兎」や「ヤマタノオロチ退治」の話が入っていて、すっかり気にいった。何度も読み返した。

 小学校の図書館の本を読みまくる少年となっていった。特に、日本史の本と伝記にはまる。キュリー夫人や野口英世は当然のこと、札幌開拓の父・旧佐賀藩士の島判官(義勇)や、十和田湖・鱒養殖の和久内貞行なども読破した。

 そんな経験があったのに、わが子どもたちに、絵本を買って与えた覚えはあまりない。もちろん、読み聞かせもしていない。夏休みは、旅行に連れて行ったりしていた。これも気がついたときには、彼らは友だちと行くようになっていた。こちらは、仕事に追われていたのだ。

 それで入学式にも卒業式にも、さらに父兄参観日にも行ったことはない。子どもたちの学校と無縁だった。ただし、運動会は、長男が小学校を転校したとき、一度だけ顔を出した。新しい学校になじんでいたかどうかが気になったからである。彼は応援団長みたいなことをやっていて、ひとまず安心した。

 

 2人の子どもたちは本好きとはとうてい言えない。一般人としては少々多めの蔵書も、私一人のものとなっている。妻は「あなたとは、読書傾向が違うのよね」とか言って、当方の書棚にさわろうとはしない。

 ところがですね、18歳の孫・岳(ガク)が、爺様本に手を出すようになった。司馬遼太郎の『峠』や吉村昭の『川路聖謨』などである。ちょっと渋めだなあ。

 孫たちが幼児のころ、親が絵本を与えていたのですね。私たち祖父母も、何冊か買った。しかし、大半は図書館から借りてきた本だ。いま大分で、小学校教員をやっている彼らの母が、絵本を読ませることに熱心だったからであろう。息子(彼らの父親)は、成長の記録になると「絵本読書日記」を書いたりしていた。

 さて、その岳だが、これはNHK大河で「軍師勘兵衛」を放映する前の話。

「戦国武将でさ、誰が好き?」

「たくさんいるけどね、一番は安国寺恵瓊かな」

 毛利家の謀将である。彼は当時、小学5年生だった。驚いた。さすがに渋すぎる。実は私も、小学生のころ、恵瓊が好きだった。そこで、わが家の歴史小説をみつくろっては、岳が住む大分に送っている。

 この春から別府の大学寮に入ると聞いた。さて、どうする? 「因幡の白兎」の英語絵本があったらありがたい。送ることができる。留学生の多い大学なのだ。

 2021年2月10日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 身近なひと、家族、とくに孫のはなしを書くのはむずかしいのです。

 可愛くて、つい本筋には関わりのないことまで書きたくなってしまいます。作品に登場させる人物のことは、そうですね、作品の構成を助けてもらう存在、と考えるのがよいでしょう。

 助けてもらって効果の期待できることだけ、書くことをおすすめします。

 人物の性格、自分との関係性、なんかはどうでもよいのです。滲みだしている、それでじゅうぶん。

 そうして役目を終えたら、すぐさま退場していただきましょう。

「因幡の白兎」び登場する18歳の岳くん。登場はほんの少しですが役割を果たし、読者のこころをぐっとつかんでいます。

 寺井融爺、さすがです。 ふ


生姜焼き1枚 いしい しげこ(イシイ・シゲコ)

 

 TVから流れた言葉にハッとした。

 前後の言葉は聞き逃したが、今が大変な時であっても決して不幸ではないと、TVの人は言っていた。

 そこだけが耳に残った。

「うん、そう、私も不幸ではないワ」

 いつも当たり前があり、考えたり、感じたりしない日々が少なくなかった。

 当たり前って何か? 誰が当たり前に過ごせる毎日を造ってくださったのか。人びとのお陰でしょうか。

 不幸か幸せかを感じる気持ちは自分の心のハカリが決めること……。

 

 着干し

 幸せ、不幸って何かも知らぬままに、幼い頃はただ目の前にあることがすべてであった。皆んなそうだと思っていた。

 ある学年のとき、通信簿に「授業が終わってもなかなか家に帰らず校庭で、ウロウロしている」と書かれた。家に帰ると休む間もなく9歳下の弟を背負わされる。でっぷりと太った子で、今でもあのときの重さは身体がおぼえている。

 遊びに夢中になっていると、ジワーッと背中があたたかくなる。おむつは取り替えても、私の衣服は取り替えてもらえないから、そのまま、夕方まで遊び通した。着干し(きぼし/着たまま乾かすこと)である。

 風呂など、毎日は入れないから、言葉は悪いがさぞかし「小便くさいガキ」であったことだろう。あるとき、クビが動かなくなった。

 父にマッサージをしてもらった。

 

 生姜焼き

 ずっと働きづめで来た夫が突然倒れた。

 三大成人病をしっかり身にまとっていた。右側半身が不自由になってしまった。

 私が担当できるのは食事療法。図書館で糖尿病の献立メニューを調べる。野菜中心の塩分控えめで、肉類は80gくらい。秤に乗せて量を決める。

 焼肉が好きな夫のたまの外食は、いつも焼肉であった。車椅子での入店は難しく、私の手料理では焼肉屋の味は作れない。

 それまでにない食生活はお互いに大変であったが、楽しみでもあった。

 三度の食事、食べるものは絶対平等に。これは鉄則である。

 ……ある日、生姜焼きを作り、同じ枚数を各々の皿に盛った。大好きな肉に箸がのびる。

「父さん、食べられたら私の肉、食べてくれる?」

「うんいいよ」

 でもその1枚、本当は夫の分なのです。私の皿のキャベツの中に隠しておいたのです。夫は満足そう。いつもより多く肉が食べられて、やった!と。

 わたしは思う。

 リハビリの毎日、少し工夫して楽しませてあげたいものネ。

 明日は何を作ろうかしら……。

 

 2021年2月

 

***

〈山本ふみこからひとこと〉

 どきどきしながら読みました。

 いいなあ、素敵だなあ……と思いながら。

 いしいしげこの作品には、いつもぬくもりと、感謝とが込められていますが、だんな様が登場すると、文章がピカッと光ります。

 ピカッと光らせようと思っても光らない。隠しておいた生姜焼きをそっと差し出す、そんな日常がなければ、とてもじゃありませんが、光りませんね。ふ

 


 A6サイズ  西野そら(ニシノ・ソラ)


 かばんの中にあるもの。

 財布、家の鍵、ハンカチ、ティッシュ、化粧ポーチとスマートフォン。

 夏の時期と雨が降りそうな日には、汗拭きシートと晴雨兼用の折りたたみ日傘が加わる。そうだ、電車に乗る外出の場合は文庫本も。これらがわたしにとって必要最低限のものたち。

 数人で出かけると、「どうぞ」とかばんの中から飴を配ってくれる人がひとりはいる。そのうえビニール袋をかばんから取り出し、飴の包み紙をビニール袋に集めて持ち帰る人もある。こういう人のかばんにはなべて、携帯用裁縫道具や救急絆創膏の類もきっちり納まっているものだ。

 備えのよい人をまえにすると、自分の出来の悪さが身にしみるけれど、次出かけるときに飴やビニール袋をかばんにしのばせるかといえば、そうはしない。備えのよさより身軽である方がわたしにとって優先順位が上なのだ。

 これほどまでに身軽がいいと思っているというのに、数年まえから無印良品のA6サイズのダブルリングノートが必要最低限のものたちに仲間入りを果たした。

 なんでもノート。

 スケジュール帳をもたないうえに、覚えておきたいことが容赦無く記憶から消えてゆくものだから、なんでも書きつけるノートをもつことにしたというわけだ。2019年1月15日現在、まだ数頁残っているから、書き付ける頻度はそう多くはないのだけれど。

 使い始めの頁にはこうある。

 2016/9/25『 HHhH』ローラン・ビネ 高橋啓訳(東京創元社)読了。ナチ ハイドリッヒ ガブチーク

 そのあとの頁をランダムに開くと、

 2017/2/23 試合 苦痛 勝負のゆううつ わたしの戦いどころ つきなみで

 2018/7/23 注文数50 送料 注文数 11月末発注

 

 やはり、なんでもノートだけのことはある。

 2017 年2月23日のことはさっぱり思い出せない。試合ってなに? そうとう追い込まれているふうな言葉の羅列で、よろしくない感情だったのだろうことはうかがえる。当時のわたしになにが起きていたのだろう。

 2018年7月23日の分は次女の高校の謝恩会で配る記念品のこと。

 なんでもノートの頁を繰る……。そこに置かれているのは、忘れて構わないこと、忘れてしまいた感情、覚えておきたいこと、書き付けていなかったら思い出しもしなかった事ごと。

 2019年1月25日  

 

*****

〈山本ふみこからひとこと〉

 2年前の、コロナのなかったころの作品です。

 読み返して、いいなあ、たのしいなあ、とわくわくしています。

 余談ですが、わたしの記憶には、太書きの線が引かれています。それは2011年3月11日を境に引かれたもの。

 手にした本も、ふと観ることになったテレビドラマの再放送も、それが太書きの線の前かあとかを確かめてから向き合います。ああ、この世界には、東日本大震災の残したものがある……と思うと、記憶に現実味が加わり、経験した悲しみとともに、喪(うしな)ったひとたちを近くに感じます。悲しみ即ち悲惨と位置付けることしかできなかった、太書きの線以前の自分自身がかすんでゆきます。

 さて、「西野そら」のノートに、2011年3月11日はどう綴られているか。

 コロナ感染症拡大はどう綴られているか。

 覗きたいな、と思ったりします。

 きっと苦難を経て初めて知る真実が、置かれているはず。 ふ


5千円 菊地みりん(きくち・みりん)

 

 財布を開いて、がん、となった。

 あるはずのお札がない。えぇっ、と思わず声がもれる。病院の支払いで、カードは使えない。どうしよう……と目まぐるしく考えていると、バックの中に封筒を見つけた。銀行でおろしたお金が入っている。そこからこそっと1万円札を抜き取り、無事に支払いを済ませた。

 帰るみちみち、思い出した。

前の日最後に行ったガソリンスタンドだ。そこでプリペイドカードに5千円を入金しようとして、1万円札を機械に入れ、おつりの5千円札を受け取った……はず。

 家に帰り、レシートを調べる。釣銭のお受け取りは自動精算機にてお願いします、と下の方に書いてある。

 そうだ、自動精算機で受け取り忘れたのだ。急いでガソリンスタンドに電話すると、本日の午後3時までなら機械の中に釣銭は残っているという。それ以降になると精算してしまうので、サービスセンターでの受け取りになる、ということだった。

 店員さんの整然として朗らかな口調は、釣銭を忘れる客はめずらしくはないのだという希望を与えてくれた。だが、恥ずかしい思いはしたくない。締切の午後3時に間に合うように車をとばした。自動精算機でレシートのバーコードをかざし、何ごともなく5千円札が出てきたときは、心の底からほっとした。

 

 じつは、この手のうっかりをよくやらかす。

 台所に置いたキャッシュカードを紛失したと思いこみ、あわてて再発行してもらったり、スーパーマーケットのカートに買ったものをぶら下げたままにして、手ぶらで帰ってきたり。そのたびに電話をかけ、時にはしかるべき手続きの午後をして、なんとかなってきたのだった。この国には、うっかり者を救うシステムが整っているのだなあ、とあらためて思う。

 しかし世の中には、人のいのちに関わるような、取り返しのつかないうっかりというものもある。そんなニュースを見聞きすると、心が痛み、どうにもやるせなくなる。わたしはこれからもうっかりし続けるだろう。どうか、それらが取り返しのつくうっかりだけでありますように、とひそかに念じている。

 2020年10月20日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 課題「うっかり」を受けての作品です。

「うっかり」はじめ小さな失敗について書くとき、書き手は突如として生き生きとします。あれもあります、これもあります、ほんとはまだまだあるんです……とばかりに。

 書く世界のおもしろい一面です。

 書こうとしながら、書きながら、ひとはうまくない事ごとの価値を認識するのです。うまくいったこと、成功例などは、案外おもしろくないものですしね。

「5千円」は、坦坦と描かれているところが魅力的。そうでありながら、結びの深まりはどうでしょう。うっかり者のわたしはしみじみ同感しましたとさ。ふ


2021年2月の作品公開


わたしの不要不急 古川柊(フルカワ・ヒイラギ)

 

 2年前の冬、家の事情で頻繁に佐賀まで行っていたのだが、ある時、上空で航空性中耳炎に罹ってしまい、以来陸路での移動を余儀なくされている。

 鉄道とバスを乗り継いで東京から約7時間。ひとりでの移動は想像以上につらく退屈だった。それで二度目からは早めに家を出て、途中下車をすることにした。

 名古屋、京都。広島、福岡。遠まわりして熊本に寄ったこともある。

 行きたいところはどこか。見たいものはなにか。以前から気になっていたギャラリーや美術館。1冊1冊、あるじにじっくり選ばれた本だけが並ぶ小さな本屋。ていねいに淹れた珈琲を飲ませてくれる喫茶店。ひとり客でも気兼ねなく入れて、できればカウンター席があって、夫婦ふたりだけでやっているようなこじんまりとした食堂(ワインが飲めたらうれしい)。そして、路面電車の走る街ならなおいい。ようするに観光ではなく、日常からのすこしだけぜいたくな延長。

 旅に出る時は、あまりこまかな計画を立てることはせず、行きあたりばったりの出合いを期待することが多いのだけれど、なにしろ途中下車、限られた時間を目一杯満喫するために、計画を立てるのも真剣勝負だ。

 九州までの道のりを想って当初はかなり困惑したものの、空路では絶対に味わうことのない景色に遭遇できた。

 

 2021年現在。東京では新型コロナウィルス感染症拡大による緊急事態宣言がふたたび出され、わたしの毎日は自宅と職場とスーパーマーケットのトライアングルゾーンからはみ出すことはほとんどなく、寄り道も回り道もない生活を送っている。

 そして、時おり、道中でのあのひとときを振りかえっては、不要不急というゆたかな輪郭をそっとなぞっている。

 

 2021年1月31日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 旅先のギャラリーにて並んでひとつ作品を眺める者同士に……、喫茶店のカウンターで珈琲カップを前にする隣り同士に……、小さな食堂で同じボトルから白ワインを注がれる客Aと客Bに……なって、不要不急をたのしみました。

 古川柊という書き手は、たとえ現実の生活がトライアングルゾーンのなかにはまりこんでいたとしても、いつだって旅ごころがあり、不思議に満ちています。

 考えてみると、「トライアングルゾーン」は、どこまでだってひろげることができます。地にも天にも、わが身の内にも。 ふ


決死のカタカナマジャール語、市場で試す クッカハナコ(くっか・はなこ) 

 

 今から15年前、夫の転勤に伴って、ハンガリーの首都ブダペストに暮らしていた。

 はじめてブダペストの街に降り立ったのは10月の半ばごろ。キラキラ輝くような秋の朝日本を飛び立ち、フランクフルトを経由して、およそ20時間後、ヘトヘトになり夜遅くハンガリー・フェリヘジ空港に到着した。秋の気持ちの良い陽気の日本と比べると、ハンガリーの10 月はもうすっかり晩秋の空気に包まれていて、寒く暗かった。

 先にブダペスト生活をはじめていた夫が、翌日私を市内の有名な観光スポットに案内してくれた。ドナウ川にかかる鎖橋、国会議事堂、王宮、漁夫の砦などなど、どれも勇壮で美しく、ドナウの真珠と謳われた街は素晴らしかったのだが、その日はあいにくの小雨だった。しかも祝日ということで、市内の中心部なのに、有名な観光スポットなのに、人がちらほらと見えるだけ。店も閉まっていて、なんとなくうら寂しい。古くどっしりとした石造りの建物を、暗く重苦しく感じてしまった。

「ああ、東欧の国に来ちゃったんだな」

「ここで暮らすのだな」

と、ちょっと心細い気持ちになった。

 船便で出したダウンコートや厚手の セーターはまだまだ届かず、スーツケースで持ってきた秋物の服を何枚も重ね着して過ごしたが、私は、風邪をひいて寝込んでしまった。

 

 1週間後、体調は回復、プチホームシックからも立ち直り、本格的にハンガリー生活をスタートさせた。まずは食料の買い出しだ。

 当時のブダペストには、郊外から進出してきた大型スーパーマーケット、中規模のスーパーと、昔ながらの常設の市場があった。

 スーパーマーケットでの買い物は日本と同じ。ちがうのは、野菜類はセルフサービスのスタイルであること。欲しい物を自分で袋に入れて秤に乗せ、値段のシールを貼る。肉や魚は対面式で、希望の部位と量を注文する。対面式は、市場や、小売店のパン屋さん、ケーキ屋さんなど、どこへ行っても苦労させられた。日本でも、一般的にこうして買う機会が多いので、珍しいことではないのだけれど、慣れない外国語ではかなり難しい。

 

 そもそもハンガリーの公用語は何かというと、マジャール語という言葉で、人口1000万人弱のハンガリー国民だけの言語だ。聞くのも見るのもはじめての、まったく想像のつかない言葉。現地では、英語を話す人は少ないと聞く。

 私は外国語が苦手。英語も流暢なんてほど遠く、ジェスチャーの腕前だけが年々上達していく。それなのに、マジャール語なんて、ぜったいマスターできるわけがないと初めから諦めていた。

 それでも生活するためには、必要最低限の単語や挨拶は覚えなければならない。

 

 その日に買う物をメモ用紙に書き出し、「ハンガリー語指さし会話帳」で単語を調べ、数を書く。何度か声に出して練習してみる。「ハンガリー語指さし会話帳」は、カタカナのルビがふってあるので、もちろん私はそちらのカタカナの方で読んで発音する。

 

 練習後、いざ買い物へ!

 大きな買い物バスケットを持ち、バスに乗り、常設の市場へ出かける。そして、練習してきたカタカナのマジャール語を試す。

 私:「Jó napot kívánok ! ヨーナポトキヴァーノク(こんにちは)」

 店員:「Csókolom ! (*)チョッコロム!」

 私:「……(えー、チョッコロムって何?)……(気を取り直して)Harom alma fel kilo burgonya kerek! ハーロムアルマ、フェールキロブルゴニャ ケーレク!(リンゴ3個、じゃがいも500gください)」

 店員:「……?」

 もう一度。

 私:「Harom alma fel kilo burgonya kerek! ハーロムアルマ フェールキロブルゴニャ ケーレク……」

 店員:「……(少し間があり)……English please !」

 

 私の決死のカタカナマジャール語は全然通じなかった。

「あ、そうですか、そうですか、そんなカタカナのマジャール語が通用するわけないってことですか」

 そんな拗ねた気持ちと、たいそう恥ずかしいのとで、すっかりテンションが下がり肩を落とし、買い物もそこそこにバスに乗って帰った。

 

* 訳「こんにちは」男性が女性に、あるいは、子どもが年配の大人にたいして使う丁寧なあいさつ。

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 わくわくしました。

 一昨年『ブダペスト日誌』(飯田信夫著)をふみ虫舎で刊行してからというもの、ブダペストとの縁(えにし)が深まっているようでもあります。

 さて皆さん、「決死のカタカナマジャール語、市場で試す」をお読みになって、いかがでしたか? 

 ブダペストの街の雰囲気。気候。あたらしい生活へのとまどい。マジャール語との格闘……。

 これらが、自然に胸におさまったのではないでしょうか。

 まちがいなくそれは、クッカハナコの綴り様(よう)の魅力によるところです。

 その実現のひとつとして「過ぎる」のなかったことが挙げられます。
 観察が過ぎる(観察したことをすべて置こうとする)。感傷が過ぎる。感想が過ぎる。

 これによって、どんどん作品はうるさくなってゆきます。

 うるさくなるとは、知らない世界を旅しようという読書から共感が失われてゆくことを意味しています。

 読者の共感を得ようとしてもがく前に、「過ぎない」を考えることをおすすめしたいと思います。 ふ 


アジ料理 福村好美(フクムラ・ヨシミ)

 

 ベーカリーショップを舞台としたラブストーリー。

 美しい女店主の手首に幾筋かのやけど跡を見つけ理由を問うと、パンの出し入れで、業務用オーブンの縁につい手が触れてしまう、というやりとりがあった。その道の達人でさえ(だからこそとも言える)、他の人が知ることのない危険に日々遭遇しているのだ。

 菓子製造業で毎日砂糖をガスバーナーで煮詰めていた私の父も、手の甲には煮え立った砂糖が飛んだのであろうやけどの跡が絶えなかった。その分野で生き抜くためにはどこかにリスクを背負うことになる。スポーツ選手には身体の故障が付きもので、投手として練習・試合に明け暮れた私も、中学3年生の夏になると、右腕の肘に激痛が走るようになった。その後遺症で今でも右ひじは「くの字」のままで伸ばしきることができない。

 

 家庭内での日常生活でも 、庭木の世話でさえ、柑橘類の棘が指に刺さる、葉に隠れたムカデを手で掴み刺されるなど、思わぬところに危険が潜んでいる。単身赴任10年余を経験しているものの、家庭内労働は極力短時間で行い、食事は3食とも学生食堂あるいは妻からの差入れ弁当に依存していたため、身に危険は及ばない反面、家事の技量はほとんど上達しなかった。定年退職して組織から離れ家庭が主な活動の場となると、一転して家事の多くが自己責任となり、ある程度技量とリスクを伴う実作業が求められる。
 これまでは妻が作ったものを食べるだけであったアジフライも、今や自分で調理する。購入したアジの開きを水洗いして調味料を振りかけ、小麦粉、卵、パン粉を付け、熱した油に入れていく。頃合いを見て油の中で上下を返す。その時、何かについた水滴が紛れ込んだためか、油がはじけて手首に飛ぶ。しばらくしてその個所に水泡が顔を出すと、痛みがさらに増し家事にも危険があることを実感する。半面、自分で作った出来立てのアジフライはいとおしく、心なしか懐かしい味がする。

 子供のころから魚が苦手で、海に近い伊勢生まれにもかかわらず、食事で刺身が出ると周りの人に譲ってばかりいた。ただひとつおいしく食べられる魚料理が、母の作るアジの煮付けであった。病弱な息子になんとか魚を食べさせたいと思ったのか、母はアジをまず焼き、さらに生姜を加えた砂糖醤油で味付けした煮付けを、食卓の私の前だけに出す。香ばしくて甘く、苦手な魚を感じさせない美味しさであった。成長してスポーツ好きの頑健な少年になってからは、この料理を食べる機会はほとんどなくなった。

 

2020年12月5日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 少なからぬ読者が、アジを食べようかな、と考えたのではないでしょうか。

 長身の福村好美せんせいが、台所にそびえ立ち、アジと格闘しているところを想像して、くくく、とやりながら、わたしもアジの煮付けをつくってみようと考えています。焼いてから、というのがいいなあ、おいしそうだなあ、とこころが逸ります。

 理系、元大学教授の福ちゃんせんせいの作品(原稿)は、ちょっと混みあって、黒っぽく見えます。漢字が少し多いのではないでしょうか。

 本作ですと、美しい、見つける、中、今、掴む、付ける(味付けの、付けも)、時、周り、紛れ込む(の、込む)、子供(の、供)などはひらいたら(ひらく=ひらがなにする)いかがでしょう。

 柑橘類、棘、というような印象的な漢字は漢字のままにし、登場頻度の高い、ごく身近なことばをひらく手法を、わたしは使っています。 ふ 


かたつむり 小林ムウ(コバヤシ・ムウ)

 

 1月のある日。

 冷たい雨が降ったあと。

 玄関を出て、ふと足元をみると、かたつむり。

 あぶない、あぶない。踏んでしまうところだった。

 はて、かたつむりは冬眠するんじゃなかったっけ? どうして、きみはそこにいるの?

 もう少し暖かだったら、春と間違えて起きてきたのかなと思うけれど、吐く息は白い。

 お腹がすいたの? 体は動く?

 つのはぴーん、じりじり、じりじりと前進中。顔色はわからないが、今にも倒れそうという感じはしない。わりと元気なのかも。何かを食べている様子もない。

 どこかに行って何かをやりたいのかな?

 きみ、変わりものっていわれない?実は、わたしもそうなんだ。「こんなときにわざわざそうしなくても」って、いわれるタイプだよね。

 みんなと違うからって、気にしなくてもいいよ。きみはきみ。こんな寒い日に出かけようだなんて、すごい勇気だね。

 ベストをつくせますように。道中、気をつけて。無理はしないでね。疲れちゃったら、いまさら、なんて思わず冬眠したっていいのだし。

 かたつむりにさよならをいって、立ち上がったとき、ふとことばが口からこぼれた。

「やりたいこと、やってやろうぜ!」

2021年1月

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〈山本ふみこからひとこと〉

 昨年一度もかたつもりに逢えなかったわたしには、贈りもののような作品でした。どうもありがとうございました。

 本作のなかでもっとも好きなくだりは——

「いまさら、なんて思わず冬眠したっていいのだし」

 これ、いいです。いまさらなんて思わずに……ということばが生まれたこと、おめでとうございます。

 この作品から、どんなふうにしたら、ひとや自分自身にやさしい声かけができるか、が、学べるように思えます。

 やさしい気持ちの上に、やりたいこと、やってやろうぜ! ですね。 ふ


2021年1月の作品公開


健康法 原田陽一(ハラダ・ヨウイチ)

 

 2020年もいよいよ残すところ、あと1週間となりました。

 自分には、2020年に自ら課した年間目標があります。これを達成することができるのかどうか、という点が今や一大事となっています。

 年間目標は、1日あたり1万4千歩を毎日歩くことです。残る日数はわずかになりました。1日でも怠ると年間の達成が危うくなるので、緊張の日々が続いています。

 

 5年前に初めて、健康法として1日1万歩の目標を掲げることにしました。きっかけは、かかりつけの医師から高血圧の診断を受けたことでした。

 まず体重を落とすことが根本的な解決になると、医師から忠告を受けました。

 体格や身長から考えて、理想の体重として、75㎏が目標となりました。10㎏の減量をすることになったのです。

 ちょうどそのころ、自分はスマートフォンを買い替えており、そこに万歩計の機能が付いていました。スマートフォンは1日中持ち歩いているので、確実に歩数カウントしてくれます。

 いつでも歩数は集計されており、リアルタイムに表示されます。1日の歩数だけでなく、月間の平均歩数、年間の平均歩数やグラフまで表示されます。しかも、「今週の歩数は先週の歩数より、かなり少ない」と、こまごまと忠告までくれるのです。一連の表示が、自分の心をあおりたてます。

 最初の年は、1日1万歩の目標を掲げて、めずらしさも手伝って達成することができました。次の年は1万1千歩の目標をたてるなど、毎年、目標歩数を引き上げていきました。継続的に目標を達成することができ、ついに今年は1万4千歩の目標を掲げるに至りました。

 五年も続けると、身体の数値データがどんどん改善されていきます。当初85㎏あった体重が、何と12㎏もやせることができ、理想体重の目標をクリア。

 73㎏になりました。

 問題となっていた高血圧も下がりました。

 自慢げに医師に報告すると、逆ににこにこしながら注意されてしまいました。

「いくら何でも、ちょっとやり過ぎです。1日1万4千歩は負荷をかけ過ぎです。体重もやせ過ぎ。理想体重を下回るのはよくない。ほどほどにしてください」

 

 ところが、どっこい。自分はおもしろくてたまらない。

 毎朝起きるなり、1日どうやって歩数を稼ぐのか、計画をたてています。

 朝の散歩と昼の外出で、とりあえず1万歩は確保できる。残りの4千歩はどう稼ごうか? 夕方、もう一度歩こう。

 朝の天気予報で、1日中の雨が予告されると本当につらい。雨の日は歩数が稼げないのです。仕方がないので、用が無くても家から品川駅まで傘をさして歩きます。品川の高層ビル街には屋根付きの遊歩道があります。一周すると8百歩。雨に降られることなく五周して、何とか4千歩稼げます。

 知人が新幹線で上京して来るようなイベントがあると、うれしくて仕方ありません。品川から東京駅まで歩いて会いに行きます。これで8千歩稼げるのです。

 毎朝、その日の仕事やイベントをもとに計画をたてて、工夫して歩数を稼いでいます。月ごとに、年ごとに目標をたてて追いかけています。

 このプロセスが実におもしろい。

 医師から歩き過ぎと、注意されてもやめられません。

 これは健康法というより、万歩病。

 それとも、万歩狂?

                      

2020年12月25日

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 しばらくお会いしていませんが、原田さんのスタイルをこの目で確認したくてたまりません。

 誰(それが医師でも)が何と云おうと、という姿勢が好きなわたしは、この作品を読んでうれしくなってしまいました。ひとはもう少し、好き勝手にやっていいんじゃないでしょうかね。拍手です。

 書き手としても、自身の世界観をしっかり確立しておられて(わたしのアドバイスなんかかっ飛ばす勢いです)、作品には力がこもっています。書くことが習慣になっていることも、たのしく書いていることも伝わります。

「1万歩日記」として、道の上で見たこと、ふと耳にした会話、歩きながら考えたこと(妄想も)、をつづってゆくことをおすすめします。 ふ


つくり笑い いわはし土菜(イワハシ・トナ)

 

 われら夫婦だけのお正月と決まった。

 コロナに立ち向かう、精いっぱいの策である。

 吉と出るか、凶とでるか、40年ぶりのふたりっきり。

 孫にも、もう8か月ほど会っていないから、すっかり忘れられている。

 案の定、年賀の動画電話で、画面いっぱいに映った我ら夫婦に恐れをなし、1歳の孫は泣き出した。

 やれやれである。

 私が育ったころのおせちを作ることにした。

 子らが来ていたら、これではどうにもならないという代物。

 結婚以来、こんなに質素なおせちは初めてである。

 テーブルに広げたら、あまりの地味さに、正月からつくり笑い。

 私が育った当時の姉弟三人、お重の蓋を開けると、一斉に「ふあー」と声をあげたものだったんだが……。

 私の育った甲府盆地の北西にある韮崎市は、田園地帯と云えば聞こえはいいが、要は田んぼ、畑に囲まれている。

 加えて海もない、重箱の中身はそんな産物ばかり。

 動物性たんぱく質は、まぐろの刺身、酢だこ、海老と決まっており、数の子があったり、なかったり。

 肉類は、唯一鶏肉で、白菜と一緒にお雑煮の中。

 雑煮の前のおすましには、椀いっぱいに豆腐が半丁入っていた。

 いくら、うになんて20歳を過ぎる頃、初めてお目にかかった。

 

 だが、想像しなかったことがおきた。

 その質素は、からだを軽くし、頭がすっきり、なぜか活力も。

 溜まりにたまったストレスの闇を頭ひとつ潜り抜けた感じか。

 そうだ、年末、テレビで観た雲水(修行僧)らの食事と同じだ。

(彼らに、まぐろも酢だこもなかったが……)

 質素で無駄なく暮らすことから遠ざかりすぎたと実感。

 新聞もテレビも数字ばかりが目につく、昨今。

 こんな時はエッセイで、さらりとかわしたいが腕がない。

 原稿用紙がうっぷんばかりで埋まっていく。

 ここは、にわか雲水に姿を借りて修行どきと心得、緊急事態という、ふたたびのお籠り修行が吉となるよう祈りたい。

                  

2020年1月5日

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〈山本ふみこからひとこと〉

 いまの世の有りようを、ほどよい味つけで描いた作品に感心しました。大仰もなく、反省もなく、そうだなそうだな、と共感しながら読むことができました。

 地味で質素なおせち料理、さぞおいしかったことでしょう。

 読ませていただいたわたしは、ここで「ふあー」と声をあげました。

 その質素の効用を見事に描いた「いわはし土菜」、冴えています。ふ 


電話 ながはま ももか(ナガハマ・モモカ)

 

 言葉を選んで話すようになったのは、いつ頃からだろう。

 

 わたしの仕事は演奏家で、人前で演奏をするという仕事柄、人前で話すことも多い。

 

 話す機会を重ねるごとに内容はもちろん、声のトーン、はやさ、声量、目線、姿勢など……反省しては学んでいる。

 

 けれど、「言葉を選んで伝える」と意識しはじめたきっかけは……。

 

 大学生になってから、人生ではじめてアルバイトを始めた。

 アルバイト先は全国展開している洋服屋さんで、当時は厳しく辞めてしまう人も多かったが、19歳のわたしにとっては社会に出て働くことがそれまでにないことだったので、厳しくても比較する過去の仕事経験もなく、働いてお金が貰えることが嬉しかったことと、仕事を覚えることにとにかく必死だった。

 

 できる仕事も増えてお店に慣れてきた頃、お客様から商品の問い合わせの電話がかかってきた。

 

「電話対応も、もう大丈夫」

 

 お客様のご希望の商品があるかの問い合わせについて、いつも通り在庫を確認し、無い場合は謝罪をし、他の店舗の在庫を確認して、取り寄せるか聞いて………。

 段取りは体に染み付いていた。

 

 自信をもって電話を取った。

 ちゃんとやっていたつもりだった。

 だが、世の中にはいろんな人がいるのだ。

 問い合わせいただいた商品のサイズがないことを伝えると。

 

「在庫が無いとはどういうことだ」

 

 ひゅっ。とわたしの血の気が引いた。

 ……あ、怒っている。

 落ち着いて、話さなきゃ。

 

「お問い合わせいただいた商品のサイズは当店ではお取り扱いがなく、大きい他店舗からのお取り寄せになりまして………大変に申し訳ありません」

 

 しかし、やりとりを繰り返すごとにだんだんと相手の話す勢いは激しくなってくる。

 その勢いにつられて焦ったわたしは、考える余裕も無くなっていた。

 

「だから! 先程からお伝えしていますように………」

 

「だから?! お前いま客に向かって『だから』と言ったな?!」

 

 やってしまった。涙が溢れてくる。怖い。

 声が震えないよう、必死で我慢をして、店長に電話を変わってもらう。

 穏やかに話す大人の男性の声に、電話先のお客様は落ち着きを取り戻したのか、納得をしたのか。

 すぐに通話は終わった。

 

「大丈夫?特にお客様は怒ってなかったよ」

 

 店長は心配をしてくれた。

 

「すみません……ありがとうございました。大丈夫です」

 

 急いで気持ちを落ち着かせて、涙を拭いて、泣かないようにとにかく元気に振る舞って、店の売り場に戻った。

 頭の中ではぐるぐるとさっきの電話のやりとりが繰り返されている。

 

 だから……

 

 だから。

 

「だから」って、人に圧を与えてしまうことが、ある言葉なのか。

 わたしはたしかに、あの時言葉で相手を抑えようとしていた。

 

 子供の頃からピアノの先生や剣道の先生に習い、音楽大学という環境に身を置き、丁寧な話し方は身につけている、つもり。だった。

 19歳のわたしは、この時はじめてひとつひとつのことばの持つさまざまな意味、ちから、表情、伝わり方に意識を向けるようになったのかもしれない。

 

 その後もわたしはアルバイト以外でも、電話で失敗をしては学ぶことが多かった。

 

 人に「ことば」を伝えるということ。

 

 まだまだ修行中……いや、きっと終わりなく、ずーっと。

 

2020年11月

 

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〈山本ふみこからひとこと〉

 誰にでも経験のある、電話でのやりとり、ことばの上の行き違い。

 読み手の多くは、ご自分の記憶と重ね合わせて飛び上がったのではないでしょうか。(相手のことばへの無理解を思いだす場面もあったかもしれません)。

 2020年講座のお仲間に加わってくださった書き手 ながはまももか さんは演奏者、若き音楽家です。

 表現者として書くことも大切にされてこられたのだと思います。

 そうです、ひとは表現の手段を携えています。あるいは、表現の手段を持ちたいと希(ねが)う存在です。

 表現とは何でしょうね。

 伝える。

 届ける。

 響かせる。

 ことし、この講座では伝え方、届け方、響かせ方を皆でじっくり学びたいと思います。伝えたいこと、届けたいもの、響かせたい調べを、どのように手渡したらよいのかを、考えながら書いてゆきましょう。

 それは、ひととしての力を鍛えるという道にも通じているような。 ふ